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11 壊される夢


 ウィーゼンが出発してから二週間がたった。

 雨期に入り、雨の日が多くなった。雨が上がっても、からりと晴れわたることはなく、どこか湿った空気をたたえていた。

 紫龍は雨の冷えと湿気の多さに身体のだるさがぬけきれずにいたが、ウィーゼンが屋根や壁を修理していてくれたおかげで、例年よりはずいぶんと快適に過ごせている。

 しかもウィーゼンは、身を売らずに、雨期を十分に過ごせる重さの金袋を置いて行ったのだ。


『これは、フィア―ルカを買ってるんじゃない、フィアを迎えに来るときに元気でいてもらうために置いておくんだ――だから、もう夜の街には立つな。これ以上、フィアールカが他の男の腕の中にいると考えたら、俺は発狂してしまう』


 そんな風に言って。最後の言葉は言いすぎだと思うが、金袋を受け取らせるためにわざと大きなことを言ったんだろう。

 雇われ剣士というのは、そんなにも儲かるものなのだろうか。それとも彼は全財産を置いて行ってくれたのではあるまいかと怖いくらいの金額だった。

 

 ――本当は、ウィーゼンからもらった今までの金袋にだって手をつけたことがないのだ。


 王都に共に連れていってくれるときに、今までの分と一緒に返そうと思う。ウィーゼンからのものは受け取れない。それは、彼に特別な気持ちを向けてしまってからの、紫龍なりの想いだった。


 薬草を煮出しながら、静かに雨の音を聞く。

 ウィーゼンがいるところにもこの雨は降っているのだろうか、と想いながら。

 ぬかるんでることだろう。怪我をしてはいないか。戦いなどが起こっているのだろうか……。つらつらといろんなことを考えながら、薬草を煮る鍋をかき混ぜる。

 

 ウィーゼンがいるという砦。

 幼きころ、父母がシーリンからこのギーリンランドル国の地に来たときに、隣国ケイリを経たと聞いている。だから、おそらくその砦とやらの近くは通ったはずなのだ。幼かったせいもあって、記憶はないけれど、どのようなところなのだろうか。食料はちゃんとあるのだろうか。

 紫龍は病やケガがありませんようにと心の中で強く願いながら、ウィーゼンのことに想いを馳せる。


 ウィーゼンが出立のときには、紫龍は自ら作った薬をいくつか持たせた。草かぶれを治す軟膏や胃腸のための薬、喉や肺の薬も。売るつもりで作ったものだったが、惜しくはなかった。この一つでもウィーゼンを守ってくれるならば、すべてを渡したいと思った。


『薬売りに行くわけじゃないから……さすがにこれ全部は持っていけないなぁ』


と、薬草や薬の山盛りの前で大笑いするウィーゼン。その横で、紫龍は一番効き目が良く、汎用できる調合のものを選び袋に詰めた。


『こ、これなら大丈夫か? 邪魔にならないか』

『あぁ、ありがとう。あの薬の山も、その心はもらっておくよ。ありがとう』


 大きな手が紫龍を撫でてくれたのを思い出す。そして、銀の髪にするりと指を通し、ふっと口づけを落としてくれたことを。


「……ウィーゼン。どうか元気でいてくれ」


 そう願って、紫龍は過ごしていた。

 ウィーゼンのことを考えると気持ちがあたたかくなった。また時に共に王都に行く夢を見て、心を躍らせた。

 ウィーゼンと共に王都に行ったとき、きちんと薬草師として働けるようにと、紫龍は夜の街に立つのを絶ち、両親が残してくれた古びた薬草辞典をすべて出してきて、総ざらいをすることに費やしていた。



 だが、そんな穏やかな日々は、一気に崩れる――……。



 

