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ミナミの親友

 事件は、日曜の夕方に起こった。


 ぼくとミナミは商店街はずれにあるスーパーへ夕ご飯の材料を買いに行っていた。ミナミが突如「きょうは餃子だ! 餃子が食べたい!」と宣言したからだ。きょうは餃子パーティか。

 父さんは土・日・月と二泊三日の出張だ。なのでぼくらはこの週末、クリスマスにサンタクロースが来るのを寝ずに見張ってる子どもみたいに、人生ゲームなんてしながら夜更かししていた。ふたりとも疲れはてて、まぶたも開かないくらい眠りこけてしまうことを願って。ぼくらはひと晩中正真正銘のふたりきりで過ごさざるを得ない状況なわけで、歯止めになる存在がいないわけで。そんな中、沈黙とあまいムードなんてものがふたりの間に訪れてしまうことを避けていたのだった。だって、それはやっぱりまずいよな。

「倫太郎のうちって、餃子にニンニク入れる派?」

「いや。入れない」

「うちも入れない。そのかわり、生姜をたっぷり入れるんだ」

 ひんやりと冷気が立ちのぼる生鮮食品売り場で、カートを押しながら野菜を次々とかごに入れる。やばいと思いつつも、ニンニクなんて食ったら万が一キスのチャンスが到来した時に台無しだ、なんてことも思っていた。いったいどうしたいんだ、ぼくは。

「あたし、料理はできないけど、誰かがつくるのを見るのは好きなの」

「ぼくは誰かがつくるのを間近で見た記憶はないけど、天才的に器用だから料理うまいの」

「自分で言う?」

 ミナミはからからと笑った。ぼくより頭ひとつ分ちいさいミナミは、ぼくの昔の服を着ていることもあって、ほんとに小学生みたいに見える。

 十四年前の世界は、いったいどうなってるんだろう。ふと思う。ミナミがいなくなって大騒ぎだろう。家族や友達はさぞ心配しているだろう。胸が痛んだ。でも……、それは「今」のことではなくて、すでに「十四年前」の、過去の出来事になってしまっているわけで。

 ……またしても、頭がこんがらがってきた。

「どうせ餃子たくさんつくるなら、桜井くんも呼ぶ?」

 ミナミの明るい声で我にかえった。

「えー。ミナミがいいならかまわないけど……」

 それでさっそく桜井にメールを打っていると、

「リンくん」

 後ろから聞きなれた(こころなしかいつもよりドスのきいた)声が飛んできた。ぼくはぎくりと固まった。ゆっくりと振り返る。

 黒いミニのワンピースにかたちのいいひざ小僧、長い髪。やっぱり沙雪だ。

 しまった。こんなに知り合いに遭遇しそうな場所へミナミを連れてくるんじゃなかった。

「その子、だれ?」

 案の定沙雪は聞いてきた。刺すような視線をミナミに投げる。ミナミはキャベツを持ったまま憮然としている。

「親戚の子。お母さんが入院して、しばらくうちにいることになったんだ」

 苦しい言い訳。

「ふうーん。あんたのうちに親戚が来てるなんて、あたしが知るかぎりはじめてだけど?」

 沙雪は疑惑たっぷりの目でミナミをじろじろ観察した。一刻もはやくこの場を立ち去りたい。

「沙雪―」

カートを押しながら近づいてくるショートカットの女の人。ナイス・タイミング。ぼくは言った。

「ほら、行かなくていいの。詩織姉ちゃんが呼んでるよ」

 詩織姉ちゃんは、三人きょうだいの沙雪のいちばん上の姉だ。どれくらいかは忘れたけど、けっこう歳がはなれている。ジャージ姿のところを見ると、仕事帰りか。彼女は町内の保育園で保育士として働いているのだ。

「ちっちゃい子どもみたいにうろうろしないでよね」

 詩織姉ちゃんは沙雪の首ねっこをつかんだ。それからぼくに「オス」と言って笑顔を向けた。

「倫太郎、いっちょ前に女の子なんて連れて。なーまーいーきー」

 ぼくのアタマを両手でぐじゃぐじゃと掻きまわす。

「やめろって。ちがうって。親戚の子だって」

 騒ぐぼくを無視して、詩織姉ちゃんはミナミに視線をうつした。その瞬間ミナミはさっとぼくのうしろに身をかくした。沙雪にあれだけじろじろ値踏みされるような視線を向けられても動じなかったのに。

 そして、詩織姉ちゃんにも異変が起こった。目をまんまるく見開いて、顔色は真っ青だ。メデューサと目が合ったかのように固まって動かない。

「ちょっと、お姉ちゃん。どうしたの」

 沙雪が詩織姉ちゃんの腕をひっぱる。詩織姉ちゃんはわれに返って

「ミナミ。……ミナミ。まさか、そんな……」

 と、うわごとみたいにミナミの名を呼んだ。ミナミのこと、知ってるのか? 

