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コントラクト 3 ―宿命の契約―  作者: 時任雪緒
第1章 吸血鬼の一念発起
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踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう



 空き部屋の一つに荷物を持ちこんで、アトリエにして使っている。今日はそのアトリエに籠って、せっせとベビー服作りだ。その様子をアンジェロは隣で見ている。なんだかもの珍しそうに。ミナはモノづくりが結構好きで、比較的器用な方だ。それが余程意外らしく、完成品やベビー服が出来上がる工程を眺めては、時折感心したようにしている。

 生まれるまでにかなり時間がかかる純血種。この間に妊娠用サリーは50着は作ったし、ベビー服を作ることにした。

 現在、妊娠して4年半が経過して、人間で言うところの臨月に差し掛かるあたりである。ミナのお腹もかなり大きい。

 ミナは勿論、アンジェロも長い長い妊娠期間をずっと待っているのだ。大きくなったお腹を撫でて、それはもう嬉しそうにしている。あと半年で赤ちゃんとご対面できるんだと思うと、二人はうずうずして仕方がない。

「さすがにもうね、時々お腹蹴るんだよ」

「マジか!」

「うん。ポコッてするもん。あ、今蹴りだした! 触ってみて!」

「おぉ、おぉ! すげぇ!」

 二人ともテンションはマックスだ。ぽこぽこお腹を蹴る赤ちゃんの様子に、アンジェロは本当に嬉しかったのか、急に抱きしめられた。どうしたのかと腕の中で少しびっくりしていたが、アンジェロは何も言わずにただ抱きしめている。

 よくわからないが、恐らくアンジェロの中で盛り上がっているんだろうと結論付けた。アンジェロが赤ちゃんの事を喜んでくれて幸せに感じてくれてるんだろうな、と思って、それをとても嬉しく思い、ミナもアンジェロの背に腕を回した。

 ふと、アンジェロが体を離して、ミナに優しい笑顔を向けて、頬を撫でた。撫でた指先は顎を持ち上げて、それにミナも目を瞑った。すると、唇が触れる直前、アトリエのドアが開かれてジョヴァンニが入って来た。

「あ、ゴメン」

「んだよ、テメェコルァ!」

 アンジェロはミナとイチャついている時に邪魔が入ると、ひどく機嫌が悪くなる。過去にトラウマがあるからだ。(コントラクトⅡ-FILE-80参照)申し訳なさそうに笑ったジョヴァンニは、デスクの上の大量の布とミシンに目をやって、ミナに向いた。

「ねーねー、明日さぁ、買い物行こうよ」

 お買い物に誘うジョヴァンニにいよいよ機嫌の悪くなったアンジェロは、ギンッと睨みつけた。

「なんでそれを今言いに来たんだよ・・・!」

「ちょ、ゴメンって! そんな怒んないでよ!」

「アンジェロ、落ち着きなよ」

 ミナとジョヴァンニが慌てて諭すと、幾分かアンジェロも落ち着いた。それに呆れ半分安心半分で溜息を吐いたジョヴァンニが、本題を切り出した。

「ほら、シャンティ忙しいしさ、クリシュナとジャイサルのオモチャとか靴とか買いに行けないじゃん。ミナの赤ちゃんのベビー用品とかも一緒に買いに行かない?」

 それを聞いてミナはすぐに笑顔で首を縦に振って、アンジェロも了承した。


 翌日、ミナとアンジェロ、ジョヴァンニとレミとリュイ、それとクリシュナとジャイサルとでレヴィに車を借りて買い物に出かけた。

 リュイが大学に入ってからは、実習もかねてシャンティの息子たちの面倒を見に来てくれる。運転はアンジェロ、助手席にはミナ、後ろにジョヴァンニとレミが載って、最後部座席にベビーシートに座った兄弟とリュイ。

