真実のない生というのはあり得ない。 真実とはたぶん、生そのもののことだろう。
創絡6年1月3日
年が明けて、山姫の戴冠も済んだ。新王国の新首都はノツォーという海沿いの南国リゾート地になった。VMRは連邦王国となって、アルカードの北VMRと、山姫の国は南VMRになった。
人員は、希望者が山姫についていく、という形になった。勿論ほとんどの山姫の一族が山姫について行ったわけだが、何人かはこの国に残る者もあった。
この国に来てから結婚した者や、今の仕事が気に入って離れたくないと言う者がいて、代わりと言っては何だが、ヴァンパイア一族からも山姫についていく者があった。
勿論コイツだ。
「山姫さん、俺も一緒に行っていいですか?」
諦めの悪い純情男、オリバー。
山姫がまだアルカードをちゃんと諦めきれていなかったことは、先日の騒動で白日の下に晒してしまったわけだが、アンジェロがオリバーに
「アタックするなら今がチャンスだ! 絶対押せ! 押して、押し倒せ!」
と、エールを送っていたので、頑張って押す気になったらしい。
オリバーのアタックを聞いて、山姫も悩む。恐らくそう言ってくるだろうと思っていたから、オリバーのポジションを考えているのだ。
山姫の返事を、期待と不安をいり混ぜたような瞳で待つオリバーに、やっと山姫が顔を上げた。そして、オリバーではなくアルカードに向く。
「そうねぇ、じゃぁ、友好国の証と言うのはどうかしら」
それを聞いて、アルカードは笑った。
「あぁ、勿論だ。となると、こちら側の仕事か」
腰かけていたアルカードは立ち上がり、オリバーの前まで来ると肩に手を置いて、ぐっと力任せに下に押し付けた。
それでオリバーが戸惑いながら床に膝をつくと、アルカードも隣に膝をつく。そして、目の前の山姫に礼を取った。
「澪標女王陛下、友好の証に、オリバー・スプリンガーをそなたの婿に差し出そう」
それに誰よりも驚いたのはオリバー本人で、目をひん剥いてアルカードを見ている。礼を取っていたアルカードはそれに気づいて、ぐいと頭を押し付けて礼を取らせる。
それを見て山姫はクスクス笑って、「喜んで」と返事をしたものだから、やっぱりオリバーは顔を上げた。
「え、山姫さん、本当に?」
「バカ、女王陛下だ」
「あ、澪標女王陛下・・・・・本当ですか?」
「えぇ。オリバーが政略結婚で良ければね?」
「ももも勿論です! 傍にいられたら何だっていいです!」
山姫の思い切った提案のお陰で、オリバーは山姫のお婿さんになることになった。勿論そこは政治的かつ計略的な政略結婚。ただでさえ人員が少ないヴァンパイア一族から人手をくれてやるのだから、今までの事は水に流して、相互に協力的にやっていこうということだ。
―――――ちょっと寂しい気もするけど、良かった。オリバー、もしかしてこの前の謀反の件で、余計に好きになったのかも。山姫さんでもあんな風に思い詰めたりすることがあると思って、守ってあげたいとか思っちゃったのかな。
山姫の前に跪いて、恐る恐る手の甲にキスをするのを見て、何となくそう思った。今は政略結婚でいいから、その内山姫がオリバーを好きになればみんなハッピーだと思って、みんなで二人を祝福した。
1月1日に遷都をして、王城でアルカードから山姫へ戴冠式を行った。パレードをして回った際に、国民から山姫に向かう視線が熱すぎる。
「女王様!」
「女王様ぁぁぁ!」
「美しすぎる」
「女王様の奴隷になりたい」
美しすぎる女王とか言われ出した山姫は戸惑っていた。オリバーが
「なんか、SMクラブみたい・・・・・」
と呟いて、思わず納得してしまった。なにせイギリス人以外は女王様なんか見るのは初めてだったので、馴染みがない。
南の首都ノツォーの戴冠式には、王族一家とお婿さんのオリバー、それとアンジェロと柏木がついてきた。ちなみに厚生大臣柏木は北に残る。
「織姫様、ほら、顔を上げてください」
「わぁ、ありがとうございます」
「良く似合いますよ。可愛いですね」
「えへへ」
柏木が白いハイビスカスを髪にさして笑って褒めてくれる。マーリンの所にも柏木が一緒に来てくれて、織姫のゴッドファーザーも柏木だし、4歳になるまでの間にスッカリ“じいや”的存在になってしまった。
アンジェロは25日の事はちゃんと聞いていなかったようで、諸々不思議そうにしていた。
