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コントラクト 3 ―宿命の契約―  作者: 時任雪緒
第2章 悪魔の二次関数
22/96

強くなるには数百局負けて学ばなければなりません




 新型ウイルス「エンジェル」

 感染経路は接触感染、空気感染、遺伝、あらゆる経路から感染し、その感染力と発症力はペストを上回る。

 致死率は100%。潜伏期間は5年~10年。感染後、一定の条件を満たした後に発症する。

「条件って?」

「条件は一つ。人間として普通に生きる人なら、絶対に発症する」

 その条件は、生殖行動。発症すれば1年とせずに脳細胞が破壊され、死に至る。

「発症しないのは年寄りくらいだ。生殖能力がないからね。子供だって大人になれば誰もが通る道だ。今発症しないで生きてるのは聖職者くらいなものだよ。発症すれば死ぬ。発症しなくても少子高齢化は加速の一途を辿る。人間に残された道は、絶滅だけだ」

「治療法は?」

「今のところ、ないよ。世界中で40年も必死に研究が続けられているのに、エンジェルがどんなウイルスなのかもわからないんだ」

 感染力、致死率の高い不治の病。まるで天然痘のような、悪魔のウイルス。それに名付けられた、天使。

「死ぬ前に熱に冒されて、脳も冒されるせいだと思う。みんな幸せそうな笑顔で死ぬんだよ。その人の持てる全てを人に施して、人に親切にして、それに満足したみたいに笑って、どんな極悪人でもそんな風に死ぬんだよ。まるで、天使みたいになって。だから最初の頃はわからなかったんだ。世の中の人がみんな急に優しくなって、世界が変わって、一気に死んだ」

 ミナ達が第11次元に旅立ち暫く経った頃、世界各地の政界人が世界平和と世界的な援助や福祉を訴えだし、ものの数年で世界は生まれ変わった。

 その後一気に人口は減少し、研究者によってウイルスが発見されたのは15年後のこと。

 その間の研究でわかったのはウイルスの影響だけで、防疫策も治療法も未解明。このままでは確実に人間は滅びる。

「エンジェルは神の使いだと言う人もいるよ。荒廃したこの世界から人間を消し去るための、ノアの方舟みたいだって。人間が消えれば、地球は本来の姿を取り戻せるんだろうね」

 責任なんてとても負えるようなレベルではなくなっていた。ミナやアンジェロが責任のために死を選んだとしても、それで何かが変わるわけではない。

 結局、人間が絶滅すると言う未来には変わらないのだから。

「本当に、とんでもないことになったよ。まさかこんな手段を採られるなんて思ってもいなかった。悪魔に願ったことが希望通りに叶うとは思ってなかったけど、人類の存亡が危ぶまれる事態が発生するなんて、あの頃は夢にも思ってなかった」

 どうしたらいいのかわからない。

 世間に公表して謝罪する?

 誰が信じる? 悪魔を、吸血鬼を?

 誰が信じる? 悪魔に願ったからだと?

 謝罪してどうなる? 人間達は怒りの矛先を向けてくるだろう。そしてミナ達は殺される。それで満足して、その後は?

 何をしても何も変わらない。何を言っても死者が蘇る訳ではない。どう転んだって病が治るわけではない。

 打つ手なんかどこにもない。悪魔は人間を人質にとった。

 悪魔をナメるからこうなるのだ。大人しくして、素直に魂を引き渡せ、と。

 クリシュナは縋るような眼をして言う。

「悪魔に、願ってくれ。この病の治療法を教えてほしいって! この病を消してくれって!」

 わかっている。もう、それしか手段は残されていない。

「・・・おい、悪魔」

「はい、なんでしょう?」

「ウイルスを消せ。患者を治癒しろ」

 悔しい。屈辱だ。腹が立つ。悪魔にも自分にも。苦悶に眉を顰めながら、アンジェロはジュノに言った。それを聞いてジュノは笑う。とても、愉快そうに。

「なぜですか? 人間が絶滅すれば、世界は平和なのに」

 ジュノの言葉にアンジェロは激昂した。

「治せって言ってんだよ!」

「そんなことをしたら、世界平和はすぐに瓦解します。病が治った瞬間に世界中で犯罪と戦争が起きますよ。矛盾する願いは聞き入れられません」

 病に冒された政界人が強行した永世中立。エンジェルの効果がなくなった世界で、それを維持することは不可能だ。

 その国にはその国の価値観や利益がある。元々敵対し会う国もある。狙っているのだ、どの国も。衰退した経済、廃止となった軍、最早リーダーがいなくなったこの世界で、誰がリーダーになるのか。

