4.命令—Command—
少し間が空きました。
権力者という奴らはどうにも高いところが好きらしい。涼は常々そう思う。
一般的に考えてみれば高層ビルの最上階に部屋を置くメリットは無い。災害やらなんやらが起きたときには最下層の人間の方が避難しやすく、また逃げやすい。通勤の時はエレベーターに長い時間入っていなければいけないし、直ぐに外へ出られないと言うデメリットまである。
最上階に居るメリットなど、俯瞰から街を見下ろして優越感に浸る高い所好きなバカ以外には無いのだ。
にも関わらず、TSO日本支部の職員たちは皆「局長?ああ、最上階の部屋ですよ」と口を揃えて答えてくる。世界はバカで満ち足りているというのだろうか。涼の心の中で新たな疑問が生まれた瞬間だった。
体への重力がまるで半分になったかのような浮遊感が身を包み込む。本部の時にもそうだったが、余りにもこの感覚が長く続くと妙に落ち着かなくなってしまうのは人として当然のことなのだろうか。それとも慣れていないからなのだろうか。
再び思考に耽りそうになったとき、唐突に「チン」と音を鳴らしてエレベーターのドアが開いた。橘が先にくぐり抜け、涼もその後を追う。
ふと、足下の感触が変わったことに気が付いた。
今まではタイル特有のカツカツとした済んだ貝殻が鳴ったような音が一定の音程で聞こえていて心地良かったのに、急に高級そうな絨毯に様相を変えたのである。
金の無駄遣い、と内心で毒吐きながら柔らかい絨毯の上をズカズカと歩いていく。幸い、そう歩かない内に目当ての部屋へと行き着いた。
「やっとか……」と、溜息混じりに呟いた涼はしかし、扉をノックしようとする橘の手を掴んで止めた。
「どうしたんですか?」
心底不思議そうに首を傾げる橘には答えず、涼は徐に足を上げ──。
「よっ!」
そんな軽い掛け声と共に──ドアを蹴り破った。
「ちょっ──」
半ば悲鳴のような声が上がったその直後、まるで測ったようなタイミングでナニカが飛び出してきた。
それを見た瞬間、橘が引き攣った笑みを浮かべたのがわかる。
──ギラリとした燐光を放つ、小ぶりのナイフを。
殺傷力しか考えられていないような無骨なデザイン。それがざっと七、八本、曲芸師もかくやと言うようなスピードで飛んできたのだ。
気分は大方貼り付け処刑。今更ながら橘は、涼が何故自分を止めたのか理解した。
そんな現実逃避的な考えを他所に、数多のナイフは獲物を串刺しにしようと飛来する。最早運命は変えられないのかと悲鳴を上げる橘とは対象的に、“彼”は一言だけ呟いた。
「──〝爆破〟」
刹那、涼の鼻先数センチで小規模の爆発が起こった。
小規模とは言え爆発は爆発。爆風が荒れ狂い、標的に直進していたナイフは有らぬ方向へと飛ばされた。
絨毯からは焦げた匂いが立ち込め、所々壁が吹き飛んでいる。
だが、不思議なことに涼には怪我や火傷を負った様子は無く、橘にも熱風すら届くことは無かった。
呆然と惨事を見守っていた橘。涼から何か言葉は無く、代わりに部屋の奥から笑い声が漏れた。
「ははは!こんな派手な登場してきたもんは初めてやわー。ドアぶち破るんなんて予想外やったし」
「……どの口が言ってるんですか、どの口が。ご丁寧に火災警報器まで切って」
不機嫌丸出しの声音で涼がそう返す。
その姿が何処か新鮮で、再び橘は呆然とした。
親近感の湧くような関西弁とも何とも言い難いその人物は涼の対面、もっと言えば来客用のソファの上で悠然とコーヒーを嗜んでいた。
足を組んで微笑みながらカップを傾ける姿は貴公子然としていて、涼とは違った方向の美青年に見える。
染めているのかそうでないのか定かでは無いがその頭髪は銀色で、前髪の隙間から覗く優しげな瞳は女性を魅了してやまない。そう思えは先程の関西弁(?)もフレンドリーな感じで人当たりが良さそうだ。
そんなアンバランスとの境目に位置するミステリアスな青年。
「取り敢えず、久しぶりやね涼くん」
「……こちらこそ、お久しぶりです黒雨さん」
──黒雨 真二。
彼こそが日本支部のトップ、そしてTSO序列3位の名前だった。
「で、要件はなんです?」
「そう急かさんといてーな。今コーヒー入れるわ」
黒雨は未だ不機嫌な涼にニッコリ微笑むと、棚からカップを二つに出した。
それを手持ち無沙汰に見守り、彼の背中を見ながら涼は尋ねた。
「結局、24人目は見つかったんですか?」
