第十二話 真実を知る
残酷な表現あり。
「早いな、仁菜ちゃん」
喫茶店の片隅で、そう声をかけてきたのは、三十代半ばの男性だった。よく見知った顔だったが、見慣れない服装に私は笑みを零す。
「こんにちは。今日は私服なんですか?」
「警察の制服じゃ嫌でも目立つだろ。仁菜ちゃんこそ、学校帰りか? 日曜なのに。……これじゃ傍から見たら、僕が中学生の女の子を誑かしている不審者だな」
「あはは、言い訳くらいは考えてありますから、ご心配なく。朝から生徒会室に缶詰だったんですよ。ほら、もうすぐ文化祭だから」
「……そっか」
私の言葉に、彼は苦しげに目を細めた。
「そんなところまで含めて、妹に似ているよ、君は。……いや、お兄さん譲りなのかな」
「妹さんも生徒会だったんですか?」
「ああ、多分名簿でも漁ってみれば見つかるよ」
かつて兄の友人だった彼は、当然私の大先輩にあたる。そんな彼に笑みを返すと、私は表情を引き締め、真っ直ぐに男性を見た。
「それで、その……お願いしていたこと、なんですけど」
「ああ、先週言った通りだ。僕に調べられることは、全て調べてきた」
彼もまた頷くと、姿勢を正す。どちらかというと確認のためだろう、彼は私の目を見つめ返して、静かに訊ねてきた。
「宝城の――宝城柚希の死について、だったね」
「はい」
ぐっ、と膝の上に置いた拳を握りしめる。父に図書館に連れて行ってもらったあの日から、ずっとずっと追いかけ続けたこと。お姉ちゃんはどうして命を落としたのか、その理由。当時の新聞や雑誌を漁っただけでその答えは分かったけれど、それだけじゃ足りなかった。
「私は、真実が知りたいんです。雑誌や新聞で、関係の無い人たちを楽しませるために誇張して書かれた、悪意のある言葉じゃない……どんなに残酷でも良いから、義姉が巻き込まれてしまった事件の真実を、全て知りたいんです」
「知ることが良いことだとは限らないんだぞ。この世界には、知らない方が良いことだってたくさんあるんだ。宝城だってきっと、仁菜ちゃんがそれを知るのを良しとはしないはずだ」
「はい、私もそう思います。それでも、聴かせてください」
自分で調べ始めて、ようやく答えに辿り着いたときに、嫌というほど自問と自答を繰り返してきたのだ。知らなければ良かった、私が知るべきじゃなかった。だけど、両親すら途中で聞くことを拒んだというその話を、私まで拒否してしまったら……それはまるで、お姉ちゃんが生きたその事実からも目を背けるようじゃないか。誰に言われたわけでもない、きっと言えばそんなことはないと否定されるだろう考えだけど、私が辿り着いたのはそんな答えだったのだ。
そんな私を見て、彼は諦めたように嘆息した。
「まぁ、そうだろうとは思ったよ。知らされない苦しみは、僕だってよく分かってる」
「妹さんのことですか?」
「うん、それはもう警察を恨んだよ。こいつらが役に立たないなら自分で調べるしかない、なんて思ったけど、結局何も手がかりはなかった」
君に同じ思いをさせるのは気が引けるからね、と彼は呟き、険しく目を細める。
「流石に書類を持ち出すのは憚られたから、全部この場で話して、それで終わりだ。聴きたくなかったと思ったら、忘れてしまえば良いよ。それで、仁菜ちゃんはどこまで知っている?」
「当時報道されたことだったら、大体。お姉ちゃんが失踪して一ヶ月後に遺体で発見されて、その遺体が、とても酷い状態だったこと。行方不明だった一ヶ月の間ずっと、酷い目に遭っていたこと……」
そこで言葉が続かなくなって、私は思わず俯いた。顔を上げないまま、震える声を絞り出す。
「本当、なんですか? ああいう報道は、偏っていることが多いって……事実と違うことだって多いって、聞きました。本当に、あんなこと」
「……残念だけど、報道されたことは殆ど事実だ。一部の雑誌にはでたらめもあったが、それだって大きく外れていたわけじゃなかった」
予想は出来ていたけれど、信じたくなかった答えに目を見開く。彼が言葉を切り、心配そうに見てくるのが分かった。大丈夫です、と首を振って、続きを促すように顔を上げる。
「強いて言うなら、見つかった遺体は酷いなんてものじゃなかった。誰も口に出そうとはしなかったが、破壊されていた、の方が相応しいかもしれない」
「破壊……?」
「四肢は全て鋸のようなもので切断されていて、眼球も両方とも抉られていた。体の部位は全て現場に残っていたが、手の方は指が何本か同じように切り取られていたから、恐らく手足よりもそっちが先だろうね。それと、腹を中心に滅多刺しにされていて、体を覆うように内臓を引きずり出されていた。実際にはもっと酷かったんだが、これ以上は君が耐えられないだろう。……発見者はその場で吐いたそうだ」
