3.到着—Arrival—
一人称だと書き辛かったので三人称にして見ました。
上を見上げれば真っ赤に染まった夕焼け空。もうそろそろ夜の帷が降り始め、辺りを闇へと包み込むだろうそんな時間。
涼と橘は空港から出て直ぐの所で突っ立っていた。
少し遠くに見える交差点では、信号が青に変わったのか人が入れ替わるように流れていく。喧騒がここまで届いてくる。
何を話すでも無く、涼はただ仏頂面で空を見上げる。
久しぶりに見るはずの日本の空は、そんな筈がないのに薄汚れて見えた。
それがまた、涼の内心を苛立たせる。
「……橘さん、なんでこんなことになったんでしょう?」
何が、とは言わない。涼自身も特に何に対して言った言葉なのかわからないのだから。
橘もそれがわかっているからこそ、何も言わずに首を振っただけだった。
人の流れが止まり、今度は車がすれ違う。
涼は日本と言う故郷が大嫌いだ。
風土とかそう言うのがでは無く、ただ嫌いなのである。
それが理由でアメリカまで渡ったと言うのにこんな形で戻ってくる羽目になるとは、涼自身も予想していなかった。
そんな鬱な考えを冷やすかのように、風が頬を撫でた。
日本では季節は春。
大分暖かいとは言え、夕方になれば気温も冷え込む。ぶるっと背筋を震わせて涼は着ていたロングコートのフードを被った。そうすれば、極力風景を見なくて済む。
それから五分ほど経った頃だろうか。涼たちの目の前に一台の黒い車が止まった。運転席から中年らしき男が出てくる。
男は二人の前に経つと硬い表情で敬礼した。
「お待たせして申し訳ありません。TSO日本支部より参りました田中 隼人と申します。どうぞお乗りください」
そう言って恭しく車のドアを開けた男を一瞥もせず涼は乗り込み、橘は軽く一礼してそれに続いた。
車の中はそこそこ広かった。
ゆったりと腰をかけて窓の外を見る。
もうすでに陽は沈みかけていた。
──ああ、帰ってきたんだな。
何故だか今更ながらにそう実感する。
落ちる夕陽は、まるで涼を歓迎しているかのようにひょっこり顔をだしてはこちらを見ているみたいだ。
それが何処か懐かしく、同時に腹立たしい。
男が車を出すと涼はフードを目深に被り、ポケットから音楽機器を取り出して暫し自分の世界に潜って行った。
††††††
TSOは世界各地にその支部を持っている。
理由は簡単。いつ何処で天使、若しくは神がやってくるかわからないからだ。
天使たちは“門”と呼ばれる次元の歪のような場所からやって来る。それはさながら蟻のように、来る時は一万や二万などの大軍でくる程だ。
それなのにTSOがその地区に無かったならば意味が無い。駆けつけたときには遅かったではダメなのだ。よって、支部と言う形で全世界各地の守護を行っている。
その一つが、日本。
とは言っても、実質日本に天使や神が現れたことはほとんどない。
あるとしても“神降”から十二年間で二、三度と言ったところだ。実質被害もあまりない。
だから、TSO序列第一位の雅志涼がこの地に訪れることは些か場違いではあった。
そんな日本支部の一階エントランス、涼と橘は大変視線を集めていた。少なくとも、通りがかると誰もが足を止めて通り過ぎるのを半ば呆然と見送るくらいには。
二人とも類稀な容姿を持っているとは言え、それを抜きにしても二人の認知度は高い。
涼も涼だが彼の隣に立つ橘は、普段の彼女の上司に対しての反応は挙動不審なところも多いが、TSO日本支部内でもトップの実力で本部に引き抜かれた秀才でもある。
ここには彼女を知る者も多い筈だからなおのこと注目を集めているのだろう。
通りすがる度に羨望や憧れの視線を一身に受け、二人は進むべき道を進む。後ろ姿は堂々としたもので、誰が見ていようと構わないと語っているかのよう。。
だが、そんな視線も好奇のものだけとは限らなかった。
一人の男が近くに居た同僚に声をかける。
『──おい、あれって……』
『ああ、序列一位だ』
『確か今怪我してて“神技”も碌に使えないんじゃなかったか?』
『マジかよ!なんでそんなのがまだ序列一位に……』
ヒソヒソと、隠しているのかいないのかよくわからない音量で成される会話は、彼らが意識していなくても涼たちの耳に届いていた。
なまじ二人とも高位の保因者である。五感は常人より遥かに発達しており、後百メートル以上距離があっても聴き取れる自信があった。
涼の隣で、シャレにならない殺気が膨れ上がる。
「……涼さん、始末しましょうか?」
冗談でも何でもないと言うことは橘の目を見れば一目瞭然。瞳に光は無く、左手には何処から持ち出したのかサバイバルナイフが握られていた。
それをチラリと横目で見て、涼は嘆息する。
「やめといて上げましょう。これからしばらく日本にいるんですし、ここには貴女の知り合いもいるでしょう?余計な問題は起こさないに限ります」
「涼さんがそう言うなら……」
渋々と……本当に残念そうにサバイバルナイフを納める橘。その表情を見れば、涼が止めなければ本当に何人かは殺っていたかもしれない。
足早にエントランスを通り過ぎ、エレベーターを待つ。チン、という音を鳴らして扉が開いた時、涼は人知れず呟いた。
「──ああ、だから日本は嫌いなんだ」