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たとえいつか会えなくなるとしても、それでも

 じとじとと降り続ける雨。黒い服を来た人々の群れ。ふるい木造の小さな家。白い花輪。すすり泣くおばあさんの後ろ姿。お坊さんの紫色の袈裟。線香と煮しめものと女のひとの化粧のにおい。響きわたる読経の、低く朗々とした声。

 ぼくはカラスみたいに真っ黒な喪服を着た父さんのとなりで縮こまりながら、焼香ってどうやるんだろう、なんて考えている。ひどく場違いなとこに来ちゃったんじゃないかな、とも。

「父さんが先にやるから、それを真似しなさい。最後に、家族のかたに礼をするのを忘れないように」

 父さんはぼくにこっそり耳打ちする。家族のかた……? 

 あの、仏壇の左脇に座っている背の高い男のひと、と、小学生くらいの女の子、か。

 女の子は目を真っ赤にして、それでも涙はこぼすまいと気丈にふるまっている。遺影の女のひとに似ている。すこしつりあがった、気の強そうな目もとのあたりが、特に。そして彼女はどことなくぼくにも似ている。ほんとに血がつながっているんだな、なんて妙な感慨を覚える。

 遺影の女のひと、つまり亡くなったのはぼくの母親。あそこにいるのは母さんの今の家族。ぼくと父さんは母さんに置き去りにされた元・家族。

 ひどく蒸し暑い。首の後ろが汗で濡れて気持ち悪い。なれない正座でしびれた足をなだめながら仏前に向かう。遺影の母さんは幸せそうにほほえんでいる。こんな顔をして笑うひとだったんだ。


 目がさめたぼくは思わず首のうしろに手をやった。じっとりと汗をかいていた。なんで今朝になってこんなを夢みたんだろう。母さんの、夢。

 ぼくは身支度をすませて適当に菓子パンを食べ、学校へ出かけた。父さんは今日まで出張、帰ってくるのは夜。ミナミはまだ眠りこけていたので、置き手紙を残しておいた。

「今日から中間テストなので学校へ行ってきます。三時頃には帰ります。カギは郵便受けの中に入れておきます。パソコン、自由に見ていいから。へんなとこクリックしないように。それから家を出るときは、くれぐれも近所のひとに見られないように。あと、わかってるとは思うけど、誰が来ても玄関のドアは開けるなよ。倫太郎」

 パソコンはミナミの時代からだいぶ進化したものの、立ち上げ方とかシャットダウンのやり方は基本、同じらしい。ゆうべミナミはこころゆくまで動画サイトでボカロ楽曲を聞いてた。というか、動画サイトそのものにも感動していた。これで、ぼくのいない間も楽しめるだろう。


「おす。ひさしぶり、倫太郎」

 教室にはいるとすぐ、桜井に声をかけられた。ゆうべは餃子パーティへのお誘いメールを送っていたにもかかわらず、こいつは姿を現さなかった。ていうか返信すらなかった。

 ぼくが口を開こうとすると、あわてて桜井はぼくを廊下まで連れ出した。

「なんだよ」

「倫太郎。一生のおねがい」

 手をあわせておがむようにしている。その顔は、真っ赤だった。

「これ、ミナミちゃんに、わたしてくれないかなあ」

 空色の封筒。

「まさか、これって……」

「オレ、本気なんだ、あの子のこと。最初はちょっとかわいいな、くらいだったんだけど。あの、海で遊んだ日から、もう、気持ちがあふれてパンクしそうなんだ」

「桜井……」

「あの子って携帯もってないだろ。でも直接コクるとかオレ、無理だし。手紙しかないなって思って。ああもう手紙かくのなんて小学校のときなんかの授業で書かされて以来だよ。何度もお前んちに行って渡そうと思ったんだけど、胸がくるしくなって、足が出ないんだ。もう、どうにかなりそう」

 しきりに金髪の頭をぼりぼりかいて、もじもじしている。

「渡してどうすんのさ」ぼくは言った。

「だってあの子は、ほんとうはここにはいない存在なんだよ。いつかまた過去の世界にもどっていくんだ。ぼくらと同じ十四歳のミナミには、いつか会えなくなるんだ。それなのに」

