ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こす
「マニー!」
「リンゴ取って来たよ!」
「えぇぇ!? 木ごと!?」
旅行3日目の夕方。今日は城下に降りて、城下の子供たちと遊んでいる。マニに頼まれてリンゴを取りに行った双子だったが、面倒だったのか木ごと引き抜いてきてしまったようだ。
「こんなことしたら木が枯れちゃうだろ」
「「だってぇ。届かなかったんだもん」」
「もう・・・ほら、実を取ったらまた植え直すんだ。早く実をとろう」
「「うん!」」
せっせと実を千切る双子にマニも可笑しそうに笑っている。同年代の子供が遊んでいる様は実に微笑ましい。
「あの子、父親を悪魔に処刑されたから悪魔が大嫌いで。ずっとふさぎ込んでいたのだけど・・・」
そう言って笑うマニをみて、マニの母親・クミルも嬉しそうに笑う。
「ウチの双子も退屈してたし、こっちで友達ができて良かったです。ね?」
「そうだな。ちょくちょくこっちにも遊びに来るか」
「うん」
「ありがとうございます」
そうしていると、家の庭先をディアリの男達が通りかかり、ミナ達に気付いた。
「おい、あれは陛下の所の吸血鬼じゃないか」
「クミルの家には関わらない方がいいな」
「あぁ、僕たちまで仲間だと思われたら、何をされるか」
「行こう」
ディアリ達の話を聞いて、ミナは改めてこの世界の現実を思い知った。悪魔に怯えるディアリ達、悪魔に反旗を翻した者は平和を乱す反乱分子として、ディアリ達からですら疎外される。
この様子ならマニが街で他の子に虐められてしまうかもしれない。クミルも村八分にされてしまう。ミナのせいで。
自分の行いを激しく後悔した。ミナの正義感は役立つどころか、余計に彼らを傷つける。軽率な行動で余計に彼らを苦しめる。
当然アンジェロも同じように思っていたのか、考え込んでしまった。その様子にクミルは儚げに笑う。
「いいんですよ。私も夫が殺されて悪魔を恨んでいたし、この上あの子まで失ったら、生きていられなかった。あの子が無事であれば、何だって耐えますよ」
その言葉を聞いて、心底申し訳なく思った。彼女たちの平穏を乱してしまった。双子と笑いあうマニを見て、その責任を負わなければ、そう思った。
すると、急にアンジェロがジュノを呼び出した。
「なにか?」
「とりあえず、この旅行は一週間の予定だ」
「そうですね」
「で、伯爵が戻ってきたら、俺らこっちに引っ越すから」
「はい?」
「で、今から俺がこの城下、アリスト市の市長な。条例も法律も市内のものは全部改定。俺らが来るまで、俺の言った通りにしとけ」
「な、な、なにを・・・」
「明日までに改定法を草案しとっから、今日中に触れを出しとけよ。新市長は吸血鬼、アンジェロ様。前の市長はどっか別んとこにやれ」
「冗談じゃありません! 何を言うのですか!」
「冗談で言うかよ。わかったらさっさとしろ」
「くっ・・・」
「オラ、さっさとしろよ。お前は俺とミナの願いは聞かなきゃいけねぇんだ。こんな不条理な治世じゃ、ミナは幸せじゃねぇからなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・・クソっ」
口惜しそうに消えたジュノと、したり顔でニヤニヤするアンジェロに、呆気にとられるミナとクミル。
この男は突然何を言い出すのかと思えば、まさかの市長に立候補だ。
「ちょ、アンジェロ、本気?」
「本気。俺が治めれば、市内の治安も行政も全部俺の思うが儘。役人も悪魔は全員解雇で、ディアリや妖精を雇用。俺の命令なしでの処刑は厳罰」
「ちょ、ちょ、マジ?」
「マジ」
「私今から市長夫人?」
「そゆこと。俺、すごくね?」
