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オリオンのとなり

「ぼく、一回、ここを歩いてみたかったんだよ」

 ぼくらは国道からガードレールを飛び越えて、低い木々や雑草の茂る土手を下り、線路跡に降り立った。 赤茶けた砂利道が海沿いにずっと続いている。遠い、遠い視界の先には、湾をとりかこむようにともる街の明かり。そしてさらにその向こうには岬の先っぽでちかちかまたたく灯台のひかり。

 潮騒は飲み込まれそうなほどすぐ近くにあった。海のにおい、スニーカーのゴム底越しに足の裏につたわる、砂利の感触。それらを踏みしめる音。ざりっ、ざりっ。

「倫太郎。見て。すごく星がきれい」

 ミナミが嬉しそうな声をあげた。星あかりにうっすら浮かびがるその顔は、なんだかすごくきれいに見えて、それはもう、半分この世のものではないような美しさで、ぼくはこころもとなくなってしまう。

「なんでかなあ」

「ん?」

「なんで十四年後とか、そんな中途半端なところに来ちゃったんだろ」

 ミナミは言った。 

「たとえば百年後とか、二百年後とかでもよかったわけじゃん。その頃はもうタイムスリップなんてあたり前の時代でさ、えっ、きみ、タイムマシンもなしにどうやって二十世紀から来たの、なんて驚かれたりして」

 くすくす笑った。ぼくも笑おうとしたけど、顔の筋肉がうまくいうことをきいてくれない。ミナミをぼくのそばに引き止めておくにはどうすればいいか、そればかりを考えていた。

「あ、流れ星」

 ミナミが頭上を指さした。ぼくも思わず、夜空を見上げる。

「わあ……」

 言葉が出てこなかった。天上には、きらめくあまたの星たち。無数の小さなひかりのかけらをまきちらしたみたいに、あわく、強く、青く、赤く、遠く、近く、またたいている。ぼうっと闇にまぎれてわからなくなった海と空とのさかい目に、吸いこまれるように消えていく流れ星。いくつも、いくつも。神様の手のひらからこぼれおちてゆくように、すうっ、すうっと一瞬のひかりをはなって消えてゆく。

 ミナミはなにやら、聴いたこともないメロディを口ずさんでいた。目にはみえないなにかをつかまえているのかもしれない。この世界の名残りを惜しむかのように、鼻歌はつづく。

 ああ、時間が止まったみたいだ。

 すべてを飲み込むような、真っ暗な海と空、漆黒の闇。延々と繰り返す波の音。それとは対照的に、音もなく流れる星。時間が過去から未来へとまっすぐに進むものなら、ぼくらがいるのはその流れとは関係ない、外側の場所。そんな錯覚を覚える。

