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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第四部
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第十五話 信じるものは

「そんなことが……」

 驚愕を隠しきれないまま、話を終えたニナの顔を見る。彼女はというと僕ほど深刻には捉えてはいないようで、「うん」と笑顔で頷いた。

「クレアとハルが来てくれて助かったよー。私ああいうの慣れてないからね、一人じゃ切り抜けられなかったんじゃないかなぁ」

「大丈夫だったの? 他に何かされたりしなかった? 酷いこと言われたりとか……」

「私は大丈夫だよ」

 ニナはそういうが、僕の周りには大丈夫じゃなくてもそういう人間がたくさんいるのだ。なおも見つめ続けると、彼女は困ったように苦笑する。

「流石の侯爵も、神子相手に暴言吐くのは躊躇われるんじゃないかな。……その、どっちかというと、シリルが標的だったというか」

「そっか」

 言い辛そうに放たれた言葉に、僕は軽く頷きを返した。そんな反応が意外だったのだろう、ニナは驚いたように目を見開く。

「良いの? あんな奴に言いたい放題言わせといて」

「何を言われたの?」

「途中でクレアが割り込んできてくれたんだけど……昔は悪評が目立ったとか、どんな手を使って貴族を懐柔したのやらとか、そんな感じのこと」

「そんなことだろうと思った」

 彼女の言葉に、肩を竦めて返す。何だ、ニナに何を吹き込んだのかと思えば、その程度か。それくらいの陰口なら、こっちはとっくの昔に慣れている。

「その程度なら言わせておけばいいよ。間違っているわけでもないし」

「……そう、なの?」

「あれ、話したことなかったっけ?」

 それでもアドリエンヌ辺りが話しているかと思ったのだけれど、と僕は首を傾げる。積極的に話したいことでは無かったが、いつまでも引きずっているほど子供でもない。

「幼かったんだよ。王子ってだけで近寄ってきて、人よりちょっと賢いだけで大袈裟に持ち上げる……昔はそれが嫌で嫌で堪らなくて、片っ端から反発してみたり、全部諦めてただ距離を置いたりしたこともあった、それだけ」

「ああ、分かるかも、それ」

「先生と出会ってからは、そんなの無くなったんだけどね」

 苦笑するニナに対し、僕は肩を竦めてみせた。

 ……もっとも、今思えばそれが余計に師を苦しめていたのだろう。僕にとって彼は僕を救ってくれた恩人で、誰より信頼出来る、誰より尊敬出来る、特別な存在だった。いや、それは今でも変わらない。けれど、彼は本当は誰よりも孤独で、僕のそんな思いは先生の孤独をより大きくするだけで……何となく分かっていたのに何も出来なかった、何もしなかったことを、何度後悔したことか。

 嘆息したところで、彼女が抱えていた紙の束が目に入った。部屋に戻ってから読むのだという彼女の説明だけを聞いて、特に気に留めていなかったけど、よく見ればそこには見慣れた、そして見過ごせない文字が並んでいる。

「ウィク、トリア?」

「あ、うん。ちょっと気になって、色々調べてたんだ」

 ニナの言葉に、僕は思わず眉を顰めた。この世界のことに、この国のことに興味を持ってくれるのはありがたい。元の世界に帰る方法を探す、そういう彼女に協力こそしているけれど、神子がこの国に留まる理由が増えるならそれはそれで大歓迎なのだから。ただ、興味を持つ対象が問題だった。

「……ウィクトリア帝国に関しては、あまり深入りしない方が良いよ、ニナ」

「どうして?」

「前にも話しただろう? アドリエンヌにも話は聴いたはずだ。あの国は、狂っていた。国民が死に絶えて誰もいなくなったあの地に、何故どの国も手を出さないんだと思う?」

 ウィクトリアが属国としていた国々は、全て元の国主の手に戻って、今は元の生活に戻りつつあると聞く。けれどその中心、かつて『ウィクトリア王国』であった一都市だけは、未だ無人のままだった。周りの国がその土地を奪い合ってもおかしくないはずなのに、だ。

「でも、それだって誰かが確認したわけじゃないんでしょう?」

「確認した『誰か』がどうにかなってしまうのを、みんな恐れているんだよ。無能な人間に調べさせても何も分からない。けど、優秀な人材を失うのは惜しいだろう?」

「……そういうものなの?」

 訝しげに首を傾げるニナに、首肯を返す。

「もっと言ってしまえば、どうにかなってしまった『誰か』によって国自体がどうにかなることを恐れているんじゃないかな。ウィクトリアの狂気がどれほど凄まじかったかは、みんな身をもって知っているからね。一人でも脅威となりえるし、もしその狂気が感染してしまったら?」

「でも……」

「ついでに、あの土地は一応アネモスが管理していることになっているから、他国は迂闊に手出しできない、っていうのもあるけど」

 僅かに苦笑し、僕は立ち上がる。既に日は沈み切って、窓の外は何も見えない。そろそろ夕食の時間だろうし、早く行った方が良いだろう。そう思ってニナを見ると、彼女は少しだけ沈黙した後、静かに顔を上げた。

