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アレクサンドルと朱い魚

 レコードから流れているのはベアトリスに勧められたシャンソンだった。甘い歌声に合わせ「窓の下の貴方 私を見上げてちょうだい」と歌詞を口ずさみながら、カリンはコーヒーの準備をしていた。

 トレイに載せたカップとポットを、フェノルの前に置く。お茶菓子はフェノルが固辞するので始めから出さない。自分の分のカップをフェノルの反対側に置き、イスに座った。テーブルの真ん中には角砂糖が入った小さなガラスの容器がある。二つ取り出して、カリンは自分のコーヒーに入れた。フェノルにも「いくつ入れる?」と尋ねたが「いらない」と言われた。

「いつも思うんだけど、苦くて飲めないでしょ? 砂糖とミルク入れなきゃ」

「別に。平気」

 フェノルはチビチビとカップに口をつけた。その様子を見ながら、カリンは自分のコーヒーにミルクを注いだ。

「今日のコーヒーは上手に淹れられたと思うんだけど」

「あぁ、美味しいよ」

 そういう割にはフェノルの表情はいつもと変わらず、チビチビとすするだけだ。作りがいがない、と理不尽に怒りそうになるがこらえる。

 叔母が言うには『フェノルは何を食べてもこんなもん』なのだそうだ。最近はあまり気にしなくなったが、初めてフェノルにコーヒーを淹れたときはその不味そうな飲み方に落ちこみ、泣きそうになったものだった。

 確かに、確かに、フェノルは叔母に絵を買ってもらうためにこの店に来るのであって、コーヒーを飲むことは目的に入っていない。期待を押しつけるほうが間違っているんだろう。でも。

 フェノルの来店は、とても嬉しい。嬉しくて、舞い上がってしまう。舞い上がりながらお茶の用意をして、でもフェノルのその飲み方に落ちこむ。自分はお茶の専門家ではなく単なる手伝いの針子なのだから、他のお客さんに不味いと言われようがあまり気にしなかった。でも、フェノルの態度だけは気になってしかたがなかった。わざとやっているわけではないと分かっていても、フェノルの飲み方は悲しい。

 何か話題はないかな、とカリンが頭を巡らせていたとき、突然ドアに取り付けられているベルが鳴った。ガランガランッと、甘いシャンソンをかき消すような大きな音をたてて。

 カリンとフェノルは驚いてドアの方を見た。ドアから身体を覗かせていたのは、背の高い金髪の偉丈夫だ。

「よう! カリン! お前の叔母さんはいるか?」

 立派な肩幅をした男は、その外見に似合う大声をだした。わざわざ叫んでいるわけではなく、これが彼の地声なのである。

「アレク!」

 カリンは立ち上がり、男の名前を呼んだ。

 金髪の男の名前はアレクサンドル。叔母の古い友人で、この店の常連だ。

「珍しいもんをもってきたんだがよ。いないのか?」

 そう言ってアレクサンドルは古ぼけたトランクを掲げて見せた。

 彼はカリンが生まれる前からこの店に出入りしている男で、叔母とはそうとう古い付き合いらしい。カリンもこの店には小さな頃から遊びに来ていたので、アレクサンドルとはお互い顔見知りだった。彼はちょくちょく外国に出かけては珍しい茶器や茶葉を土産に持ってくるので、カリンは彼のことをずっと貿易商人か何かだと思っていた。しかしそうではないのだという。外国に行くのはあくまで旅。珍しい品々も単なる土産。彼が普段どこで暮らし、どうやって生計をたてているのかは全く分からなかった。

 ここ何カ月か姿を見せていなかったので、またどこか旅に出ていたようだ。旅装束のまま来たらしく、コートは垢じみていて、靴も泥まみれだった。

 靴の泥も落とさず店内に入ってきたアレクサンドルにカリンは顔をしかめたが、彼は気にしたふうもない。ドア正面のカウンターの上に、トランクを置いた。カウンターの奥にある倉庫兼住居の出入り口に向かって「おーい」と大声で呼びかける。

「出掛けてるよ。夕方には戻ると思うけど」

「そうか。相変わらず家にいねぇな、アイツは」

 汚れが染みついた帽子の上から乱暴に頭をかき、アレクサンドルは呟いた。カリンの方に向き直り、そして来客用のテーブルに座ったフェノルに気付いたようだった。帽子をとり、会釈する。フェノルも戸惑ったように会釈を返した。