「俺の車もファミリーカーに替えよっかなー」

「あれももう5年近くなるもんね。車検シカトしてるし」

 それは違法である。当然アンジェロも他のメンバーも無免許だ。吸血鬼に法律は適用されない。無視しまくる。その割に人間の文明は利用し倒す。

 人間の文明と叡智すらも吸血してしまう化け物たちは公共駐車場に車を停めて、商店街を散策することにした。

 お腹の大きいミナを心配する男性陣だったが、リュイが「お散歩程度の運動は、むしろした方がいいんですよ」と言うので、アンジェロが手を繋いでくれて散歩を許された。ミナはそれがとても嬉しかったのだが、アンジェロは

「なんか、アレだな。犬散歩してるみてぇ」

 と言うので、折角喜んだ気分はどこかに行ってしまった。リュイはクリシュナの手を引いて、レミがジャイサルを抱っこすると、ジョヴァンニが

「なんか二人も夫婦みたいだね」

 と言って、それを慌てて全否定するリュイに、レミは心の中で激しく落ち込んだ。

「リュイちゃんも僕の子供産めばいいじゃん」

「ちょ! 何言ってんの!」

 拗ねるあまりとんでもないことを言い出すレミにリュイは大慌てして、ミナ達は可笑しくて大笑いしながら商店街を歩いた。


 少し歩いて大きな通りに出た。夕方は人でごった返している。インドは整備された大きな通りでもない限り、車の運転が推奨されていない程歩行者が多く、また交通ルールも適当だ。バスから箱乗りして無理やり押し込まれた人たちがたくさん降りてきて、ミナ達の横をかすめていく。その人波からアンジェロがグイッとミナの手を引いて道の端に寄せた。

 その様子を見てジョヴァンニがなぜか嬉しそうだ。ジョヴァンニもレミもアンジェロに育てられたので、アンジェロが普段どれほどトチ狂った自己中男でも、面倒見がよくて優しい奴だと言うのはわかっているつもりだ。

 アンジェロとミナに子供ができたと聞いたとき、ジョヴァンニは子供の頃のことを思い出した。ジョヴァンニは赤ちゃんの頃にヴァチカンに連れてこられたので、実の両親のことを何も覚えていない。直接面倒を見てくれたアンジェロやシュヴァリエ達、ジュリオが親代わりで、小さい頃はみんなによく遊んでもらった。勉強もアンジェロが教えてくれて、厳しく躾けられた。

 小さい頃、よくサッカーをして遊んでくれた。アンジェロは運動神経もよくて、子供心に憧れたものだった。しかし、アンジェロもそうだがちょこちょこ悪ふざけをしたがるシュヴァリエ達は、ジョヴァンニと出かけた帰り道で悪事を働くチンピラを見かけると、その辺に落ちている空き缶なんかを思いっきり蹴飛ばしてチンピラにぶつけて

「ゴォォォル!!」

「ギャハハハ!」

「アンジェロすげー! 上手ぇー!」

 なんて大騒ぎしていて、子供心に呆れていたのも懐かしい思い出だ。よくよく思い返してみると、ヴァチカンの屋敷にいる時や仕事中以外でのシュヴァリエ達は全く神父らしくなかったな、と思って、自分がまともに育ったことに疑問を感じたくらいだ。

 だけどミナとアンジェロを見ていてわかる。自分もきっと大事にされていたんだな、と。だからジョヴァンニは妊娠を聞いたときとても嬉しかったし、産まれてきたらいっぱい遊んで、大事にしてあげたいな、と思った。


 空想に浸ってしまうのは恐らくアンジェロの躾の賜物だが、ジョヴァンニがそんな事を考えながら歩いていると、ふと後ろから近付いてきた二人乗りのバイクが、ミナが手に持つバッグを奪って逃走していった。

「あ、ひったくられた」

 思わず立ち止まってしまったミナが、どうしよう、とアンジェロを見上げると、アンジェロはジョヴァンニに向いた。

「ジョヴァンニ、GO」

「ヤー」

 すぐにジョヴァンニは走り出して、吸血鬼の脚力を以てあっという間に追いついた。驚いたひったくりライダーは更にスピードを出そうとするものの、混雑する交通に上手く走ることが出来ない。ジョヴァンニはバイクの傍で並走しながら、ライダーに叫んだ。