 今は互いに牽制しあっている。水面下で機会をまち、世界の筆頭として名乗りをあげ、密かに温めていた軍備で世界を牛耳るのを待っている国が必ず存在する。

 戦争を仕掛けるなら今がチャンスだ。どの国だって戦争に耐える余力などない。しかし、それをどの国もしないのは、躊躇しているから。感染し発症した人間は、天使になる。天使は、世界の平和を乱す者を許さない。

 発症した患者が同じく政界人なら? 自分の家族なら? 市民なら? 反乱を招き、例えそれが誰であっても暗殺される。それを権力者たちは危惧している。

 しかし、もしエンジェルが消えれば、それが火種になるのだ。第三次世界大戦のきっかけに。

「そんな世界は平和とは呼びません。ですから、ウイルスを消すことはできません」

 チェックメイトを言い渡されていたのは、ミナ達の方だった。思わぬ結果。及ばない知略。悪魔にすがっても、願いを叶えてすらもらえない、絶望的な状況。

「いいじゃありませんか、人間なんて絶滅しても。あなた方の食料は、既に人間でなくてもよいのですし、新しい住み処もあるでしょう? なにを困ることがあるのです? 合理的な理由でなければ、納得しかねます」

 ジュノが欲しいものは魂。目的のためには手段は選ばない。理屈に合えば感情など必要ない。

 理屈に、合えば。

「じゃあ、ジュノ様」

 ミナが進み出て、目に涙を溜めてジュノを見上げた。

「私が別に契約して、病を治してってお願いしたら、叶えてくれますか?」

 予想通りとでも言いたげにジュノが微笑む。

「勿論、そうするなら聞き入れましょう。契約、しますか?」

「ふざけるな! やめろ!」

 アンジェロがミナの腕を引いて引き留め、ボニー達も同様にミナを諭す。

「あんたもうちょっと冷静になりな。気持ちはわかるけど、それじゃ思う壺だよ!」

「お前が契約したらなんの意味もねえだろ。俺が死ぬ意味も、コイツら双子が生まれてきた意味も!」

「そうだよ、ミナ様」

 間に入ってきたクリシュナがミナの肩を掴んだ。

「僕では力になれないから、彼らでプロジェクトを立ち上げた。僕はきっとワクチンができるって信じてる。今は日本で彼らが研究と開発を進めてる。ミナ様は科学者だ。行って、彼らと一緒に研究をしてくれ」