わざわざ王族一家でやって来たのは、ミラーカが南国リゾートに遊びに行きたいと駄々をこねたせいもある。しかし、南国を南国たらしめる太陽も海も、純血種のミラーカと織姫は嫌われてしまっているので、南国だからどうした、という話だ。目で楽しむ以外にはない。
双子も行きたがったらしいが、今回は国事だからと留まらせたようだ。山姫一族がいなくなって、北もこれから戦後復興と選挙と異動で大忙しだ。王女と言う身分で、しかもまだ4歳だと言うのに、織姫にまで仕事が回ってくる始末だ。まぁ、コナン状態なので仕方がない。
パレードが終わってノツォーの王城で宴が始まった。山姫とアルカードは同等の地位となるので二人は長椅子に腰かけて、その横にそれぞれミラーカとオリバーが腰かけて、織姫はアルカードの膝に抱っこされ、後ろにはアンジェロと柏木、苧環と虎杖が控えている。
が、宴が進むとアルカードと山姫が無礼講と言いだして、背後の付き人組も宴に混ざれと言い出した。4人は渋々と言った感じで山姫の付き人の双子、昼顔と夕顔からカップを受け取って、勧められるまま床に座って宴に混ざり始めた。
しばらくして、山姫が言った。
「そういえば、織姫の転生には柏木と苧環も最初から絡んでいたのね? 柏木も第3次元について行ったでしょう? アルカード、あの時何があったの?」
「あ、私も気になっていたんです。寝てましたし」
「そうよね。何があったのよ」
アンジェロも質問に混ざってきて、アルカードは少しご機嫌で、そうだな、と言って、真相を語ることにしたようだ。
12月24日
時計の針は、もう少しで0時に差し掛かる所だった。その時にアンジェロは眠らされて、ミナは死んだ。
アルカードがサリエルの魔眼を使ってミナの体から魂を引きはがし、ミナの体は一瞬で砂塵となって瓦解したのだ。
その瞬間、翼は右手、ミケランジェロは左手をパンと併せて、それぞれ空いた手をミナに向かって突き出した。
すると、二人の手から金糸のような糸が伸びて、ミナの上でシュパッと囲いをつくり、二人が手を引くと、そのまま双子の手元に戻ってきた。
「みんな、心配しないで」
「ここまでは計画通り。気をしっかりして。僕達がなんとかするから」
アスタロトは、驚いた表情を浮かべて双子を睨みつけた。
「・・・・・なにを・・・・・一体・・・・・」
双子の掌の上には、小さな鳥籠が乗っている。金糸で織られたその鳥籠の中では、琥珀色をした球体が浮かんでいる。
「それを、渡しなさい。それは、契約している私の物です。例え願いを全部叶えていなかったとしても・・・・・」
「無理だね。悪魔の願いは聞けないよ」
「奪えるものなら奪ってみれば? この籠は僕達にしか、開封できない」
「その魔法は、あなた達の物ではないな」
「そうだよ。この魔法は妊娠のお祝いに、最強の魔術師がかけてくれた加護の魔法を、僕達が応用しただけ」
「最強の魔術師、僕達のお師匠様がかけた魔法は悪魔にも破れない。破れるのは、僕達だけ。お母さんの魂は、僕達のものだ」
マーリンがかけた魔法。双子を妊娠した時に、双子にかけた魔法。禍を退ける魔法は、双子がその魔法を理解した時に、二人の能力を融合させる魔法として進化した。
二人の魔力によって、籠の中は別空間になっている。魂を視認できるのは、その魔力に庇護されているためだ。マーリンによって“オルトロスの籠”と名付けられたその魔法により、ミナの魂はマーリンの魔力で浄化され、翼の魔法によって具現化した籠に守られ、ミケランジェロの魔法によって、ミナの体から離れてしまっても魂が存在する「確率」を保たれている。
一方で、ミナが死んだ瞬間に別の問題が同時に発生していた。
「あ、う・・・・・がはっ」
ジョヴァンニが突然血を吐いて、その場に倒れた。慌てて近くにいたルカが体を支えると、ジョヴァンニの胸は真っ赤に染め上げられて、薄墨色の軍服がじわじわと血に染められている。
「ジョヴァンニ!」
「どうした、一体何が・・・・・」
血を吐いたジョヴァンニは息も絶え絶えと言った有様で、呼吸は浅く、まるで、今にも死んでしまいそうだった。アンジェロもアルカードもそうだし、ジョヴァンニもレミも、既にミナが付けた吸血痕は消え失せている。ミナが死んでジョヴァンニは人間に戻った為、時が動き出してしまった。ミナに吸血される直前、絶命寸前だったあの状態まで。
すかさずアルカードがやってきて、ジョヴァンニを覗き込んだ。