 とっさに振り返ると、ミナミは顔を真っ赤にしてぺこんと頭をさげ、それから一目散に出口のほうへ駆けて行った。

「おい、ちょっと待てよ」

 ぼくはカートをそのまま置き去りにしてミナミのあとを追った。

「ちょっとリンくん、これ、どうすんのよ。……もう、わけわかんない」

 沙雪の途方に暮れた叫び声を背中で聞いた。


 家のすぐそばにある小さな児童公園の、すべり台の下にミナミはいた。すべり台はまるい象のかたちで、鼻の部分がちょうどすべるところになっている。台の下部分、胴体のところが洞穴みたいにくり抜かれていて中で遊べるようになっていて、ミナミはそこにもぐりこんで膝を抱えていたのだ。

「なつかし。ここ、ひみつ基地にしてよく遊んだ」

 ぼくはミナミの横にもぐり込んだ。天井に、お菓子のおまけのシールを貼ってはがした跡がたくさんある。貼ったのは昔のぼくだったかもしれない。ひさしぶりのひみつ基地は随分きゅうくつで、流れた年月と自分自身の変化を思った。

 ミナミは心ここにあらず、といった具合で、ぼんやりとオレンジに染まりはじめた空を見ている。

「詩織姉ちゃんと同級生なんだ?」

「……うん。親友なんだ」

 ミナミはぽつりぽつりと話しはじめた。

「詩織、すごいきれいになってた。ちゃんとした大人になってた。……なんか、変な感じ。……それにあの子。沙雪ちゃん。まさかとは思ったけど、あのさっちゃんだなんて。だけど、そういえば、たしかに詩織と顔が似てる」

「沙雪のことも知ってるんだ」

「うん。詩織がすっごくかわいがってるの。歳のはなれた妹って、特別かわいいみたい。実際かわいいんだよ、まだ赤ちゃんだし。ついこの間、はじめて寝返りしたんだって、詩織、嬉しそうに言ってた。ああ、全然気づかなかった。大体、詩織の家、この辺じゃないし」

「ああ。ぼくと沙雪がちょうど小学校にあがる前くらいに引越してきたんだ」

 うっすらと覚えている。沙雪の家の棟上げの日、父さんといっしょにはしゃぎながら沙雪ん家のおじさんたちが投げるもちを拾った。家で、父さんと、ばあちゃんと三人でもちを焼いて食べた。それから今まで色々なことがあった。ばあちゃんは亡くなり、父さんは二度転職した。

「あたし、今ようやく実感した。未来に来たんだって。だって、十四年後の世界だなんて言っても、さびれたくらいで見かけはあたしの時代と劇的に変わったわけじゃないし、あたしはやっぱりこれは夢なんだってまだ疑ってた。目覚ましが鳴って目が覚めたら、忘れてしまうの」

 忘れてしまう。心臓がちくりと痛んだ。

「でも、大人になった詩織を見た。詩織もあたしに気づいてた。毎日あたしと一緒にバカやってる詩織が、大人になってちゃんとこっちの世界で生活してる。この世界のどこかに、二十八歳のあたしが、確かにいるんだね」

 ミナミはすうと息を吸い込んだ。夕やけ空を映しこんだ瞳が潤んで、さざなみみたいに揺れていた。

「ね、詩織、何の仕事してんの?」

「保育士だよ」

「へえー。詩織にぴったり。詩織、すっごい子ども好きだもん」

 感慨深げにミナミは何度も「へえー」と、「そっかあ」と、「すごい」を何度も繰り返した。

 ぼくは、ふと思いついたことを口に出してみた。

「ミナミ、将来の夢、とかあんの?」

「……」

 ミナミは不意をつかれたような顔をして黙り込んだ。そして、追手から逃れるスパイみたいにあたりをキョロキョロと見回し、誰もいないことを確認してから声をひそめて言った。

「誰にも言わないでよ」

「言うわけないじゃん。ていうか誰に言えと?」

「……作曲家」

 ぼくはミナミの顔をまじまじと見た。大まじめなカオ。口の端がゆるんでくるのを押さえきれない。

「ちょっと。笑わないでよ」

「ごめ、いや、あまりにも意外だったから」

 なんとなくミナミの口からはもっと現実的な、たとえば教師とか警察官とか、そういう職業が出てくるのかと思ったのだ。いや、作曲家が非現実的な夢だっていうわけじゃないけど。

 ミナミがかかえたひざこぞうにあごをうずめて、ぼくのほうに目線だけ送る。

「この世には、目にみえないけど確かにあるものって、あるでしょ」

「なに? いきなり話が飛んだね。幽霊とかそういうたぐいのもの?」

「そうじゃなくて。ほら、空がなんで青いかって話、覚えてる? 目に見えない空気の分子に青の波長があたって散乱して、っていう」

「覚えてるよ。でもそれが作曲家とどういう関係があるのさ」

「急かさないでよ。あたしは目に見えないものを見えるようになりたいの。目に見えないものを美しいメロディに変換して奏でられるようになりたいのよ。ふわふわした雲をつかまえるように、あたりをただよってるきらきらしたものをつかまえて、音楽に変えるの。……って、まだ一曲も完成させたことはないんだけどさ」

 ミナミの頬があかく染まっている。夕焼けに照らされたせいか、それともやっぱり夢なんて真剣に語るのは恥ずかしいのか。まじめに夢の話をするのは、結構勇気がいることなのだ。

「作曲家かあ」

「うん」

 携帯をいじるぼくの視界のはじっこで、ミナミのはねた髪が揺れてる。

「ボカロって、知ってる?」

「何それ」

 やっぱりミナミの時代にはまだないのか。

「ざっくり言うと、自分でつくった曲、歌ってくれるの」

 携帯の画面を見せると、ミナミは口をあんぐりあけた。

「まじ? すご……」

「素人でもできる」

「…………」

 画面に見入っているミナミの目が、きらきらと輝いている。それがまぶしくて、ぼくは彼女から目をそらした。

「ミナミって、やっぱ変わってるな」

 ぼくはそっけなく言って、象の穴から出た。なんだかきゅうに、置き去りにされたような気がしたのだ。

 二十八歳のミナミは、今この瞬間、何をしているのだろう。冷えた空気を吸い込むと、どこかの家の夕食の焼き魚のにおいがした。



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