第十六話 解き放たれた精霊
「それで、私は具体的に何すればいいの? この間も言ったけど、魔法とかは全然使えないよ。みんな魔力が高いって言うけど、私にはそれを確認する方法も分からないわけだし」
「本人が確認出来なくとも、周りが確認出来れば十分ですわ。現に、私もこうして貴女の魔力を感じ取っていますもの。封印越しにも分かるなんて、相当ですわよ?」
「そうなの?」
私は首を傾げ、自分の両手に視線を落としてみる。広げた手のひらはいつも通りで、じっと見つめたところで魔力なんてものは集まってきそうにない。そもそも私自身がそれを感じ取れない以上、魔法なんて使い様がないのだろう。
「じゃあ、私になら封印が解けるっていうのは、この魔力のおかげ?」
「ご名答」
訊ねれば、答えはすぐに返ってきた。くすくすという笑い声と共に、彼女は説明を続ける。
「賢者が私にかけた封印の魔法は、少々特殊なものですの。彼がこの国を遠く離れても、半ば永続的に等しい効果を発する――その代わり、ある条件を満たせば簡単に解けてしまう、そんな両極端な魔法よ」
「私はその条件を満たせる、ってこと?」
「ええ。それだけの魔力が、神子には備わっている。流石に賢者やその連れのおちびさんには負けるでしょうけれど、それでも彼らの魔法に抗うには十分よ。……正確に言えば、魔法を使える必要はありませんの。高い魔力を持つ人間が封印に触れること、それが条件ですわ」
「……それだけ?」
予想よりずっと簡単なその方法に、私は思わず首を傾げた。いや、だってあまりにもあっさりしているというか、私がついうっかり触っちゃえばいつだって解けたってことじゃないか。ああ、でもそういえばあまりカタリナの方に近寄るとその度に彼女に止められたっけ。近づかない方が良いと、あれはつまりそういうことだったのか。
「その魔力がそのまま封印に作用して私を解放する、というわけではありませんもの。そうね、何と言ったらいいのかしら……この封印は私の全てを、つまり体だけでなく魔力すらも中に閉じ込めていますの。氷に炎を近づければ融けるように、高い魔力を持つ人間が触れれば、そこから外に通じる道が出来る。それを伝えば、私が自力で封印を破って外に出られるというわけですわ」
「え、っと……封印は外からじゃないと解けなくて、カタリナには自力で封印を破るだけの力はあるけど、魔力を内側に閉じ込められているせいでそれが出来ないってこと?」
「ええ、流石ニナですわね。理解が早くて安心しましたわ、魔法のことを知らなければかなりややこしいでしょうに」
氷、という例えは言い得て妙だった。カタリナを封じている大きな水晶は薄青い光を放っていて、初めて見たときには私も氷のようだと思ったのだから。
ゆっくりと彼女に近づく。今度はカタリナも私を止めようとはせず、数歩歩いただけで鉄格子は目の前に来ていた。牢の中いっぱいに広がった水晶は、ちょっと手を上げれば容易に触れられることだろう。
そっと右手を持ち上げる。指先が水晶に触れる寸前、不意にカタリナが妖しく囁いた。
「本当に良いのかしら? 貴女の前にいるのは、大罪を犯した極悪人なのよ? ……後悔しても、知りませんわよ」
「カタリナ、しつこい」
その言葉を、何度聞いただろう。そうやって何度も何度も警告すること自体、彼女が本当は悪人なんかじゃないことを物語っていると思うのだけど、そういえば彼女はまた呆れるのだろうか。それすらも罠かもと、カタリナの言う通りに疑えるほど、私は強くないのだ。
思わず漏れた苦笑はそのままに、私はそっと水晶に触れた。
どろり、とその部分が融けて、触れた指が沈み込む。
「っ、わ……!」
続いて私を襲ったのは、眩い光だった。反射的に目を閉じ、顔を背ける。それでも差し出したままの手には融けた水晶の……どろどろとした液体のものとは違う不思議な感触が伝わってきて、引っ込めるに引っ込められない。その手を、不意に何かが握り返した。