「すっごーい! アンジェロさすがだよ! 本当、なんでそんなカッコいいの!」
「生まれつき」
ミナはアンジェロの思い切った提案と素敵さに眩暈すら覚えた。が、アンジェロはこの件でさらなる野望を描いたが、それは後に取っておくとしよう。
しばらくポカーンとしていたクミルだが、徐々に正気を取り返してきた。
「あ、アンジェロ様が今から市長?」
「そ。お前秘書でもやる?」
「えっ! えぇ!? そ、それはミナ様の方がいいのでは!?」
「あーダメダメ、コイツ科学者だから他にも仕事はあんの」
「え、私、科学者の仕事するの?」
「当たり前だろ。何のための才能だよ。お前は市内の技術開発」
「マジ・・・」
てっきり市長夫人として、優雅に悠々自適に過ごせると思っていたミナには大誤算である。ガックリと肩を落とすミナとは対照的に、アンジェロは愉しそうだ。
「あー、これから忙しくなるぞ。やっぱヒマなのは性に合わねぇからな」
「って言っても、私達あと5日しかこっちにいないんだよ? また来るのがアルカードさんの帰還後なら、まだ何年も先じゃない」
「その点は問題ない。あの悪魔に空間転移の仕方教わったからな。俺も転移できるし」
「マジ!? いつの間に!?」
「こっち来る前。今回こっちに来たのは試しと思って、悪魔じゃなくて俺が転移させたんだよ」
「そうだったの!?」
「そ。だからちょいちょいこっちに来る。俺がいない間に妙な真似されても困るからな」
「・・・ホンット、アンジェロってやることにソツがないよね」
「まーな」
ジュノもとんでもない男と契約してしまったものである。その内転移の仕方を教えてやると言っていた以上、教えないわけにはいかなかったのだろう。
当然アンジェロも自分が市長に立候補しようなどと、今の今まで考えてもいなかったが、アンジェロの中で色々考えた結果、悪魔を打倒する算段がついたらしい。その一環として、そのような提案をしたようだ。
ミナもアンジェロの奇抜な思いつきには度肝を抜かれ、全面的にディアリ達を救うことが出来ることに大いに喜びはした。
―――――けど、よく考えたら私、政治なんて意味わかんないんだけど。すごいな、アンジェロ。もう本当スゴイ。こういうところ、すごくアルカードさんに似てる。着いて行くのがやっとだよ・・・
現実をよくよく考えなおして、溜息を吐いた。
程なくして空を無数のドラゴンが飛び回り始める。ドラゴンの背に乗った悪魔が嫌そうにビラをばら撒く。
庭に落ちてきたビラを拾い上げた。
―――アスタロト国王陛下より勅命―――
現市長・ムスドラは湖畔の北、エヒラケ市長に転属。
新市長として吸血鬼・アンジェロ・ジェズアルドを配属。
現行法は撤廃、明日新法を流布する予定
「ハハハ、あのクソ悪魔、意外に仕事が速えぇじゃねーか」
アンジェロは満足そうだ。
―――――あり得ない。これはあり得ない。私一般人だったのに、ただの吸血鬼だったのに、アンジェロは神父だったのに。いきなり旦那が市長に・・・まさか行政に関わる日が来るなんて、本当あり得ない。どないせーっちゅーねん。
ミナは頭が真っ白になり、ついでに白目も剥いた。
「言っただろ、中途半端な関与は余計なお世話。やるなら徹底だ。そもそもお前が始めたことだ。腹括れ」
「・・・責任って、重いんだね」
「下手すりゃ人の命より重いのが責任だ。さーて、市庁舎に挨拶でも行くとするか」
新市長、ノリノリ。ミナ渋々。
―――――これ、旅行だよね。旅行だったはずだよね。
とんでもないことになってしまった、と悩むミナの気も知らず、訳も分からず喜ぶ双子とアンジェロと共に市庁舎へ向かった。
市庁舎の前には500人とは言わない位の人だかりができていた。肝心の新市長は全く前に進めない。そこにアンジェロは突然声を張り上げる。
「新市長・アンジェロ様のお通りだ! 道を開けろ!」
