第十七話 破格の待遇
「厄介なことになったな」
部屋に集まる全員の心情を、父上が代弁したかのようだった。疲れたようなその言葉に、僕は僅かに俯いた。
「その……申し訳ありません、父上。僕がついていながら」
「おや、意外ですね。シリル様にはニナ様を責める感情がおありで?」
意味深な笑みと共に、そんな言葉を放ったのはリオネルだ。僕は慌てて顔を上げると、勢いよく首を振る。もちろん、否定の意味を込めて。
「まさか、そんなわけないよ! 僕は――僕は、彼女の行動には何か意味があったんだって、そう思ってる」
「でしたら、なおさら彼女を擁護するべきかと。今の貴方は一国の王子である以前に神子の後見人で、同時にニナ様の一番の理解者でもあるはずです。彼女の信頼を裏切るようなことを、してはいけない」
「リオネル様が仰ると、重みがありますなぁ」
少し離れたところに立っていた初老の男が、面白そうに周りを見る。同意するように頷くのは彼と同世代くらいの……つまりは父と同じか少し年上くらいの男たちで、リオネルはそれを見てどこか気まずそうな苦い表情を浮かべた。
今ここに集まっているのはこの国に存在する全ての公爵家、そして特に権力のあるいくつかの侯爵家の当主たちである。特に公爵家については、既に代替わりしたのはトゥルヌミール家くらいで、殆どは父上の戴冠と同じくらいに家を継いだ者たちだった。……当然、リオネルにとっては、無視出来る相手でも軽んじることが出来る相手でもないだろう。地位としては彼の方が上でも、経験の差は倍以上なのだ。彼らはリオネルとマリルーシャの間に起きた出来事についても知っているから、それもまたリオネルが反論できない原因の一端を担っていた。実際、今の言葉だって暗にそのこと……婚約破棄騒動のことを示しているのだろう。彼らはまるで実の息子や孫を見るように暖かい視線で僕やリオネルに接してくるのだから、なお邪険には出来ない。
それでも、リオネルは何とか言葉を返した。
「……今は、そんな話をしている場合ではないだろう」
「おお、そうでありましたな。失礼」
「それについては、また今度じっくりと話そうではないか」
面白そうに会話に混じる父上を、彼は恨みがましそうに見つめる。その表情が珍しくて思わず笑みを零すと、今度は僕が睨まれた。慌てて話を逸らそうと、集まっている面々を見て口を開く。
「それにしても、こんなに集まるとは思わなかったな」
侯爵家は何人か来ていないのがいるけれど、公爵の方は全員がこの場にいた。いくら数が少ないとはいえ、簡単に為せることでは無いだろう。確かに公爵家は、何かあったときのために王都にも別邸を置くことになっている。舞踏会以来、神子関連の話し合いが多いからとこっちに滞在しているのも知っていた。それでも、鐘一つほどの時間もおかずに全員が集まるなんて、素早いにもほどがある。
「我々は陛下に忠誠を誓っているのですよ、シリル様。主のお呼びとあらば、どこへいても駆けつけましょう。貴方も、いずれ王位を継げば分かるはずです」
微笑む彼に、父上がどこか意地の悪い笑みを浮かべた。
「忠誠心が高くて結構だが、それは果たしてシリルの代になっても続くものか?」
「おや、それはシリル様次第でございましょう」
「ですが、殿下が今のままご成長を続けられるなら心配は無用かと。我らの筆頭であるリオネル殿が殿下に忠誠を誓っておられるのが、何よりの証というもの」
口々に下される評価に、僕は思わず目を逸らす。その視線がリオネルのものとぶつかって、僕たちは互いに苦笑のような笑みを浮かべた。忠誠を誓っていると言ったけれど、そんな硬い関係ではないだろう。どちらかというと歳の離れた友人というか、父上と彼の父であるドミニクのような、そんな……ああ、でもドミニクが父上に忠誠を誓っていたのもまた自他ともに認める事実だし、あながち間違いでもないのか。
「また話がずれたな、そろそろ本題に入ることとしよう。神子の行動も問題だったが、神子という存在は法に縛られないものだ。たとえ悪気があったのだとしても、彼女の行動を咎められるものはこの世界には存在するまい。それについては、異論はないな?」
父上が部屋の中を見渡す。沈黙が、何よりの肯定だった。
「ふむ、ではもう片方の問題に移るか。即ち――神子が解き放ってしまったかつてのウィクトリア王女をどうするか」
「封じ直すべきです!」