「上出来ですわ」
引っ張られるままに倒れ込むと、ふわりと受け止められる。見上げると、紅い――血のように紅い瞳と、ばっちり視線がぶつかった。私は思わず目を見開き、首を傾げる。
「……カタリナ?」
「ええ。『初めまして』、ニナ。くすっ、小さいのは分かっていましたけれど、予想以上の可愛らしさね?」
「もう、気にしてるって前にも言ったでしょ!」
容姿のことじゃなく身長のことを言っているのは、その口調でよく分かった。
彼女はというと、どこからどう見ても大人の女性である。眠っている姿からも察することは出来たが、二十代前半くらいだろうか。妖艶という言葉の似合う、どこか毒を秘めた美しさ。身に纏った赤いドレスは彼女のスタイルの良さを強調していて、腰の辺りまである漆黒の髪は緩く波打っていた。足は僅かに地面から浮いているけれど、どちらにしろ私より身長が高いことに変わりはない。
「さて、助けてもらって早速こういうことを言うのも気が引けますけれど、早くここを去った方が良いですわよ?」
「どうして?」
「先ほどの光、どう考えても上に届いたでしょうから。今に騎士たちがやってくることでしょうね」
訊ね返した私に対し、カタリナは肩を竦めてみせる。……やっぱり、とこっそり微笑むと、目ざとくそれを見つけた彼女は訝しげに首を傾げた。
「どうかなさいましたの?」
「ううん、何でもない。……逃げなかったね、カタリナ。本当に私を利用するつもりだったならそういうこと言わないで、私のことおいてさっさと逃げちゃえば良かったのに」
私の言葉に、カタリナは凄く微妙な表情で黙り込む。微笑んだまま返答を待つと、やがて彼女は呆れたように、深く嘆息した。
「……貴女には敵いませんわね。私に対して精神的に優位に立てる人間なんて、いないと思っていたのですけれど」
「さらっと凄いこと言うね」
けれどまぁ、他人に言いくるめられるカタリナが想像できないのも確かか。納得したところで、階段の方からばたばたと複数の足音が聴こえた。
「ほら、御覧なさい。だから言ったでしょうに」
「そうだねえ、どうしよっか」
呆れ混じりの声を、呑気に受け流す。とりあえずクレアとハルがグラキエスに帰るのを待ったのは正解だったな、と自分を褒めつつ、私は少し離れたところで立ち止まったシリルに苦い笑みを向けた。
◆◇◆
不思議と、驚きは少なかった。むしろここ最近彼女の様子がおかしかったことを思えば、納得すらしてしまうほどだ。そう、例えば二週間ほど前だろうか、突然彼女が訊ねてきたことの、その理由とか。けれど、これだけは訊きたかった。僕の立場上、訊いておかなければいけなかった。
「君が、……彼女を、解放してしまったんだね? ニナ」
「うん。ごめんね」
僕の問いに、ニナは言葉通り申し訳なさそうに苦笑しながら、しかしあっさりと頷く。ざわめく背後の騎士たちに牽制を込めた視線を送り、僕は一歩だけ前に出た。
「そこにいるのが誰なのかは、知っているだろう? どうして、こんなことを?」
「くすっ」
ニナの返事の代わり、どこか馬鹿にするような笑い声が返ってくる。その主であるかつてのウィクトリア王女はそのままふわりと宙に浮かび上がると、黒髪を靡かせて軽やかに僕とニナの間に降りた。……彼女が先生にしたことを聴いていたからか、それとも単に敵国の王族同士であったせいか、僕にも彼女に対する苦手意識はある。後ずさりたい気持ちをどうにか抑えて、彼女を見返す。
「ふふっ、アネモスは本当に、お人好しのお馬鹿さんばかりですわね。簡単に騙されて封印を解いてくださって、こちらは大助かりだわ。ここまで上手くいくとは、流石に思いませんでしたけれど。感謝致しますわよ、神子様?」
