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金髪のアホ


「三十八度二分」

「風邪かな」

「ていうか、疲れが出たんじゃない?」

 朝っぱらから、ぼくらは体温計とにらめっこしながらひそひそささやき合っていた。ミナミは赤い顔をして苦しそうな息を吐いている。布団を口もとまで押しあげて、ひたすら「寒い」と連呼している。

 きのうは一日中街を歩き回って、コンビニで弁当を買って浜辺で食べて、夜父さんに気づかれないようこっそりと窓からミナミを自分の部屋に入れた(かぎは出るとき開けておいた)。そして自分だけ何食わぬ顔して玄関から家にはいったのだ。

「りんたろーう」

 父さんの怒鳴り声と、ドンドンとドアを叩く音。心臓が止まるくらいびっくりした。部屋に鍵がついてて本当によかった。

「どうしたの。こんな朝はやく」

 ぼくは部屋を出ると、なるべく平静を装って言った。少し眠くて不機嫌に見えるよう細心の注意も払った。アカデミー賞ものの演技だ。

「父さんのスニーカー、どこにあるか知らないか? ほら、前、一緒に山登りに行ったとき履いてたやつ」

「山登りって、それ、ぼくが小学生のときじゃん」

 何事かと思ったら。安堵と同時に、ぼくは半ばあきれてしまった。

「靴箱には、ないわけ」

「あったら聞かないよ」

「ていうか、何につかうの。スニーカーなんて」

「会社の球技大会なんだよ。早くしないと遅れる」

「球技大会! 大人なのにそんなのあるの?」

「エリア長の趣味なんだよ。親睦を深めるため、なんて言って。こっちはいい迷惑だよ。せっかくの日曜なのに」

 父さんは上下ジャージ姿でぶつくさ文句を言っている。大人になっても体育会系的行事から開放されないなんて。ちょっと歳をとるのがいやになってきた。ぼくは大きくため息をついた。

「ぼくのスニーカー、履いていきなよ」

「サイズは?」

「二十七」

「お前……。いつの間にか成長したんだなあ。父さんと同じだ。足のサイズがでかいっていうことは、これからもっと背が伸びるぞ」

「そんなしみじみしてる場合じゃないでしょ。急いで支度しなよ。ごはんは?」

「食べる暇ない」

 しょうがないな、ぼくはつぶやくと、キッチンに行き、冷凍庫から冷凍しておいた残りごはんを取り出し、レンジで温めた。急ピッチでそれをおにぎりにし、海苔でくるむ。

「車の中で食べな」

「倫太郎。いつもすまんなあ」

 父さんはわざとらしく涙をふくジェスチャーをした。

「はいはい。いいから。遅刻するよ」

 父さんの背中を押してことさらに急かす。いつもだったら「それは言わない約束でしょ」くらい言ってあげるとこなんだけど、今はそれどころじゃない。早く出て行ってくれ。

「じゃあ、行ってくる。帰りは……、九時まわるかなあ? わからん。」

「夜ごはんは?」

「いらない」

 ぼくは貞淑な妻のように玄関で父さんを見送ると、ドアを閉めた。九時、ね。

 ふう。疲れた。ボキボキと音をたてて首をまわし、キッチンにもどった。ミナミに、おかゆを作らないと。


 次の日もミナミの熱は下がらなかった。ぼくはまた学校を休んだ。

 薬が効いたのか、ミナミはぐっすり眠っている。ぼくは彼女の寝ているベッドの足にもたれかかるように座って、携帯をいじっていた。一九九八年で検索、ウィキペディアがトップに出てくる。

 ――一九九八年の主な出来事。

 郵便番号が七桁になった。長野五輪の開幕、これはミナミも言ってたな。スポーツで言えばFIFAワールドカップで日本が初めて試合を行う、なんてのもある。和歌山毒入りカレー事件、なんておどろおどろしい事件もあったらしい。経済や政治はいまいちぴんとこないけど、小渕内閣が発足、これはわかる。小渕ってひとが総理だったってことだ。それから、Windows98日本語版発売、それからiMac発売、だって。

 ぼくの目をひいたのはこれくらい。音楽は、今とは違ってCDがバカ売れしていたみたい。モー娘。とかゆずとか椎名林檎とか、ぼくも知ってるアイドルやミュージシャンがたくさんデビューもしている。

 コンコン。

 何だ?