叫び声とともに、この中では比較的年若い侯爵が立ち上がる。それでもリオネルよりはだいぶ上、確か三十歳ほどだっただろうか。彼は拳を握りしめ、ぐるりと視線を巡らせた。……確か、騎士である弟が片腕を失ったのだったか。貴族の家に次男三男として生まれた人間の選ぶ道は大体三択。アネモスには学者や魔法使いになる者も他国よりはいるけれど、それでも人数を見れば騎士の方が圧倒的なのだ。死者は殆ど出なかったものの、彼の弟のように手足を失った騎士は少なくない。
「あの国が我が国に何をしたかお忘れか! 簡単に許せるほど昔のことでもないでしょう!」
「そうです陛下、あの王女を野放しにしておいては――」
「だが、あれを封じられるような人間は、今のアネモスにはいないだろう」
次々上がった賛同の声を遮り、リオネルが冷たい声で言い放つ。周りが黙り込んだのを見て、彼は同じ調子で付け足した。
「まさか、そのためだけにうちの弟を呼び戻そうなどと考えているわけではないだろうな?」
「……でも、先生ならもうこの事態を知っているんじゃないかな」
例え距離がどれだけ離れていても、封印を施したのは先生自身なのだ。用心深い彼のこと、きっと何らかの原因で王女が解放された場合はそれを感じ取れるような、そんな魔法のかけ方をしたに違いない。そう思って訊ねると、リオネルは苦い顔で首肯した。
「ええ、ジルは責任感が強すぎる。近いうちに戻ってくることでしょうね。……ですが戻ってきたとしても、出来ることならあまり強すぎる魔法を使わせるのは避けたい」
「ほう?」
面白そうに細められた父上の目を、リオネルは真っ直ぐに見つめる。
「魔法が使えなくとも、精霊を封じるという行為がどれだけ高度で困難なことか、想像するのは決して難しいことではありません。身内に甘いのは、俺自身がよく分かっていますが――それでも、これ以上弟に無理をさせたくはないのです」
「……ふむ」
どこか厳しい響きを伴ったリオネルの言葉に、父上は考え込むような表情を浮かべた。それはそうだろう、先生もまたあの戦争の、ある意味では一番の被害者なのだ。一時は彼を見捨てようとした父上のことを、リオネルは責めはしなかった。けれど、これくらいの我侭は許されるだろう。実際、声を上げていた他の貴族たちも、どこか同情するようにリオネルを見ていた。
「そのことなのですが、父上」
「何か良い案でもあるのか?」
躊躇いつつもに口を挟むと、視線が一斉に僕の方に集まる。父上から目を逸らしはせず、僕は頷いた。
「僕もあまり気乗りはしないのですが……以前、ニナには護衛が必要だ、と言ったことを覚えていますか?」
「ああ、覚えている。舞踏会が明けてからは何度も聞いたな、ネルヴァルが良からぬことを企んでいるようだと。……待て、まさか」
「はい、恐らくご想像の通りかと」
信じられないとでも言うように眉を顰める父を、そして同じような表情を浮かべる公爵たちを、ぐるりと見渡す。
「精霊ならば、並の人間には負けないでしょう。護衛にはうってつけだと思いませんか?」
「シリル様、ですがあの女は……!」
「そうです、あんな危険な存在を、神子殿の傍に置くなど!」
「精霊には『契約』の魔法がある、って何かで読んだことがある。契約を交わした相手を傷つけることも裏切ることも出来なくなると書いてあったから、むしろ裏切る可能性のある人間を護衛に付けるより良いんじゃないかな。アネモスに害をなす可能性も、それで無くなるわけだし」
「……ニナ様が、納得しますか?」
訝しげに呟いたのは、予想通りリオネルだった。彼の表情はどこか面白そうなもので、僕の返答次第ではこちら側に回ってくれそうなのが分かる。だから、僕は微笑み混じりに頷いた。
「むしろ賛成してくれると思うよ。さっき居合わせた騎士たちも証言してくれると思うけど、かなり王女と打ち解けていたみたいだからね。多分、それは王女の方も同じだと思う。実際、今この瞬間大人しくしているなんて、以前の彼女なら考えられないだろう?」
「それもそうですね」
頷くリオネルを見て、父は諦めたように嘆息する。周囲の貴族たちはまだ僅かにざわついていたけれど、その筆頭であるリオネルが賛成したせいだろう、彼らにも迷いが生まれたようだった。
「良かろう、今はそれが最善のようだ。神子と王女は部屋に待機させていると言ったな? 交渉は任せたぞ、シリル。他の者たちはここに残れ、城の者たちをどう誤魔化すか考えねばならん」
「はい、父上。失礼します」
一礼し、部屋を出る。いつの間にか生じていた緊張を解きほぐすように深く息を吐き、僕は足を踏み出した。
◆◇◆
「ニナ、入っても良いかい?」
「あっ、早かったねシリル!」
ノックと共に響いた声は聞き慣れたもので、私は笑みを浮かべて扉に駆け寄る。そのまま扉を開けて見上げれば、予想通り彼とばっちり目が合った。……うん?