「普通それ自分で言う!?」
「言う」
言うらしい。アンジェロの声に驚いたディアリをはじめとする市民たちは、ざわざわとしながらも道を開ける。
何とか市庁舎の門の前まで辿り着くと、そこには衛兵の悪魔。
「開けろ」
「・・・」
「“かしこまりました”だろ。俺をシカトした罪で禁固5年。おい、市民ども、この衛兵を捕えろ」
市民たちはそう言われてもその場を動けずに顔を見合わせる。その様子を眺めていたアンジェロは後方で目を止めて、ニヤリと笑った。
すると後ろから
「捕まえろ!」
「罪人は悪魔の方だ!」
と、声が聞こえて、その声に扇動される様に市民たちは衛兵を捕えた。その様子を見てアンジェロはまたしてもご満悦だ。
「ハハハ、いいねぇ、いい気分だ。まさに革命!」
そう言ってアンジェロが後方の声の主に目をやると、ジョヴァンニとレミ、リュイがしたり顔でニヤニヤ笑っていた。どうもアンジェロの為に気を利かせたサクラだったようだ。伊達にアンジェロが教育していない。
「一人が動けば3人が動く。3人が動けば10人が動く。集団の行動心理は、どの種族も共通みてぇだなぁ」
「うっわ、策士!」
アンジェロはこの行動でまんまと市民を手中に収めた。
よく見るとシュヴァリエやクライド達も城門前に来ていた。城門を開き全員で市庁舎へ入ると、役人らしき悪魔達からは侮蔑の視線だ。
「これが世に言う針のむしろ・・・」
「ハッ、好きにさせとけ。どーせ悪魔は用が済みゃ全員解雇だ」
「用って?」
「引き継ぎ」
「してくれるかな?」
「しない場合は投獄」
「厳しいね」
「当然」
城内に入るとアンジェロは衛兵たちに速やかに武装解除を命じる。市民から希望者を募り、その市民達を衛兵として再配備。抵抗した悪魔は即捕縛され、連行されていく。
「アンジェロもだけど、市民もよく働くねー」
感心していると、アンジェロは当然、という顔だ。
「悪魔に反感持ってる奴がそんだけ多かったってことだ。奴等の暮らしぶり見れば一目瞭然。贅の限りを尽くした悪魔と違って、文明は低水準、生活はインドのスラム並み。あくまで首都だから豪族や豪商もいるだろーが、んなもん、ほんの一握り。法外な課税に過酷な労働で疲弊しきってる。突然現れた得体の知れない奴が街を牛耳るだけなら、こうも巧くはいかねーけど、昨日マニ助けたのが効いたみてーだな」
「そう言われてみると・・・改革するの?」
「勿論。その為の権力だ」
最上階の一番奥、市長のオフィス。悪魔の衛兵は槍を十字に重ね合わせ、通すまいとする。
「おい、誰に向かってそんな態度取ってんだ? ここのトップは既に俺だ。どけ」
「ふざけるなっ!」
「っハァー、この俺に槍を向けるとは! とんだ衛兵がいたもんだ。なぁ?」
「全くだな」
アンジェロの言葉に同意したクリスティアーノが、即座に衛兵を射殺した。
「俺に切っ先を向けるは死刑と同義。理解出来たらドア開けろ」
「・・・っ!」
もう一人の衛兵は悔しそうにしながらも、反逆すれば死を免れないと悟ったのか、ドアを開け、即座に武装解除させその場から追い出した。
市長のオフィスには秘書や文官と思われる悪魔が数名と、一番奥に市長と思われる肥え太った悪魔が鎮座している。が、その様子はとても執務室とは思えない。仮に就業時間外だからだとしても、あり得ない有様である。
「おいおい、気が早えぇな。新市長就任パーティ?」
アンジェロが嫌味タップリに言う。当然だ。執務室の中はどういうわけか、宴の真っ最中だ。広い室内にたくさんの料理が並べられ、役人の周りには悪魔に色目を使う女が侍り、楽士までいる始末。
「無礼者! この室に悪魔以外の入室は禁忌であるぞ! 死刑だ!」
文官の一人が叫んで立ち上がる。
「ははぁ、なるほど。お前らひょっとして、勅命知らねぇな?」
