穴の街の偏屈な住人
「ねぇ」
「なんだ?」
「君、行きかう女性全ての顔チェックする癖、やめたほうがいいと思うよ。というか、恥ずかしいからやめて」
「そうか?」
家から五十ケイムほど離れたホーレンの街で、ジンは使い魔である白い猫――ハクを肩に乗せて箒を片手に歩いていた。地下に伸びていくこの街は、その昔巨人族が開けた大きな穴を利用して作られたと聞く。
穴の底は誰も見たことがなく、未だに下に家が増えているらしい。縦横無尽、気ままに張り巡らされた家と家を繋ぐ道に規則性はなく、住人ですら道に迷うことが多々ある。上を見上げれば空は見えず、下を覗けば灯りが見えていて、まだまだ下の階があり、浅からず深からずの場所を彼らは歩いていた。地上に居たときには雨が降り続けていたが、ここまで来ていると水の流れてくる音が聞こえる程度で濡れることはない。
家だけでなくカフェや店もそれなりに並んでいて、一日暇を潰す程度には楽しめる場所でもある。子連れの親子やカップルが普通にやってくる街なのだ。所々に案内役の妖精が背中に印をつけて飛んでいて、呼び止めれば有料で案内をしてもらえる。地図のないこの街では貴重な存在だ。
「道に迷ったなら、案内さんに頼んだらどうかと思うんだけど」
「迷ってねぇよ。一応何十年かは住んでたんだぞ?」
それを聞いて、白い猫は首を動かした。左の柱についている青い印、前方に見える置物に見覚えがある。しかも記憶では三度ほど見たはずだ。
「……この道、さっきも通った気がするんだけど」
「あぁ、わざとそうしてんだよ。似た道にして相手が道に迷ったと錯覚させる。この辺一帯は奴の持ち家だからな」
「何でわざわざ迷ったと思わせる必要があるのさ」
「そりゃあ、あんまり人に会いたくないからだな。あきらめて帰って欲しいらしいぞ」
「そんな偏屈な奴に会いに行くのか、僕たちは」
使い魔の言葉には答えず、男は小さく苦笑した。
そこで、ジンは右に曲がって更に暗い方向へ進んでいく。突き当たりを右に曲がるのかと思いきや、左に作られていた細い階段を登っていく。普通に歩いていたのでは絶対に気がつかないに違いないそれを登りきると、小さな扉があった。
「ここ?」
「あぁ」
二度ノックをすると、勝手に扉が開いた。中は広い庭になっていて、奥に小さな丸いテーブルとティーセットが置かれ、一人の女性が座って本を読んでいた。天井には空があり、雲が流れている。足元は緑の草が生い茂り、虫がひらひらと目の前を通り過ぎていく。
とても家の中とは思えない。
本の中に埋もれてカビ臭い部屋と偏屈そうな男をイメージしていたハクは、予想が外れて少しほっとした。
「邪魔するぜ」
「いらっしゃい、待ってたよ」
どうやら親しい間柄らしい。
本をテーブルの端に置いて立ち上がったその人は、笑顔で一人と一匹を迎えた。黒いロングドレスには遠目からでは分からない刺繍が黒い糸で入っていて、シンプルだけれど良いものを着ているのがわかる。
ジンはずかずかと中に入っていき、空いている椅子に腰かけた。ハクもテーブルの上に降りる。
「初めましてだな、使い魔くん。私はビッチェニー。ビーと呼んでくれ」
「初めまして。僕はハク。フタコ族の出身だよ」
「ほぉ。珍しい。できれば片割れ君にも挨拶しておきたいな」
「いいよ」
そういうと、ハクの白い毛が一瞬にして黒い毛に変わった。
「初めまして、僕が片割れ、コクだよ」
「初めまして」
挨拶だけするとまた白い毛並みに戻る。白い猫のときはハク、黒い猫のときはコクというのだ。
「一つの個体に二つの人格が宿るフタコ族。また珍しい使い魔を見つけたな」
「別に見つけようと思って見つけたわけじゃねぇよ。たまたまだ」
「猫ならばホットミルクくらいのほうがいいかな」
そう言って、手を軽く振るとハクの前に白い器がやってきた。ハクの前に静かに下りたが、中には何もない。その後から遅れて小さな小鍋がミルクを入れてやってきた。ゆっくりと器に中身を移すとフワフワと家の奥へ帰っていく。
恐る恐る舌を出すと熱すぎず冷たくもなく、調度良い温度だった。
「ありがと」
「ん」
ジンには紅茶を出して、自身も新しく一杯を用意する。全て魔法を使っていて小さく手を振る動作のみで行われる。
ユーリーンとは偉い違いだ。
朝から体を動かして朝食を作っていた姿を思い出して、ハクは久しぶりに普通の魔法使いを見た気がした。
よく見ると整った顔立ちをしていて、美人だ。肩でそろえられている髪は真っ黒、落ち着いた声と男らしい口調だが、それに違和感や反発を覚えないのが不思議だ。
ハクはジンの使い魔となってからそれなりに時間が経っているが、目の前の女性を写真などでも見たことはない。どういう知り合いなのかと思い、聞いてみた。
「ジンの友達?」
「そうだな、学友というところか」
「会うのは十年ぶりだな」
「学友?」
