SF2 (すこしふしぎ・その2)
結局、最初に話した通りに1週間で泥棒たちを放置してやってきたのは、イタリアのシチリア島。ポンテ・サント・ステーファノという河口付近の港町である。
「やっぱリゾート地はあったけぇな」
「いーなーシチリア」
「マフィアとか会えるかな」
「マフィア抗争はもうゴメンだよ」
「なんで抗争前提?」
シチリアと言えばマフィアという安直な発想で散策するこの港町はルカの故郷だ。彼自身連れてこられたのが赤ん坊の頃だったので、町の事も親の事も何一つ覚えていない。
「ルカとジョヴァンニだけは誘拐の仕方違うよな」
そうなのだ。この二人、ルカ以降は親は殺されていない。ジョヴァンニの方は母親は病死したが、ルカの方は両親とも健在で、ジョヴァンニの父も生きていた。
スレシュはどうも捜索の手が伸びることを恐れたようで、病院の医師に金を握らせ、身代りの赤ん坊を子供が病死したと親に告げ、誘拐したようだ。
「その医者も悪モンだな」
「医者の風上にも置けねぇな」
全くその通りであるが、今更恨み節を語ったところで既に医者も死んでいるし、いい加減時効だ。何より本人たちが覚えていないので、複雑ではあるが恨みと言う程ではないようだ。
河口付近の住宅街。ここは金持ちたちの別荘街でもある。ミナ達はこの近辺で貸別荘を借りて過ごすことにしたのだが、この町の一角にルカの生家はあった。
住宅街と言ってもあるのは家だけで、別荘地でシーズンオフの為か、エンジェルウイルスの影響も手伝ってか、家に耀る灯りは極めて少ない。
「高級住宅街も、人がいねぇと寒村同然だな」
「だねぇ」
思わずそう感想を漏らすほど、人は少ない。人口の減少した現在の世界では、都市部に人が集中している。半端な小都市からは、人々は姿を消した。
ルカの家は残されていて、明かりが灯っていた。賑やかな声が聞こえる。その声に、ルカはギュッと胸のあたりの服を掴んだ。
「ミランダはまた赤点か」
「ふはは、学校サボったりするからだぞ」
「またアンタはサボったの!」
「もう、ルカおじいちゃん! 内緒にしてって言ったのに!」
「あははは」
“ルカおじいちゃん”彼は、ルカの両親がルカの死を克服した後、10年経ってから出来た、彼の弟。既に、今年100歳を迎えた、ルカの名前を受け継いだ、彼の弟。
彼は、死んだルカの代わりに、ルカの名を与えられ、ルカの分まで大事に育てられた。
ルカを守れなかった不甲斐なさ、病弱に産んでしまった責任を感じて、両親は新しく子供を作ることを長く躊躇った。
しかし、子供が出来た時に誓った。今度は大切に大切に、手遅れになる前に出来得る限りの愛情を込めて育てようと。
そうして愛されて育った弟のルカは、家族にも恵まれ、その息子は幸運にも感染することもなく孫にまで恵まれ、今現在も健康に幸せに暮らしている。ルカの代わりに。
「あのルカは、もう一人の俺なんだ」
家の窓を見つめて、ルカはそう呟いた。ルカが攫われなければ、きっと彼が弟と同じような人生を歩んでいたのだろう。兄のルカ、弟のルカ、全く違う人生を歩んだ、二人のルカ。
「本当、人の人生って、わかんないもんだねぇ」
幸せそうにシワだらけの顔で笑う、年老いた弟を見つめて、若いままの姿の兄は、しみじみと呟いた。
きっと、あと何年もしないうちに弟は死ぬのだろう。そして、自分はあと何百年も生きていく。たったの100年余りの生と、膨大な生は、一体どちらが幸福なのだろうか。
ルカの様子に少し心配になった。普段のルカは悪戯ばかりしているけど、本当は親切で優しい人柄だ。(女性限定だが)自分の代わりに幸せそうにしている弟の様子に傷ついたのではないかと心配になった。
しかし、ルカは言った。
「俺に弟が出来て、それで弟と両親が幸せに暮らせたんなら、何も心配ないね。良かった」
そう言って笑った。ルカには両親の記憶は全くなかった。レオナルドの様に両親や家族の為に泣けるほどの情愛など持てなかった。その事に対して、罪悪があったのだ。
覚えている者は、家族に対して愛情を持っていて、家族の死を悼むことが出来るのに、自分は形式上でしかそれをできない。自分は薄情な人間のような気がした。
そんな事は全くないし、実際そうだとしてもそれを咎める事は誰にもできない。でも、だからこそ、ルカは悲しむことも謝ることもできないから、ただ、家族の幸福を祝福できたことが嬉しかった。自分の代わりに親を愛して、親に愛された存在がいたことに安心した。自分にできなかったことを、代わりに弟のルカがしてくれたのだから。