「もしかして、疲れてる?」
私の問いに、シリルは驚いたように目を見開き、やがて呆れるようにその目を細める。それは次に苦笑に変わり、彼は素直に頷いた。
「気づかれるとは思わなかったけど……うん、少しだけね。リオネルが僕に賛成してくれて助かったよ、そうじゃなきゃあんなに簡単に父上や他の貴族たちを説得することは出来なかった」
「えっと……それについては本当に、迷惑かけてごめんというか」
どう考えても、私がしでかしてしまったことのせいだろう。そう思って俯くと、ぽんと頭に暖かい感触が伝わってきた。まるで子供にするように、優しく撫でられる。
「気にしないで。さっきも言っただろう? 僕はニナを信じてる。ニナが彼女を信じたなら、それを責めたりしないよ」
「あらあら、随分と調子の良いことですわね」
からかうように、ふわふわと浮かぶカタリナがちょっかいを出してきた。そんな彼女に視線を向け、シリルは僅かに目を細める。まだ警戒しているのは私にも分かったけれど、どうやらそれとは違う別な感情も混ざっているようだった。
「こうしてちゃんとお話しするのは初めてですね、カタリナ=オディール=ユーベルヴェーク=ウィクトリア殿下」
「……不愉快だわ」
どこか読めない微笑みを浮かべるシリルに対し、カタリナは言葉の通りに顔を顰めてみせる。音も立てず私の隣に降り立つと、彼女は腕を組み、真っ直ぐにシリルを見据えた。
「亡びた国の名で、私を呼ぶのは止めていただけるかしら。馬鹿にされているようですわ。貴方も、一国の王子ならお分かりでしょう?」
「それもそうですね」
喧嘩腰にも取れる二人の会話に、私は割り込む隙を見つけられず黙り込む。僅かな沈黙を挟んで。カタリナが楽しそうにその唇を歪ませた。
「ところで、一つ提案があるのですけれど。『契約』のことはご存知かしら?」
シリルが来るまでカタリナと話していたことだ。精霊は自身が選んだ人間と『契約』することが出来るらしい。契約を交わしてしまえば主となった人間に逆らうことは出来ず、主を傷つけることも出来ないという。精霊の方に何のメリットも無いように見えるけれどそうではないのだ、とカタリナは語った。詳しく聞く前にシリルが来てしまったけれど、色々と出来ることが増えるらしい。
その言葉に、シリルは驚いたように目を見開く。……シリルのことだから知っているだろうとは思っていたけれど、それにしては驚きすぎだろう。その理由を訊ねる前に、シリルは苦笑する。
「驚いた。実は、僕がしようとしていたのも全く同じ話なんだ」
「え?」
「契約してしまえば、彼女がアネモスに害をなす危険性も無くなるだろう? そう言って父上を説き伏せたんだよ」
「それは……思い切ったね」
カタリナを解放した私が言うのも何だけど、元は敵国の王女なのだ。周りを説得出来たことだけじゃない、シリルがそうしようと思ったこと自体が意外だった。シリルは私に苦笑を返し、カタリナに視線を移す。
「説得の手間が省けて助かりました。……何か要る物があれば、用意しますけれど」
「あら、魔法を使うのに必要な物なんて、古語と魔法陣くらいでしょう? そんなこともお忘れなんて、アネモス王子の名が泣きますわよ」
……どうやらこの二人の関係をどうにかするのが、私に与えられた課題のようだった。
こんばんは、高良です。少し間が空いてしまいましたが、今日から更新再開となります。
かつての敵国の王女に与えられたのは、神子の護衛という役目。普通なら信じられないようなその案が通ったのは、発案者が一番神子に近い存在であったがゆえなのかもしれません。
……さて。ところで、リオネルさんが何か危惧していたようですね? 責任感が強すぎる彼の弟、だーれだ。
では、また次回。