「お客さんの邪魔をしちゃ悪いな。また夜来るわ。叔母さんに伝えといてくれ」

 そしてそのまま踵を返し、出て行こうとする。

「ちょっと、その荷物は?」

「また持ってくるの、面倒だからな。置いといてくれ」

 またな、と手を振り出ていってしまった。

「まったくもう」

 傍若無人なアレクサンドルの態度にムッとしながら、カリンはイスに座った。ふとフェノルの反応が気になって、顔を窺う。フェノルはびっくりした表情のまま、ドアの方を見ていた。

「ごめんねフェノル。びっくりしたでしょ? 汚いヤツでさ」

「いや。彼もお客さん?」

「ううん。アレクは叔母さんの知り合いだよ。よく変なものを持ってくるの」

 カリンは店内を見渡した。

「店内に飾ってある変なものは、大抵アレクのお土産か、叔母さんが蚤の市で買ってきたものなんだ」

 木箱の一件が片付いてから一カ月。きれいに片付いていた店内は、以前の混沌とした様子に戻っていた。

 店内の基本的な内装は、叔母の趣味でジャポニスムで固められていた。茶葉を入れる陶器の壺に、茶器を仕舞っている漆器の棚、青磁の飾り皿に、白磁の人形、壁の目立つ所にはキモノとかいう東洋の服が飾られ、その周りにはたくさんの浮世絵が貼り付けられている。それだけだったら、まだ店内は統一感があるのだが、叔母は物を片付けることが苦手で、必要なものと不要なものの区別をつけることができない人だった。

 カウンターの上や漆器の棚の上には本や空の小箱が山積みだし、そのうち修理にだすと言っていた掛け時計は何年も同じ壁にかけっぱなしだ。出窓には古びてシミのついたトルソーが漫然と置かれていて、その上にはいつかぶるのかも分からない大きな羽飾りのついた帽子が三つも四つも重ねられている。部屋の隅にはペルシャ絨毯が丸められて放置されているし、外に出しっぱなしの望遠鏡はレンズが曇っていた。細かいアクセサリーやコインなどは数えだしたらきりがない。この品々に混じって、壁にはフェノルたち前衛画家の作品が飾られているのだ。初めて来た人などこの店が一体何の店だか分からず、帰ってしまう人もいる。ただ、カリンからすると邪魔にしか思えない品々だが、それなりに高価なものも多いらしい。特に東洋のものは、さすがキサラ市場の店主は目が肥えている、と絶賛するお客さんも中にはいる。

 そして、このうちの何割かは、アレクサンドルが持ち込んだものなのだそうだ。

 カリンの説明にフェノルは「へぇ」と感心したような声をだした。

「いつも思うけど、あの人の知り合いは変わった人が多いな。飽きないだろう」

「まぁね。私もそう思う。でも私からすれば、フェノルも叔母さんの知り合いなんだよ」

 この程度の皮肉は許されるだろう、とカリンはすっかり冷たくなってしまったコーヒーをスプーンでかき混ぜなかがら言った。フェノルは首を傾げ、しばらく考えたあと「あぁ」と頷いた。

「そうだね。僕も変わっている。そうだね」

 他人事のように、フェノルは言った。


     ※ ※ ※


 その日の夕方、もう一度アレクサンドルが店に現れた。今度は髪を整え、白い麻のシャツにブラウンのジャケットに赤いハンカチーフをさした、小ざっぱりとした格好だった。昼間の服装が山中の猟師なら、こちらは都会人として及第点をあげられる。ただ、女物の香水をプンプンさせているのには閉口するが。

 花束を持って現れたアレクサンドルを見て、カリンはいつも思うことを、今日も思った。きちんとした服装をすればアレクサンドルだってそれなりにかっこいいのに。フェノルには及ばないまでも。

 叔母は今、住居兼倉庫の奥にいる。蚤の市で手に入れたアンティークの銀食器をアレクサンドルに見せるのだ、と言っていたがどこに仕舞ったのか分からなくなってしまったらしい。探し物の下手な叔母のことだから、当分は見つからないに違いない。

