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コントラクト 3 ―宿命の契約―  作者: 時任雪緒
第6章 王と下僕、命がけの一六勝負!
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私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです





 目の前には、アルカードの顔があった。

「どした? なに? なんで、みんな泣いてんだ?」

 起き上がって来たアンジェロの言葉に、全員がアンジェロに振り向いて、一層涙をこぼす。

 みんな、どうしたらいいか、わからなかった。


 ミナが死んだ。


 その事をアンジェロに知られたくなかった。知られるべきではないと思った。

 すかさずリュイとレミが、アンジェロから見えないように、ミナの砂を隠すように座りなおす。

 しかし、アンジェロは余計にその仕草を不審に思った。レミの影から、デュランダルが転がっているのが見えた。

 立ち上がって、傍まで歩み寄った。

「なんだ?」

「アンジェロ、来ないで」

 涙を零しながら、震える声で、レミが言った。

「ミナはどこだ? 双子も」

「っ、来ないでくださいっ」

 涙に嗚咽を漏らしながら、リュイが言った。

「・・・・・その砂は、なんだ?」

 無視して近づいた二人の背後に、砂が見えた。砂と、僅かばかりの黒髪が散らばって、傍にはデュランダルが転がっている。


 アンジェロは知っている。吸血鬼は死んだら砂になる。神は土の塵から人を作った。だから、死んだら塵は塵に還るのだ。

 これは「何か」ではなく、「誰か」が正しいのだと、知っていた。

 考えたくもない想像が、脳を駆け巡る。

「・・・・・これは、誰だ」

 アンジェロの問いに、誰も答えられない。

「誰だって聞いてんだよ!」

 苦しそうな表情で怒鳴りつけた。その様子で、アンジェロにもわかってしまったのだと気付いて、リュイもレミもみんなも、一層涙を零した。


 アルカードが立ち上がって、アンジェロの背後に立った。

「それは、ミナだ」

 聞いておいて、聞きたくもなかった答えに、アンジェロは振り返った。

「ウソだろ?」

「本当だ」

「ウソだよな?」

「それは、ミナだ」

「なんで、ミナが砂になる?」

「ミナが死んだからだ」

 アルカードの言葉に、喉が詰まった。

「・・・・・なん、で」

 その問いに、アルカードは無表情で答えた。

「私が殺した」

 答えに、小さく後ずさりした。

「ウソ、吐くな。アンタが・・・・・いや、ミナが死ぬはずない」

「その砂はミナのものだ。私が殺し、ミナは死んだ。紛れもない事実だ。お前が寝ている間に、全員が目撃した」

「・・・・・ウソだろ」

「事実だ」

「ウソだ! そんなはずない! 俺も解約して、これからミナと一緒に―――――」


 脳裏によぎる。意識が途切れる前、ミナは言った。

「ゴメンね、アンジェロ。ごめんなさい。約束は守れない。ずっと一緒には、いられないの。本当は、家族をやり直せないの。私、本当にバカで・・・・・だけど、世界で一番愛してる。本当に、大好きなの。だから、この指輪はアンジェロが預かってて」

 別れの言葉だったのだと、ようやく気が付いた。指輪は、形見。もう一緒にはいられないから。死んでしまうから。だからそう言ったのだと、ようやく気が付いた。

 しかし、気が付いたからと言って認めたくはなかったし、認められない。

「やり直すって、決めてたんだ・・・・・」

「それはミナもわかっていたが、仕方のないことだ」

「俺が解約したら、これからは・・・・・ただ、ミナを愛していられるって、思って・・・・・」

 アンジェロは顔を覆って膝を折り、ミナの砂の前に跪いた。

「ミナ・・・・・ミナ、ミナ、ミナ。なんで、なんで死んだんだ・・・・・俺を置いて、一人で逝くなんて・・・・・約束、したのにっ・・・・・」


 悲壮に顔を歪めて、ミナの砂をギリッと握りしめたアンジェロは、視界の端に映るものを見つけた。

 すぐにそれを掴んで、力任せに引き寄せた。

「あっ!」

「アンジェロ!!」

 周りが気付くのに一拍遅れてしまうほど、アンジェロは躊躇しなかった。躊躇なく、自らの心臓にデュランダルを突き刺した。しかし、

「―――――っ! 離せよ!」

「早まるな」

 アルカードが直前でデュランダルの刃先を掴んで、アンジェロの胸の手前で止まっていた。みんな一様に胸を撫で下ろしたが、アルカードの掌から血が滴り、それでもアンジェロはデュランダルを突き刺そうと力を込める。

「離せって言ってんだよ!」

「バカな真似は止せ」

「うるせぇ!」

「っ!」

 敵わないと悟ったのか、アンジェロはデュランダルを離した。そのはずみでアルカードが後方にのけ反った隙に、次はファントムを取り出し、こめかみに当てた。


「俺は、ミナがいない世界で、生きてる理由がねぇ。アイツは、俺が生きる理由だったんだ。アイツと一緒に生きるって、30年前に誓ったんだ。一生傍にいて、死ぬときも一緒だって約束したんだ。