それは、そうだろう。ガタガタ震える体を押さえつけるように、握りしめた拳に更に力を込める。俯いたままの視界に映る手の甲はもう真っ白だったし、掌は爪が食い込む痛みを訴えていた。けれどそうでもしなければ、私まで吐いてしまいかねない。お姉ちゃんが味わっただろう苦痛を想像して、……想像しようも無くて、ただ背筋に氷水でも流し込まれたかのような悪寒が走った。
「やめるか?」
「いいえ」
気遣うようなその問いに、しかし私は首を横に振る。顔を上げた拍子に今まで堪えていた涙が零れたけれど、そんなものは無視して、睨むように彼を見た。
「続けてください。死ぬ前は? 行方不明だった一ヶ月、お姉ちゃんはどうしていたんですか?」
「……中学生に話したら問題になりそうだけど、ここまで来て引き下がるわけにもいかないか。遺体の状態が状態だったから推測で、断言は出来ないよ。ただ、少なくとも監禁されていたのは間違いないらしい。最初の頃は性的暴行……その、いわゆる強姦だな。それが中心だったが、途中でただの暴力に切り替わって、そのまま殺害に至った可能性が高いと見られている。バラバラ殺人の場合、その理由は単純に被害者への憎しみか、もしくはその方が死体を処理しやすいからというのがほとんどなんだが、どちらでもないだろうね」
そう、それも雑誌なんかでは散々好き勝手書かれていたことだ。それでもより真相に近い場所にいる人から言われるとやはりショックで、……同時に一つ、放っておけない疑問が浮かんできた。
「待ってください。推測って……犯人は、捕まっていないんですか?」
捕まっているのなら、何しろ一部始終を見ていたのだ、詳細を知らないはずがないだろう。ニュースでたまに聞く心神喪失だとか、もしくは犯人が話したがらないとか、そんな事情があるのだろうか。そう考えるが、彼は悔しそうに首を振った。
「ああ、それどころか何の手がかりも無いらしい。……ただ、犯人が再び同じような事件を起こす可能性は限りなく低い。少なくとも、僕はそう考えてる」
「どうしてですか?」
「宝城がストーカー被害に遭っていたのは知っているか?」
「……いいえ」
予想外の一言に、私は目を見開く。確かにお姉ちゃんは美人だったけど、そんな話はまるで聞いたことがなかった。幼かった私に話すようなことではないから? いや、お姉ちゃんのことだ、お父さんやお母さんにも話していない可能性は高い。
私の反応を予想していたのだろう、彼は特に驚く様子も無く頷いた。
「行方を眩ます一週間くらい前に同窓会があってね、そのとき世間話のついでのように聴いた話だ。後を付けられていただけだったと言っていたから、宝城自身もあまり重く考えてはいなかったんだろうね」
「でも、違ったんですね。そのストーカーが、犯人……?」
「その可能性が高いな。第二、第三と事件が続けば、犯人はただの異常性愛者だと言えたんだけどね。被害者が宝城一人だった以上、恐らく犯人は最初から宝城一人だけが狙いだったんだろう」
「それで……捕まらないまま、今は普通に生活している?」
「……いや」
もしかしたらすぐ近くに、お姉ちゃんの命を奪った人間が潜んでいる可能性すらあるのだ。恐る恐る訊ねたものの、否定の言葉が返ってくる。
「僕を含む一部の人間は、犯人は既に死んでいるんじゃないかと考えているんだ。具体的に言えば、自殺だな。それほど宝城柚希に歪んだ感情を向けていた犯人が、抜け落ちたものを無視してまで社会に復帰するだろうか? と、そう言った奴がいた」
「だから、……お姉ちゃんの後を追って自殺した?」
「断定は出来ないから、忘れてくれて構わない」
肩を竦め、彼は元から険しかった表情を更に厳しくする。そのまま脇に置いた鞄から何かを取り出すと、それをテーブルの上、私と彼の間にそっと置いた。……何の変哲もない、無地の茶封筒。大きさもそれほどなくて、中身を説明する文字は皆無である。私がそれに視線を落とすと、彼は固い口調で告げた。
「宝城が発見された時の写真と、その状態についての詳しい説明だ。さっきも言った通り、発見者はおろか駆けつけた警察すら近寄るのを躊躇うほどだったからね。犯人以外の誰の手も加えられていないはずだ」
「……それ、は」
私が知りたかったことの、全て。……本当に? 本当に私は、知りたいと思っていた? 話を聴いてなお、お姉ちゃんの最期をこの目で見たいと、そう思っているの? 本当に?
