月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
「ミナ、帽子忘れてるぞ」
「あ、クリス。ありがとう」
クリスティアーノにも、ミナが契約したこと、そこに至った経緯は話した。しかし二人は以前と変わらず、どころか、昔に戻ったかのように笑いあう。まるで、何事もなかったかのように。
クリスティアーノがミナの元から立ち去ると、アンジェロがミナの傍に寄ってきた。
「無理すんなよ」
「ありがとう。でも、いいんだ。私は」
後からアンジェロとアルカードから、その当時の話と、クリスティアーノの気持ちを聞いて、ミナはジュノに願い、クリスティアーノからその記憶を消した。
クリスティアーノはアンジェロがミナを愛していると知っていながら、ミナと関係を持った。その時はそれで気が晴れたかもしれないが、今はきっと罪悪に苛まれているはずだと考えた。クリスティアーノが本当にアンジェロを好きで、友情以上、肉親以上の真心を持ってアンジェロの傍にいるのだと、ミナにもよくわかっていたからだ。
だが、自分の中の記憶だけは、そのままにとどめ置いた。ジュノが戻した記憶はミナを陥れる為に断片的な物であったし、何よりも自分への戒めとして記憶しておくべきだと思った。
当然ミナはアンジェロからもその記憶を消そうと考えた。が、アルカードとアンジェロ二人から反対された。
「どうして? だって、アンジェロには知らない方がいい、余計な記憶でしょ?」
「や、そう言う事じゃねぇよ」
「ミナ、悪魔を見くびるな。今後何が起きるかはわからない。例えば小僧から記憶を消したとして、お前に戻した記憶を改竄して小僧に見せたとしたら、より厄介なことになる」
「でも・・・」
「あのな、クリスはずっと隠してたんだ。それを俺達が知ったことは、悪魔には知られないようにしてきた。けど、いつの間にかそれがバレて、利用された。お前にはいつ記憶を戻しても良かったはずだ。でも、あの悪魔はそのベストなタイミングをずっと見定めていた。本物の策略家はじっと時期を待つ。あの悪魔はその能力にも長けてる。臆病者って言われる位、心配しとくに越したことはねぇ」
「その通りだ。どうせなら小僧を追い込んでおいて、更にその情報を開示し小僧に不信感を持たせ、ミナとクリスティアーノ双方との関係に亀裂を入れた方が有効だ。悪魔にとっては、小僧が知ったこと、小僧がお前とクリスティアーノを許したことは誤算だっただろう。しかし、その誤算すらも悪魔は活用して見せた。終わったことだから、と油断は出来ない。悪魔は計算に計算を重ねている。こちらも慎重に慎重を重ねて、過ぎるという事はない」
ミナには二人がジュノに怯えているかのように見えた。しかし、アルカードの言う通り油断はできない。優れた計略と指揮を発揮するには、臆病であることが最大の資質なのだ。
アンジェロは気持ちの上では当然、知りたくもなかった。しかし、レミが言っていた通り、アンジェロ自身にも責任のあることで、知っておくべきことである。
アンジェロもアルカードも、アンジェロが事実を知り、ミナとクリスティアーノを許している以上は、これ以上この件で手の打ちようはないだろうと考えたのだ。
ミナが戒めの為に記憶を留めたことを心配しないわけではなかったが、それを止めることはなかった。またミナの記憶を消しても、後から再度利用されるのは目に見えている。
こういう時、つくづくミナは思う。
―――――アンジェロとアルカードさんが二人でいるところに入ると、私のバカっぷりが浮き彫りに・・・
上記の小難しい話を台無しにする感想文だ。しかし、ミナなので仕方がない。
クリスティアーノから受け取った帽子を被り、みんなの元へ行った。これから、世界一周旅行だ。
ちなみに山姫一族は事業を人間に譲るため、その引継ぎで忙しく行けないそうだ。
今回の旅行は一か所で長期滞在する事はないので、各地で貸別荘を借りておいた。中にはこの旅行の為にアルカードの提案で買ってしまった家もあった。どの道この世界の通貨はあちらでは使えないので、(盗んだ金を)散々に散財してしまおうと言うわけだ。
というわけでやってきた最初の目的地は、アメリカ合衆国テキサス州、まずはクライドの出生地ダラス。
「うわ! 結構都会だ!」
「テキサスは大企業誘致しまくってっからなー」
そうなのである。カウボーイだとかカントリーなイメージのあるテキサスであるが、ダラスは先進的な大都市で常に時代の最先端を行き、市民もパイオニアとしての姿勢を取りつつ、西部開拓時代の古き良きアメリカを保守する面も持っている。