 窓をたたく音がして顔をあげた。風だろうか。空耳だろうか。ふたたび液晶画面に視線を戻す。ぼくの生まれた年、一九九八年を象徴する漢字一文字は「毒」。流行語大賞、「ハマの大魔神」「だっちゅーの」。なんだ? だっちゅーの、って……。

 コンコンコン。

 ふたたび、音が聞こえた。さっきより強い。気のせいではないようだ。携帯をいじるのをやめてカーテンを開けると、そこには金髪のアホ面がいた。

「あけろよ、倫太郎」

「桜井。何してんの、こんな時間に」

 窓をあけると、違反制服姿の桜井は軽々と部屋に入りこんできた。手には靴を持っている。

「こんな時間って、お前こそ」

 猫みたいに、すとっと音もなく見事に着地する。桜井はすぐに、ベッドに寝ているミナミに気づいた。

「え。……この子、この前一緒に歩いてた……? ていうかこれ、どういう状況?」

 しまった。桜井の一連の動作があまりにもスムーズだったから、ミナミをどこかに隠す間もなく、うっかり部屋にあげてしまった。ぼくはつぎに発することばを探しあぐねた。

「まあ、とにかく座れば」

「あ、ああ」 

 へたな言い訳も思いつかなかったので、ぼくは仕方なく、これまでのいきさつをいっさいがっさい包みかくさず話した。桜井は時おり、ええ? とか、まじで? とか、驚きのリアクションをはさんだ。

「んで、きのうからミナミは熱出して寝てる、というわけ」

「……」

 桜井はじいっとだまりこんでぼくの顔を見つめていた。頭がおかしくなったと思われたかもしれない。

「すげえ」

「え?」

「すげえ。いいなあ。オレ、そういう話、超好き」

「は?」

 桜井は目をきらきら輝かせてぼくの両手をひしとつかんだ。

「信じるの?」

「信じるもなにも。ここにこの子がいるってことが証拠じゃん。こんな子、少なくともうちの中学にはいない。自慢じゃないけどオレは全学年のかわいい女子はくまなくチェックしてるんだ」

「かわいい? ミナミが?」

「かわいいじゃん」

「そうかな」

「そうだよ。お前、目、おかしいよ」

 おかしいのはお前のほうだろ。ミナミがかわいいかどうかは置いといて(ひとの好みはそれぞれだし)、こんな怪しい話、すんなり信じるなんて。

「オレ、いつも思ってたんだけど」

 こほんと咳払いして、桜井はまじめな顔になる。

「時間っていうのはさ、そもそも過去から未来へと、まっすぐにしか進まないものなのかな、って」

「はあ」

「どっかその流れのなかに落とし穴みたいのがあってさ、ふとした瞬間にそこに落ちてしまうことだってあり得るんじゃないか、って、思うわけだ」

「……はあ」

 こいつ、何言ってんだ。こんな、ひよこみたいな真っキンキンな頭して、触覚みたいなとがった細マユのくせして。

 だけどぼくはなんとなく思い出していた。そういえばこいつ、小学校のころまでは、変な本ばっか読んでるもやしっ子だったっけ。それで、成績はいつもよかった。何がどうなってこんな風になっちゃったか知らないけど。

「ミナミちゃんは、十四年という時空を一瞬で飛び越えてここまでやって来たんだよ」

「時空ねえ」

 あらためて他人の口から聞かされるとものすごくうさんくさい。

「それはそうと、倫太郎」

 桜井はずずいとぼくのそばに寄ってきて、耳打ちした。

「この子とお前、ひとつ屋根のしたで一緒に暮らしてんの?」

「まあ、そういうことになるかな」

「オヤジさんは?」

「なんとかごまかしてる」

 父さんの会社はとなりの市にあって車で行っても三十分はかかるから、いつもぼくより出るのが早い。身支度を済ませて朝食をとり、父さんを送り出して、チャチャッと洗い物を済ませてから学校に出かけるのがぼくの日常だった。なので今朝ぼくは何食わぬ顔で父さんと一緒に朝食をすませ(ちなみに朝食をつくる係りは父さん。と言ってもトーストと目玉焼きだけだけど)、出勤するのを見届けてから自分の部屋にもどった。うまくいった。