 ミナが、ミナが俺の全てだった。ミナが俺の魂で、俺の命そのものだった。俺は、ただミナに幸せでいて欲しかった。ミナに笑っていてほしかった。ミナが笑ってくれるなら、俺は何にでもなるって決めたんだ。だから、悪魔にだって魂を売り渡した。ミナが幸せになるなら、俺は死んでも良かったんだ! ―――――なのに! ミナが死んだ!」

 悲壮に歪んだ瞳から、涙を零した。どんなに辛いことがあっても、今まで泣く事なんてできなかった。どうやって泣けばいいのかわからないくらい、涙など忘れてしまっていた。

 それでも、ミナの事を思うと、胸が張り裂けて、今にも、骨を突き破って零れ落ちてきそうだった。

 誓いも、約束も、愛も、人生も、魂も、命も。全てが消えて失せた。アンジェロの目の前に広がる世界には、光の一閃さえも見えなくなった。

「ミナがいない世界には、もう俺は要らない。ミナがいない世界では、もう生きていけない。ミナがいるところに、逝きたい―――――」

 瞳を閉じる。そして願う。どうか、ミナの元へ行けますように。

 引き金にかけた指に力を入れた時、アルカードの一言で、指を止めた。


「指輪を返さなくていいのか?」


 ―――――光明。

 その言葉は、アンジェロを引き留めるには、十分だった。

 ファントムを下ろして、目を開けたアンジェロが、濡れた瞳でアルカードを見つめた。

「指輪・・・・・返せるのか?」

「ミナは、お前に預かっていろと言っただろう」

「また、ミナに会えるのか?」

「確証はないがな。その可能性に賭けた」

 可能性。何をしたか、アンジェロにはすぐに分かった。悲しみと期待が同居して、様々な感情が胸の内に渦巻く。匣が開く。飛び出してくる。

 匣から飛び出してきたそれに、いても経ってもいられず、ファントムを放って、アルカードに掴み掛った。

「ミナを転生させたんだな!?」

「そうだ。ミナは生まれ変わる」

 アルカードの肯定を聞いて、シュヴァリエ達は歓喜の涙を流す。声を上げて泣きはじめた。アンジェロはなおもアルカードに縋る。

「本当に、本当か?」

「本当だとも。その為にミナにも準備させていた。―――――ただ」

 言葉を切って、アンジェロの腕を掴んだ。


「ミナの記憶が維持されている保証はどこにもない。私やお前、他の者の記憶―――――それどころか、自分がミナという人物であったことすら覚えていないかもしれない。金と黒もそうだが、通常、前世の記憶は消えてしまうものだからな。それでもお前は、ミナを愛せるか?」

「わからない」

 アンジェロは即答した。

「わかんねぇ。俺は、ミナがミナだから愛せたんだ。他の人格になったら、愛せないかもしれない。仮に姿形が違っても、ミナがミナであれば、ミナが何になっても愛せる。けど、ミナがミナでないのなら、ミナの姿をしていたとしても、愛せない」

 アンジェロが愛しているのは、後にも先にもミナ一人だけ。ミナの生まれ変わりだとしても、ミナでなくなってしまったら、他人同然だ。

 アンジェロの答えはアルカードとしては残念に思った。

 ―――――だが、それほどミナに向ける愛が深いと言う事なのだろう。ジュリオと言い、コイツと言い、一途なことだ。

 そう考えて、もう一度顔を上げてアンジェロを見た。

「ミナの転生は、恐らく成功する。しかし、人格まではわからない。そこは賭けになる。一応悪魔にはミナをミナのままで転生させるように言っておいたが、ミナの魂は無理やり体から引きはがしたものだから、損傷があるかもしれないし、どうなるかはわからない。

 だが、せめてミナと再会して、ミナかどうかを確認できるまでは、お前がその指輪を預かっているんだ。わかったな?」

「・・・・・わかった」

 説得に、アンジェロはひとまず大人しく従う事にした。それ以前に、その賭けに乗るしかなかった。

 アンジェロにはミナが全てだった。今でも。

 だから、その可能性に縋る以外に、アンジェロには希望はなかった。

 ―――――これでもし、ミナじゃなかったら、今与えられた希望は、最悪の災厄だ。


 パンドラの箱。縁に引っかかって出てこれなかった希望。残された希望は、神の優しさか。あるいは、それこそが最大の災厄だという解釈もある。

 希望を挫かれた時の絶望は、ただ絶望が訪れた時よりも、はるかに人の精神を挫く。

 それでも賭けるしかない。賭けたかった。再びミナに会えるのなら、再びミナに会って笑いかけてもらえるのなら、再び会ったミナに、もう一度指輪を贈ることができるなら。


 祈りを捧げた。対象は何でもよかった。ただ、ただ、ミナに会いたい。

 それだけを、痛切に願った。





★私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです

――――――――――太宰治「パンドラの匣」より


 この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。

「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」

 さようなら。


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