この男に学生などという時代が存在したことすら不思議だが、余計なことは言わずに話を促す。
「あぁ、正確には先輩だけどな」
「元はフェイの姉と学友で、それを通じて知り合った」
ハクが使い魔となったのはおよそ十年前なのだが、それよりも前に会ったきりということか。
「フェイは元気か?」
「あぁ、弟子に鯉にされて楽しそうにしてるよ」
「それはそれで問題な気がするが……」
「いいんだよ。あいつは十年前のことを未だに引きずってるからな。鯉にでもなってりゃあ少しは気も紛れるだろ。俺やあいつなら、鯉になる魔法をキャンセルするのは容易い。でも、どうやらそれをする気はないらしいしな」
十年前。
一体何があったのか、詳しく聞きたいのは山々だったが話を途中で切ってしまうのも申し訳ない気がして、結局ハクはミルクを飲むのに専念した。
「お前だって……」
「何だ?」
何か言いかけた女は、けれど視線を逸らして一瞬何かを思案する顔になり、言葉を飲み込んだ。
「いや……何にせよ、楽しそうなら良かったよ」
「……相変わらずあんたは一人なのか?」
「使い魔を作らないのかという意味なら、そうだな。特に不便も感じていないし、もうしばらくこのままでいいかな」
魔法使いが使い魔を持つ理由は、主に魔力の増幅が目的だ。魔法使いは自分の魔力に加えて使い魔の魔力を使え、反対に使い魔も魔法使いの魔力を使うことができる。
魔法を使うには魔力が必要で、発動が難しい上級魔法になるほど必要な魔力は多くなる。それゆえに、魔法使いは使い魔と契約をして魔力を増幅させるのだ。
「私は魔法使いだ。それなりに魔法も使うが、自分の魔力で事足りる範囲でな。さらに大きな魔力が欲しいとも思わない。お前やフェイは別だろうがな」
「……」
ジンは何も言わなかった。
その反応に気を悪くした風もなく、女は一口紅茶を啜る。
「さて。そろそろ本題に移ろうか」
「あぁ」
「一応確認するが、手紙が届いたからここに来たんだな?」
朝届いた手紙を思い出しながらジンは頷いた。
「その通りだ。詳細を教えてくれ」
「いいだろう。先月の話になるが、この近くで不審死が起きた。数百年生きている古参の魔法使いがたった数分のうちに命を落したんだ」
「女か?」
「男だ。名はオルト。前歯が一本ない状態で石化していたそうだ」
「またか。そいつの使い魔はどうした?」
「主を失い随分と憔悴していたらしいが、一応保護されている。先月だけでもこれと同種の死亡が四件起きている。今月に入ってからもすでに二件だ。司法省も事件として調べているようだ」
「そうか……」
最近多くなっている魔法使いの不審死については、ハクも知っていた。被害者は必ず石化していて、その使い魔は憔悴しているか行方不明になっているということだった。
犯人は分からず、手がかりも残っていない。
「で、これが今朝分かった話なんだが……。最近の被害者は死ぬ二日以内にどうやら全員が人間界に行っている。人間界で狙われてくるのか、ただの偶然かは分からないが。人間界でも一件、同様の死亡が確認されているしな」
「人間界?」
「すごいぞ。人間界と魔法界の仲は良好とはいえないし、魔法使いを見たことも会ったこともない世代が増えているせいで、大パニックだったらしい」
そりゃあ、いきなり人が石になったら驚く。
苦笑をしているビーに対してジンは眉間に皺を寄せる。
「これがこの付近にある現場までの地図だ」
そう言って、一枚の紙を出した。紙に奥行きがあり、ホーレンの街が立体的に見える。その中に赤い星があった。
「現在地は分かるだろう。赤い星が現場だ。全て片付いてしまっているが、お前なら何か見つけられるかも知れない」
「助かる」
一度熱心に場所を確認して、ジンは手紙同様ポケットにしまってしまった。そのまま席を立つ。
「また何か知りたいことがあったら尋ねてくるといい。この件に関しては耳をそばだてているからな」
「あぁ、宜しく頼む」
「お邪魔しました」
扉まで歩くと、入ってきたときと同様に勝手に扉が開いた。そして一歩外に出ると、静かに閉まって鍵がカシャンと鳴った。
「あの人、全然普通の人だったね」
「そうかぁ?」
ハクの言葉に納得いかないという声でジンが言う。少なくとも、人を遠ざけて家に引きこもっている人ではなかったとハクは思う。会うまではどんな偏屈な人なんだろうと構えていただけに、拍子抜けだった。
「因みに俺は、あいつが出してきた飲み物には手をつけてない」
「……え?」
「ま、そういうこった」
「そういうことって、何?」
「さぁ、何だろうなぁ」
楽しそうに笑ってジンは歩き続ける。
「だって、あの人ホットミルクって言ってたよ?」
「じゃあそうだったんじゃねぇか?」
肩に乗って喚き続けるハクを無視して、ジンは貰った地図の場所を思い浮かべた。
ハクがこの日、実は何を飲んでいたのか知り自己嫌悪に陥るのは……また別の話だ。