「ねえシリル、訊いても良い?」

「何?」

 見れば彼女の表情はいつの間にかどこか強張った、不安そうなものになっていて、思わず彼女に近寄る。そっと差し伸べた手がその頬に触れる前に、彼女は囁いた。

「シリルは――私のこと、信じてくれる?」

「……どういうこと?」

「例えば、私が何か重い罪を犯したりとか……実は元の世界では極悪人だった、とか。もしそうだったら、シリルはどう思う?」

 何故いきなり、と問いかけようとして、止める。ニナの表情は悲痛さすら漂っていて、とても受け流せる雰囲気ではない。僕は静かに息を吐くと、そっと微笑んだ。

「出会った直後にそうなっていたら、君を軽蔑したり、憎んだりしたかもしれないね」

「今は?」

「……一度信じた相手の評価をそう簡単に反転したり出来ないんだ、僕」

 僅かに震える彼女の声に、苦笑を返す。簡単に人を信じるとか、優しすぎるとか、先生にはさんざん言われたけれど。

「だから余程のことをしない限り、君に対する感情も揺るがないよ。ニナが僕を信じてくれている限り、僕だってニナを信じてる」

 ニナに対する感情。それが何かと問われれば僕にも答えられないのだけれど、幸いにも彼女は、その正体を確認することはしなかった。代わりに不安そうな表情のまま、じっと僕を見つめ返す。

「本当に?」

「うん」

「……そっか」

 今までの雰囲気が嘘だったかのように、彼女は軽やかに微笑んだ。そのまま僕を追い越して扉の前まで行くと、ニナはくるりと振り返る。

「うん、それ聴いて安心したよ」

「それは良かったけど……どうしたの、急に」

「何でもない、訊きたくなっただけ! ほら早く行こうシリル、皆を待たせちゃ悪いし」

 彼女の言葉はもっともで、浮かんだ疑念は頷いただけで吹き飛んでしまうような僅かなものでしかなかった。

 二週間ほど経って、僕はそれを後悔することになる。


 ◆◇◆


 二ヶ月も通い続けていれば、見張りがいなくなる時間帯はもう熟知していた。城の奥にひっそりと佇む扉を、人目につかないようそっと押し開けて、暗い階段を下りていく。まるで城とは全く別な場所に来たかのような冷気も、降りた先に薄く浮かび上がる鉄格子も、慣れてしまえば驚くことはない。

 心は、自分でも意外なほど凪いでいた。……我ながら単純なものだ、シリルのあの言葉だけで、こうも勇気づけられるなんて。カタリナに話を聴いたときには彼女を助けたいという思いが上回っていたけれど、果たして私にアネモスを裏切るような行為が出来るのかと考えれば、あのときの私の答えは否定だったのだ。恐らくカタリナはそれを見越して、あんなことを言ったのだろう。

 シリルやアネモスの人たちを裏切りたくない、その想いは単に彼らを案じる気持ちからくるだけではない。それなら、カタリナを解放するのを躊躇う必要は無いのだ。彼女は悪人ではない、裏切らないと、私が信じているのなら。躊躇の正体はただ、恐怖だった。

 誰にも嫌われたくない。誰にも恨まれたくない。誰にも憎まれたくない。……万人に好かれる人間なんていない、生きていれば私のことを嫌う人だって出てくるのだと、分かっていても抑えられない感情。そう、その点において私は、会ったことも無い兄に似てしまったのだろう。いや、会う人みんなに兄にそっくりだと言われるから、その点においても、だろうか。

 ある程度なら、恐らく耐えられるだろう。私が原因なのだから、覚悟は出来ていると思っていた。だけど、シリルに拒絶されたら、私はきっと耐えられない。……どうして? その答えももう知っているはずなのに、きっと彼も知っているはずなのに、私たちは互いに止まったままで。

「だって……私は、帰らないと」

 僅かにここまで届いている光を辿りながら、思わず呟く。元の世界に帰ってしまえば、きっともうこの国と関わることはない。シリルのことも、ここで出会った人たちのことも、少し珍しい類の思い出として残るだけで、触れ合った温もりはきっと薄れゆくのだろうから。

 首を振ってそんな考えを追い出し、顔を上げる。既に彼女の封じられた水晶は目の前で輝いていて、どこか呆れたような声が響いた。

「では――覚悟は、出来ましたのね? ニナ」

「うん」

 その問いに、首肯を返す。出会ったときから眠り続ける親友を見上げ、私はにっこりと微笑んだ。

「封印を解く方法を教えて、カタリナ。私は、私を信じる」

 私が信じた私を、私が信じた貴女を信じる。――信じたことを、為す。


こんばんは、高良です。……最近短い話の方が難産だったり、いえ難産だったから短いのでしょうか。


そんなわけで、覚悟を決めてしまったニナ。その背を、知らず押してしまったシリル。それは果たしてアネモスにとって吉と出るのか、凶と出るのか――物語は、また新たな方向へと動き出します。


では、また次回。

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