広大な土地柄か大企業の工場が立ち並び、またビルも乱立している。油田開発や軍事産業も盛んで、近代ではITやエレクトロニクスが経済を潤している。金融の拠点でもあり、連邦準備銀行も置かれている。クライドがいた頃は連邦準備銀行はなかったらしく、何故か悔しそうにしていた。
「ほら、コンビニのセブンイレブン。あれの発祥もダラスなんだぞ」
「そうなんですか! クライムグッ」
感心していると、急にボニーに口を塞がれた。
「ミナ、こっちではファーストで呼ばないでってば。絶対変な顔されんじゃん」
なにせ地元である。伝説の強盗犯カップルと同名のカップルがいたら、間違いなく好奇の目に晒される。
日本を発つ前に、みんなに言いつけておいたのだ。ミドルネームで呼ぶように、と。しかし、ついウッカリしてしまった。
「あたしはリズ。ダーリンはナット。OK?」
「ぷは、すいません。OKです」
念のため双子達にもよく言いつけて、クライドの家があったところにやってきた。
「多分この辺だと思うんだけど・・・どーしよ」
クライドは腕組みをして唸る。クライドが生まれた頃、クライドの家は元々農家で、かなりカントリーな雰囲気だったのだが、時の流れとは残酷だ。
「スゲェなオイ」
「さすがアメリカ。でけー!」
「噂には聞いてたけど、これが世界第3位の空港・・・」
クライドの実家は空港になってしまっていた。世界で3番目に忙しく、広い空港だ。当然、舗装されてしまって土など取れない。
ガックリと手羽先状になるクライドをみんなで励ましつつ、夜中に侵入してアスファルトを一部引っぺがしてしまう事にした。滑走路を避ければ問題ないだろうと言う、安直な発想である。
一旦別荘に戻り、どのメンバーで行くのかを決めることに。当然ボニーとクライドは行く。しかし、この二人だけだと不安なのも当然だ。
アンジェロは次の目的地の旅行のスケジュール計画と、別荘の管理人と連絡を取って、旅費の計算などの仕事があると言って辞退。当然ながらアルカードとミラーカは行かない。
シュヴァリエも行かない。アンジェロの仕事を手伝うわけでもないが行かない。夜遊びをしたいためである。
「じゃぁ私行きます」
「そうしろ」
しかし、アンジェロをはじめとするシュヴァリエ達は不安に駆られる。
(ボニーさんとクライドさんとミナの3人? なんかスゲェ心配なんだけど)
放っておいたらボニー&クライドは何かやらかしそうだ。ミナはミナでトラブルに巻き込まれそうな気がする。いや、気のせいどころか最早フラグだ。
アルカードもその雰囲気を察したようだ。
「小僧、お前も行け」
「・・・わかった」
仕事内容に「引率」が追加になった。アンジェロの仕事は増える一方である。
深夜に再びやってきて、シャベルと袋を持ち光学迷彩で侵入したミナとアンジェロとボニーとクライド。アスファルトを叩き割り、音を立てないようにせっせと土を掘る。すると、灯りが二つ見えた。
「ヤバい、警備員来た!」
慌てるボニーに
「心配ありません。見えてませんから、静かに」
とアンジェロが制して、その場から少し離れた。
見張っていると、案の定警備員は穴に気付き、懐中電灯で照らしている。最初に気付いた警備員が相方を呼ぶと、相方はドーナツをモサモサ頬張りながら穴を見て言った。
「ネイサン、プレーリードッグ役やれよ。俺がハンター役してやるぜ」
「よしてくれよ。この穴はスティーブの便所だろ」
「お前がよせよ。お前のベッドだろ」
「お前の墓だろ」
「お前の彼女だろ」
穴が開いている理由に興味はないようだ。しばらく言い合って「HAHAHA!」と笑うと、二人はいなくなってしまった。
「あり得ない・・・今の二人、警備員失格ですよね」
「社員教育がなってませんね」
「アレはドーナツ食べ過ぎたせいだよ」
「ドーナツにアホになる効果があったら誰も食べませんよ」
「ミナ、お前プレーリードッグやれ」
「やですよ・・・」
警備員に呆れつつ、土の採取を再開。無事に土をゲットできた。
折角なので、フェンスの外に土の詰まった袋とシャベルを置いて、光学迷彩を施したまま空港内を散策してみる。
普通一般人が足を踏み入れる事のない滑走路、それはそれはもう、広い。これだけだだっ広く平坦に舗装され均された場所に来ると、何かしたくなるものである。
「なんか面白いモンがねーか、探してくる!」
そう言うとクライドは格納庫の方へ走って行ってしまった。それを見送っていると、アンジェロがハッとした。
「おい、クライドさんお前から離れて、光学迷彩ちゃんと効いてんのか?」
「あ! そうだ!」
ミナの傍にいなければ、光学迷彩は効力を失くしてしまう。今のクライドは、完全に丸見えだ。
慌てて3人でクライドを追いかけると、案の定格納庫のシャッターの上についていたパトランプが紅く光ってクルクル回りだし、警報が鳴り響く。
