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ハイクとカリン

 その女の子はほほ笑んでいた。

 それは紙に描かれた白黒のデッサンで、細い鉛筆の線で詳細に女の子の表情や髪の毛、服の模様が描きこまれていた。フェノルが描いたそれは肖像画作成のための下準備のものらしいが、それにしては、描きこみが詳細すぎる気がした。

 イスに座った女の子は両手を膝の上で揃え、こちらを真っすぐ見ている。背景は鉛筆の線でグニグニと適当に色がつけられているだけだが、濃淡からからバラの生け垣か何かの前に座っているように見えた。

 きれいな女の子だ。お人形のように整った顔立ちをしている。

 こちらを見ている女の子は楽しそうに微笑んでいる。ニコニコとこの場に座っていることが、自分の絵を描いてもらっていることが、描きの手と向かい合いながら過ごすことが楽しいのだ、とばかりに微笑んでいる。楽しければ笑う、悲しければ泣く。素直な感情がそのままのでた笑顔だった。

 カリンは叔母に頼んで、フェノルから預かっていたデッサンを見せてもらった。フェノルがこんな笑顔を描けたことを、初めて知った。絵を見ているカリンも思わずつられて笑顔になってしまったくらいだから、これを描いていたフェノルも笑顔だったのかもしれない、とカリンは思った。


     ※ ※ ※


「よぉ!」

 威勢のいい小柄な男が店にやってきた。ほりが深く、太い焦げ茶色の眉をした外国人の名前はハイク=マァという。男は左手を上げ、

「久しぶりだな、カリン」と言った。

 その時カリンはコーヒー豆を大きな麻袋から小分けにするため、カウンターの上に秤を乗せ計量をしていたところだった。ドアの開いた音に顔を上げたが、入ってきたのがハイクだと知ると顔をしかめ、すぐ下を向いてしまった。

「久しぶり。ハイク」

 と返事をしたが、一応という感じで計量の手を止めることはなかった。

「なんだよ、ずいぶん冷たいじゃないか。店に来なかったこと怒ってるのか」

「別に」

 ハイクはズカズカと店内に入ると、カウンターのイスにどっしりと腰かけた。カリンの手元を覗き込みつつ、端に除けられていた菓子箱に手を伸ばした。

「コーヒーくれよ」

「はいはい」

 遠慮のないハイクの言葉に、カリンは仕方なく手を止めコーヒーの準備をした。


 ハイク=マァも画家だった。フェノルと同じように叔母に作品を気に入られ、援助を受けていた。一年ほど前だろうか。彼の絵を気に入った小説家がいて、その本の挿絵を担当することになった。その挿絵の仕事をきっかけにハイクの絵は世間の注目を集め、今では売れっ子の一人になっている。

 明るい色彩に、東洋の影響を受けた大胆なデフォルメを特徴とするハイクの絵は、既存の画家とは一線を画していると思う。面白い絵だと思うけれど、カリンはハイクのことを快く思っていない。売れ出したとたん店に寄りつかなくなり、真面目に絵に取り組みなさい、と言った叔母を遠ざけるている彼のことが、どうしても好きになれなかった。叔母は仕方がないわね、と気にしていないようだけれど。