「いや、まだやね。“僕ら”も探してはいるんやけどなかなか出てきてくれん。……というか知らんかったん?」
「まあ、最近は色々ありましたから」
「色々ねー」と、そこに含まれた意味を察してか、それ以上の会話は無かった。別に居心地が悪いわけでは無いし、涼自身も気にしていない。橘は挙動不審で隣に座っているが。
そして、目の前にコーヒーカップが置かれる。
芳醇な香りが鼻腔を擽り、更に置かれたショートケーキが食欲を煽る。
カップに口を付ければほんの少しの苦味とスッキリとした後味に思わず「ほお」と息を吐いた。
続いてショートケーキにフォークわ通す。ふわりとしたスポンジが舌で溶け、程よい甘さが口一杯に広がる。
──美味い。美味いのだが。
僅かに眉間に皺が酔ったことに黒雨は目ざとく気がついた。
「ん?口に合わんかった?」
「いえ、美味いです。……でも橘さんが作っているお菓子ばかり食べているので」
歯切れ悪くそう言うと、隣で橘がビクリと体を震わせる。
涼の話を聞いた貴公子は、驚いたように元部下を見た。
「彼女、そんなに上手なん?これこの近くで売っとうかなり有名な店で作らせたんやけど」
「ええ、俺は彼女の菓子より美味い物を食ったことはありません」
「そ、そんな……」
自分に話を振られるとは思っていなかったのか、それとも言われて恥ずかしかったのか。顔を赤くしていることから後者だと予測される。橘は若干顔を俯けて恥ずかしそうにモジモジし始めた。
「そりゃいつか食べてみたいわー。今度来るときお願いしてもええ?」
「え、ええ構いませんが……」
そう言いながらも視線は有らぬ方向へと向けられ、その子供っぽい仕草が逆に可愛らしい。
若いとは行っても涼よりは年上なのだが、涼自身素直にそう思った。
「さて、そろそろ本題に入ろか」
そんな黒雨の言葉で、和やかだった空気が再び引き締められた。
若干張り詰めた空気に、しかしそうさせた本人は「そんな身構えんでもええって」と気が抜けるほどのんびりした声で言った。
「先に言っとくけど、今回涼くんはここに配属されたわけやけど、それはあくまで一時的なもんや。暫定的、って言えばいいんかな?正式にここに配属されたんと違うんよー」
「どういう意味ですか?」
涼の疑問に、黒雨は含み笑いを浮かべただけで続ける。
「やからな、涼くんは別にずっとここにいる必要は無いんよ。よっぽどのことが無い限り──天使や神が日本来たとき以外は基本何もせんでええね」
「つまり、基本働かなくていい、自由に過ごしていい、ってことですか」
怪訝な表情で尋ねる涼に、「ちゃうちゃう」と間延びした声で否定する。
「自由、って言うのと少しちゃう。ちゃんと涼くんには他にやってもらわなあかんとこがあるんよ」
ますます意味がわからなくなってきたとばかりに眉間を抑える。隣の橘も似たような物だ。
それが可笑しいのか、黒雨はカラカラと笑う。
「そうやなー、やってもらうと言うより“行ってもらう”って言った方がいいんかなー」
そこで、ようやく涼にも目の前の貴公子が何を言いたいのかだいたい予想がついた。
ただ、それは当たって欲しく無い予想である。
一瞬、涼を見ていた黒雨の口元がまるで悪戯に成功した子供のように吊り上がった。そして、あからさまの話題転換。
「ところで、今僕は教育面を充実しようとしてるんよ。テイカーたちの戦力底上げって言うよりも半分は僕の趣味みたいなもんやけど。それで、前まで高校まで一校ずつやった教育施設も三つずつに増やしてん。ところがなんと、不思議なことに第一高校の二年生がたまたま一人枠が空いてることに気づいたんよ」
──嫌な予測とは当たる物だと、涼は心の底から痛感した。
「いやー、偶然に偶然が積み重なることってあるんやねー。あ、因みにロバートのおっちゃんには許可ももろーたで。家もその近くに用意させたりー」
ちっ、と小さく舌打ちをする。
話は徐々に涼の不味い方向へと纏まって行く。
背中きらダラダラと嫌な汗が流れ、対象的に黒雨の笑みは深まるばかり。隣では橘が「御愁傷様です」と黙祷を捧げてきた。正直、冗談では無い。
そして、とうとう判決は下された。
「まあ、友達出来ひんかったら相談のるで。てなわけで最初の僕から君への命令は、TSO日本支部教育施設東地区、“第一高等学校”への編入ということで」
この時、涼には目の前の貴公子の微笑みが悪魔の嘲笑にしか見えなくなってしまった。