「おい! バッグ返せ!」

「やなこった! ていうかお前なんでついてきてんだ! なんでついてこれんだ!」

「返せよ!」

「うるせー! ついてくんな!」

「もーしょうがないな! とう!」

「ギャァァァ!」

 ひったくりが言う事を聞かないので仕方なしに飛び蹴りをかますと、バイクごと吹っ飛ばされて転倒した。

 ガガッと音を立てて滑ったバイクは土塀にぶつかって停止し、道端に投げ捨てられたひったくりたちはゴロゴロ転がって、10回転程してから動きを止めた。それに寄って行って、手を差し出した。

「返せよ」

「・・・ごめんなさい」

 素直に返してきたひったくり。バッグを受け取って埃を払うと、アンジェロとレミが走ってきた。ミナはどうやらリュイがついて後ろからゆっくり来ているようだ。

 なんとなくアンジェロが来たことに不安を抱えるジョヴァンニ。嫌な予感程的中するものだ。

 ひったくりの前にしゃがんだアンジェロが、吸っていた煙草を指に持って、その灰をひったくりの顔に落とす。

「ぶわ! なにすんだ!」

 驚いて灰を払ったひったくりがアンジェロを睨むと、アンジェロはニヤニヤ笑いながらひったくりを見下ろしている。

「ったく、手癖のワリィガキだな。ヤキ入れんぞ」

「ヒ、ヒィィ! すいませんでした!」

「ごご、ごめんなさい!」

 笑いながら煙草の火を近づけてくるアンジェロが余程恐ろしかったのか、ひったくり達は慌てて土下座を始めた。すると、やっとのことで追いついたリュイとミナがやってきた。それでミナにバッグを返すと、ミナはとりあえず中身を確認して、何も取られていないことには安心した。

 そのままアンジェロの隣に膝をついて、ひったくりはミナを見て驚いたようだった。自分たちがひったくった相手が妊婦だったので、急に良心の呵責に苛まれたようだ。そんなひったくりの様子を見て、本当は悪い人じゃないんだろうなと思って二人に尋ねた。

「バイク、壊れちゃった?」

 思わぬ質問にひったくり達は一瞬キョトンとしたものの、振り向いてバイクを確認してみると、フレームも歪んでマフラーも外れている。それに落胆した様子のひったくりに、ジョヴァンニに顔を向けて「手加減しなきゃダメじゃん」と説教すると、ジョヴァンニは少し申し訳なさそうに笑った。

「あの、ひったくりさん?」

 落ち込むひったくりに呼びかけると、落ち込んだ顔のまま振り向いた。そのひったくりにミナはバッグを漁って財布を取り出すと、財布からバサッと大枚を抜き取った。

「これ、バイクの修理に使って」

 目の前に差し出された大金に目を丸くするひったくり。何より悪事を働いたのは自分たちなのに、ひったくった相手から施しを受ける意味が理解できない。当然アンジェロやジョヴァンニたちもそれには驚いた。