「えぇ、マジ?」
「ちょ、勅命だと・・・?」
ざわつく悪魔たち。どうやら本当に知らないようだ。クライドがビラを持って文官の一人に突き付けると、その内容に文官は目を丸くする。
「な、ば、バカな! こんなこと、あり得ない!」
「なんだ! 見せろ!」
奥から市長が怒鳴りつけると、慌ててその文官は市長にビラを渡し、市長も同様に目を見開く。
「先程の伝令は・・・」
「バカな、こんなことが・・・外の騒ぎはこれか!」
どうやら宴にかまけて、この通達をしに来た伝令を追い返したようだ。まさしく愚の骨頂である。勅命が行き渡ったとみて、アンジェロは笑う。
「そう言うわけだ、“元”市長。今から俺が新市長。宴はやめだ。女どもは出て行け。不要な食料は市民に明け渡せ」
「冗談ではない! 吸血鬼ごときが市長だと!?」
「そうだ。たかが吸血鬼ごときが今から市長だ。悪魔様は逆らえば死刑、良くて投獄か国外追放ってとこだなぁ。さぁ、さっさとその腐ったケツを市長の椅子から下せ。そこは俺の席だ」
「き、貴様・・・図に乗るな!」
「図に乗る? 俺が? バカ言うな。今からここでは俺がルールだ」
「・・・アンジェロってば」
「尊大だなー」
「「お父さんカッコイイ」」
元々のアンジェロの性格である。権力をゲットしていよいよ尊大さに磨きがかかったようだ。それに憧れの眼差しを向ける双子。ミナはというと、いい加減少し呆れている。
元市長は憎々しげにアンジェロを睨むも、シュヴァリエや後方に控えるディアリの衛兵を見て、さすがに状況を察したらしい。溜息を吐き頭を垂れて、諦めたように立ち上がった。
「・・・わかった。私も異動の準備をせねばならん。手続きは文官どもに任せる」
その様子を見てアンジェロは礼を取った。
「ご理解、ご協力に感謝しましょう。新天地でのご活躍をお祈り申し上げます」
そう言ったアンジェロに一瞥をくれて、元市長は退室した。
さて、と顔を上げたアンジェロはディアリ達に即座に宴の片づけを命じ、女達を追い出し、一番奥の使われているのかも怪しかったデスクへ着いた。
そこにドカッと腰かけたアンジェロに、シュヴァリエは口笛を鳴らし手を叩いて囃し立てる。
「イエー! 新市長!」
「ジェズアルド市長!」
「うはー! 何この展開!」
「さすがアンジェロ! 痺れるー!」
それらの賛辞に、「まぁまぁ」と得意そうに両手を挙げて、囃し立てる面々を落ち着かせる。アンジェロの隣に立っていたが、その様子に割と心底呆れた。
「祝いは後だ。こっからが本番だ。おい、文官ども、この市内に流布されている法律の法典を持って来い。あと地図と収支報告書、損益計算書なんかの前年度決算の帳簿、議事録、名簿・・・」
「ま、待て。そんなに運べない」
そう言った文官を睨み上げる。
「あぁ? ざけんな。持って来い」
「無理だ。そんな膨大な量のタブレットは運べない」
「タブレット!? 紙じゃねーのかよ!」
「紙は王宮でしか使えない。数がないし、高価で・・・」
「マジかよ! 印刷術どころか製紙術まで紀元前・・・ハァ、しょうがねぇ」
それに驚いていると、デスクにタブレットが乗っていた。本当に技術は発達していないようで、よく見ると先程のビラも紙というよりはパピルスのようだ。
文官たちに案内されて書庫へやってくると、書架には沢山のタブレットが積み上げられている。
「うあぁ、作業性悪そうだな。とりあえず、法典はどこだ」
「こちらだ」
法律関係の書架へ行くと、色んな意味で驚いた。
「少なっ!」
「これだけ!?」
タブレットが倒壊しないように、縦長の書架。幅20センチ、高さ1m程の書架が並ぶ中で、法律関係のタブレットは3列しかない。
その一つを手に取って見てみる。