「はじめて見た。これって流星群?」

「わかんない」

「ねえミナミ。さっきの質問だけど」

「さっきの?」

「うん。なんで十四年後なんだろ、ってやつ」

「うん」

「多分、ぼくがおびき寄せたんだよ。カレーのにおいで」

「カレー!」

 ミナミがすっとんきょうな声を出した。そしてあははと笑った。

「そうだった。あたし、あのとき、なぜだかとにかくカレーが食べたくてしょうがなかったんだよね」

 背中をまるめて笑いころげる。

「そっか、倫太郎がカレーであたしを釣ったんだ、そっか」

「釣ったって、魚じゃあるまいし」

 ぼくもつられて笑った。ひいひいと、涙が出るくらい笑った。涙が出るくらい。

「あっ、でかっ。さっきの流れ星」

「うそっ。見逃した! ずるい、ひとりだけ」

「あーあ、すっげえキレイだったのに。もったいねー」

「何よ。だいたい、流れ星なんてじつはたんなるチリじゃん。小汚いチリじゃん」

「またそういう夢のないこと言う。さっきまでキレイキレイってはしゃいでたくせに」

「倫太郎はロマンチストなんだねー。あたしがいなくなったら、うじうじ空の星なんて見つめて涙流すんでしょ、どうせ」

 どきりとした。心臓をつめたい素手でつかまれたような心地がした。

「なんで、ひとは死ぬと星になる、なんて言うのかなあ」

 ミナミが言う。満天の星空を見上げたまま。

「だって、星だって生まれたり死んだりしてるんだよ。ほら、青いのはまだ若い星で、赤いのはもう年とった星なんだって」

 ミナミはさらに続ける。

「宇宙にだってはじまりと終わりがあるの。すべてそう。終わりがあるの」

「ミナミ」

「あたし、わかったの。この世界に来る一瞬前。車にぶつかる直前の一瞬。あたし死ぬんだって。かなしいとかくやしいとかじゃなくて、ただ、わかったの。ああ、終わりのときがきた、って」

「ミナミ」

「でもあたしは」

 ミナミはぼくの目をまっすぐに見つめた。澄んだ黒い瞳にぼくの目が映って、そのぼくの瞳にミナミが映って……はてしなく続く連鎖。

「あたしはいなくならない。いなくなるけど。消えるけど、消えない」

「矛盾してるよ」

「うまくいえない。でも、なみ……、お姉ちゃんの赤ちゃんを見たとき、そう思った。よくわかんない。よくわかんないけど、あたしは消えない。消えるけど」

「わけわかんないよ」

「そうだね」

「わかんないよ、ミナミ」

 ほんとはわかっていた。からだの深いところで、こころの奥底、ずっと底の、ミナミとつながっている部分で、理解していた。でもぼくはミナミを引き止めたかった。がむしゃらに、格好わるく、お菓子を買ってもらえなくて駄々をこねる子どもみたいに、食い下がっていたかった。死んでしまうなんて、冗談じゃない。そんなことさせるもんか。絶対ミナミを離すもんか。

「行くなよ。ずっとぼくと一緒にいようよ」

「ずっと? ずっと、お父さんをだまして居候するの?」

「ぼくは家を出たっていい。働く」

「二〇一二年の法律ってどうなってるの? 十四歳が仕事できるの?」

「新聞配達、とか」

「それで食べていけるの?」

「…………」

「仮に食べていけたとしても。あたし、ここではいないはずの人間なんだよ? 学校も行けない、仕事もできない、病気になっても病院にも行けない。ずっと倫太郎の鳥かごのなかにじっとしてて、それであたし、生きてるって言えるの?」

 ミナミは冷静に、諭すようにぼくに言い含める。

 なにも言えない自分がなさけない。なんの力もない、ちっぽけな子どもの自分が。

 ミナミは、ぼくのほっぺたをむにゅっとつねった。

「でも、ありがと。そんな風に思ってくれて、うれしい」

「なんだよ、オトナぶってさ」

 ミナミの手をひきはがして、そっぽをむいた。どこにも、行くなよ。お願いだから。

――カンカンカンカン。遠くで、鳴るはずのない踏切の警報機の音がした。

「行かなきゃ」

 ミナミは上着をぬぐと、ぼくに押し付けるようにして返した。

「ありがとね。……ここでお別れ。あんたは、ここから土手のぼって、また国道を歩いて行きな」

 やさしくたしなめるような声。

 線路跡の砂利道は続く。ミナミの目は、道の先にある、トンネルに吸い寄せられて動かない。ながいトンネルで、向こう側はみえない。子どもの頃、ここを走る列車に乗った。このトンネルで父さんと息止め競争をした。途中でがまんできなくなってぷはあっと息をついたら、父さんがもう限界みたいな真っ赤な顔で俺を見て、ピースをしたんだ。

 もう列車は通らない、ただ深く暗いだけの穴の向こうに、何があるというのだろう?

