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あの日、あの時、あの場所で。  作者: Noa.
とらわれた男は何を望むのか
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大きな家の住人たち2

 バタンと扉が閉まるのを、ちょうど二階から降りてきたところでユーリーンは見た。窓を覗くと、先ほどまで朝ごはんを食べていたはずのジンが箒に乗って飛んでいく姿が見えた。

「あれ? ジンどっか行っちゃったの?」

「うん、ちょっと出かける、夜には戻るってー」

 傍に居る使い魔に声をかけると、のん気な声が返ってきた。

「雨なのに頑張るねぇ」

「だよねぇ」

 自分ならこんな雨の中、外に出ようとは思えない。

 元々、雨の日は好きではないのだ。

「そういえば、洗濯物は? 何か手伝おっか?」

「ちょうど終わったから降りてきたの。今頃洗濯物達はせっせと……」

 ユーリーンが最後まで言い終わることなく、上の階から音がした。何やら大きな音だ。

「ユーリーン、ひょっとして魔法使った?」

「えっとぉ……うん」

「大変だ……」

 慌てて上に向かうルルゥの後を追って、ユーリーンも階段を駆け上がる。二階にあるフェイの部屋を素通りして三階へ。

 そこでは洗濯物が独りでに動いて取っ組み合いをしているようだった。

「ユーリーン、何したの?」

「んっと、雨が降ってるから風に当たる代わりに洗濯物自身に動いてもらって、早めに乾いたらいいなぁって思ったのね。だから、踊りを踊るようにって魔法をかけたんだけど……」

 ルルゥの目から見て、これは明らかに踊りという感じではない。戦いだ。

「もちろん、逆魔法アンチマジックは知ってるんだよね?」

「……今から本を読む予定、だったりして」

「ちょっとぉ!」

「どうした?」

 ルルゥが絶望の悲鳴を上げたあとから、低い声がした。師匠であるフェイが物音を聞きつけてあがってきたようだ。

「ししょー……」

「フェイ、聞いてよ! またユーリーンがアンチマジック知らないまま魔法使っててさぁ」

「またか……」

「ご、ごめんなさぁい」

 そう、またなのだ。

 掃除・洗濯・料理、自身の体を動かして行う家事は得意なのだが、魔法に関してはどうもイマイチだったりする。

 元々人間界からやってきた生粋の人間であるから仕方がないとはいえ、魔法の基礎くらいはいい加減覚えて欲しいものだ。

「ユーリーン、魔法を使うにあたって一番重要なことは?」

「かけた魔法とそれを解除する方法をセットで覚えること、です」

「分からなければ誰かに聞け」

「はい」

 その間も、大小様々な洗濯物たちは部屋の中で格闘を続ける。怪我もしなければ疲労することもないため、終りは見えない。

「俺でもいいし、ジンだって分かる。この程度ならルルゥでも分かるはずだ」

「まぁ確かに分かるけど、ってか多分先にこいつら止めたほうが……」

 含んでいた水分が次第に蒸発して軽くなったからか、洗濯物たちの動きが素早くなってきたなぁなんてユーリーンが思い始めたときだった。

 ジンの服がフェイの服を思い切り突き飛ばした。

 本人たちだけじゃなくて、服同士でさえも張り合うのか……などと考えている場合ではなかった。

「え、なんでそんなとこに水が入ったバケツがあるの?」

「大変、師匠!」

「またか……」

 フェイの服はバケツにぶつかり、その拍子に中に入っていた水を撒き散らした。止める間もなくその水はフェイに降りかかる。

 ビチビチと。

 次の瞬間、そこに居たのはフェイではなく白い鯉だった。水の中ではないため激しく胴体を動かしている。

 フェイは鯉へと進化、いや変化した。

「あっちゃー」

「大変、早く水槽に入れなきゃ!」

 鯉は魚類のため、当然のことながら肺呼吸ではない。

 戦う洗濯物はそのままに、ユーリーンはぬるぬるとする鯉を抱えて二階にあるフェイの部屋へと向かう。ベッドの横に置かれた大きな水槽に鯉を放した。

「師匠、ごめんなさい!」

 水槽越しに鯉の姿をした師匠に謝るユーリーン。鯉の状態では言葉を話すことができないため反応はないが、どこか仕方ないと思っているようだった。

 誤解を避けるため一応言っておくと、魔法使いの全てが水をかけると鯉になるわけではない。

 ユーリーンが逆魔法を知らずに魔法を使った最たる例がフェイを鯉にしたクッキーだろう。当然、それを目的として魔法のクッキーを作ったわけではない。

 発端は、フェイが古代語で書かれた料理の本を買ってきたことだった。その昔存在した古代人は現在の魔法の基礎を築いたとされており、魔法使いであれば古代語が読めて当然という風潮がある。