「彼ら・・・?」

 涙を溜めて見上げたミナにクリシュナは頷く。

「忘れたとは言わせないよ。ミナ様達が待ってたはずなのに、待たされる羽目になるなんてって、カンカンだったよ、伯爵は」


 クリシュナの言葉に、差し込んできた一縷の望み。まるで蜘蛛の糸のような、希望。それはまるで、パンドラの箱のようで。

「あ、アルカードさんが、目覚めてるんだね!?」

「もうとっくに。35年前に目覚めて、10年くらい前に日本に渡って行ったよ。みんなも、日本に行くといい」

 日本へ、恐らく山姫の元だ。山姫の家業は、各業界に触手を広げる実業家である。表向きは。

 宿泊施設は標的を確実に捉えるため、病院は食料の調達と、標的を逃がさないため。製薬会社は毒物や薬物を精製するため。運送会社は物資や人員を密航させるため。

 全ては、世界中の支配者階級から信頼と実績を買われた、その暗殺組織としての活動のため。

 しかし、世界が変わり、その需要が大幅に減少してしまった。

 事業の継続も難しくなった。なにせ人がいないのだ。いくら金があっても、人がいなければなんの意味もない。

 だから、山姫たちで乗り出したのだ。彼女達の持つ科学力、技術力、権力、財力、全てを人間の存続に投資することにし、現在もその研究が行われている。

 アルカードも当然こんな世界は望んでいないはずだ。彼は吸血鬼の中の吸血鬼。健康な人間が存在しない世界では生きられない。

 吸血鬼にとっても人間がいない世界は、墓場と同義なのだ。


「日本に」

「日本へ」

「アンジェロ、日本へ、連れてって」

 行先は決まった。やることは決まった。出来る事は残されていた。まだ打つ手はある。

 パンドラの箱は開けられてしまった。あらゆる災厄が飛び出し、疫病と不幸を振りまいた。しかし、箱の縁に引っかかって出てこれなかった「希望」が、ミナ達に呼びかける。

 諦めるのはまだ早い、諦めたら希望が潰えてしまうよ、と。

「わかった。クリシュナ、本当にゴメン。謝ったからってどうなるわけでもねぇけど、必ずワクチンを作って戻ってくる」

 ミナが研究に使っていたあらゆる機材と資料をかき集めた。薬学、量子学、遺伝子工学、生物学、人体力学、医学、錬金術。

 ―――――あの時は、できなかった。でも、時代が変わった。きっと私の研究はこの時の為にあったんだ。今こそ、私の才能を役立てる時なんだ。これが私の責任で、使命だ。

「ミナ様、アンジー、待ってるからね」

「あぁ、じゃあ、またな」

「絶対にクリシュナも、みんなも助けるから、待ってて」

「うん。約束だよ」

「うん。約束する」

 荷物を持って、全員で集まって、クリシュナに約束した。必ず特効薬を作る、と。それが自分の責任であり、使命だ。果たさなければ、なんとしても。

 約束を交わして、クリシュナと指切りをした。

「ゴメンね、クリシュナ。私、絶対あなたを助けるから。私が蒔いた種だから、私が刈り取る。絶対に薬を作って帰ってくるから」

 そう言ってクリシュナの手を握ると、クリシュナはクスクスと笑った。

「あはは、日本に行く前に、似たような事言って出て行ったよ、伯爵も」

「え? アルカードさんも?」

「うん。ミナ様達の事や、僕が生まれる前の事もある程度は僕と母さんで伯爵に話したんだ。あの戦いのときのこと、ミナ様とアンジー達がどんな思いで生きてきたか、ミナ様とアンジーの事、アンジーが悪魔と契約したことや、悪魔が何を考えてるか。憶測もあるけど」


 その話をシャンティがした時にアルカードは辛そうに俯いた。

「・・・そうか。何という事だ、あの悪魔。クソ、悪魔を騙すのは容易ではないな。まさか小僧が契約するとは。というか、なぜ小僧なのだ? よりによって小僧・・・あり得ん・・・・はぁ、しかし、コレも私の蒔いた種だ。私が刈り取らねばなるまい」

 アルカードは自分にも責任があると、その責を真正面から受け止めた。それを見てシャンティは言った。

「お願いでございます、アルカード様。ミナ様とアンジェロを助けてあげてください。あの二人は本当に苦労したんです。やっと幸せになれたんです。私は二人にこれ以上辛い思いをして欲しくはありません。もう、泣いているのを見たくはありません。クリシュナ様もミラーカ様も北都様も、ジュリオも生まれ変わりました。アンジェロは契約してしまいましたが、そのかわり失ったものは全て取り戻しました。あの戦いで支払った代償は、アンジェロが帳消しにしました。ですから、許して差し上げて下さい」

 一緒に話していたクリシュナが言った。

「伯爵は僕―――ジュリオからミナを奪ったでしょ? でも、僕はもう怒ってませんよ。もっと早くにあなたを許してあげられていたら、きっとこんなことにはなっていなかったのでしょう。復讐なんて、考えるべきじゃなかった。まるで僕はハムレットだ。だけど、同じ復讐劇でも、あなたには“テンペスト”の主人公になってほしい」

 テンペストの主人公は、宿敵を許す。その罪を免除し、宿敵の息子と自分の娘の結婚を祝福し、ハッピーエンドで終わる。フィナーレで主人公は、自分の行いは正しかったか、と観客に問うのだ。