「税制。一家庭につき50万リル・・・え、これだけ!? これが税制!?」
驚くのも無理はない。普通第3次元ならどの国だって、税の分類も課税率も家庭どころか個人で違うものなのに、雑にも程がある。
「ちょ、文官さん。この国の一般家庭の平均年収は?」
「約70万だ」
「70万に対して税が50万!? バカじゃないの!?」
「・・・そう言う法律だ」
「ちょ、待って。この税は市民にどういう形で返還されてるの?」
「治水、灌漑、城壁の補修などのインフラ整備」
「だけ!?」
「だけ、とは?」
「福祉とか生活の保障とかないの!?」
「なぜそのようなことを?」
「普通でしょ! この課税率での還元率の低さは異常だよ! アンタら頭おかしいんじゃないの!」
「・・・」
心底呆れた。保険や年金、インフラ整備を含めあらゆる返還を加味した上での、この課税率ならまだわかる。それがここではインフラ整備くらいにしか使われていないのに、収入の70%が税で持っていかれるのだ。非常識極まりない。
他の法律も杜撰そのもの。まともな司法制度もなく、労働基準は雇用主のマイルール、金融制度も金利は金融側のマイルール。
「あっ・・・きれた」
「まったくだ。法律は全面的に改定だな。おい、世帯調査は?」
「そんなものはない」
「あぁ!? じゃぁどうやって徴収してんだ!」
「取立だ」
「市民の管理は?」
「していない」
「・・・っハァー、驚いた。悪魔は脳まで紀元前かよ。これを一からやるとなると、こりゃ大仕事だぞ」
「なんか気が遠くなるよ・・・」
早くも嫌になってきたミナであったが、改定法案を明日提出すると言ってしまった以上、やるしかない。法律のタブレットはすぐに読み終わったので、続いて決算報告書の棚へ。当然こちらもツッコミ所満載で、無駄遣い甚だしい。
「支出の大半が交際費・・・」
「人件費と公共事業に充てる金額がものスゲェ少ねぇな。マジあり得ねぇ」
どこかでちょろまかしているとしか思えない。大体税は公共事業にしか使われていないのに、支出の筆頭に公共事業が上がっていない時点で相当おかしい。
「ツッコんでたらキリがねぇな。次、議事録は?」
「こちらだ。議会は司法も兼務している」
早くも嫌な予感だ。ツッコミ疲れたミナ達の代わりに挙げてみよう。一般市民における犯罪、窃盗、殺人、放火、これらの犯罪が悪魔に対してのものなら、いかなる軽犯罪でも死刑。市民同士なら斬手、もしくは斬足。牢獄はその順番待ちをするためだけにあるようだ。
議会における法案や事業の議決も、有力な者、財力のある者や悪魔族のツルの一声で決まっているようだ。
「こんなもん議会じゃねぇ!」
思わずタブレットを叩き割るアンジェロ。
「議会は即解散だ! こんな無意味な合議制はいらん!」
「ではどうするのだ」
「俺らで独裁するに決まってんだろ! 専制合議は破綻の元だ! 俺一人の方がまだ上手くやれるっつーの!」
さて、ここで専制政治、絶対君主制と独裁政治との違いを述べよう。まず専制政治においては、貴族などの階級のある者達が世襲制で就くのが常套である。専制政治においては、その階級の者たちでの合議制が敷かれることが多いが、権威のある者達に議会を牛耳られるという事態が多く誘発される。よって、専制政治における合議制と言うのは、行政の破綻に繋がりかねない。
また、絶対君主制もそれに当たる。これは特定の君主が独裁的に政治を執り、また世襲されるものである。トップが有能ならば問題ないが、バカ殿なら結果は言うまでもないだろう。
引き換え、独裁政治と言うのは支配者と被支配者における階級はほぼ同一である。大概、革命やクーデターなどの社会の混乱時や、行政、経済の低迷期に擁立されることが多く、この場合は市民からの支持も厚く、市民や民主主義により擁立される者であるため、当然行政は安定する。