さすがのクライドも大慌てで戻ってきた。
「クライド!」
「ワリ! 見つかっちった!」
「んもー!」
「逃げますよ!」
すぐに走ってフェンスを飛び越えて、そのまま全速力で空港から離れて一目散に別荘に逃げ帰った。
「――――――――つーわけだ」
アンジェロの説明を聞いてアルカードとミラーカは溜息を吐き、シュヴァリエ達は呆れた。
困り果てたように目を瞑ったアルカードが、アンジェロに視線を向けて溜息を吐く。
「小僧がついていながら・・・」
「また俺のせいかよ・・・」
「当然だ。何のためのお前だ。全く、本当にお前は頼りにならんな」
アンジェロは個人主義なので、本人の行動の責任は本人にあると考えている。が、アルカードは連帯責任だと考えているので、当然おもりのアンジェロのせいになる。
「伯爵って昔っから俺のせいにしたがるよな」
「好きで責任を押し付けているわけではない。与えられ引き受けた仕事は全うして然り、そう言っているだけだ」
仕事人間のアンジェロにしてみれば、この言い様は仕事をしていないと言われているに等しい。世の中無理難題もあるので出来ないことも当然あるのだが、「出来ない」ことはアンジェロのプライドが許さないようだ。
「あーもー、わーったよ。スンマセンした」
「次回は気を付けろ」
「ハイハイ」
と言いつつも、次回は行きたくないと思ったアンジェロだった。が、恐らくやれと言われたらやってしまう。
続いて、ボニーの実家のあったローウェナ。このあたりは慢性的に水分不足に悩まされる荒涼とした土地である。ボニーの家があった場所は、何もなくなっていた。
しゃがんで土を撫でるボニーは、少しだけ寂しそうに「ママ」と呟いた。
「あたし、小さい頃にパパが死んじゃって」
「そうだったんですか・・・」
ミナの父セイジと初めて会った時、ボニーが羨ましいと言っていたのを思い出した。
「貧しくて、でもすごく可愛がってくれて、愛してくれた。あたしが死んだ時も、あの子は本当はいい子なんですってインタビューで言ってて、嬉しかったなぁ」
それなのにボニーはクライドと共に強盗殺人犯になった。結婚していながらクライドに一目惚れして出奔し、行動を共にしてすぐに投獄。出所後も殺しては奪い、それを散々繰り返した挙句、テキサスレンジャーと警察に、200発とも言われる弾丸に撃ち抜かれて死んだ。
ボニーは後悔していたわけではなかった。愛するクライドの傍にいられること。クライドはクライドで特殊な環境で、両親は子供の一人が死んだことに気付かぬほどに多忙だった。クライドは死んだ兄を倉庫に捨てて、忘れた。
殺人と強盗を繰り返すクライドを、子供の頃に構ってあげられなかった責からか両親が咎めることはなく、むしろ警察や被害者を恫喝するなどして庇護していた。
二人とも家族に愛され、甘やかされ、放任され、悪の道を否定されることもなく、むしろ推奨されたと言ってもいい環境で育ち、死んだ。
「あたしもクライドもお尋ね者だったけど、よく家には帰ってたよ。ね」
「そうそう。その実家からの帰りに殺されちまったんだよな」
「だけどよく考えたらさ、あたし達って、可哀想な子供だよね」
「俺達の親は、ダメな親だったな」
二人はセイジとあずまを見て、世の中の人々を見て、それを思い知ったのだ。自分たちの両親も、自分達も、ロクデナシだったと。
「不思議だな。太った奴の所からは、金と血がたくさん出てくる」
生前クライドが言った。罪悪など、全くなかった。邪魔だから殺す、金が欲しいから奪う。ただ、それだけ。
それが本当に「いけないこと」だと知ったのは、ミナと出会ってから。最初はミナのとる行動に何一つ理解ができなかった。しかし、北都が死んだ。歎き絶望するミナを見て知った。
友人の弟の命が奪われた。大事に思っている人の、大事に思っていた人が奪われた。奪われる側の悲しみを、初めて知った。
「ママ、愛してる。バイバイ」
家族を愛していた。だけど、本当の意味で決別するべきなのだ、とボニーは思った。土を採って祈りを捧げ、もう二度と戻ってはこないと固く誓って、背を向けた。
無常にも流れる時間。時間とともに発達した文明に、思い出は破砕された。荒涼とした土地、冷たいアスファルト。
アメリカの旅は、現代のテキサスは昔よりも少しだけ、ボニーとクライドを強くした。
★月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也
――――――――――――松尾芭蕉「奥の細道」序文より
月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。