 ****



 それは、久々に雨が上がり、晴れ間も見えたので洗濯をしていたときのことだった。

 大きな洗濯桶を抱えて家にもどると、ちょうど家の前に人影が見えた。勝手に戸を開け中に押し入ろうとしている。


「誰だっ」


 大声をあげると、その者は振り向いた。見えた顔に紫龍はカっとなる。

 トエルの町の宿屋の息子だった。ウィーゼンが金貨の入った袋を投げつけた、あの男。


「久しぶりだな、紫龍。村の者に聞いて、ここまで来たが……本当にこんな壊れそうなあばら家に住んでいるとはなぁ。そりゃ、俺の宿を利用するしかないわけだ」


 下卑た笑いを見せた男に、紫龍は「帰ってくれ!」と叫んだ。


「わざわざ、来てやったんだよ」

「トエルの宿には私からも今までのお代を払ったはずだ。お前に用はない!」


 紫龍が叫ぶと、男は肩をすくめる。


「金ねぇ。あの羽振りのいい剣士に買ってもらって、大きく出てるのかもしれねぇけど、勘違いも甚だしいぞ。お前なんて、利用されたに過ぎない」

「どういう意味だ」

「あいつ、西の地域の情報収集のために放たれた斥候だったみたいだぜ?」

「斥候?」


 紫龍は意味がわからず、つい聞き返した。


「斥候も知らないのか? 軍が攻め入る前に放つ、敵軍や敵地の情報収集をする部隊だ」

「情報収集……」


 思いもよらない言葉に紫龍は身をかたくした。


「少人数だし顔がばれたらまずいから、軍とはわからない格好をしてるやつも多いって聞くけどな。あいつは雇われ剣士の恰好だったが、雇われなもんか! れっきとした軍の中枢部からの回し者だったのさ」

「い、いいかげんなことを言うな!」

「いい加減なものか。お前こそ、こんなあばら家に引きこもって、国の情勢も少しも知りもしないくせに、偉そうに言い返してくるんじゃねえよ」


 ぐっと詰まった。

 その隙を狙ったかのように、男はあざ笑うかのようにして言い募ってきた。


「どうせお前は、我が国ギーリンランドルは、もうすぐ隣国ケイリと協定を結ぶことも知らないんだろ? そして、ギーリンランドルとケイリの北西に位置する辺境の地、銀の髪の者が住むシーリンの地を制圧するんだってこともさ」

「シーリン……」

「お前の出身地じゃないのか! ははっ、いい気味だな!」

 

 ギラギラした顔で笑い、男はそれからさらにニヤニヤと口角を上げた。


「紫龍といたあの男は、その作戦を立てるためにまず情報収集に放たれてた奴らの一人だってわけさ」

「そんな嘘を並べたてるなっ。そもそもシーリンは自治区のはずだっ!」


 懸命に言い返すが、紫龍がギーリンランドルやその周辺諸国の情勢に疎いのは真実だった。宿屋の男を馬鹿にするかのように声高らかに笑った。


「自治区ぅ? 周囲の国が牽制しあって、どれもが手を出さなかったから成り立ってただけだろうよ。そうだ、宿の客から聞いたが、どうもシーリンの山には鉱山があるらしいじゃないか。それを狙って、とうとう周囲の国々は動きだしたんだろ。ギーリンランドルにしても金鉱、銅鉱には飢えてんだ。放っとくわけないさ」


 男の言葉に、紫龍は必死に反論しようと叫んだ。幼い頃に出た故郷のことは深くは知らない。けれど、たしか、山をむやみに拓けば緑を失うと両親が話していた。それを思い出す。


「あ、あのシーリンの山々の鉱石はむやみに掘れば、水を汚し、川が濁る。緑が枯れ、ゆくゆくは民の毒となるんだっ」


 だが、そんな言葉も宿屋の息子は鼻で笑っただけだった。


「俺に言っても仕方ねぇだろ。俺は宿の客から話を聞くだけさ。関係ねぇ。どっちにせよ、王様たちは鉱石を手に入れたいだけ。実際に毒に触れるのはそこに住む者達だ。制圧し働かせりゃいいんだから、毒にまみれるのは戦いをお貴族様たちじゃねえんだよっ、あいつら王族貴族はどうせ良いとこどりさ。お前ら辺境の少数民族のことなんざ、どうでもいいんだよ」

 

 吐き出すようにそういうと、男は一歩二歩と紫龍に近寄ってきた。距離が縮まるのがいやで、紫龍は後ずさる。けれど、踏み込むようにして男が前に出た。

 とっさに避けようとしたが、男が伸ばしてきた手に腕を取られる。

 

