魔法省
雨の日だった。
体を打つ水滴が音を立てて地面を叩く。大きな水溜りだとか、そんなことを気にする余裕も無く走りながら人を探していた。
姉さん!
声をあげているつもりが、全く声にならなかった。
遠くの空が明るく光るのが見える。雷か、別の何かなのか。
急いでそちらに向かうが、濡れた服は重く、思うように前に進むことができない。
足がもつれ、転びそうになる。
通りを歩く人はおらず、暗い雨音の鳴り響く道をただひたすらに駆ける。
「フェイ!」
後ろから自分を呼ぶ声が聞こえる。だが、それに構っている暇は無かった。
さっきまで一緒にいた姉が消えてしまったのだ。何か嫌な予感がしていた。急がなくては!
自分の限界以上に足を動かして、漸く目的の場所に到着した。けれど、誰も居ない。
確かにさっき光ったのはこの辺りだった。それなのに、誰もいないどころか何もない。また遠くへ行ってしまったということか。
そのまま更に道を進もうとした。が、何かに躓いて頭から地面に突っ伏す。額と腕を少し擦り剥いたが、痛くはない。走り続けていたことで呼吸が乱れ、苦しい。服がまとわり着いて、再び動き出す力を奪っていく。
ふと、何に躓いたのだろうかと後ろを見た。
そこには横に長い大きな石の塊。暗いのと雨で気がつかなかったらしい。
じわじわと擦り剥いたところが痛み出したが、回復魔法を使うなんてことも思い浮かばなかった。違和感に気づいてその石造をよく観察する。
左端は先の方がとがっていて、先が二つに割れていた。そのすぐ下に、二つの小さなリボンの形をした石がついていて……。
そのリボンに見覚えがあった。
つい数日前に、姉が新しく買ったと言っていた靴に着いていたものに、形がそっくりだ。全体を見ても靴の形をしているように見える。
そこまで気づいて、すぐさま右端まで四つんばいで進んだ。形の良い丸いラインに手を置いた。冷たく濡れているそれを撫でて形を確認するようにゆっくりと触った。
手が震える。
大きく窪んでいるところがあったが、それ以外は間違いない。
「……姉さん……?」
それは、探している姉の石造だった。
「……み、……きみ! 聞いてるのか?」
「えぇ、聞いてます」
大きな声と机を叩く音で、フェイは意識を取り戻した。どうやら白昼夢を見ていたらしい。もちろん話は聞いていなかったが、条件反射で嘘をついた。
目の前では、この部屋のトップが革張りの豪華な椅子に足を組んで座り、長々と演説を行っているところだ。人間界にある魔法省を治めている……メガネだ。名前は忘れてしまった。
一方、フェイが座っているのはボロボロになってところどころ錆びてしまっているパイプ椅子。ピンと背筋を伸ばして真剣に聞いているフリをしつつ、実は半分程も聞いていない。
いつ見ても頭から電波を感じ取っているかのような髪の毛が上に向かって飛び出ているほかには、特に特徴のないメガネがいつになったら閉じるのであろうかと言うくらい口を動かして長々と話を進めている。
入室してパイプ椅子に座り、『石化』という言葉を発しただけであとは彼が話の主導権を奪い去っていった。
取り返せる見込みがない。
なぜ此処に来てしまったんだと、自分の真面目さを恨みたくなる。
正直、もう終りにして欲しい。なんて言うと、更に長くなることは今までの経験から分かっているためフェイはまるでマネキンのように身動きすらしない。ただ、聞かれたことに最低限答えるだけの傀儡にでもなったかのように、じっとしていた。
「僕はこう見えて忙しいので、君の相手を長々している暇はないんですよ」
つまり「君のために時間をとってやっているんだ僕は」と言いたいらしい。
メガネのデスクの上は綺麗に片付けられており、仕事など無いのではないかといいたくなるくらいだ。唯一置かれているのは、彼の使い魔のための椅子だ。革張りで豪華なつくりのそれは手のひらくらいのサイズで、子供が人形遊びに使いそうなものだった。それに堂々と腰掛けて長い髪の毛を手で弄っている使い魔は、何かと上から目線で話をしてくるためフェイは苦手だった。ルルゥと同じスン族だが、性格がかなり違う。
そして大きなデスクの横には小ぶりの椅子がおいてあり、黒い塊がある。いや、よく見れば老婆が座っている。頭から足の先までスッポリと黒いローブで覆っていて、背中も丸まって前かがみなせいで全く気がつかないが、確かに老婆だった。
杖を持っているが、歩いている姿は見たことがない。それどころか、話している姿いや、動いているところすら見たことがない。
常に座っているだけ。
話を聞くに魔法省の重役らしいが、謎に包まれた人物である。
「それで? 違反を犯したわけでもない君がわざわざここに訪れた理由は?」
思わずフェイは自分が何をしに来たのだったか、真剣に考えた。確か、昨晩起こったことを報告しにきたはずだった。なのにどうして魔法界と人間界の魔法省内でのいざこざについて聞かされなければならないのか、納得がいかないところだ。すでにこの人間界にある魔法省に入ってから二時間が経過しようとしている。いい加減話を聞いてくれる気になったのか。
「昨晩起きた石化に関しての情報を……」
「はぁ?」
「昨晩、石化が起きたという情報はこちらには入っていませんが?」
「ですが、確かに目の前で男が一人、石化するのを目撃しました」
「それ、確かなんでしょうね?」
「はい」
メガネと使い魔が同じ仕草で思案しているのを面白いなぁと思いつつ、フェイもどういうことかと考える。
「それが本当であれば、可能性として考えられるのは誰かが持ち去ったということですね」
「もしくは、生き返ったか。まだ見つかっていないか……」
「流石に見つかっていないということは……」
「ちょっと黙りなさい? 貴方が事実を話していない可能性だってあるんだから」
疑いの目を向けられて、フェイは口を閉ざした。
そもそもここの面々とは仲が良いとは言えない間柄なのだ。フェイにしてみれば、敵地に乗り込むのに等しい。それでもやってきたのは、石化に関する情報を少しでも提供し、犯人の手がかりを増やして解決につなげるためだった。
再びじっとして動かなくなったフェイを前にして、メガネと使い魔は何やら協議をしている。
「まぁとりあえずは信じましょうか。貴方が魔法は使わなかったって部分を含めて、ね」
眼鏡の奥で笑わない瞳を吊り上げた口元で補ってメガネが言った。
漸く解放されて魔法省を出ると、見慣れた男がいた。出てきたフェイには気がつかず、傍を通る女性に視線を向けている。
「あいつ、何してるんだ……」
無視していこうかと真剣に考えもしたが、怪しい男として通報されても困るため声をかけることにした。