「私が吸血鬼化する。いいな」
「ゲホッ・・・・・ハァ・・・・・はい」
ジョヴァンニはそう返事をしたものの、ミゲルがアルカードに縋った。
「でも、ジョヴァンニは非童貞なんです。ちゃんと吸血鬼化するんですか?」
「問題ない。一度吸血鬼化していた者が人間に戻っても、吸血鬼としての力は体の奥底に眠る。吸血鬼化したのはミナだ。私が吸血鬼化することに問題はない。元々は私の血筋なのだからな」
その言葉にミゲルも安心して、アルカードが首元に噛みついた。すると、最初に吸血鬼化した時と違い、ジョヴァンニはすぐに落ち着きを取り戻した。
「けほっ・・・・・ハァ、陛下、すみません」
「謝罪には及ばない。ちゃんと吸血鬼化したようだな」
「そうですか・・・・・ミナの言ってた大丈夫って、この事だったんですね」
「あぁ」短く返事をして、レミに顔を向けた。「レミ、お前もだ。お前も人間に戻った。私が吸血鬼化してやる。そうすれば、二度と人間に戻ることはない」
「はい」
そうしてレミもアルカードによって吸血鬼化された。
ジョヴァンニとレミが吸血鬼化した一方、悔しげに表情を曇らせたアスタロトだったが、ミナの砂を見つめて苦しげに瞳を伏せるアルカードに気付くと、アスタロトは表情を一変させて笑う。
「殺したことを後悔しているんですか? どうしました? 死者の蘇生なんてできませんよ? 転生させてあげても構いませんが、それならミナさんの魂を返してもらわなければ。それに、ミナさんの魂を私の物にできないのであれば、彼女の願った願いは、全てキャンセルせざるを得ませんね」
アルカードはチラリとアンジェロに視線をやって、ミナの砂を見て息を吐いて言った。
「私と契約しろ」
それを聞いて、アスタロトは心の中でほくそ笑んだ。
アスタロトは、アルカードとアンジェロと初見からずっと、魂を狙っていた。それは魂の性質にある。
魂にも性質がある。ランキングというよりも、分類だ。
アンジェロの魂の性質は「守護聖人」。
気高い思想と、他者の為に自己犠牲を厭わない精神的な強さと自戒心、それが「守護聖人」の性質で、その名の通りその性質をもつ者は聖職者としても高位であったり、本来なら化け物などになる性質のものではない。
それが神のいたずらか、化け物になっている。本来ならその気高さから、悪魔が手に入れることは難しい性質の魂であった。それが魔に堕ちて目の前に現れたら、アスタロトが欲しがらないはずがない。
アンジェロの気高さと精神力の強さの一端を担っていたのは、純愛を知らないことにあった。純愛を知らない者が強烈な愛情に溺れてしまえば、その精神を揺るがすことなど容易い、そう踏んだのが、二人を結ばせた理由の一つでもある。
そしてミナの魂も。ミナの魂は「蜂蜜」。人を惹きつけ、人に活力を与える魂。
人を愛し、人を赦し、人を救い、人を変える、運命。蜂蜜に引き寄せられた人々は、ミナの望むとおりに幸福を渇望して足掻く。
人に優しく、人に親切に、先回りして気を使い、人に喜んでもらえることが喜び。そうあろうとするミナのスタンスは、その魂によるところもある。
ミナの周りにはその「蜂蜜」に引き寄せられた人々が群がる。「黄金」や「守護聖人」でさえも。「蜂蜜」は使いようによっては良い疑似餌となるのだ。
そして何よりもアルカードの「黄金」だ。完全な物質と揶揄される黄金の名を冠した魂を持つ者は、歴史上においても善悪問わず高名な人物であることが多い。
そのカリスマ性、直観力、思慮深さ、貪欲さ、完璧ともいえる力量。
それらに勝る「黄金」の最大の価値は、先導力と扇動力。人を動かし導く力。
「黄金」「守護聖人」「蜂蜜」。どれもアスタロトにとっては珍しく、ぜひとも欲しい魂。
仮にアンジェロが解約したとしても、ミナの魂を奪う算段はある。ミナが死んだ以上は、ミナの転生を願う事は容易に想像できた。仮にアルカードがそうしなくても、起きてきたアンジェロがミナが死んだと知れば、間違いなく再度契約する。
契約の際は当然一つしか願いを叶えてやらない。契約するのがアンジェロでもアルカードでも、魂は必ず手に入る。
ミナが死んだ以上、ミナの契約は宙ぶらりんの状態だ。願いを叶えていない状態で死なれては、その願いを常に達成するよう維持せねばならない。しかも双子の籠の魔法の為に、手が出せない。ミナに死なれてアスタロトも困った。アスタロトが一方的に解約することはできない。