「放せっ!」

「紫龍。お前、あの剣士に騙されてんだよ。お前を可愛がってやるふりして、シーリンの情報を仕入れたかったのさ。どうせ軍なんて、王族貴族の腰ぎんちゃくさ。銀の髪のお前のことなんて、少しも大事におもっちゃいねぇ」

「ちがっ……」

「違うもんか。俺はあんな羽振りの良いヤツがただの剣士のわけがないと思って、ちょっと聞きまわったんだ。トエルの街の酒飲みじいさんが覚えてたぜ。数年前、体格の剣士が銀の髪の人間を片っ端から探してたって。ウィーゼンと名乗ってて、商売女の中に銀の髪の紫龍って女がいるって教えたら、大金を握らせてくれたって、覚えてたよ」


 男の言葉に、紫龍は一瞬我を忘れた。茫然と立ち尽くす。

 

 ……ウィーゼンと名乗る男が、探してた……?


「その剣士、銀の髪の商売女がよく立っている道に張り込んでたそうだぜ? お前、雨の時はトエルの街まで来ねぇからさ毎日は立たねぇだろ。やきもきして待ってたんだろうな。良かったな、あの酒飲みじいさんがお前と偽剣士の出会いを作ってくれたってよ」


 とっさに受け入れがたくて、紫龍は首を激しく横に振った。


「ウィーゼンには、ま、街で、わ、私から声をかけたんだっ!」

「だから待ち伏せしてたんだって。紫龍に声かけられて、のせられるふりしてお前を買ったんだ。その後、このあばら家をつきとめるなんざ軍の奴らなんかには、片手間でできることだろうよ。そこに偶然よそおって、運命みたいにお前と再会したふりして馴染みの客になって通ったんだよ。シーリンの情報や伝手が何かないか探してたんだろ。お前以外にも銀の髪の仲間を作ってないか調べてたんじゃないか」

「そんな情報なんて私には何もないっ! 私は……仲間などひとりもいない……私のような銀の髪の者、私ひとりだ」

「紫龍の周囲ではそうかもしれん。だが、お前の知ってるところなんて、せいぜいここら周辺だろ? 狭いじゃないか」


 宿屋の息子は馬鹿にしたように鼻で笑った。


「おまえ、どれだけギーリンランドルを知ってるってんだ。どうせこのあばら家とトエルの街の往復。あとは買い物にリドに行くくらい。ギーリンランドルは広いんだよ。その中のちっぽけな一部しかしらなくて、銀の髪の人間が周囲にいないのは当然だろ。お前が生きてる世界が狭すぎんだよ」

 

 乱暴な言い方だが、あまりにも的を射ていて、紫龍は言い返せない。


「ま、お前の両親が生きてたら、ちょっとは違ったんだろうよ。少なくとも銀髪三人だからな。あぁ母娘に親父もまとめて買ってくれて軍人たちと乱れた夜を楽しめたんじゃねぇか。そろいもそろって身売りの家族だからな!」


 あざけることばに、紫龍は歯を食いしばった。そこに容赦なく宿屋の男は毒を吐く。


「作戦を立てる前段階の情報収集ってのは、あの手この手でいろんな銀の髪の老若男女に取り入りながら情報を集めんだろうよ。その中に上玉の情報が転がってるかもしれねぇんだから。ま、お前みたいな根っからの商売女、ただ男にすがって足を開くだけのヤツからは、なぁんにも価値ある情報なんて無かったんだろうけどよ」


 グイッと顎を引っ張られて顔を近づけられる。


 ガラガラと崩れていく。


 それでも、と紫龍はすがるようにしてウィーゼンを思い出す。

 こんなこんな男の言葉を信じてはいけないと、懸命に心を立てようとした。


「は、な、せっ……ウィーゼンは違う、ウィーゼンは……」

「ばか、認めちまえって! そもそも砦に雇われるくらいのただの剣士だったら、あんなに金貨ばかり詰まった袋を持っているもんか。えらく羽振りがいいって疑うのが常ってもんだろ。ほんと、紫龍は親子そろって馬鹿だなぁ」