「だってしょうがないだろ。好きになっちゃったんだもん」

 桜井のことばに胸がぎゅっとなる。そうだよ。しょうがない、よな。

「桜井。やっぱりこれは渡せない」

 ぼくは水色の封筒を桜井の手に押し戻した。

「ぼくもミナミが好きなんだ」

「……」

 桜井は雨に打たれた野良犬のようにひしゃげた。

「そっか、やっぱりな。そうだよな」

「桜井……」

 ミナミが好きなんだ。たとえあの子が何者でも。いつかぼくの目の前から姿を消して、もといた場所へ帰る日が来るんだとしても。それはもうどうしようも、ない。


 沙雪のノートに目を通してはいたものの、試験は散々だった。ちっとも集中できなかったのだ。

 頭の中では、ミナミの顔と、桜井の今にも泣きそうな顔が交互にあらわれては消えていた。一生懸命ことばをえらんでラブレターを書く桜井のすがたを想像した。すごく簡単に思い描くことができた。

 桜井のやつ、ヤンキーやめればいいのにな。向いてないよ。

 小学生の頃、桜井の家に行くといつもやさしそうなお母さんが出迎えてくれて、手作りのケーキだかマドレーヌだかを出してくれていた。ここだけの話、ぼくはものすごくうらやましかった。桜井ん家のこどもになりたいとさえ思った。

 でも桜井は中学にあがると、お母さんのことを「ババア」と呼ぶようになった。それまで「ママ」なんて甘ったれてたくせに。他人から見たらわからないだけで、ぼくが思っていたような平和でなごやかな家じゃなかったのかもしれない。どこの家にも、そこの一員じゃないとわからない何かがあるのかもしれない。


「リンくん」

 ぼくを呼ぶ細い声がして、自分の席で帰り支度をしていたぼくは頭をあげた。沙雪の青ざめた顔が目の前にあった。徹夜で勉強でもして、体調が悪いんだろうか。

「話があるの。あの子のことで」

 来たぞ、と思った。沙雪は詩織姉ちゃんからミナミのことをどんな風に伝え聞いたのだろう。

 帰りのホームルームが終わったあと、ぼくらはとなりの空き教室に移動した。使わない机や椅子は後ろのほうに片付けられて、のこりのスペースには年表だの地球儀だの、ごたごたとした教材が放置されていた。 置きっぱなしの古ぼけた教卓にも、黒板の溝にもほこりが積もっていた。ミナミが通っていた頃はこの教室も現役だったはずだ。もしかしてここで授業を受けたり友達とふざけたりしていたのかもしれない。

 沙雪は窓側の棚にもたれかかるようにして立った。日に焼けて黄色っぽく変色したカーテンが揺れた。

「リンくん。あの子、何者なの?」沙雪が口を開く。

「親戚の子って言ってたけど、違うよね?」

 ぼくは小さくうなずいた。沙雪はたたみかけるように続けた。

「あたし、全部わかっちゃった。なんでリンくんが学校に来なくなったか。なんで最近のリンくんがおかしくなっちゃったか」

「おかしくなっちゃった? ぼくが?」

「おかしいわよ。夏休みが終わったあたりからずっと、心ここにあらず、ってかんじで、はんぶんタマシイが抜けちゃったみたいになって。変だって思ってたら、学校まで来なくなっちゃった」

 半分タマシイが抜けた……、そうか。そんな風に沙雪はぼくのこと見てたんだ。

 たしかに、言われてみれば八月あたりからの記憶がなんだか白昼夢みたいにぼんやりしている。曖昧で、よく思い出せないのだ。そして、ミナミが現れたときからふたたび鮮やかに記憶が色づいている。物思いにふけるぼくの両腕をつかんで、沙雪は懇願するような口調で言った。

「リンくん。一回、その筋の専門家にたのんで、きちんとお祓いしてもらったほうがいいと思う」

 ぼくの手のひらに、小さく折りたたんだルーズリーフの切れ端を押し込む。

「これ、ネットで調べてきたの」

「……お祓い、って……」

 困惑するぼくを、哀れみの混じった目でまっすぐに見つめる。

「リンくん、あなた、取り憑かれてるのよ。佐藤南の霊に」



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