「お前なぁ・・・」

「だって、ひったくりするくらいだもん。バイク修理するお金ないでしょ? 怪我もさせちゃったみたいだし、これでおあいこね?」

 そう言って笑顔でお金を差し出すミナに、ひったくり達は俄かに涙ぐんでお金を受け取った。

「もうこんなことしちゃダメだよ」

「テメェら次やったら殺すぞ」

 そう言って去っていく吸血鬼達に、ひったくり達は手を合わせて拝んでしきりに礼を言って、いつまでも見送った。


 来た道を戻りながら、当然話題は先程のひったくりの件だ。リュイはミナの処置に感動したようで、しきりにミナを祭り上げている。それを聞いて笑っていたレミが言った。

「ていうかさぁ、あのひったくりにしたらアンジェロとミナ様じゃ天国と地獄だったろうね」

 それを聞いてジョヴァンニとリュイも吹き出した。

「確かに! アンジェロは悪魔に見えただろうね」

「その後じゃ余計にミナ様は天使に見えたんじゃない」

「だろうね!」

 それを聞いたミナが

「アンジェロの悪党っぷりは、私のイイ引き立て役だよ」

と言った為に、アンジェロは怒り出して、3人は爆笑した。

「あぁ!? ざけんな! 誰が引き立て役だ!」

「あはははは! ある意味ナイスコンビじゃないですか!」

「確かに! アンジェロ程の引き立て役ってそうそういないよ!」

「さすが、ミナ様は考えることが違いますね!」

 アンジェロだけはずっとフギャーと怒っていたが、それ以外の全員で大笑いしながらお店に入った。


 店に入ってミナとアンジェロがベビーシューズなどを見ていると、しきりに店員が声をかけてくる。

「赤ちゃんは男の子ですか? 女の子ですか?」

「あーえっと、お楽しみにと思って聞いてないんです」

「あらそうですか。それならどちらでもイケるようなデザインを探した方がいいですね。コレなんかどうです? 黄色はガネーシャの色ですし、男女ともに人気がありますよ」

「あ、これ可愛い」

「じゃ、ソレ買え」

「うん。じゃぁ、それとコレとコレとコレとコレとソレとアレとコレとソレとアレと、あ、そっちもください」

「あ、あ、わかりました」

「雑貨もいるよな。ベビーベッド一式、哺乳瓶とか赤ちゃん用の食器一式、あ、ジャイサルのもいるな。離乳食、ウェットティッシュ、紙オムツはロットで。あとベビーカーと歩行器。ベビーシートあるか?」

「あ、え、はい」

「じゃ、それも」

「あとオモチャ! アレとアレとコレとあのぶら下がってるのと・・・」

「あ、ちょ、ちょっとメモしますから!」

 ミナとアンジェロが畳み掛けるように注文するので、店員はパニクってしまった。まさしく大人買いな夫婦に他の3人は苦笑いだ。ふと、クリシュナがリュイの服の裾を引っ張った。

「どうしたの?」

 リュイがしゃがむと、クリシュナはアンジェロを見上げながら言った。

「アンジーと、こういうお店にきたことあるよ」

「え?」

 リュイが首を傾げて、それを聞いたアンジェロとミナもクリシュナに振り向いた。ミナが知っている限りでは、アンジェロはクリシュナとベビー用品店に来た事はなかったからだ。アンジェロがクリシュナの前にしゃがむと、それを見届けたクリシュナがアンジェロに笑った。

「でもその時はジャンニがわーって泣いて、アンジーたいへんだったね!」

 それを聞いて、ハッとした。その思い出は、アンジェロとジュリオの思い出だ。ジュリオとジョヴァンニと3人でおもちゃを買いに来て、アレも欲しいコレも欲しいと駄々をこねるジョヴァンニを叱ったら、ジョヴァンニが店の中で泣き出してしまったのだ。

「どれか一つにしなさい」

 と諭しながら必死にあやすアンジェロの様子を、ジュリオは笑いながら見ていた。それを思い出して、アンジェロは思わず顔を伏せた。

「・・・懐かしいな」

「アンジーはジャンニを怒ったりしなかったから、えらかったよ!」

「・・・・・ありがとう」

 少しだけ悲しそうに笑ってアンジェロがクリシュナの頭を撫でると、クリシュナは嬉しそうに笑った。二人の様子を見て、ミナは思わず後ろを向いて、クリシュナに気付かれないように、少しだけ涙を零した。

 アンジェロとジュリオとジョヴァンニの思い出。親子3代の思い出。今はもう語られないはずだった、アンジェロの愛した、アンジェロが殺した父との思い出。

 ミナの為にアンジェロが殺したジュリオ。ジュリオの中では思い出は風化しないまま残されている。

「怒ったりしなかったから、えらかった」

 ジュリオはアンジェロを見て、そう思っていたんだろう。ジュリオがアンジェロをどう思っていたのか、結局死ぬ間際までわからなかった。だけど、ジュリオの記憶を引き継いだクリシュナが、ミナの背後でアンジェロに言うのだ。