しかし転生すれば済むこと。転生したミナが、そのどちらかが死んだと知れば、ミナも再契約するかもしれないと思うと笑いが出そうだった。
しかし、それには当然全員が反対する。
「何を言ってるんですか!」
「ダメです。陛下に契約なんてさせられません。俺が!」
自分がそうしようと出てきたジョヴァンニを制した。
「やめろ。お前達ではいたずらに死ぬだけだ。何の為に小僧を眠らせたと思っている」
「ですが・・・・・!」
「折角許してやったのだ。小僧は勿論、お前達が死んでは元も子もない。私が困るしな。お前達が誰か一人でも契約したら、ミナの死は無駄になる」
ジョヴァンニ達はそう言ったアルカードの言葉に瞳を伏せ、ミナの砂を見つめ、アンジェロに視線を移して涙を零した。ミナが死に、死後のアンジェロの事を思うと、胸が引き裂かれるような思いがした。倣って、アルカードもクリスティアーノの腕の中で眠るアンジェロに視線を移した。
アンジェロはミナの新しい夫。ミナが愛した男。忠誠の証だと眷属に名乗り出た、アルカードの眷属の双璧の一人。
そして、かつて人間として生きていた頃の従弟であり、同盟国の王であり、若い頃から共に帝王学を学んだ親友であった、ステファンの生まれ変わりでもある。
―――――ステファンも私より年下のくせに、生意気で負けず嫌いで、いつも突っかかってきた。
そして偉そうに言うのだ。
「俺がお前を王にしてやるよ。俺が世話してやるから、お前は待ってろ」
思い出の中のステファンとアンジェロは、アルカードには全く同一人物であった。アンジェロは、転生し再び巡り合った親友に違いなかった。
―――――お節介で、生意気で、負けず嫌いで、憎らしい奴。あぁ、アンジェロ。お前はやはりステファンだ
生前アルカードは、ステファンとマティアスのお陰で一旦失った王位を奪還し、妻と子供も手に入った。
そして今はアンジェロのお陰で、クリシュナも北都もミラーカも、人間の頃の生活ですらも取り戻し、国と王位までも手に入った。
傷ついたミナの傍にいて、ずっとミナとシュヴァリエ達を守り続けた。
―――――あぁ、やはりお前は与える者だ。護る者だ。ステファンと同じく、聖人だ。
いったんそう考えると、赦してやりたくなった。ミナを手放してしまうことは確かに惜しいとは思った。それでも、アンジェロには安心して任せられると思った。それ以上に、ミナの為にミナの思いを汲んでやりたいと思った。ミナを大事に思うのなら、ミナの幸せの為にできることをしてやりたかった。
アルカードは見つめていた顔を上げて、ミナの砂に視線を送った。アンジェロの事を思うと、許してしまうしかないと思った。ミナの事を思うと、願いを叶えてやる以外にはないと思った。何よりも、自分で悪魔を倒してやりたかった。
周りを振り切って、アスタロトに手を差し出した。瞬間、布で覆う様に黒い空間に支配される。
真っ暗な契約の空間の中で、クスクスとアスタロトが笑う声が響く。
「あなた、契約する気ですか? つまらない策を立てて、私から逃げ惑っていたくせに」
「黙れ。さっさと契約をしろ」
アスタロトはおかしそうに笑う。
「うふふ、うふふふふ。嬉しい。わかりました。では注意事項です。契約に際して、私にはこれらの事は不可能です。時間の操作、神殺し、死者の蘇生、そして当然ながら、契約の解約は出来ません」
「それ以外なら、何でも可能なのか?」
「いいえ。悪魔の世界にも掟はあります。悪魔の掟は絶対です。ミナさんとアンジェロさんは特別に複数の願いを叶えてあげましたが、先日、秩序の縛吏から注意を受けまして。願いを叶えるのは一つきり、と。それに、私の力では永遠を叶える事は出来ません」
「そうか、いや、構わない。私の願いは、最初から一つだけだ」
「そうですか。では、契約しましょう」
そう言ってアスタロトはアルカードの手を取って、キスをした。そこに、ミナやアンジェロと同じように、アスタロトの銘が入った五芒星の印章が浮かび上がった。
「これで、あなたの魂は契約によって鎖で縛られました。願いが叶えば、すぐにでも引きずられます。よろしいですね?」
「あぁ」
「では、願いをどうぞ」
「ミナをミナという人格と記憶を保持したまま、私とミラーカの娘として転生させ、ヴァンパイア一族全員がミナであると確認させろ」
願いを聞いて、アスタロトは口角の端を上げた。にたりと笑ったアスタロトは、すぐにアルカードに視線を合わせた。