ルカが死んだと聞いてきっと両親は悲しんだ。その悲しみを弟が癒し、両親を幸せにしてくれたのだろう。
「俺、家族の為には何もできなかったけど、俺の分身がいて、その分身が親孝行してくれたんなら、こんなに良い事はないね。両親には弟がいたわけだし、俺には今の家族がいるし、今の家族に孝行すれば、それでOK?」
笑って悪戯っぽくそう言ったルカに、みんなで指でマルを作って
「OK!」
と笑った。
翌日の夕方、今度はジョヴァンニの故郷へ転移した。
ジョヴァンニの故郷はイタリア半島の踵に当たる地域、プーリア州。ここは、イタリアでもオリーブの一大生産地と言われていて、オリーブ農園が至る所に茂っている。
ジョヴァンニの実家はオリーブ農園を営んでいて、創業800年を誇る老舗の名門だ。
「わぁ! マキァヴェッリオリーブって、ジョヴァンニの家のだったんだ!」
ミナが料理で愛用しているエクストラバージンオリーブオイル。イタリアのオリーブオイルコンテストで最高金賞を受賞した、オリアローラ、コラティーナ種を使用した、完全無農薬の最高級品だ。
「アレすっごい美味しいよね。単品で飲めるくらい。青りんごみたいな香りがして」
「スゲェな、ジョヴァンニんち。マジ名門じゃん」
「なんか嬉しい。俺全然関係ないけど」
「あはは、確かに」
ジョヴァンニの実家、マキァヴェッリオリーブは観光農園としても人気があるようで、夕方なためか帰る客並とすれ違う。
自分達でオリーブを取って、農園内にある工場で精製して自宅に送ってくれるのだと言う。売店もあって、オリーブ石鹸やオイル漬けの食材なんかも売られている。
「あ! コレ欲しい! アンジェロ、買って!」
「ハイハイ」
閉店間際だと言うのに、ハイテンションで買い物を楽しんでいると、みんなに若干呆れ顔で笑われた。
「すいませーん、そろそろ閉店ですよ」
レジから女性の店員が声をかけてきた。
「あ、はーい。じゃぁアンジェロ、コレとコレとコレとコレとコレとコレとコレと・・・」
「アホか! そんなにいるか!」
「いるよ! ホラ、早くお会計しないと迷惑じゃん!」
「迷惑はお前な!」
店員もその様子に呆れたようにして、やっぱり笑われた。
会計をしていると、店員がジョヴァンニを見てわずかに首を傾げた。
「お客さん、どこかで会ったことありませんか?」
「え? い、いえ」
「そうですか?」
やっぱり納得いかないと言った顔の店員は、店の奥に声をかけた。
「ねぇ、あなた、ちょっと」
そう言って出てきたのは50歳くらいの旦那で、どうもこの店員は農園の地主の嫁らしい。旦那が出てきて嫁が耳打ちすると、旦那はジョヴァンニを見て、やっぱり初見ではないと言った顔をした。
「あなた、親戚?」
「・・・いえ」
「でも、あなた、母さんによく似てる」
「え?」
「あなた、名前は?」
「・・・・・ジョヴァンニ」
答えを聞いて、旦那は驚いて、嫁は口元に手をやった。
「あなた、やっぱり」
「・・・・・なんです?」
訝しげに首を傾げるジョヴァンニに、旦那は話し始めた。
旦那の母はここの一人娘で、婿を取って旦那が生まれた。旦那が大きくなってから、母に聞いた。
母が生まれる前、母には兄がいて、その兄は死んでしまった。その心痛で祖母は死んでしまって、父が再婚した後妻の間に母が出来た。
本当ならその兄が生きていれば兄の物になるはずだった農園。それを自分が受け継ぐことになり、それ以前に、兄が死んでしまったから、自分が生まれたのだと。
だから母は、それを忘れてはいけないと思った。
「だから、俺にジョヴァンニと名前を付けたんだって」
農園の旦那の名前は、ジョヴァンニ・マキァヴェッリ。ジョヴァンニと同じ名前だった。
「ねぇ、ジョヴァンニ、あなた、本当は伯父さんは生きていて、あなた、その息子や孫なんじゃないの? じゃなきゃ、母さんに似てるはずがない」
父親似のジョヴァンニと腹違いの妹。遺伝は、時間を超えた。
ジョヴァンニは、甥のジョヴァンニの話を聞いて、ポロポロと涙を零した。
自分がその伯父だと打ち明ける事は出来ない。だけど、義妹が自分を思って、自分と同じ名前の甥が、自分との関係性を求めている。その事がとても嬉しかった。
「・・・・・俺の名前は、ジョヴァンニ・マキァヴェッリ」
「じゃぁ、やっぱり、伯父さんは生きてたんだね」
