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コントラクト 3 ―宿命の契約―  作者: 時任雪緒
第2章 悪魔の二次関数
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私は運命の喉首を締め上げてやるのだ



 落雷で失神した二人を叩き起こし、日本へ戻り、マーリンやつばさから得た情報を元に、ミナの考える“完全なる世界平和”を研究者たちに話した。

「そんなバカな! そんな非科学的なことが?」

「いや、しかし、現に吸血鬼や悪魔だって存在しているんだ。今更非科学なんて物言いは無粋だ」

「確かに。そうか。しかし、信心深さが重要となると、どこかの僧侶か宮司でも呼んでくるか?」

「そこはアンジェロにお任せで!」

 そう言ってアンジェロを研究者の前に引き立てる。

 首を傾げる研究者たちに、アンジェロは元々ヴァチカンの司教で神を信仰していたと話すと、それはもう驚いていた。そしてヒソヒソと話す。

「似合わないな」

「全然聖職者っぽくないぞ、彼」

「神を信仰する吸血鬼って、何かしら」

「絶対異端児扱いされてたよな」

 当然人間の内緒話は吸血鬼には筒抜けだ。イライラしてテーブルをカツカツと指先で叩きはじめたアンジェロの様子を、アルカードは声を殺して笑っている。

 それに気づいたアンジェロは、アルカードに突っかかる。

「何笑ってんだ!」

「くっくっく、別に」

「アンタだって生前信者だったんだろーが!」

 そうなのである。しかも敬虔な教徒であった。元々正教会であったが、後にカトリックに改宗している。更にローマ教皇から“キリストの戦士”と讃えられたほどである。

 そしてやはり現れる、おなじみのレフェリー。以下略。

「伯爵も信者だったくせに吸血鬼なんかになりやがって、バチ当たりが!」

「うるさい! 貴様は聖職者ではないか! 貴様に言われたくはない!」

「俺は好きでなったんじゃねーし。アンタと一緒にすんな!」

「私とて好きでなったのではないわ!」

「ハッ、真祖のくせによく言うぜ」

「生意気な・・・!」

 やはり口ゲンカはアンジェロの方が強いらしい。一触即発の雰囲気になってしまったので、慌ててミナが止めに入った。

 研究者たちはこの二人がケンカになれば研究室が破壊されかねないと危惧していたのか、サンプルや機器を抱えて部屋の隅に固まっていた。

 ミナのストップと研究者の様子に二人とも雰囲気を察して落ち着いたようだ。やはり早期解決に限る。


「というわけでアンジェロ、なんかして?」

「なんか、ねぇ・・・」

 ミナが指さした、感染し、既に発症している被験体。人間の20代くらいの男性。麻酔を打たれて眠っている。

 その男性のベッドに近づくと、アンジェロはロザリオを取り出し手に持ち、それをかざしながら詠唱する。

「全能の神、あわれみ深い父は御子キリストの死と復活によって世をご自分に立ち帰らせ、罪のゆるしのために聖霊を注がれました。神が教会の奉仕の務めを通してあなたにゆるしと平和を与えてくださいますように。わたしは、父と子と聖霊の御名によって、あなたの罪をゆるします。アーメン」

 見た目には、何の変化も見られない。そう言って傍から離れたアンジェロの横から、すぐに研究者が被験体から血を取り、別室に被験体を移動しMRIで解析を始める。

 その間にミナが尋ねた。

「なにをしたの?」

「赦しの秘跡だ」

 赦しの秘跡は、告解、懺悔とも呼ばれる。赦しは、罪によって神に背いた者が、回心して神に心を向け、神に逆らった状態から解放され、自分を全く神にゆだね、神の子として生きるようになることを表している。

 悪魔のウイルスに感染したこと。それは神への反逆に当たるとアンジェロは考えた。当然病に感染すれば、罹患者はその事実を嘆く。その嘆きを懺悔と受け止め、赦免する。

「なるほどぉ」

「効果があるかは定かじゃねぇけどな」

 唸っていると、MRI室から研究者が出てきた。

「どうですか?」

「今の段階ではまだ何とも。継続して様子を見ましょう」

「それはそうですね。アンジェロ、よろしくね」

「わかった」


 それから一か月経って、ミナは目を瞠った。何度も何度も秘跡を受ける前と、その後の経過の写真を交互に見比べる。

「すごい・・・」

「信じられない・・・こんなことが」

 同様に苧環も言葉を失ってしまった。前と後、前の経過と後の経過。明らかに脳細胞の破壊が止まっている。脳髄や脳幹への浸食が進むにつれて麻痺や視力の衰えなどを訴えだしていた被験体の男性も、一定の回復を見せている。