自然と体を強張らせる私に、彼は「けど」と続ける。
「君は、決して中を見るな。彼女の死の瞬間と本気で向き合う覚悟が出来るまで、これを開けてはいけない。そしてその日は、きっと永遠に来ないはずだ」
「それが……条件ですか?」
「ああ、そうだ。約束できないなら、これを渡すことは出来ない」
彼の言葉に、思わず黙り込む。けれど結論はすぐに出て、私は顔を上げ、彼を見据えた。
「約束します」
答えると、彼は深く嘆息する。けれど同時に私の答えは予想済みだったのだろう、すっとテーブルの上を滑らせて、封筒を私の目の前に寄こした。それを取り上げて、私はにこりと微笑む。
「ありがとうございます、来実さん。私のわがままを聞いてくれて」
「……昔から、妹ってやつには弱いんだよ」
そんな私に、彼――かつての兄の友人、来実警部は苦笑を返した。
◆◇◆
「どうしようカタリナ、明日だよ……」
「むしろ神子としてお披露目される前日にこんなところに来る余裕がある貴女には驚嘆せざるをえませんわ」
挨拶もそこそこに、泣きつくように呟いてみせる。氷のような水晶の中、ぴくりとも動かない彼女からは、そんな言葉が返ってきた。
「うん、上にいると誰に会っても明日の話されるから、気が休まらなくて」
「あの出来損ない王女はどうですの? 帰ってきていると言ったのは貴女ですわ、ニナ」
「クレアのこと?」
確かに、かつてクレアが城内の一部の人たちからそう呼ばれていた、というのは何度か聞いた。聞いたけど、……流石は敵国、容赦ないなぁ。あ、元敵国か。
「ずっと不思議だったんだけど、どうしてクレアが出来損ない扱いなの? 普通に良い子だよ」
「良い子なだけでは王族としての務めは果たせませんわ」
私の問いに、カタリナは即答した。自身もそうだったからだろうか、彼女の口調は厳しい。
「貴女の話を聴く限り、今はいくらか改善されたみたいですけれど、かつての彼女は酷かったようね。親の愛に甘えてすべきことも果たせない王女を、民は王女とは認めませんわ」
「すべきこと、って?」
「たくさんあるけれど、まず知識と教養、王族として生きる覚悟を身に着けること。それと、場合によっては政略結婚かしら」
元の世界で過ごしていれば一生縁がないだろう言葉に、私は首を傾げる。家同士の利益を追求した結婚、それは何となく分かる。そこに愛が無いのなら、私には受け入れられるだろうか?