「生きてたよ、生きてたけど、自分が何者かは知らないで生きてきた。知ったのは18歳の時。でも、とても会いに行けるような状況になくて。だから、俺に同じ名前を付けて、俺が代わりに」
「そうか、そうだよな。母の兄って事は、90過ぎてるんだろうし。そっか、でも、会えて嬉しいよ、ジョヴァンニ」
「俺も、会えて嬉しいよ、ジョヴァンニ」
甥のジョヴァンニは、家の裏庭に連れてきてくれた。そこには大きなオリーブの木がそびえていた。
「これ、ジョヴァンニ伯父さんの樹だよ。隣のは母の。爺さんが、生まれた時の記念に植えたんだって」
「そうなんだ。じゃぁ、この樹は、同い年なんだな」
「そうだよ」
青々と茂る、樹齢93年のオリーブの木。隣には、少し背の低い義妹のオリーブの木。
オリーブの木の前に跪いて、十字を切った。
「あなたの母、名前は?」
義妹の名前を尋ねた。
「エヴァ」
それを聞いたジョヴァンニはクスッと笑った。それに不思議そうにする甥のジョヴァンニに、振り向かずに樹を撫でて、ジョヴァンニはやはり笑いながら言った。
「はは、可笑しい。俺の初恋の人と同じ名前だ」
その言葉に甥もクスッと笑って、隣に膝をついた。
「人の縁って不思議だね」
「うん、不思議だね」
二人は目を合わせて笑い合って、もう一度オリーブの木に視線を戻したジョヴァンニは、
「エヴァ、ありがとう」
と呟いて、オリーブの木に祈りを捧げた。
思い出に家の土が欲しいと言うと、甥は快く了承してくれた。操らずに家族と交流して土を採れたのは初めてだったので、今回はアルカードは出番なしだ。
しかし、土を採るとさすがに甥は笑った。
「そんなにいるの?」
麻袋いっぱいの土を指さして笑った。カップ一杯程度だと思っていたようで、可笑しそうだ。
「あはは、うん。折角だから、家の庭に撒いとくよ」
「律儀だね。あぁ、そうだ。よかったら、これ」
甥はポケットをゴソゴソと漁って取り出した物を、ジョヴァンニの手を取ってその掌の上に乗せた。
「これ、伯父さんと母のオリーブの木の実だよ。よかったら、家の庭に植えて」
渡された木の実は2つ。それをギュッと握って、ジョヴァンニは笑顔を向けた。
「うん。大事に育てるよ。ありがとう」
「ジョヴァンニが育てたら、きっと伯父さんも母も喜ぶよ」
「うん。ありがとう、ジョヴァンニ」
「こちらこそありがとう、ジョヴァンニ」
ふと、ジョヴァンニがミナに振り向いた。そして左手を上げた。
「ミナ、いい?」
「うん」
頷くとジョヴァンニは礼を言って、時計を外した。
「代わりに、コレ受け取って」
「この腕時計は?」
「あなたの伯父のジョヴァンニの、形見だよ」
「それは、君が持ってた方がいいんじゃないの?」
「ううん、いいよ、俺は。それに、オリーブ貰ったし」
実をかざすと、そうか、と笑って、甥は腕時計を受け取った。
形見分けをした。お互いに。自分の形見を。きっと別れたら、もう二度と会う事はない。もう二度とこの地を踏むことはない。
だけど、自分が生きていた証に、何かを遺しておきたかった。この世界で生きていたことを、覚えていてほしくて。
「爺さんと母さんに見せるよ。きっと、喜ぶ」
「うん。そうしてくれたら、嬉しい」
「ありがとう、さよなら」
「さよなら」
背を向けて、ミナ達と並んで見送る二人に向けて手を振った。そして、霧と共に姿を消した。
「!! ジョヴァンニ・・・?」
「今の・・・?」
消えた吸血鬼たちに、泥棒たち同様驚いてその場に佇む甥とその嫁。
「・・・・・夢?」
「伯父さんの、幽霊?」
「でも、あなた・・・」
手のひらには、ジョヴァンニの時計。古く年季の入った銀の時計は、規則正しく時を刻む。
ミナが買い物をしたために、店の商品もごっそりなくなっているし、庭の土も掘られた跡がある。
「幽霊なんかじゃないよ。伯父さんが時間を越えて会いに来てくれたのかも」
そう言ったジョヴァンニに嫁はクスッと可笑しそうに笑った。
「あなた、いつまで経ってもロマンチストね」
「男はみーんなロマンチストさ」
「男は? あなたのその見事な金髪とロマンチストは、お義母さん譲りでしょ」
悪戯っぽく笑う嫁に、ジョヴァンニも笑ってゆるゆると首を横に振った。
「爺さん譲りさ。こんな洒落た真似するんだから、伯父さんもきっとロマンチストさ」
「ふふっ、そうね」
ジョヴァンニは、ジョヴァンニから受け取った時計をギュッと胸に抱いて、目を閉じた。
「会えてよかった。伯父さん、ありがとう。一生、忘れないよ」
こうして、シュヴァリエたちの全員が、故郷との別れを告げた。