「アンジーが子供の時は、アンジーはわがまま言わなかったのにね」

「あぁ」

「アンジーは優しいから、アンジーがパパでジャンニはしあわせだね」

「・・・そうだな」

「アンジーはえらいね」

「・・・あぁ、クリシュナ、ありがとう」

 子供の頃、アンジェロを褒める時ジュリオがよく言った。

「アンジェロはえらいね」

 褒められる度アンジェロは嬉しくなって、笑顔で返事をしていたのだ。

「はい、ジュリオ様、ありがとうございます」

 懐かしい、遠い昔、半世紀も前の思い出。それをジュリオは覚えていた。覚えていたのは、ジュリオにとってアンジェロは、きっと可愛い息子だったに違いない、ミナはそう思って、より涙を零した。


 トイレに行きたいと言ったクリシュナをリュイが連れて行って、残った4人でさっきの話をした。

「やっぱり、覚えてるんだね」

 少し悲しそうに笑ってジョヴァンニがそう言うと、アンジェロは沈痛な面持ちで言った。

「そうだな。今は子供だからわかんねぇみてぇだけど、もう少し成長したら、わかるんじゃないか」

「なにを?」

 首を傾げるレミに、アンジェロは少しだけ眉を顰めていった。

「最期の映像が、なんなのか、だ」

 最後の映像、アンジェロに銃口を向けられ発砲され、“100年前のミナ”に姿を変えたミナが手を差し伸べる映像。

「まだクリシュナは4歳だから、それがなんなのかわかってねぇんだ」

 4歳の子供は知るはずがない。狂おしいほどの愛、燃えたぎるほどの憎悪、心を引き裂かれるような裏切り。「大好きなアンジー」が前世の自分を殺したのだと気付くときは必ずやってくる。前世の自分が何をしたか知る時が必ずやってくる。

「その時に、嫌われるだけで済むようにしなきゃな」

 そう言ったアンジェロに表情はなかったが、その瞳が悲しげに揺らいだのを見て、ミナはアンジェロの手を握った。

「大丈夫だよ、アンジェロ。アンジェロが昔言ってたでしょ。ジュリオさんは強い人だって。それに、今はシャンティ達がいるから、シャンティ達がクリシュナを愛してるから、辛いことに囚われたりしないよ。シャンティ達みたいに、辛いことを乗り越えられる強さを持てるから、大丈夫だよ。それに、ジュリオさん―――クリシュナもきっとわかるよ。あの時、アンジェロも辛かったって、アンジェロが本当にジュリオさんを愛してたんだって、きっと、わかってくれるから」


 ミナの言葉を聞いてミナの手を握り返したアンジェロは、「そうだな」と短く返事をして、小さく笑った。




★踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。

――――――――――遠藤周作「沈黙」より



棄教を迫られ踏み絵を踏まんとする司祭ロドリゴと神の対話より。

(踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛さだけでもう十分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから)

「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」

「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」

「しかし、あなたはユダに去れとおっしゃった。去って、なすことをなせと言われた。ユダはどうなるのですか」

「私はそう言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいといっているようにユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」 (247)


・キリスト教は万人救済説が思想である。それでいてイスカリオテのユダだけは救われない。裏切りを働き、絶望の罪と呼ばれる自殺までしてしまった。その事実は神学において長く議論されてきた。

 その議論に対して「沈黙」では神と司祭の対話の中で、「ユダも苦しんだ」としてユダを赦す。

 「沈黙」は裏切りをテーマにしたものである。ユダは弱かった。裏切り、それを悔いるあまり自殺した。それも弱さ。ユダを弱い人間に作ったのは神の責でも、追い込んだイエスの責でもあるとしている。だからこそ神は裏切りを赦し、ユダを救いたいのだ、と。





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