「いいでしょう。ミナさんを転生させましょう。その際籠からきちんと解放してください」
「当然だ。それと、転生の手段はこちらで用意してある。私の言う通りに転生させろ」
「わかりました」
返事をしたアスタロトは、アルカードににっこり微笑んだ。
アルカードはミナの復活を願った。願った以上は、それが叶えばアルカードは魂を奪われる。ミナの転生を確認してしまった瞬間に、アルカードは死ぬ。
笑ったアスタロトは、空間を解いた。
「陛下!」
戻った先では、みんなが帰りを待ちかまえ、レミとリュイがミナの砂の前で泣き崩れていた。
「皆の者、心配するな。ミナは転生させてやる」
その言葉に、全員が驚愕の視線を注いだ。
「陛下・・・・・まさか」
「契約したんですか?」
「あぁ、そうだ。これから転生をする。金、黒」
「「はい」」
呼ばれた双子はオルトロスの籠を持ってアルカードに歩み寄った。アスタロトはニヤニヤと笑っている。
「苧環、柏木、用意は出来ているのだな」
「はい。とうに出来ています」
「オリバー」
「こちらも準備出来ています」
「ミラーカも」
「ええ」
「ボニー、クライド、この場は任せるぞ」
「うん」
「アミン、お前もついてこい」
「はい」
「アスタロト、お前も来い」
そう言って、アルカード、双子とアミンとオリバー、苧環と柏木とアスタロトは、再び姿を消した。
その場に残された者達は呆然とその姿を見送ったが、レミが口を開いた。
「用意って、もしかして・・・・・」
「陛下の事だもの。恐らく、ここまでは計画通りって事ね」
そう答えた山姫に、全員が息を呑んだ。ミナが死に、アルカードが契約する事すらも計画通り。順調に進んだと言う事は、その事はミナも了承したうえで、ボニーとクライド、ついていったメンバーも計画に加担している。
「一体・・・・・何をする気なんですか。ミナは死んでしまった上に陛下まで契約して、どうするって言うんですか」
アンジェロを抱きかかえたクリスティアーノが山姫に視線を送るも、山姫は腕組みをする。
「さぁ、あたしにはわからないわ。腰が抜けてしまうような何か、としかわからないわね」
「大丈夫だよ。アルカードだから」
「それにミナだって、転んだってただじゃ起き上がってこねぇよ」
ボニーとクライドの言葉を聞いて、泣いていたジョヴァンニは涙を拭いて顔を上げた。
「そうだよ。ミナは、あの戦いの後約束してくれた。俺達も、誰も死なせはしないって約束してくれた。ミナは、約束を破ったりはしない。誰も裏切ったりはしない」
「だね。ミナ様は、そう言う人だ。信じるしかないよね、僕達は。ミナ様と陛下は、きっと悪魔に勝てるよ」
レミの言葉に全員が同調して、信じて待つことを決めた。クリスティアーノは膝元のアンジェロの髪を撫でて、
「勝ってくれ・・・・・ミナ、帰ってきてくれ・・・・・じゃなきゃ、アンジェロが・・・・・」
そう祈りながら手を組んで、涙を零した。
転移した先は、ミナの研究所。アルカード達がやって来た事で、研究員たちは察した。
「大臣、手筈は全て整っております」
「ありがとう。消毒を」
「はい」
機材やサンプル、資料は全て第3次元から持ってきた。エンジェルウイルスの研究をしつつ、遺伝子の解析も進めた。ミナ達の科学は、十分に熟成された。
元々、柏木はミナの研究仲間だ。遺伝子研究の第一人者として、苧環を助手にしたミナ、遺伝子研究者の柏木、ウイルス医療のギルバート博士と研究に明け暮れていたのだ。
白衣を着て手袋をはめ、消毒が済んだ柏木と苧環が機器の前に座り、試験管や機材が準備される。
それらの準備を済ませ、柏木は電子顕微鏡を覗きこみ、苧環はその助手をして、何やら作業を始めた。
アスタロトには何が起きているのかわかっていない様子で、アルカードに尋ねた。
「何をしているのです」
「黙れ。貴様に質問する権利はない。お前は私の言った通りにしていればいい」
眉をひそめてアルカードを睨みつけたが、そのままアスタロトは黙り込んでその様子を見守ることにしたようだ。
しばらくすると、柏木が顔を上げた。
「陛下、細胞分裂が始まりました」
「そうか。では、ミナの魂を移植しろ」
アスタロトは狼狽えたが、双子が籠を開けた。柏木に促されて顕微鏡を覗きこんでみると、細胞分裂が始まった受精卵が見えた。
「人工授精、ですか。この受精卵に魂を移植すればいいのですね?」