また、独裁政治の場合は市民の反発がない限りは支配者の交代は存在せず、交代の場合も民主主義により擁立された、新たな支配者を置かれる。アンジェロの場合は例外と言えるだろうが、アンジェロは常識的で非常に有能な男である。役立たずの議会より彼一人に任せた方がマシだという発言の意味をご理解いただけただろう。
が、議会を設置しないわけにはいかない。市井の実情を知るのは支配者の義務である。
「市民へ通達しろ。議会選挙は明日の日没後だ。選挙会場は市庁舎1階。議員枠は10名、候補者は不要! 選挙活動も不要! 市民の中から人気投票で決める!」
「人気投票!?」
「名声や財力があるだけの奴なんかいらん! 誠実・公正・良識・堅実・優秀! 条件はこれだけだ! わかったらさっさと行け!」
「いや、わからん! 市民など・・・」
「バカかてめーは! 民主主義においては市民が基盤! んなモン常識だろーが!」
「非常識だ!」
「非常識はテメーらだ、ボケ! あぁもういい! お前には頼まん! おい、お前ら聞いてただろ! 行け!」
「ハッ! かしこまりました!」
さっさと文官に見切りをつけたアンジェロは、傍に控えていた衛兵2人を指名し、その衛兵は即座に書庫から飛び出していった。
浮かれて飛び出した衛兵は、それはもう興奮だ。
「すごい、すごいぞ!」
「新市長はすごい奴だ! この町はひっくり返るぞ!」
「あぁ!」
希望に満ち溢れた顔で、ディアリの衛兵たちは大声で選挙を触れ回る。その噂は瞬く間に市中に広がっていった。
地図、報告書、商人や貿易のリスト、様々な資料を広げながらみんなで法律を草案し、出てきた意見をミナが手帳に記していく。
「税は累進課税な。世帯調査して、大人の所得から」
「税率は?」
「それは調査が終わらなきゃわかんないだろ」
「公共施設は?」
「おい悪魔、医師は?」
「市庁舎にいる」
「なるほど、金のある奴しか診ないわけだな」
「ならよ、市立病院作って、解放すれば?」
「や、解放はマズイ。ディアリは脆弱だから、更に課税する必要が出てくる」
「なら普通に金とるべきだな」
「つか、医療つっても大したレベルじゃねーだろ」
「あ、じゃあ激安でイケるな。必要な金つったら薬草代と食費くらいだろ。医師の賃金だけ税で賄う」
「だな。労働法は?」
「これも調査後だな。最低賃金、週定労働時間は最低でも決める」
「金融は?」
「最高金利は30%、最高額50万」
「銀行作る?」
「セキュリティがないからな。難しくないか?」
「だな。後回し」
「民法は?」
「今までルールなかったからな。市民の暗黙の了解てのもあるだろうし、難しいとこだ。これは議会で議論する」
「だな。刑法は?」
「基本は第3次元の応用。けど、基準はかなり厳しめにする。その分司法を緻密にやる」
「司法か。検察は初期は俺らでいいのか?」
「あぁ。あ、お前らの誰かで憲兵隊を組織しろ。市中警吏、捜索、警察の仕事をやらせる」
「あ、俺やってみたい」
「ダメ。ディオはミナと一緒に技術開発」
「・・・わかった」
「じゃぁ僕やる」
「いんじゃねーか。ジョヴァンニが市庁警吏、レミが市中警吏?」
「それでいこう」
「商法は?」
「とりあえず、独占禁止法とPL法は厳重にやる。どうせ商店レベルだろうから、会社法は今の所必要ない」
「あんまり厳しくすると反発が起きないか?」
「それに経済が発展しないよ」
「そうだよな。競争力も必要だから、ある程度は自由を認める。商業行為法も売買契約の規定位でいいだろ」
「教育は?」
「とりあえず初等教育くらいは必要だな。学校作って無料解放。リュイ、お前は教育学部卒だから教師やれ」
「えー!!」
「どうせ学問の水準なんか低レベルだって。ガンバ!」
「・・・わかりました」