 元々人間界で生まれて五歳のときにフェイに引き取られたユーリーンだが、十年経った今でも古代語を正確に読むことが難しい。そのため、教育の一環として料理の本で勉強してもらおうということだったのだ。当然、彼女は一生懸命解読を試みた。

 その結果として、あるクッキーが出来上がった。

 ユーリーンは、勉強の成果として全員にクッキーを振舞ったわけだが……。

「え、これ誰が食べるの?」

 危険なものは食べたくないと口々に言う同居人達は、誰も手を出そうとはしない。ただ、それを眺めるだけだ。このときにはまだジンは居なかったが、恐らく同じような反応を見せただろう。

「普通のクッキーだろ?」

 誰も食べてくれず涙目になったユーリーンをフォローするのは師匠であるフェイの役目だった。焼きたての甘い香りを放つ小さな一つをつまんで、迷わず口に入れた。

 一口、二口、三口。

 口の中でクッキーが破壊される音が続き、ごくりと飲み込むのが分かった。

「普通にうまいぞ?」

 心配そうな顔で見つめる周囲に、フェイは言った。言ったつもりだった。

 正確には言葉は続かず途中で途切れ、一瞬にしてフェイは全員の前から消えた。鯉に変わって縮んだせいで、床に落ちたのだ。

 どんな生き物も、いきなり目の前で予想外のことが起きると思考が停止するものである。

 一瞬の沈黙。

 その後は、大騒ぎになった。

「フェイ様ぁ」

「とりあえず、本! 本見せて!」

「たぶん、鯉だから水に入れないと死ぬぞ?」

「じゃあ、流しに水張ろう。淡水魚で良かったねぇ」

 そういう問題ではないが、その言葉に突っ込みを入れる余裕があるものはこの場にはいなかった。

「この本なんだけど」

 ルルゥはユーリーンの手から奪って、ところどころに付箋が貼られている本の目次をまずは開いた。

「何これ、普通の料理の本じゃないわけ?」

「古代人がそんなまともな本を作るわけないだろ」

「一緒に行こう、死の国へ。海水を死の水に変える方法?」

「これで頭もカチ割れる。硬ぁい豆腐の作り方?」

「あ、これか。大好きな人に贈ろう。相手を鯉にするクッキー?」

「それが一番解読してみてまともな内容に見えたから……」

 一通り読んでみて、あまりの内容にユーリーンは読解力の低さ故に変な文章になってしまうのだと落ち込んでいたのだが、その解読がほとんど合っていたことが分かって何とも言えない気持ちになっていた。

「ねぇ、ユーリーン。ひょっとして、鯉と恋を読み間違えたりしなかった?」

「……うぅ」

「アホくさ」

 そうなのだ。他は読解どおりだったことがわかったが、逆に作ったクッキーに関して読み間違いを起こしていたのだった。

「あー、確かに線一本の違いだから分かりづらいよねぇ」

 『鯉にする』を『恋する』と読み間違えたわけだが、それもただのキャッチフレーズだと思っていたから本当に恋するクッキーだとも考えていなかった。

 つまり、ユーリーンとしては日ごろの感謝の気持ちをクッキーにして表してみただけだったのだ。

「そういう問題じゃないでしょ! フェイ様になんてことをしてるのよ!」

「……どうしよぅ」

 そこから魔法で一戦を交えたりして一悶着あったのだが、結局原因のクッキーが載っているページには、逆魔法が書かれていないということが分かり、とりあえずその場にいた中でフェイの使い魔がフェイを人の姿に戻した。

 戻ったのは良かったが、それはただの一時的なものでしかないようで、今回のように水をかけると鯉になってしまう。だから、朝顔を洗うことも出来ずホットタオルで拭くだけ、夜も風呂に入れないから魔法で清潔を保っているという状態だ。