 しかし、一度破壊された脳細胞や神経が再び修復されることは難しい。仮に命を取り留めたとしても、不随や不全に陥ることもある。

「まだまだ、ですね。秘跡では破壊を食い止めるので精一杯ってとこでしょうか」

「あとは科学の出番でしょう」

「えぇ」

「まだミナさんの理想には程遠い。ですが、治療法さえ確立できれば・・・」

「えぇ、この世界は、桃源郷です」

「希望が見えてきましたね。ジェズアルド博士」

「はいっ!」

 秘跡によりウイルスの異常増殖を止め、科学により症状を緩和する。ひどく手間はかかるが、人間が死にさえしなければ、まさしくこのウイルスはその名にふさわしい天使となる。


 それから何人もの被験体に同様の処置を施し、同時に脳神経や脳細胞を活性化させる術式や治療法を研究した。

 新たに脳外科医、脳神経外科医、リハビリ専門医などもチームに加わり、この秘跡と医術を並行した治療を始めて更に5年が経過した日、一人の被験体のカルテを見つめた。

「患者は、28歳女性。発症後43か月経過。秘跡により浸食は止まったが、脊髄神経、特に交感神経にその影響が出ており、消化器、腎臓の不全を引き起こしている」

「ビタミンB12など投与し、ミクログリア細胞を移植し活性化させた」

「更にIPS細胞の増殖を促進させた」

「長かったな」

「あぁ」

 女性の神経細胞は大幅に修復され、神経と細胞は活性化し、本来の働きを取り戻しつつある。不全を引き起こしていた臓器も、健康そのものだ。

「長かった」

「あぁ、本当に。やっとこの日が・・・」

 発症後、通例なら10か月か12か月で死亡してしまっていた。しかし、この被験体は発症後43か月も生存している。そして、症状は緩和し、ウイルスの増殖も神経の破壊も止まった。

 初めての、病を克服した症例。発症後に命を取り留めた、初めての人間。

「博士、神父様、ありがとう。ありがとうございます・・・!」

 被験体の女性は、最初誘拐されて実験台にされることを嘆き、とても嫌がった。しかし、この現実を喜ばずにいられるだろうか。女性と共にミナも研究者たちも、歓喜の涙を零した。

 成功症例が現れたことは、研究者たちは勿論、被験体たちにも大きな希望の光となった。その希望と歓喜がより脳に良い影響を与えたようで、被験体たちの回復は著しいものとなった。


 治療法はかなりまどろっこしい上に面倒だ。定期的に秘跡や儀式などを受けなければならないし、継続して投薬と注射をする必要がある。しかし、投薬と注射で脳神経を修復してしまえば、教会や寺社に通うだけで健康を維持できるのだ。感染してしまっても、発症前からその習慣を継続すれば、治療すらも必要ない。

 ウイルスを、病自体を治癒することはほぼ不可能に近い。やはり解析しても、ミナの持つ知識をもってしても、現代の科学では治療薬を開発できなかった。しかし、致死性は大幅にダウンした。

「完全治癒はまだ先だけど」

「祈り信じれば救われる、か」

「まさに奇跡だな」

「やるじゃない、ジェズアルド博士」

「みんなのお陰です! 山姫さんありがとうございます!」


 プロジェクトの立役者山姫は、この間に起きてきた。しばらく研究を見守り、成功症例が10件を超えた頃、山姫が動き出した。

「苧環、虎杖、成功症例のカルテと治療法、処置、全てを各国政府首脳に連絡。宗教を国家的に支援するよう進言して」

「かしこまりました」

 そして、世界は変わる。そして、運命は変わる。ミナたちは悪魔の組み立てた運命を、打倒した。


 “エンジェルウイルス”の蔓延する世界。人間たちは神を信仰し、それぞれの国、あるいは地域で信仰する神に信心するようになる。発症した人間の致死率も大幅に減少し、エンジェルの効果と宗教の教えによって犯罪や戦争が起きることもなく、思わぬ効果ももたらされた。