「そうだ。さっさとしろ」
「わかりました」
わざわざそんな面倒な手段を取ったことには疑問を感じたが、アスタロトは大人しく言われたとおりに受精卵に魂を植え付けた。
「完了しました。この受精卵が正常に成長すれば、ミナさんの転生は叶います」
「そうだ。この受精卵がちゃんと成長して、あの場にいた全員がミナとして転生したことを確認するまでは、私の魂を奪う事は認めない」
「ええ、わかっています」
きちんと移植されたのかどうか、現時点で確認する術はない。が、その言葉を信じる以外にはない。
すぐに受精卵は持ち出されて、柏木は椅子から立ち上った。
「では、ミラーカ、オリバー」
「はい」
「念のため、アミンも」
「はい」
アルカードとミラーカとアミンとオリバーは、そのまま研究所を出て行った。研究所を出て、すぐに隣の医学研究所に入り、処置室に入った。
ベッドに横たわったミラーカは、大きく深呼吸した。
「ハァ、なんだか緊張するわ」
「ミラーカ、すまないな」
覗き込んだアルカードが心配そうに、申し訳なさそうな顔をしているのに、ミラーカは笑った。
「いいのよ。ミナちゃんの希望なんでしょう? 私とあなたの子供に生まれたいって。私もミナちゃんが自分の子供に生まれたら、嬉しいわ」
そう言って、ミラーカは変身を解いてメリッサになった。ストロベリーブロンドの髪は金髪になり、榛色の瞳は鮮やかなブルーになり、真っ白な肌は少しだけシナモン色になった。
「ボニーに似ているな」
「だから嫌なのよ」
「あぁ、だが、口元はクライドに似ている」
「余計に嫌だわ」
「そう言うな。仮にもあの二人が両親なのだから、産んでもらったことには感謝しろ」
「それは・・・・・まぁ、そこは感謝しているわよ。でも、それとこれとは別よ。どう考えてもメリッサよりミラーカの方が美しいわ」
「お前、それを自分で言うか?」
「言うわよ。私は美しいもの」
「・・・・・まぁ、確かにお前の“顔は”美しいが」
「顔だけを強調しないでもらえる?」
「お前が言ったのだろう・・・・・」
「うるさいわよ」
またしても不機嫌そうに溜息交じりにそう言って、ミラーカはベッド脇に座っていたアルカードの膝の上に置かれた手を握った。
ミラーカはその姿勢のままアルカードを見上げて、少し、悲しげに目を曇らせた。
「アルカード、後悔してるんじゃないの?」
ミナを殺してしまったことを。その問いにアルカードは少し淋しげに笑う。
「正直、な。だが、今からどうなるかはまだわからないし、やっておけばよかったと後悔するよりも、やって後悔した方がまだマシだとは思わないか」
「そうね・・・・・だけど、あなたって本当に可哀想な人」
ミラーカがアルカードの手を握って、本当に悲しそうに呟くものだから、アルカードもついつい苦笑した。
「可哀想か? 私は」
「そうよ。これは、悲劇だわ」
「今だけを見ればな。長い目で見れば、案外そうでもないと思うが」
「そうかもしれないけど、きっと辛いわ。みんな」
「そうだな」
「あなた、いつもそうね。いつも辛い決断を迫られて、誰にでも辛い決断を下して、誰よりもあなたが苦しむのよ」
「あぁ、そう言う業なのだろう」
ミラーカは手を引いて、肘を立てて上体を起こして、アルカードの肩まである少し長い髪を撫でた。
「私、あなたの黒髪が好きよ」
「そうか」
「あなたの緑色の目も好きだわ」
「そうか、ありがとう。どうした?」
問われたミラーカは再び寝台に横になりながら、小さく溜息を吐く。
「いいえ、なんでもないの。ただ、その方がいいと思っただけよ。ミナちゃんの生まれ変わりが、あなたに似ていたら嬉しいと思って」
「そうか・・・・・ありがとう、ミラーカ。いつも、すまないな」
「いいのよ。あなたの為だもの。友達なんだから、当然じゃない」
「イタリアで戦いが起きる前も、お前は同じことを言ったな」
「そうだったかしら・・・・・でも、次は死んだりしないわ」
「死なせはしない。次もその次も、これからもな」
「だけど、ミナちゃんは死んだわ。坊やは、死んだりしないかしら」
「心配には及ばない。なんとかする。お前も、わかっているだろう?」
「えぇ、そうね・・・・・」
強力な麻酔を大量に吸引して、ミラーカは意識が遠のいていく。カウントを始めたオリバーと一緒にミラーカは数字を数えはじめて、徐々にミラーカは声を失って、完全に意識を手放した。
