Ⅲ
結構多めに作ってくれていたのだが、あっという間に食べてしまった。満腹。というか腹十二分だ。
ノアは、まだ最後の一口が残っており、もぐもぐと口を動かしている。
ヴァンはぼーっと遥か下、人が増えていく街並みを見つめていると食べ終わったらしいノアがご馳走さまでしたと丁寧に手を合わせ、こちらに顔を向けてきた。
「これからどうするの?」
「ああ、バザール行くつもりだったんだし戻ろうか?」
ヴァンは勢いをつけて立ち上がり、隣のノアを見下ろす形で反応を伺う。
バザールとは半年に一度、国中から行商人がやって来て1週間に渡って開かれる市の事だ。
毎回、大層な賑わいを見せているのだが、今回のバザールは最終日に国の王女の成人の儀とかぶるってんで祝賀祭だ、といつも以上に民衆は活気づいている。
喧騒こそ此処までは届かないものの人が慌ただしく動いている様子を横目にノアを見やればうーんと不満そうに口を尖らせていた。
「バザールって人が沢山いるのよね……」
「そりゃあ。バザールだし」
商人達は商売しに来てるんだから、相手は多けりゃ多い方が良い訳で。その為に様々な手技を凝らしてくるだろうし。
大体、行ってみたいと言ってたのはノアなのに。
腰に手を当て呆れを素直に顔に表すと、ノアは罰が悪そうにだってと口を開いた。
「ヴァンの話だけ聞いてると楽しそうだなぁと思ったんだもの。というかヴァンが悪いのよ。毎回、毎回、バザールの時期が来る度にその話ばっかりするから。その割に行ったこと無いって言うし」
「一人で行っても面白くないし」
ていうより、ヴァンはノアと行きたくてそういう話をしていたのだ。ノアが人嫌いなの知りつつ、わざと人混みのすごさには触れないようにして話していた。確信犯である。
正直、「行ってみたい、かも」なんて言質が取れた時は内心舞い上がったものだ。
「人、多いからもう少し此処にいる」
大分悩んでいたようだが、最終的にそういう結論にたどり着いたようだ。
わかった。と少し肩を落として再び隣に腰を下ろす。
ノアの人嫌いは折り紙付きだから無理に連れてって機嫌を損ねるのは嫌だし、ノアの評判が下がるのも避けたい。
時間の経過で人の多さはそんなに変わりはしない――むしろ増えるのではないだろうか――が観ているうちに慣れてくるだろうし、賑わいを見て気が変わることもあるだろう。
ふわぁと大きく口を開けて欠伸を洩らしたノアはごろりと上体を横たえた。既に瞼は閉じられている。
「え、寝るのか」
「んー、ちょっと眠たい」
そりゃ、あれだけ早起きしてたら眠くもなるだろう。 ヴァンは拍子抜けしつつも、この場に長居することを確信した。
「寝てても良いぞ。俺、図書館で本借りてくるな」
んー、と理解したのかわからない返事に苦笑いしながら、そっと上着をかけてやり行動に移すため立ち上がった。
ノアは既に半分夢の中の様で、仰向けから横向きになって俺の上着をまきこむように身体を丸めていた。
――――
結局、ノアが目を覚ましたのは太陽が反対側に傾きはじめてからだった。
ヴァンはというと街の方を向いていると少し眩しくなってきたので、北側、王城へと身体を向けている。 ノアにも背中を向けている状態だ。
借りてきた本は結局ほとんど読み終えており、あと30分もあれば読み終えるだろう。
章が終わり最終章を残した所で一息つこうと本から顔を上げ背後に視線を向ける。
……数年前までは、よく背中合わせになって本を読んでたっけ。大分昔のように感じて少し懐かしい。
なんて感慨に耽っていると、ノアが小さく身じろぎ、ばちりと目が合った。
「……どれくらい寝てた?」
「だいぶ」
曖昧な返事だったが、日の傾きでおおよそを判断したのかやってしまったというように分かりやすく顔を青くした。
「大丈夫。案外この本が面白かったんで読みいっちゃってさ。終わってから起こすつもりだったし」
安心させるように、出来るだけ穏やかな声音でそう言うと、ほっとしたような表情になり、興味はヴァンの持つ本へと移ったようだ。
「何、読んでたの?」
「えーと……」
ぱたりと本を閉じて表紙を確認する。急いでノアのもとへ戻ろうと受付カウンターのそばにある返却済み棚の中から適当に選んだものだ。題なんてまともに目を通していなかった。
表紙には『龍神の涙』と記されて龍の流す涙を受け取る人間の絵が描かれている。
あらすじは、暴虐な振る舞いを繰り返す龍神様がいて、主人公の許嫁が生け贄として連れていかれる。
主人公以外の大人たちは仕方ない諦めろと主人公に言い聞かせるが、主人公は龍神の棲む山奥へとたった一人で向かい、見事勝利し、許嫁を助け出す。
龍神は後悔と懺悔の涙を一滴流すと消えてしまう。主人公がその涙を飲み干すと力に満ち溢れ、神と同等の力を得た。
その主人公がリヴァエリアの建国者であり初代国王で、王家が神の力を持つとされた経緯であり、“神のいない国”と言われる所以そうだ。
――と、おおまかな内容としてはほとんどの国民が知っているだろう建国神話だが、細かいところになかなか脚色されていて面白かった。
題名を見て、内容が大体予想できたのか「ふーん」と頷くノアの視線が冷たい。何故。
「ヴァンって神話とかどうでもいいヒトだと思ってた」
「いや、物語として面白かったってだけで。ホントかどうかはどうでもいいっつーか……」
正直な所、生まれの地すら判らないヴァンにとってこの話が真実かどうかというのはあまり興味ない。 本当だったから、嘘だからと今が何か変わるわけでは無いのだし。
そう伝えると、ノアは何やら複雑な表情だったが一応納得してくれたようで頷いていた。
「降りようか」
ノアに言われ、一瞬話の繋がりが無いことにフリーズするが、理解した瞬間一も二もなく賛成する。
本は栞も挟まず(オチは分かってるし、多分もう読まないのではのいだろうか)バスケットの中に入れて、立ち上がって埃を落とす。上着はノアが羽織ったままだが、まあノアが問題ないならそれでいいかと結論付ける。
ノアが幅の狭い階段に足をかけた瞬間、地面が揺れた。
ぐわりと全てが不快に揺られる感覚とゴゴゴという地響きから地震だと遅れて認識した。
よろめき、バランスを崩すノアの腕を思わず引き寄せ、片腕で抱き締める形になる。
揺れがおさまるのを待ってからノアを解放した。
「最近、多いな」
実は少しだけヴァンより高い身長の俯くノアの顔を覗き込む。 こくりと無表情で頷くノアは何を考えているのやら。
――この地震は神様の去ったこの世界に限界が来てるのだと誰かが言っていたが……、まさかなぁ。