 息子は口汚く紫龍の親までもを、ののしりながら言った。


「おまえも、おまえの親も馬鹿だ。薬草師なんだから、もっと頭つかってデカい街でもなんでも繰り出して、もっとまっとうな暮らしを選べば良かったのになぁ。お前の親なんて、この村の者たちに半ば騙されて、いいようにこき使われて、金無くなって、身売りして、あげくにたった一人子ども残して病気で死んだわけだろ。 何をしたかったんだよ。次は娘のお前がのこのこと斥候の情報収集に囲われてるしよぉ……親子そろって騙されてるってのがわかんねぇのかよ」

「父も母のことを悪く言うな……そ、それに……ウィーゼンは、私と……私と王都に……」


 ……騙されている。

 その言葉が紫龍を深く深くえぐる。けれど、信じたい信じたい、こんな奴の言うことを聞くものかと紫龍は必死に首を振った。

 そんな紫龍に、呆れたように男は言った。


「王都ぉ? それこそ騙されてんに決まってるだろ。ガキの頃から身を売ってるような女に、まともに、あんな大金をはたく剣士なんていねぇよ。たしかにお前は綺麗な顔してるがなぁ、痩せぎすだし、そっけない。数回楽しむには目の保養になっても、囲ってやるほどの価値なんてねえぇんだよ」


 胸に刺さってゆく。

 剣のような言葉が心を割いていく。


「お前と王都に行くというなら、銀の髪の女ってことで間諜として仕立てあげたいだとか、どっかに忍び込ませるために利用するだとか、”使う”ために決まってるだろ。つきあう女に不自由するような軍人様じゃねぇんだから!」


 紫龍は自分の心も身体も凍ったのが分かった。

 ――『使うため』利用するため……?

 抵抗する力が一瞬失せる。

 その隙を男は見逃さなかった。


「ほら、庶民は庶民同士、仲良くしようぜ。--……おおっと、そりゃそうと、いいもん付けてんじゃん」


 突然、宿屋の息子の声音が弾んだものに変わった。

 それと同時に、乱暴に紫龍の額飾りを握ってきた。

 サークレットを無理やりはずそうとされて、紫龍は抵抗しようとして身体をひねる。だが、男は嫌がる紫龍の身体をそのまま抱き込むようにして、寝台に押し倒してきた。


「やめろっ」

 

 抵抗する紫龍の額から男は力任せに飾りをちぎりとる。

 瀟洒な鎖が途中で切れる。

 パラパラッと微かな音をたてて小さなビーズが床に散ったのが見えた。


「ははん、この中心部分の石はなかなか良い細工じゃないか」


 飾りが壊れても何のこだわりもみせず、男はただ大きな輝く石の部分とそれらのふちを飾るビーズの部分だけをポケットにおさめ、そのまま押し倒した紫龍に顔を近づけて来た。

 必死に顔をそむけ、足をばたつかせるが、宿屋の息子は下卑た笑いを浮かべて言った。


「楽しもうぜ」


 腕をつっぱねて男の下からはいでようとする紫龍の腕をやすやすと握りこみ、ひねりあげる。呻きをこらえる紫龍の頬を男の手が叩き、破裂音があばら家に響く。


「暴れんじゃねぇよ。シーリンを調べてる斥候、あの偵察隊は王都の中央軍のお抱えっての噂も仕入れたぜ。いわばエリートなんだよ。おめぇみたいな女のとこに、一生、戻ってこねぇよ」


 あざ笑って。

 男はそのまま紫龍の首に吸い付いた。

 



 紫龍の悲鳴は、誰にも届かなかった。

 いや、もし村人にとどいたとしても。

 ――誰も助けになど来ないのだけれど。

 


 ****

 


 日がしずむまえに、宿屋の息子は出て行った。

 ご丁寧に、紫龍が干していた薬草や、調合を終えていたいくつかの軟膏や粉薬も奪っていった。

 目の端で物色されているのをとらえていたが、寝台の上の紫龍はもう何も言わなかった。

 ただ身体全体がすみずみまで疲れ切っていた。いろんな場所が痛んだ。


 殴られたせいか唇の端が切れていて、息をつくのにも染みた。

 もう何もいいたくなかった。

 声も出したくなかった。

 

 空虚だった。

 すべてが空虚だった。



 そのまま目をつむって。

 荒らされた身体のまま、吸い込まれるように睡魔に身をゆだねた。


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