心底楽しそうな笑み、嘲るような口調。生前の彼女がよく浮かべていたそれに思わず顔を顰めるが、騙されたというその言葉は背後の騎士たちには効いたらしい。ざわめきの種類が神子に同情するようなものに変わったのが、振り返らずとも分かった。けれど当の神子本人はというと、不満そうに眉を顰めている。
……正直、気は進まない。なぜかは知らないけれど、折角向こうがこう言ってくれているのだ、心優しい神子が騙されたのだという方向に持っていければ、丸く収まるのだろう。けれど、気付けば僕はニナの方に視線を移し、静かに訊ねていた。
「そうなの?」
「まさか! またカタリナってばそうやって大嘘ばっかり!」
勢いよく首を振って否定するニナを見て、またどよめきが起きる。同時に、王女もまた表情を変え、ニナに詰め寄った。どこか呆れるような、そんな表情。
「貴女、正気ですの?」
「あはは、カタリナにそれ言われると何の冗談かと思うよね」
「そう言う意味ではありませんわ! せっかくこの私が庇って差し上げようとしましたのよ、素直に頷いておけばいいものを」
ウィクトリアの王女と同意見なのは正直複雑だったが、そればかりは彼女に賛成だった。しかしニナはムッとしたように彼女を見上げ、声を上げる。
「あのねえカタリナ! もう出会って二ヶ月以上経つのに、一体何を見ていたの?」
「何も。封印のことをお忘れかしら?」
「ああそうだった……ってそうじゃなくて、私が言ってるのは内側のことだってば」
流れるような会話をそこで区切り、ニナは軽く息を吐く。そのまま僕たちの方に力強い視線を向け、彼女は言い放った。
「親友を裏切ることは、私には出来ないよ」
「……そ、っか」
その言葉に、深く嘆息する。再び動揺する騎士たちを抑え、僕は彼女の瞳を見つめ返した。
「君にとって、彼女は親友なんだね?」
「うん」
問いかけると、ニナは笑顔で頷く。その隣で、王女は顔に浮かんでいた呆れの色をますます強くしていた。
「本当に、貴女という人は……」
「……異論は、無さそうですね」
そんな彼女の様子に、僕は思わず目を細める。僕が彼女と言葉を交わしたことは、実は殆どない。戦争が起きるだいぶ前に一度会ったかどうかだけれど、それすらも顔を合わせる程度で会話はしなかったのだ。それでも、数か月前と比べて彼女の雰囲気がかなり変わったのは分かった。ウィクトリア帝国の狂王女がこんなにも人間らしい表情を浮かべるなんて、想像も出来なかったのに。
けれど、これなら心配なさそうだと内心ほっとする。どうやら本気でニナを庇おうとしていたようだし、彼女の立場を落とさないためなら、こちらの指示も少しは聞いてくれるだろう。
「精霊は確か、人の目から自分の姿が見えないように出来たはずですね。ニナ以外からは見えないように隠れてください。……二人を部屋に連れて行ってもらえるかな。父上には僕が説明するから、とリあえずここで起きたことは全て他言無用だよ」
前半は王女に、後半は騎士たちに。王女は頷きもせず僕の言った通りに身を隠し、騎士たちは戸惑いながらも首肯を返してきた。驚いたように僕を見るニナに、そっと囁く。
「信じてる、って言っただろう? 事情は後で聞くから、とりあえず僕が行くまで絶対に部屋から出ないで。それと、絶対に彼女から目を離さないで。良いね」
「あ、……うん。ありがとう、シリル」
安堵したように息を吐くニナに、僕は微笑を返した。
こんばんは、高良です。……一週間て。一週間だよ。はいすみませんでした。
そんなわけでやらかしてしまったニナ。カタリナさんが良い人に見えるというツッコミを最近よく見えるんですが私にもそう見えます。こっちのカタリナさんに慣れてしまった人は第三部を読み返してみるととても戸惑うと思います。
さて、本人たちがどうであれ、狂王女の解放は色々な人に衝撃を与えてしまうわけですが……
お知らせ。
作者の期末試験が近いため、次の更新は三月一日以降とさせていただきます。……なかなか終わらないね第四部。
では、少し期間が空いてしまいますが、また次回。