 それからというもの、フェイの寝室には大きな水槽が置かれるようになった。

 ゆっくりと尾びれを動かすフェイを眺めて、ユーリーンは一人ため息をつく。

 また魔法に失敗して二次災害とは言えフェイを鯉にしてしまった。もとは人間で生粋の魔法使いではないが、自分の才能のなさには落ち込むしかない。

 十年前に事故で両親をなくし、親戚一同に見放されて独りだったとき、魔法使いであるフェイに引き取られた。知らない場所、知らない生き物に囲まれての暮らしは戸惑いと驚きに満ちていて、幼い彼女にとってはいい気晴らしになっていた。その恩を返したい一心で、昔から掃除・洗濯・料理は自主的にやっている。元々フェイも魔法をあまり使わない主義らしく、無理に魔法で家事をしろと言わないのはせめてもの救いだった。

「また鯉にしたのか」

 気づくと、フェイの使い魔が隣に立っていた。しゃがんでいるユーリーンと比べると彼のほうが高いが、立ってしまえば彼女のほうが五十シームほど高くなる。ヴズズというその使い魔は攻撃的で人間嫌いのカーマ族のため、元人間であるユーリーンへの対応も他の面々と比べると天と地の差があるくらい冷たい。

「人間なんだから、人間界に帰れば?」

「うぅ……」

 ヴズズはフェイを人の姿に戻すことは出来るが、ジンが来てからはやらなくなった。今回も、戻す気はないようだ。

 そして、ユーリーンは未だにその魔法を使うことが出来ない。そんな自分を情けなく思っているため、ヴズズに師匠を元に戻してとも言えない。

「望んで魔法界に来たわけでもないだろ」

 淡々と事実を突き刺す彼に、返す言葉もない。

「くぉるぁぁぁぁぁぁ」

 三階から降りてきたルルゥが攻撃魔法を放った。それを、ヴズズは左手で受け止めて何事もなかったかのように、そちらに向き直る。ヴズズの腕や首、足を戒める鎖がジャラジャラと音を立てた。

「今、ユーリーン虐めてただろっ!」

「別に、俺は思ったことを素直に伝えただけだけど?」

「それを虐めてるって言ってんだっ、よ!」

 続けて放つ二つの光は左右からヴズズへと迫る。それを一歩ずれることで避けた。光は途中で消え、ヴズズの足元に魔方陣が現れた。

「よっし」

「っチ」

 二つの光を劣りと見抜けず、トラップにかかったヴズズはその場から動くことができない。すかさずルルゥが呪文の詠唱に入る。

「エル・ミラン 地獄の……へ?」

「チェックメイト」

 一瞬にして、トラップにかかっていた使い魔は消え、ルルゥの目の前にいた。

 この家には魔法戦におけるルールが三つある。

 一つは、売られた喧嘩は買うこと。

 一つは、家の中を滅茶苦茶にしないこと。

 一つは、息の根を止めないこと。

 体の大きさにかなりの差があるため、大抵は相手の体に触ったら終了となる。今回もルルゥの頭をヴズズが軽く弾いて終りとなった。

「……また負けた」

「俺の五百八十三勝だ」

「そんな細かい数字覚えてるとか、ホント嫌な奴っ」

「堂々とルール違反しようとする姑息な奴に言われたくないね」

「……気づいてたか」

 ルルゥが仕掛けたトラップは成功するとこの家に縦に穴を開けかねない魔法だったため、反論することもできない。

「俺が魔法をキャンセルすることを前提に喧嘩売ってきてるうちは、いつまで経っても勝てないな」

「いちいちムカつくなっ」

「どうでもいいけど、あれ、ほっといていいのか?」

 気づけば水槽の前で落ち込んでいたユーリーンが消えている。

「下に降りてった」

「ユーリーン!」

 居なくなってしまったユーリーンを追いかけて下に飛んでいくルルゥを見送ったあと、残されたヴズズは水槽に目を向けた。

「罪滅ぼしのつもりなら、あいつはここに居るべきじゃない」

 鯉になった状態のフェイから返事が返るはずもなく、ひらりと体を反転させただけだった。


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