「そういや、ミーナが来たんだってな。大変だったろう」

 勝手にお茶菓子に手をつけながら、ハイクは言った。

「誰から聞いたの?」

 振り返り、カリンは尋ねた。ミーナがこの店に来たことをカリンは誰にもしゃべっていない。叔母もしゃべってはいないはずだ。

「本人から」

「なんでハイクとミーナが知り合いなの?」

「なんでって、俺がミーナにフェノルを紹介したんだ。当たり前だろ」

「へぇ」

「まあアイツがフェノルに熱上げてるのは誰でも知ってるからな。気にするな。猫に引っかかったようなもんだ」

 カリンはコーヒーを淹れて、ハイクの前に置いた。自分でいれてと砂糖とミルクの入った壺も一緒に。ハイクは砂糖を多めに、ミルクを少しいれてからコーヒーを飲み、

「上達したじゃないか」

とからかうように笑った。

「ありがと」

 そっけなく返事をすると、カリンはまた計量に戻った。

「ところでお前の叔母さんは?」

「常連さんと出掛けてる。戻る時間は分からない」

「なんだ。金を借りようと思ってたのに」

 カリンは秤に豆を乗せる手を止めた。苦虫をつぶしたような顔でハイクを見る。

「売れてお金持ちになったんでしょ? 噂で聞いているよ、ハイクの豪遊ぶりは」

「はははは。みんな使っちまった」

 あっけらかんと笑うハイクに、カリンは呆れるしかない。

「一週間もすれば、前の仕事の金がはいるんだ。ただ、その間の金がなくてな」

「どうせ、見栄張って人におごったりしてたんでしょう」

「その通り」

「もう。真面目に仕事してるの? 叔母さんも心配してたよ。遊んでばかりで、腕が落ちてなければいいけどって」

「何いってるんだよ。酒と女は俺の燃料だぜ」

 どうしてこんな見栄張りとフェノルが親友なんだろう、とカリンは思った。報酬がよければどんな内容の絵だって引き受け、そのお金で高いものを買って人に見せびらかせたり、後先考えずおごったりするハイクと、自らの画風を追求するため自分に合わない依頼は決して受けず、食費さえ画材代に回してしまうフェノルは、本当に正反対だ。それなのに、お互い最も親交があるというのだから、よく分からない。

「な、貸してくれよ。そんな大金はいらないから」

「ダメ。どうしてもっていうなら、叔母さんに直接言って」

「つれねぇな。あーあぁ。みんな冷てぇな。フェノルも肖像画の依頼に掛かりっきりとかで、全然、遊ばないしよ」

 不満げな顔でハイクはコーヒーをかき回していたが、ふと顔をあげカウンターの奥を見た。そこには叔母から借りたフェノルのデッサンがあった。

「それ」

「何」

「貸せ」

 ハイクは顎でデッサンを指した。

「顎で指さないで」

「いいから貸せって」

 ハイクの態度が不快でカリンはデッサンを渡すことを渋った。イライラしだしたハイクは立ち上がるとカウンターの中に入ってきて、デッサンを手に取った。

「これが、例の肖像画のお嬢さんか?」

「そうだけど、返してよ」

 ジッとデッサンを観ていたハイクの表情がどんどん渋いものになっていく。眉間にしわを寄せて「はっ」と鼻で笑った。

「真面目に、って例えばこういうことを言うのか? カリン」

「そうよ」

「つまんねぇな。まさかとは思ってたけどよ」

「どういう意味?」

 カリンの質問に、ハイクはバカにしたようにカリンを見た。

「これを見てなんとも思わないのか? お前だってフェノルの絵は結構見てるだろ?」

「きれいな女の子だなって思うけど」

「叔母さんに言っといてくれ。俺の心配よりも、フェノルの心配をしろってな」

「だから、どういう意味なの?!」

 ハイクの挑発するような態度が癇に障って、カリンは思わず怒鳴っていた。しかしハイクの態度は変わらない。右手で紙を持ち、ペラペラと揺らす。

「叫びの無くなった画家は、死んだも同然ってことだ。友よ。いつからお前はこんな絵を描くようになっちまったんだ」

 芝居じみた仕草でハイクは天井を仰いだ。そしてデッサンをカリンに押しつけ、席に戻る。カップに残ったコーヒーを飲み干すと、ハイクは「御馳走さん」とカリンの方を見ずに言った。

「こんなって、どういう意味? ねぇ」

「どういう意味、どういう意味って、自分で考えろ」

 呆れたようにハイクはカリンを見た。

 あんまりな言い方に、肺の奥で怒りがグルグルと回り、喉を塞いでしまった。カリンが二の句を継げないでいると、ハイクはふと話題を変えた。

「この店、お前が継ぐの?」

「別に。そんな話はないけど」

「もし継ぐなら、茶だけにしとけ。お前に叔母さんの真似はむりだから」

「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないの!」

「お前に絵を見る目がないから」

 カッとなって、カリンは麻袋の中のコーヒー豆を掴んだ。ハイクに向かって投げつける。

 豆はハイクにぶつかり、バラバラと落ちた。

 ハイクは冷めた目でカリンを一瞥すると、そのまま店を出て行った。




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