手術服を纏ったオリバーと数人の医者が、手術台を取り囲んだ。
「では、試験管内受精による体外受精卵の人工授精の術式を始めます」
ミナの魂が宿った受精卵が、ミラーカの子宮内に移植される。ミナは吸血鬼の妊娠についても研究していたのだ。妊娠する事は出来た。では何故その確率が低いのか。
卵子も精子も存在する。精子の機能は人間と大差はなかった。ただ、卵子の膜が人間に比べて頑丈な割に短命。人間並みの精子ではその膜を破ることは難しい。それに妊娠に際して重要な事。吸血鬼には、月経がない。
その事に気付いて、自分の体で調べた結果、吸血鬼だからこそなのだろうが、排卵があっても子宮内には着床するための血液が満たされないことに気付いた。
厳密には、きちんと血がやってくるのだが、すぐに体内に吸収されてしまう。だから卵子もすぐに死滅してしまう。そもそも受精自体が非常に困難で、仮に受精したとしても着床しなければ意味がない。そのタイミングを見極める事は非常に難しく、それが不妊の原因となっていると気付いた。
しかし人工授精なら受精させることは可能だ。後は着床させるために、子宮内に血液を留めておくこと。その為には、吸血鬼としての力を押さえるしかない。
だから、ここ最近ミラーカは肌身離さず十字架を身に着けていた。純血種にとっては体に毒でしかない十字架の為に、ただでさえ力を失ったミラーカは更に力を抑え込まれ、ずっと体調不良だった。
しかし直前までの検査で、ちゃんと血液が留まっていることはわかった。体は妊娠できる状態を維持できている。
が、人工授精でも着床する可能性が100%なわけではない。精子はアルカードの物、卵子はミラーカの物、それであっても失敗する可能性はある。
その為の保険が、アミンだ。ミラーカとアルカードのサンプルは、冷凍保存してまだまだたくさんとってある。そもそもペナンガルであるアミンは、ヴァンパイアと違って普通に出産できることもあり、アミンに白羽の矢が立ったのだ。
ミナの希望だった。契約だけじゃなく、アルカードの娘になりたい。自分の両親は死んでしまった。家族が欲しい。生まれ変わってアルカードとミラーカの娘に生まれたい。
その希望を、アルカードもミラーカも聞き入れてくれた。二人もまた、それがいいと思ったから。
手術の時間は1時間ほどで終了した。2時間ほどして完全に麻酔の抜けたミラーカと共に、みんなの待つ大広間へと戻った。
そして一連の報告をすると、全員がひっくり返った。
「ハァ!? じゃぁ王妃陛下が妊娠してるんですか!?」
「そうよ」
「マジで!? ていうか、そのミナは誰と誰の子供ですか?」
「お楽しみよ。でも、もしこれで失敗したら、最終手段ね」
「最終手段って?」
尋ねたみんなに、オリバーはクスクスと笑った。
「昔みんなにメールで通達したじゃん。忘れたの?」
そう言ってポケットを漁ったオリバーが、スマホの画面を突きつける。それを覗き込んで、ようやく思い出したようだ。
「ウソ、マジで!?」
「最終手段って、ミナのクローン!?」
「そうだよ。この人工授精が失敗した時の為に、ミナのクローンを作る用意もしてある」
「さっすがミナ・・・・・」
「ノーベル賞学者だけあるな」
「つか、オリバーもスゲェ。お前ちゃんと医者だったんだな」
「まーね」
得意になっていると、クリスティアーノがギュッと手を握った。
「本当に?」
「勿論だよ。ミナを取り戻せるなら、何だってする」
「ミナは、ミナとして転生するんだな?」
「そうだよ。双子のオルトロスの籠に守られていたから、ミナの魂の記憶や俺らやアンジェロ達の関係も維持できたし、ミナの人格のままで生まれ変わる」
「本当に?」
「うん、本当に。それに、生まれ変わった後の心配も、必要ない」
そう言って、オリバーもアルカードもアスタロトに笑った。
「ミナの魂は浄化された。記憶を持ったまま生まれ変わるミナが、再び悪魔と契約するなどあり得ない。どんな手を使っても、悪魔は二度とミナの魂を手に入れる事は出来ない。勿論小僧もな。例えバカコンビでも、そこまでバカではないからな」
言われて、アスタロトはハッとした。考えればわかったはずなのだ。記憶を維持して転生する以上、転生したミナが悪魔に願う可能性は極めて低い。
せめて記憶がなければ手に入れることも叶ったかもしれないのに、記憶を持っている以上、今後ミナの魂を手に入れることは絶対的に不可能だ。アルカードは、そこまで読んでいた。