「市庁舎職員採用は?」
「衛兵は義務感が強くて力自慢の奴」
「文官は頭いいやつ?」
「が、ベストだけど、数字ちょろまかされても困る。仕事なんかやってればその内誰でもできる。真面目、これに尽きる。試験は心理テストを織り混ぜた面接な」
そんな感じで割とトントン拍子に草案されていき、夜が明ける頃に「アリスト市特別法」が起草できた。
「ふあー疲れた!」
「旅行が革命活動になるとはなぁ」
「眠い・・・」
「お前らは寝ろ。俺とミナで悪魔にこれ提出すっから」
「わかった」
「今日からこの市庁舎が俺らの第2の家だからな。目が覚めたら荷物全部持ってこいよ」
「わかった。おやすみー」
「おやすみ」
シュヴァリエと子供達は宮に戻り、手帳に記した内容をデジカメで撮影し、タブレットに彫っていく。
「うぅ、面倒臭い」
「これをいかに楽にするかはお前の頭脳にかかってんだからな。お前は文明の先駆者になれよ」
「うぅ・・・」
こうしてなんとか昼前に法典が完成し、ジュノに渡した。
「・・・これは市内のみですか?」
「そ。細かいことはこれから制定する。言っとくけど市内はお前には治外法権だからな。市内の行政に関しては全権が俺に帰属する。そこに書いてある通り」
「・・・わかりました」
こうして、アンジェロはまんまと市の行政を掌握した。
そして旅行4日目の夕方、選挙だ。
「はーい、皆さん。その木の札に推薦する人の名前を書いて、この箱に入れてください!字が書けない人は私達に言ってくださいね、代筆しますから!」
選挙には市庁舎に入りきらないほどの市民が詰めかけ、投票箱はすぐに一杯になり、何度も中身をひっくり返しては随時開票が行われた。
夜が更けた頃に何とかすべての開票が完了し、上位10名から議員が選出され、それぞれ市庁舎に来るように通達がなされ、集まったところで議員も含め全員で市庁舎城門の上に立った。
城門の上に姿を現すと、わぁっと歓声が上がる。仁王立ちするアンジェロの隣に立って門の下を見下ろすと、深夜になると言うのに大勢の市民が湧きかえっている。その声は、歓喜、歓喜!
「見ろ! あれが新しい市長だ!」
「悪魔から子供を助けてくれた!」
「新市長万歳!」
市民の歓声にミナは胸がいっぱいになって、感動のあまり目頭が熱くなった。思わず口元を覆ってしまったミナの様子に、アンジェロが笑った。
「感動するのはまだ早ぇぞ」
「うん」
「これからが大変だ」
「うん」
「お前の願いは、どこに行っても俺が叶えてやる。だから、これからも俺の傍で支えてくれ」
「・・・うん!」
そうしていると、衛兵の一人が向こうから走ってきた。
「市長! こちらをお召ください!」
そう言いながら黒い布を掲げたが、走ってきた勢いで石の隙間に足を引っ掛け、思いっきりミナに突っ込んできた。
「きゃぁ!」
「わぁぁぁ!」
突き飛ばされたミナは衛兵もろとも城壁の上からまっさかさまに落ちていく。下の市民たちが顔色を青くして「あっ!」と声を上げたが、咄嗟に一緒に落ちる衛兵の腕を掴んで、羽根を広げた。
「・・・びっくりしたぁ」
パタパタ飛んで再び城壁の上に。衛兵も下すと、その瞬間に衛兵は跪いて震えだした。
「も、も、申し訳ございません!」
「え、うん。いいですよ」
「誠に申し訳・・・え、いいですよ?」
「はい。別に怒ってませんよ。このくらい」
「え、え」
「そんなことより、その持ってる布。それなんですか?」
「えぇ!? あ、えと、市長など高位の役人はパルダンメントウムを羽織ると言う慣習がございまして、こちらは新市長就任に合わせて職人が作った物で、先ほど是非にと献上されたものです。どうぞ、こちらをお召いただきたくお持ちしました」
それを聞いて差し出されたパルダンメントウムを手に取ると、アンジェロはしげしげと見つめ、それを羽織り肩で留めた。