「土地神たちが大喜びよ」

 八百万の神がいる、日本。所謂妖怪や付喪神、土地神たちは人間の畏怖と信仰により生み出されたものである。

 かつて信仰されていたそれらの神も、文明化と共にその信仰は薄れ、弱体化していた。

 しかし、再び信仰が戻り、それらの神々や妖怪も力を取り戻しつつあるのだと言う。

「まさかそんな効果があるなんて、やっぱり人間ってすごいわね」

「本当に!」

 優しくなった世界。優しくなった人間。世界は、変わった。


「こうなると、廃業ね」

「そうですね」

 山姫の家業である暗殺。こうも世界が変わっては、こうも人が変わっては、依頼は激減。事業の継続など不可能だ。

 “エンジェルウイルス”蔓延時に混乱し、破綻した経済のあおりで、事業のいくつかも破綻した。山姫にとっては久しぶりの“ヒマ”だ。

「しばらくバカンスでも行こうかしら」

「たまにはそれもいいでしょう」

「行先はどちらにしましょう?」

 山姫と秘書二人の会話を聞いていたアンジェロとアルカードが即座に提案する。

「異次元、行きません? VIPでお迎えしますよ」

「どうせなら他の事業も人間に譲って、引退したらどうだ。小僧たちだけで行政を任せるのは頼りないからな」

「ムカつく・・・まぁ、けど、山姫さんなら大歓迎ですよ。その実業家としての手腕を、政治で生かす気はありませんか? 勿論、山姫さんの能力に見合ったポストを用意しますよ」

 突然のヘッドハンティングに面食らったようだったが、山姫も悩み始め、ミナも同様に驚いたが、アンジェロとアルカードの言う事も頷ける。

「うーん、確かにこっちでやることは、もうないんだよねぇ」

 そうなのである。世界平和は確立した。病の対処法も見つけた。ミナ達はこの世界には、もう用はないのだ。

 しばらく考えさせてほしい、と山姫は言って、山姫の言い分も尤もだという事になって、返事を待つ間、ミナ達はひとまずインドに渡った。


「クリシュナ、久しぶり。元気だった?」

「お陰様でね」

 更に老けたクリシュナ。今年、60歳を迎えるようだ。

「ウイルスを利用して世界を変えるなんて、ミナ様も考えたね」

「エヘヘ。だってみんなが優しくなるなら、その長所は生かすべきでしょ?」

「本当、ミナ様は昔っから、そう言うところは変わらないね。そうそう、ミナ様から貰ったプレゼント。ほら、おいで」

「わぁ! 大きくなったねぇ!」

 実は、ミナはクリシュナにプレゼントを送っていた。

 ミナ達が異次元旅行に行った後、当然クリシュナも感染してしまったが結婚した。しかし、生殖行為が発症の条件となると、子供を作ることなどできなかった。

 だから、ミナがクリシュナの妻、アジメールの娘であるエリザベスの卵子とクリシュナの精子を人工授精させ、被験体の一人に拝み倒して代理母になってもらい、代理出産させたのだ。

 その息子はジュリアスと名付けられ、3歳になっていて、小さい頃のクリシュナにソックリだ。

「もう、年取ってから出来た子供って可愛くて!」

「本当に。母親になれないんだって諦めてたから、嬉しくって」

 クリシュナとエリザベスはジュリアスを溺愛しているようだ。幸せそうに笑う3人の様子を見て微笑んでいると、クリシュナが顔を上げて、ミナににっこり微笑んだ。

「やっと言える。やっとこの日がやってきた。ミナ様、本当に、本当にありがとう」

「ありがとうございます」

「僕からお礼を言える日が来るって、信じてた。ありがとう」

 信じて、待っている。クリシュナがそう言ってから日本に渡り、7年の月日が流れていた。待つ方には長かったに違いない。それでも信じて待ち続け、今日という日を迎えられた。

 クリシュナは勿論、ミナ達にとってもこの日の事は喜ばしく、クリシュナの「ありがとう」は、まさしく赦しの秘跡であった。


 もう最後かもしれない、とシャンティ達の墓参りに連れて行ってもらった。

「ここに、シャンティとレヴィとジャイサルが眠ってるんだね」

「うん。スニルおじさんも家族だから、一緒にいるよ」

「そっか」

 広い広い石の庭。その一角、一つの墓石の前で、ミナは手を合わせ祈りを捧げた。

 葬儀にも顔を出せなかった。お礼も謝罪も言えなかった。ずっと世話になっていたのに、心配ばかりかけて、何もしてあげられなかった。シャンティ達に対する心残りが、あまりにも多すぎる。

 顔を上げて、墓石を撫でた。

「シャンティ、ゴメンね。ありがとう。約束するよ。私達、絶対悪魔に負けたりしない。悪魔の操る運命になんか負けない。シャンティが言ってたように、自分の幸せは自分で願う。私もシャンティみたいに、もっともっと強くなるから、だから、見守ってて」

 ミナの言葉に応えるように、風が優しく吹き抜けた。



★私は運命の喉首を締め上げてやるのだ

―――――――――――ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン



私は運命の喉首を締め上げてやるのだ。 決して運命に圧倒されないぞ。 この人生を千倍も生きたなら、どんなに素敵だろう。


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