悔しげに顔を歪ませたアスタロトに、アルカードは嘲笑した。
「どうした? 構わないだろう。ミナと小僧が手に入らなくても、私が契約しているのだから、これからせいぜい頑張ればいいだろう?」
「・・・・・随分と、余裕ですね」
「余裕なわけなかろう。ミナが無事に転生する保証は、今のところ皆無なのだからな。ちゃんと生まれ変わって、生まれ変わりがちゃんとミナだと確認できるまでは、安心でききない。アスタロト、妙な手を使って転生を阻害した場合は契約違反だ。また、ミナの記憶や魂、遺伝子情報を操作することも許さない。わかったな」
「・・・・・わかりました」
事実、ミナの魂は完全に悪魔の手から離れた。しかし、アルカードの魂は未だに悪魔の物。
ミナの転生が確認されれば、アルカードの魂は奪われる。
アンジェロとミナの魂が手に入らなくても、アルカードの魂を奪う算段をつけるのに、今からでも遅くはない。
アスタロトは二人の魂を諦めることにして、気を取り直した。
「そうですね。とりあえずミナさんが無事に転生することを祈るとしましょう。ご心配なく、邪魔は致しませんから」
「邪魔も加勢も不要だ。お前はただ、沈黙していればいい」
アスタロトの言葉を聞くのも嫌だと言ったようにアルカードはそう言って、アスタロトもその言葉に気を悪くしたようで、黙り込んだ。
それを見送って、アルカードはミラーカに振り向いた。
「ミナを長く不在にすることはできない。ミラーカ、お前は第3次元に行って出産しろ」
「ええ」
「そうだな、明日には迎えに来よう。金、黒、ボニー、クライド、柏木、オリバー。お前達も一緒に行け」
「わかった」
そうして言われたメンバーが第3次元に渡る準備が整い、アルカードが第3次元に連れて行った。ちなみに空間転移の仕方を教わったのもこの時の為であり、この計画は建国当時から着々と準備が進められていた。
アルカードはすぐに戻ってきて、その足でアンジェロを覚醒させた。そして翌日、アンジェロに刺されてしまったので、早めに迎えに行った方がいいと判断し、着替えをすると言って第3次元へやってきて、ミラーカ達を迎えにやって来た。
アンジェロは解約した。アルカードは契約の代価に弟・ラドゥの魂を引き渡した。宙ぶらりんの状態になっていたミナとの契約は、アスタロトが人間に戻った時点で、“契約”だけがキャンセルされた。
願った状況も成果も現状維持のまま。解約したわけではないのだから、現状維持の願いがわざわざ取り消されたわけでもなく、アスタロトが悪魔でなくなったことで契約が消えてしまった。
「―――――というわけで、我々が完全に勝利した」
「・・・・・そうですか。ではミナが死ぬ事は最初から計画通りだったわけですか」
「そうだな」
「・・・・・」
結果には満足しているものの、そんな重大なことを内緒にされていたアンジェロはムカついたらしく、話を聞いてしばらくはご機嫌斜めで、織姫はご機嫌取りをさせられる羽目になった。
そして、オリバーが下戸だと言う事をすっかり忘れて、酒を飲ませていた。いつの間にか酔っていたオリバーが、なんだか本領を発揮し始めた。
「そうそう、俺産婦人科の勉強をいっぱいしたから、大丈夫だよ」
そう言いながら山姫にニッコリ微笑む。
「え。大丈夫って・・・・・なにがよ」
「俺の子供、産んでね」
「あ、いや、オリバー・・・・・ホラ、あたしたち吸血鬼だから死なないし、後継者とか別に」
「欲しいよね? 俺の子供。姫の子供はきっと可愛いよ。俺が姫をお母さんにしてあげるから」
「う、や、あの、オリバー」
「大丈夫。優しくするから。全部俺に任せてくれたらいいから」
山姫の手を取って、とろけるようなスマイルを向けるオリバーに、山姫は顔を真っ赤にしてタジタジになっている。
―――――あ、そっか。山姫さん昔の人だから、そういうの恥ずかしいんだ。
千歳を超えても純情な山姫。貞淑な山姫にとっては、この断り辛い甘いスマイルと口説きのコラボレーションは、免疫がないらしい。
―――――オリバーずっと酔っぱらってればいいのに。
オリバーの激甘タラシっぷりに感心して、ウッカリそんなどうでもいい事を考えた。
★真実のない生というのはあり得ない。 真実とはたぶん、生そのもののことだろう
――――――――――フランツ・カフカ




