かくれて捨て猫でも飼ってるみたいな
すぐにぼくらは不毛な言い争いに疲れてぐったりしてしまった。頭の中の神経の糸がぐちゃぐちゃにからまったかんじだ。もう誰の夢だろうが何だろうがどうでもよかったけど、いちおうミナミがタイムスリップしてきたということに結論づけておいた。それならぼくらふたりとも誰かがつくり出したまぼろしじゃなくて、ちゃんと存在してるということになる。
まあ、ミナミが朝家を出たとき何かに頭をぶつけてネジが何本か飛んでしまった、という可能性もある。というか、この可能性がいちばん大きい。言わなかったけど。
夜のとばりが降りても、ミナミはどこにも帰れなかった。これが夢だとしても、十四年後の自分の家族なんて怖くて見れないとミナミは言った。すべてが順風満帆の明るい未来だったらいいけど、必ずしもそうだとは限らない。それに、まわりの人を混乱させるだけだ。いきなり自分の娘が十四年前の姿で現れたら、両親はきっと卒倒してしまうだろう。できるだけ人に会わないほうがいい、と。
「そりゃそうかもしれないけど」
ネジが飛んだ説を密かに支持しているぼくはおそるおそる切り出した。
「連絡くらいしてみたほうがいいんじゃない。もしも、タイムスリップじゃなかったとしたら、だよ。ミナミの両親、今頃めちゃめちゃ心配してると思うけど」
「無理。連絡できない」
「なんで」
「家、なかったの」
「は?」
「言わなかったっけ。帰ってみたのよ、家に。踏切のところでいったん引き返したの」
「言ってないよ。それ、すごい一大事じゃん」
「いいじゃん今報告してんだから。とにかくあたしの家はなかったの。だから連絡もできないの」
この話はこれでおしまい、と言わんばかりにミナミは口を閉ざし、ぼくのつくった野菜炒めを無理やりかっこんだ。言わなかった、ってことはそれだけショックが大きかったってことだろう。あるいは認めたくなかったか。そりゃ、そうだよな。
順風満帆の明るい未来が待ってるとは限らない……、か。そうだ。たしかにそうだ。
ミナミがひどく気の毒に思えてきた。たとえネジの飛んだおかしな子だったとしても。
「きっと引っ越したんだよ」
「うん」
「みんな元気にやってるって」
「うん……あたし、さ。これから」
「ここにいればいいよ。そのうちもとの世界に戻れるだろ」
気づいたらそう口走っていた。
「いいの? だって、おうちのひとは」
「父親は仕事でいつも帰りが遅いんだ。早くても十時すぎ。日付が変わっても帰ってこないことなんて、ざら。最近はとくに、同僚が急にやめて、そのしわよせが来て大変だって愚痴ってた。父さんが帰ってくる前にメシとかフロとかいろいろ済ませて、朝父さんが出勤するまでぼくの部屋に引っ込んでれば、ばれないよ」
「お母さんは?」
「うちは父親とふたり暮らしなの。だから大丈夫」
「ふうん。そうなんだ」
ミナミはさらりと受け流した。離婚して母親がいないのか、それとも死に別れたのか、それについては深く詮索してこなかった。
「と、いうわけで。とにかくうちの家族はだいじょうぶだから、ミナミは心配しなくてもいいよ」
ことさらに明るく言う。こっそり女の子をかくまって(べつに悪いことして逃げてるわけじゃないけど)たって、どうせばれやしない。
「なんか倫太郎、いきいきしてるね」
ミナミはじろりとぼくを睨んだ。
「捨て猫をかくれてこっそり飼ってる小学生みたい」
「捨て猫、って」
「ま、いいや。ひとの親切には素直に甘えなきゃ。とりあえず今のあたしには、ほかに頼るひとはいないんだし」
よろしくね、そう言ってミナミはにっこりと笑った。今日いちばんのスマイル。大きめの口にちらりとのぞく八重歯。どきりとした。
「じゃあ早速、シャワー借りるね。まさかとんでもないハイテク・シャワーとかじゃないでしょ。浜で寝てたからべたべたしてキモチ悪かったの。倫太郎、なんかあたしが着れそうなもの用意しといて」