「あれ、タイムトンネル?」

 わざと茶化して聞くと、ミナミは真剣なおももちでうなずいた。

「たぶん」

「途中で振り返っちゃいけないとか、そういうルールはないの?」

「知らないけど」

 ぼくの声がふるえていることに、ミナミは気づかないふりをしている。

「ひとりで行くの?」

「あたり前じゃん。みんなひとりで行かなきゃならないんだよ。それは知ってる」

「……」

「しょうがないなあ」

 ミナミは軽くため息をついた。そして空を見上げた。

「倫太郎、星座ってくわしい?」

 首を横にふる。いったい、いま、なんでそんな話をするんだろう。

「わかる星座、ある?」

 ミナミはまだじっと夜空を見つめたままで、ぼくも彼女の視線のさきを追った。

 オリオン座が、空のひくいところにのぼっている。

「星座、あんまりわかんないけど、オリオン座ならすぐに見つけられる」

 そっか、とミナミは笑う。

「じゃ、オリオンのとなりにする。あたし、あそこにいるから、あんた、さびしくなったら探しなさい」

「まじで星になる気?」

 ミナミは大真面目にうなずく。

「オリオンのとなりって、すでにいっぱい星あんじゃん。わかんないよそんなの」

「あたしの星だよ? ひときわキレイで明るく輝いてるに決まってんじゃん。わかるよ、見つけて」

「…………」

「見つけて。倫太郎」

 涙がこみあげてきてうまく答えを返せないぼくを見て、ミナミは空気を変えるみたいに、暗いよー、なんて、からりと言ってのける。

「じゃ、そういうことで。あたし行くからっ」

 ミナミは片手をひらひらと振った。顔は笑ってるのに、目じりに、星みたいなしずくが光ってるのが見えて。

 ぼくはミナミの手をすばやくつかんで引き寄せた。

 星が流れるよりもみじかい、一瞬。さっとくちびるを重ねあわせる。あたたかくてやわらかくて、なんか原始の生き物みたいにむにむにしてて、電流が流れてぼくはしびれた。

 ミナミが、こころなしかうるんだ目をして、ぼくのジャケットの袖をそっとつまむ。

「倫太郎、キス、はじめて……?」

「……うん」

「あたしも。……にしては、うまくいったね」

「なんだよ、その感想」

 照れくさくて、ぶっきらぼうに言った。このまま海に飛び込んでしまいたいくらいからだが火照って熱かった。ミナミの手も熱かった。その目にみるみる涙があふれてって、だけど笑顔はくずさずにいる。

「じゃあね」

 ミナミはぼくの袖から手をはなす。

「だめだっ」ぼくは叫んでいた。「行くなミナミ、行くなっ」

 ミナミはぼくに背を向けて、走り出した。

「行くなミナミっ」

 追いかける。ミナミはものすごいスピードで、トンネルに向かって駆けて行く。

 だめだ。あの中に吸い込まれたら、もう二度とミナミに会えない。ミナミは消えてしまう。

 息をするのも忘れて追いかけて、近づいて、また離れて。

「ミナミ、ぼくは、ミナミが、」

 精いっぱい伸ばした指先がミナミの背中に触れる、その寸前で。

 ミナミはトンネルの影の中に足を踏み入れた。その瞬間、ぼくは何か見えないものにはじかれて跳ね飛ばされる。情けなくしりもちをついて、すぐに起きあがって。だけど。

 ミナミの姿はあっという間に暗闇に吸い込まれて見えなくなった。

 だれもミナミを引き止めることはできない。わかっていたのにぼくは抗う。離れ離れなんていやだ。ミナミの存在が消えてしまうなんていやだ。

 胸がつぶれそうなほど痛い。息が、できない。

「ぼくは、ミナミが……」

 言えなかった、つづきの言葉。

 その場にくずおれて嗚咽する。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながらも、心のどこか深いところで、あのトンネルを知っている、と思った。ぼくにも覚えがあると。

 いつか遠い昔、ぼくもこんな暗いところを通ったことがある。そう、たったひとりで。息がくるしくて、ようやく通りぬけると、そこにはまばゆい光があった。

 いつのことだろう。うまく思い出せない。


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