「へぇ、上等な絹だな。なるほどな、マントは権威の象徴だ」
「は。よくお似合いでございます」
台形に裁断された黒く大きな絹の布は、首元にたっぷりとドレープを持たされ、片側の肩の所で留めた上から襟の部分を折り返し、その部分だけ長くなっているのをストールの様に巻きつける形になっている。
「まるでビザンティン朝の王族だな」
「ハハ、そうだな」
黒く、艶やかな絹のマントが良く似合っている。思わず見とれていると、アンジェロに笑われた。
バサッと風にマントが煽られ、はためく。羽のように。アンジェロの市長としての姿に観衆が湧き上がる。
「さっきミナの羽根見て思ったけど、これが世に言うバタフライエフェクトだね」
ボニーがそう言って笑う。
「だよな。まさかディアリの子供助けて、アンジェロが市長になるなんて予想だに出来なかったぜ」
クライドも笑う。
「二人にも、当然これから山ほど仕事はありますから、覚悟してくださいよ」
アンジェロにそう言われて、二人はやれやれと言った様子で笑った。
門の上と下では衛兵が市民に静粛を求めている。
「静かに! 市長の挨拶があります!」
やっと騒ぎが収まってきた市民たちを見下ろして、アンジェロはすぅっと息を吸った。
「俺が新市長、アンジェロ・ジェズアルドだ!」
途端に湧き上がる歓声。当然アンジェロはこう来る。
「うるせェェ! 黙れ!」
「・・・アンジェロ」
このくらい許してやってもいいものの、相変わらずうるさいのは嫌いなようだ。アンジェロに怒鳴られた市民はピタリと静まり返る。
「お前達に一応言っておく。俺は優しくはしねぇ。甘やかしもしねぇ。が、お前らが努力し、自らの力で這い上がる機会は与えてやる。要望があるなら、遠慮せずに言いに来い。この市の法律はより緻密に厳重になるが、理不尽な圧政は終わった。お前達の人生は、お前達のものだ。自分の人生に責任と誇りを持て。市民ども、努力しろ! 自分の運命を自分で構築しろ!」
市民たちにとって、自分たちの人生は自分達の物ではなかった。重税、圧政、様々な制約。悪魔に怯え、金もなくやりたいことなどやれるはずもなく、文化や信仰すらも制限され、発言すらも許されていなかった。
突然降ってわいた自由に狼狽えはした。しかし、市民たちは感動して涙を零した。自分の人生に、責任と誇りを。自分の運命を自分で構築する。その人生にどれほど憧れていたか。アンジェロの言葉は、市民たち一人一人の胸の奥深くに落ちていった。
「俺が支配者として不適格だと思ったら、遠慮なく反抗しろ。俺はただの吸血鬼だ。まだ百年も生きていない若造だ。俺にも知らないことやできないことは山ほどある。市民がいなければ政治は成立しない。俺一人では何もできない。お前達市民の協力が必要だ。お前達一人一人がより良き未来、より良き政治を望むなら、俺に協力してくれ」
「協力する!」
「なんだってするさ!」
「新市長万歳!」
「ジェズアルド市長、万歳!」
湧き上がる歓声は空気を震わせ、地を揺らすほどに轟く。歓声、歓喜、興奮。思わず鳥肌が立って、ぎゅっと自分の腕を抱いた。
この吸血鬼達による無血革命はずっとずっと先の未来まで、エレストル、引いては第11次元の歴史に名を残すことになる。
★ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こす
―――――――――――エドワード・ローレンツ
一般にバタフライエフェクト(効果)と呼ばれるものである。
一見無関係に思えた小さな出来事が、その勢力を拡大させて大きな事態を発生させ、その行く末は予測不可能という意味のカオス理論の一つである。
数学や物理学で発生したものだが、哲学や文学にも多用される。