さっきまで落ち込んでいたくせに、変わり身がはやいというか、何というか。またしてもぼくはパシリあつかいだし。一瞬でもかわいいとか思ってしまった自分がばかだった。ミナミのやつ、きっと原始時代にタイムスリップしたって生きていけるだろう。
「のぞいたら殴るから。あ、お風呂どこ?」
「廊下に出て右行っていちばん突き当たり」
「はいはーい」
ミナミは軽やかな足取りでリビングを出た……と思ったら、閉めたドアをかちゃりとあけてカメみたいに顔だけ突き出した。そして、
「ありがとね」
と言った。不意打ちをくらったぼくがちょっと面食らって、おう、とか何とか口ごもっていると、ミナミはダメ押しみたいに
「あ、でも、くれぐれものぞかないでよ。それとこれとは話が別」
なんて言い放つ。サービスするって言ったくせに。いやいや、そうじゃなくて。
ばか。誰がのぞくか。
女の子が着れそうな服なんてあるわけがないこの家で、ぼくは押入れをひっかきまわしたあげく、小学生のころ着ていたハーフ・パンツとTシャツ、パーカなんかを引っ張りだした。下着は……こんなものまでぼくが用意するなんてあんまりなんだけど……、未使用のトランクスがあったのでいちおう出しておいた。殴られるかもしれない。
「いいね、これ。すっごいラク」
風呂あがりのミナミは意外にも嬉々とした表情で、そう言った。白黒ボーダーのトレーナーに夏用のハーフパンツ。まるでコントに出てくる小学生だ。ほっぺに真ん丸く紅をさしたいくらいだ。
「でも毎日これじゃあんまりだから、明日いろいろ買いにいく。いいよね?」
からだを抱きかかえるように腕をまわしてそわそわするミナミ。
……そうか。わかった。女の子は大変だな。ミナミの胸は薄っぺらでぼくとそんなに変わらないようにさえ見えるけど、なんにもつけないってわけにはいかないよな、やっぱり。そんなことを考えてると、不覚にも頬があつく火照ってくる。一瞬でもくもくと広がる邪念を振り払うかのようにぼくは言った。
「買いに行くって、お金もってないだろ」
にっこりと無言で微笑むミナミ。まったく、ちゃっかりしてるっていうか、ずうずうしいっていうか。
「あしたは買い物に行って、コインランドリーにも行かなきゃ。あたしの洗濯物をここに干すわけにはいかないもんね。忙しい忙しい」
うきうきとしゃべりながらベッドに倒れこむミナミ。ぼくは泣く泣くベッドの下に自分が寝るための布団を敷いた。客間の押入れからひさびさに引っ張り出して来たから、なんだかほんのりかび臭いような。早急に干さないと。リビングのソファで寝ることも考えたけど、それでは帰ってきた父さんにあやしまれてしまう。
電気を消すやいなや、ミナミの規則正しい寝息が聞こえてきた。昼間あれだけ寝たくせに、秒殺、ってかんじ。よっぽど疲れたんだろう。からだも、脳みそも、もちろんこころも。
一九九八年からやってきた(?)女の子と、これからしばらく同棲だ。しかも中学生の分際で、親にかくれて。なんて奇妙なシチュエーション。信じられない。やっぱ夢かもしれない。いや、頭がおかしくなったのはミナミじゃなくてぼくのほうで、架空の友達(しかも女の子)をつくりだして妄想の中で遊んでいるだけなのかも。
そう考えるとすうっと背筋がうすら寒くなった。たしかに夏休みから色々あってぼくは正直疲れていたけど、そのセンだけは否定したい。なんか、あまりにも悲しい。やっぱタイムスリップだよ。うん。そうだ。それが一番平和的だ。
カチコチと秒針の音。藍色の、うすい闇。すうすうと健やかなミナミの寝息。
眠れやしない。タイムスリップがなんとかより、はじめて女の子と同じ部屋で夜をすごすことのほうが、ぼくにとってははるかに一大事みたいだ。これが妄想だったらぼくはかなり変態だ。
天井からぶら下がる電灯のひもをじっと見つめて、ミナミの寝息から意識をそらすようにがんばっていると、がたんとドアの開く音がした。
疲れた足音。父さんが帰ってきた音だった。