Ⅰ
──ここはリヴァエリア王国王都セト。
創世の時代から続くという王国リヴァエリア。王家は神の血を引くと言われ、王国の国土面積は大陸の約半分を占める。
国境付近で起こる小さないざこざは絶え間ないものの約50年前に締結された停戦協定により大きな争いもない緑豊かな平和な国だ。
大陸の西側を統治するリヴァエリはア王国の中南部に王都セトは位置する。
中央広場から真っ直ぐ北に伸びる大通りを進めば王城が佇む。歴史を感じさせる灰白色の石造りの王城が悠然と佇むその景観はまさに圧巻であり見る者を圧倒させるだろう。
大通りの左右の両側は店舗が建ち並び、普段からたくさんの人で賑わうその道を隔てて中央広場より城の方面の東側は王立図書館や協会、学校など公共機関施設が建ち並び、西側は大きな屋敷が並ぶ爵位を手にする貴族達の住区域となっている。
中央広場から南は爵位の持たない平民の住む家屋が立ち並ぶ居住区域であり、時を経るにつれて広がっていったもので、大通りを歩くだけで歴史を感じさせるものとなっている。しかし、分かりやすく通りが整備された北部とは変わって、民衆達の手で独自に広げていった為入り組んだ道も多く、少し道を逸れるだけで初めて踏み入れる人でなくとも迷子になるとも言われている。
少年はそんな居住区の東の外れ、見た目の可愛らしい赤茶色の家の屋根裏で目を覚ました。
屋根裏と言っても作りは堅固で、天井が斜めになって梁が見えている所以外は普通の部屋だ。広さもあるので少年は結構、いやかなり気に入っていた。
朝の空気はまだ冷たく肌を刺し、身体を起こし窓から外を覗けば太陽は顔を見せておらず眼下の通りに人の気配は無い。
実際、いつもの彼ならあと2時間は布団に潜っている。
今日は特別なのだ。
「……んーー」
声に出して腕を高く上げて身体を伸ばす。
それと同時に大きな欠伸を漏らし、ベッドから身体を下ろした。ひんやりとした床が裸足である足の裏に触れて心地よい。
上着を羽織り、顔を洗いに行こうと部屋の出口へと足を向けた所で、この屋根裏部屋へと続く梯子を登る音が聞こえ動きを止める。
慎重そうに一段一段登る今では聞きなれたその音に、朝早くの訪問者の正体が思い浮かび、呆れとともに苦笑が混じる。
いくらなんでも早すぎだ。
梯子が掛かる下の階へと続く穴から、そろりと金髪に金の瞳の少女が顔を覗かせた。
「よう」
「なんだ、起きてたの」
明らかに残念そうに表情を暗くする彼女に悪いことをしたような気持ちになるが、いやいやと首を振り文句を口にする。
「なんだってなんだ。てか早すぎだろ」
「驚かせようと思って……。それに、すっごく楽しみだったんだもの」
もごもごと口の中で言い訳のように述べる彼女に「そりゃ、驚いたけど」と口にすると、表情が一転してにんまりとした笑顔を浮かべてから朝の挨拶を言葉にする。
「おはよう、ヴァン」
「おはよ、ノア」
梯子を上りきったノアはばっと両手を広げたかと思うとヴァンに向かって文字通り飛びかかってきた。
「うわ」
受け止めようと、足を踏ん張るも勢いに押されて彼女を支えきれずに尻餅をついてしまう。正直、尻がかなり痛い。しかし、ふふふと楽しそうに笑い声を上げ、首もとにぎゅっとしがみついてくる彼女に喉元まで出かかっていた文句がひっこんでしまう。
何も言わず、彼女の腰に回した手に一度力を入れる。細い腰。思い切り力を入れると折れそうだ、なんて馬鹿なことを考えながら力を緩めてノアの瞳を真正面に捉える。
「――俺も。楽しみにはしてた、かなり」
照れを押し隠して本音を返せば、望んだ満面の笑顔が返ってきた。
もう一度抱き締めたいのを我慢して上に乗る彼女に下りるよう促すため、口を開いた。
────
階下に下りると、ミナト――孤児だったヴァンを引き取った彼の養母―がニコニコと普段より数倍増しの笑顔を浮かべて待ち構えていた。
「おはよう、ヴァンくん。お姫様に起こしてもらったの?」
「……その前から起きてた」
からかいの色の混じるその言葉にげんなりしながらも、事実なのでそのままを伝える。
「そう。楽しみにしていたものね」
しみじみとそれでいて、嬉しそうなその声音にヴァンは意外だと思う。
その言葉は想像通りだが、ニュアンスが違う。もっとからかわれるかと思っていた。
「……嬉しそう?」
俺の陰に隠れるノアが顔を出し、ぽつりと呟くとミナトさんはその言葉に反応して笑みを一層深くした。
「ヴァンくんがね、今日のお手伝い休みたいって自分から言ってきたの。自分のしたいこと言ってくれたの初めてだから嬉しくって。元々お店は休みなんだけど」
「あー……」
ヴァンは渋面を浮かべ、その反面ノアは心なしか嬉しそうだ。
ミナトはこの家の一階を喫茶店として軽食や珈琲を提供している。ヴァンはそこの手伝いをして小遣いももらっている。ミナトはそんなことをしなくても駄賃を渡すつもりではいるのだが、ヴァンの望むようにさせている。
「最近、凄く沈んでいたんだけと、昨日はずっとそわそわしていてね」
不意をつかれ、一瞬息が止まる。
無表情に努めていたが、にんまりと笑みをこちらに向けられ「ね?」と首をかしげられると流石に照れ臭い。頬が赤く染まるのを実感し思わず顔を反らす。
「い、行ってきますっ」
「あ、待って待って」
いたたまれなくなって、ノアの手を掴み部屋を飛び出そうとしたが、反対側の手首をつかまれ引き留められ、何かを渡された。
それはバスケットで、中を覗いてみるとピンクと白の可愛らしい花柄の布に包まれた大きな塊。ふわりと香ばしい薫りが鼻腔をくすぐり、中身にピンとくる。
ばっと顔を上げると、ミナトがふふと得意気に微笑んでいた。
「これっ」
「サンドイッチ。ヴァンくんの好きなもの挟んでるから、朝ごはんとして食べて」
「ありが……」
素直に礼を口にしようとして現在の時刻を思いだし止まる。いつ作ったんだ、いつ。
最近、ミナトは体調が優れないことが多い。そんな状態で……、問い詰めようとするヴァンを遮ってミナトは先に口を開いた。
「大丈夫よ。殆ど昨日作りおきしていたの。お昼ご飯にしてもらおうかなと思ってたんだけど。何処か気持ちのいい所で朝ごはんとして食べるのもいいかもしれないわ」
ヴァンの考えを読んだようにミナトさんはそう言ってふわりと微笑んだ。
じわりと胸の奥が熱くなる。
「ありがとう」
心からの感謝を伝えて、笑顔を浮かべた。
それしか伝えるすべは知らないから。
「ええ。それじゃあ、いってらっしゃい」
「行ってきます」