アレクサンドルはズカズカとキッチンに上がり込み、赤ワインをもちだしてきた。勝手に栓を開け、飲みだす。カリンにも勧めてくるので、有り難く頂戴することにした。

「ちったぁ、味が分かるようになったか」

 夕日にワインをすかしながら、アレクサンドルが言う。

「家で飲むのよりは、美味しい」

「当たり前だ。猫目の選ぶワインに外れはねぇよ」

 アレクサンドルは叔母のことを猫目の、と呼ぶ。どんな由来のあだ名なのか叔母やアレクサンドルに尋ねてみたことがあるが、はっきりしたことは教えてくれなかった。

「そう言えば昼間いた銀髪は誰だ? 猫目の男か」

「ち、違うよ! 何いってんの!」 

「なんだ。じゃぁ、お前の男か」

「違う! 何言ってんのエロオヤジ! フェノルは画家だよ。叔母さんが絵を買ってるの!」

 カリンは店の奥の壁を指さした。そこには一カ月前、フェノルが持ってきた絵が飾られている。夜のカフェを描いたあの絵だ。

「そうか、そうか。オジさんは安心したぜ。あんなのが友人の大切な姪の恋人じゃ、安心して酒も飲めねぇもんな」

 そう言って、グイッとワインをあおった。

 カリンは思わずアレクサンドルを睨むが、アレクサンドルは気にした風もない。

「顔がいいのは認めるけどよ。顔だけで男を選ぶなよ? 作り物みたいな顔をして生気がないったら。いいか、選ぶなら俺みたいに男らしくて強いヤツじゃないとな!」

「はいはい」

 ムッとしたまま、カリンはアレクサンドルの手からワインボトルを奪った。自分のグラスに乱暴に注いで、一気に飲む。気管に入ってむせてしまった。

「ま、若いうちに恋愛は大いにするべきだけどな! 泣く恋もあれば、傷を負う愛もある。俺の物語を聞くか? 涙なしには聞けないぞ」

「興味ありません」

 カリンはそっぽを向いて、反抗の意を示した。アレクサンドルは言いすぎたか、と苦笑いをして、話題を変えた。

「いいもんを見せてやろう」

 アレクサンドルは立ち上がると、カウンターの上に載せられたままになっていたトランクを持ってきた。トランクの表面には長い旅を続けてきた証しか細かな傷がたくさんついていた。

「これはな、南の大陸で見つけた掘り出し物だ。元々は東洋のどこかで作られたものだと思うんだが」

 アレクサンドルがトランクの蓋をあけた。

 トランクの中に入っていたのは、朱い魚のはく製だった。

 そっぽを向いていたカリンはその魚の美しさに思わず向き直っていた。

 尾びれが長い、優雅な魚だった。一枚一枚の鱗のふちがが西日を浴びて金色に光っている。水の中に戻してやれば、今にも泳ぎだしそうな、そんな艶やかさを持っていた。

「きれい」

 イスから立ち上がり、カリンは身を乗り出して魚に魅入っていた。

 アレクサンドルはそっと丁寧に魚が取り付けられた台座をもち、トランクから出した。

「見てみな」

 魚をテーブルの上に置いたアレクは、そっと尾びれや背びれの付け根を指さした。

「ここに接着の跡がある」

「え?」

 カリンは目をこらして、アレクサンドルの指す部分を見つめた。魚に顔を近づけ、ひれと胴体の間を観察するが、何の跡も見えなかった。

「本当に微かな跡で、うまく隠してあるがな。このひれは多分、職人が魚のひれに似せて作ったものだ。ひれだけじゃない。鱗も一枚一枚、貼り付けてある」

 ジッと鱗を見つめた。鱗は透き通った朱色をしていて、ふちの方にいけばいくほど薄くなり、扇状のふちで光を反射し金色に見えた。弧を描いた長い尾びれ、ピンと張った胸びれ、リンと立った背びれ、つぶらな目に、輝く鱗。魚は人が思う”きれいな魚”の形そのものをしていた。

「じゃぁ、これは偽物なの?」

 きれいな魚だ、と思っていたカリンは、人の手で造られたというアレクサンドルの言葉にショックを受けた。そう言われてしまえば、確かにこのきれいさは完璧すぎて、逆に不自然にも思える。

「生きていた魚そのままじゃ、ないな。ただ偽物ってものも違う。これは良い素材を吟味し、丁寧に加工して作った芸術品だ」

 そしてアレクサンドルは「どうだ」と胸を張った。

「素晴らしいだろう。二つとない名品だぞ。これは」

 芸術、とカリンは呟いた。

 芸術って、なんだろう。本物の魚のはく製だと思って感動していたカリンは、これが加工して作られたものだと知って、何かに裏切られた気分になった。しかしアレクサンドルに”芸術品”と言われると、素晴らしいもののようにも思えてくる。ただ、この魚が自然なものでなかったことが、残念で仕方がなかった。




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