「そっか、だから家にいるのに制服なのか。……ていうかお前」

 ごくりとつばを飲む音が響く。

「こ、ここ、このせまいベッドで、一緒に寝てんの?」

「ま、まさか。寝るのはべつに決まってるじゃん」

 ひええ、と桜井はおおげさな声をあげて、それから、ぐふふ、と笑った。こいつ絶対エロい想像してる。

「ちょっと、そんなんじゃないって」

「すげえよ倫太郎。虫も殺せないような顔して、やること大胆! いや、オレもさんざんワルやってきたけど、やっぱお前にはかなわないよ。あー、ちくしょう、うらやましい」

 わあわあとテンションMAXってかんじでさわぐ。ていうか、さんざんワルやってきたって、そんなでもないくせに。せいぜい先輩のパシリだ。ぼくはそれがいやで卓球部をやめた。あそこは名前こそ卓球部だけど、部員は卓球なんてしないで部室でタバコ吸ってばっかいる。そのくせ、ほかの、まっとうな体育会系部以上に上下関係がきびしかった。当然、まじめに卓球がしたくて入ってきた新入生はすぐに辞めていった。

 桜井はすぐに先輩たちに感化されてその道(?)にのめりこんでいったけど、ぼくはだめだった。こういうのにも、向き・不向きがあるのだ。

「それでお前、学校さぼってんの。この子のために」

 桜井はふたたびまじめモードになって聞いてきた。切り替え、急すぎ。

「この子のためっていうか、可哀想だろ。だれも知ってるひとがいない世界で、熱なんか出して。目がさめてひとりきりだったら、やりきれないと思うんだ」

「まあね」

 桜井はそっけなく言った。ぼくが父親とふたり暮らしだということを知っている桜井は、なんとなく察したようだった。ぼくがひとりきりのさびしさを知っているということを。

「気持ちはわかるけど、ふたまたはいかんよ。ふたまたは。嫁さん、いつも心配してるぞ」

「だから沙雪はそんなんじゃないって」

「誰も沙雪だなんて言ってないけど。あーあ、なんでこんなぱっとしないヤツがもてるんだ?」

 桜井がおおげさに天をあおいでぼやいたその時。ミナミがむくっと起き上がった。

「嫁さん、って、なに」

「あ、ども」

 桜井がぺこりとミナミに頭をさげる。

「あ、この前のヤンキー」

「おい、ミナミ。初対面でそりゃないだろ」

 ぼくはあきれた。ミナミはなにかごにょごにょ言って、ふらふらとふたたび倒れこんだ。

「変な子でしょ」

 桜井のほうを見ると、ヤツはなんと真っ赤になっていた。まじで?

「じゃ、オレ、そろそろ帰るわ。ミナミちゃんによろしく」

 あたふたと窓から出て行った……と思ったら、外でどてっとしりもちをつく音がした。何なんだ、あいつ。

 ミナミはすうすうと寝息をたてていた。うっすらと汗ばんで、額に髪の毛がはりついている。頬は実りはじめた果実のようにほんのり赤い。とじたまぶたの、みじかいまつ毛が濡れているように見える。

「おもしれー顔」

 声に出して言ってみる。

 桜井はあんな風に言ってたけど、かわいいほうじゃないよな、べつに。うちのクラスだと、まあ中の下、ってとこだ。目は大きくないし、眉も手入れしてなくてぼさぼさだし。小鼻はちょっと上向きだし。客観的にみればけっしてかわいいなんていえない。

「おもしれー顔」

 もう一度、言ってみた。さわりたいな、そう思った。からだの奥の奥の、まんなかの一点が熱くなって、全身にじんわり熱が広がっていく感じがした。

「んん」

 ミナミがいきなり寝返りを打って、ぼくの心臓は跳ね上がった。びっくりさせるなよ。

 そうだ。りんご。りんごをすりおろしたやつ、食べるかな。それともしょうが湯とか、からだが温まるものを飲ませたほうがいいのかな。きゅうに沸き立って駆け巡る血潮を押さえつけて、小さな子の母親みたいなことを必死で考えた。母親みたいな。母親。

 思いがけず、ぼくのうすい胸がぎゅっと痛む。母親。ぼくは母さんのことを、ほとんど何も知らない。


 

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