「“お前は正しい”と答えが返ってくるなら、考えてやらんでもない」

「伯爵が正しい判断をすれば、万人が正しいと言いますよ」

「・・・そうかもな」

 複雑そうではあったが、ミナ達の気持ちや、ジュリオの気持ちを聞いて少し許容する気にはなったようだ。が。

「しかし、私は待てと言った筈なのだが、あのバカどもは何をしているのだ。何故私が待たねばならんのだ。戻ってきたら、きつく灸をすえてやらねばな」

 それはそれは怒っていたようだ。


 ―――――うーわー。どうしよう。超怖い! うっわ、絶対怒られる。最悪。

 想像するだけで恐ろしい。なんだかんだ30年以上待たされる羽目になったのはアルカードの方である。半死半生の怪我を負うくらいの覚悟はして行った方がいいだろう。

 既に嫌になってきたミナとアンジェロ。溜息を吐き二人して気合を入れ直している。すると、なぜか急にメリッサが荷物を漁り始めた。

 なぜかボニーの服を引っ張りだしたメリッサに、両親は首を傾げる。

「メリッサ、なにしてんの?」

「うるさいわ。ちょっとまっていてちょうだい」

 親に対してこの言い様だ。

「もう・・・本当可愛げがねぇな」

 と溜息を吐くクライドをよそに物陰に隠れたメリッサは、すぐに出てきた。出てきたメリッサに全員で驚愕し、ミナは腰を抜かしそうになった。

「さぁ、ボニー、クライド、ミナちゃん。アルカードに、会いに行くわよ」

 でてきたのは、さっき引っ張りだしたボニーの服を着た、ミラーカ。

 驚くミナ達にいたずらっぽくミラーカは笑う。

「うふふ。実は私、ミラーカの記憶も人格も全部引き継いでるの。子供のふりをするのは苦労したわ」

 そう言いながら何事もなかったかのように荷物を手に取り、

「坊や、行くわよ?」

 と、アンジェロを急かす。

「え、ちょ、ミラーカさん、マジ?」

「マジよ」

「マジか! ミラーカ様メリッサ!?」

「メリッサミラーカ様!?」

「もう、うるさいのよ。あなた達が親なんて、私はなんて不幸なのかと自分の運命を呪ったわ。ほら、話はあとよ。早くアルカードに会いたいのよ。さっさとして頂戴」

 道理で両親に対する態度がぞんざいなはずだ。記憶も人格もミラーカならば色々辻褄が合う。

「マジ!? ミラーカ様、マジ!?」

「もう! ボニーはうるさいのよ! ほら、行くわよ!」

「うわーん! ミラーカ様!」

「うるさいわよ! 鬱陶しいわね!」

 泣きながら抱き着くボニー&クライドを鬱陶しそうに引きはがそうとするミラーカ。呆気にとられて座り込んだミナだったが、また希望が増えた事に気付いた。

 ―――――よかった、ミラーカさんがいるってことは、アルカードさんの心の支えも手元に戻って来たんだ! 本当に良かった!


 戦争の代償に失った者は、全て取り戻した。

 契約の代価にアンジェロは死んでしまうかもしれない。願った代償に人間は絶滅しかけている。

 だけど、取り戻した者はきっと全てを覆す。きっと運命は変わる。諦めるのはまだ早い。駒はまだたくさん残されている。

 キングも帰ってきた。クイーンすらも戻ってきた。ビショップ(僧侶)ナイト(騎士)もいる。まだたくさんの駒と手が残されている。まだ反撃の余地はある。

 ―――――私が、私達がしっかりしなきゃ。私達はキングの、ルーク()なんだから。

 ルークは終盤まで残ることが多い、まさに最後の砦だ。そしてルークは単独でチェックメイトを差すこともできる。

 だが、まだ足りない。勝負はこれからだ。セブンスランク・ルークに持ち込むには、まずは日本へ向かわねばならない。

 ミナ達は改めてクリシュナに向いた。

「クリシュナ、本当にゴメンね」

「全くだよ。けど、できたらお礼の方を聞きたいね」

「うん、ありがとう」

「で、僕からお礼を言える日が来るって、信じて待ってるよ」

「絶対に薬を作る。もう、やられっぱなしではいないよ」

「うん。待ってるから」

「うん」

 こうして、反撃の一手を打ち返すために、ミナ達は日本へ渡った。


★強くなるには数百局負けて学ばなければなりません

――――――――――ホセ・ラウル・カパブランカ(チェス世界チャンピオン)


勝ったゲームより負けたゲームの中に沢山勉強することがあります

強くなるには数百局負けて学ばなければなりません

チェスは疑う余地なく、絵画や彫刻と同じ芸術です


カパブランカから世界チャンピオンのタイトルを奪われたラスカーは、

「チェスの強い人はたくさん知っているが、チェスの天才は彼ひとりだけ」

と彼を評した。彼を形容するために残された言葉は多い。

「チェスは彼の母国語であった」

「キューバは砂糖を失っても、カパブランカを失ってはならない」など。

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