「難しく考えているところ悪いですが、ニナ。あの王女とグラキエスの王子の婚約もそうですわよ?」
「えっ? ……ハルがクレアに一目惚れして、色々あった末にクレアもそれを受け入れた、みたいなこと聞いたけど」
「それも事実ですわ。同時にそれはウィクトリア帝国……つまりは私と父ですわね、帝国が周囲の小国を吸収し始めた頃でしたの。だからアネモス国王は、隣国であるグラキエスと更に強く結びつくという『安全策』を取ったのね」
「そうやって聞くと、陛下がすっごい嫌な人みたいだね?」
悪戯っぽく言うと、カタリナは口調を変えずに同意してくる。
「あら、実際アネモス国王は嫌な奴ですわよ?」
「良い人だよ?」
「……良い人、では国は治まらないと言っているでしょうに」
呆れたように嘆息する彼女に、あはは、と笑みを返す。もちろん私だって陛下が優しいだけではないことは知っているし、それはリオネルさんやシリルだって同じなのだろう。それでも、私に対する優しさは本物なのだと、彼らの笑顔が教えてくれた。
「で、どうして王女のところに行きませんの?」
「クレアのところに行くと、強制的に着せ替え人形扱いだからね……」
遠い目で答えると、カタリナは不意に吹き出した。彼女が大笑いするなんてかなりレアなのだが、理由が理由なだけに喜べない。
「それはまぁ、気持ちは分からなくもありませんわね! 貴女の顔については見えないから何も言えませんけれど、自分より小さい生き物を見たら愛でたくなるのが人というものだわ」
「だからみんなして人が気にしてることを指摘するのやめようよ私にとっては死活問題なんだってば! っていうか、見えないなら何で身長は分かるの?」
「魔力の範囲を辿れば、大体の大きさは分かりますわ」
「ああうん、そっか……」
魔法に関してはまだほとんど習っていない以上、そう言われれば黙らざるをえない。その代わりのように、私は「大体さ」と言葉を続けた。
「もう明日の衣装は決まってるんだよ? なら良いと思わない? クレアはともかく、衣装部屋で働いている侍女の人たちも嬉々として私のこと脱がしてくるんだよ」
「ああ、そういえば言っていましたわね、イヤリングのこと。愛されてますわねぇ」
サラリと帰ってきたその言葉に、私は思わず黙り込む。一瞬で顔が熱くなったのが、自分でもよく分かった。ぼんっ、なんて効果音がついてもおかしくない。
「……や、やっぱり、その、そういうこと、なのかな?」
「さぁ? それがアネモスにとって大事な『神子』に対する友愛なのか、それとも『ニナ』という一人の少女への愛情なのかは、私にも分かりませんもの。それを言ってしまえば、この私に愛を語らせること自体が愚かですわ。……それにしても意外ですわね、その反応から察するに、貴女の方も満更ではないのかしら」
「う……正直、よく分からない、かな。シリルのことは、そりゃ友達としては大好きだし、頼りにしてるし、信頼もしてるよ。でも……」
「流石の私も、それだけは力にはなれませんわよ? ……でもまぁ、貴女が答えを出すまでの時間を稼ぐための助言くらいなら出来るかしら」
「助言?」
「明日の助言、ですわ」
彼女の言葉を繰り返すと、答えは悪戯っぽい口調で返ってきた。
「お披露目も、その後の舞踏会も、当然各国の王族や貴族が多く参加することでしょう。ですが、あまり心を許してはいけませんわよ? 特に、王子への想いを見極める時間が欲しいのなら」
「どうして?」
「腐った林檎は、どこの国にも存在しますもの」
くすくす、と笑い声が響く。「例外は我がウィクトリアくらいですわ」と、カタリナはどこか楽しそうに続けた。
「それだって、帝国の狂気ゆえに偶然出来上がった奇跡。正常な国であれば、善良な人間と同じように、悪い人間も存在するのよ」
「……似たようなこと、シリルも言ってたよ。神子を傷つけようとする人間はいなくても、利用しようとする人間は存在する、って」
「ええ、例えばそうね……王子に何らかの事故が起きて、代わりにどこぞの貴族が貴女を娶れば、神子を得た家は王族に次ぐ権力を得ることでしょうね」
「っ!」
思わず息を呑む。そうだ、確かに私に危害が及ぶことはないのだろう。けど、シリルは……シリルだけじゃない、私の周りの人たちは、違うのだ。
「警戒を忘れてはいけませんわよ、ニナ。人を信じる心は、場所によっては悪癖となりえますわ。貴女がただ捕食されるのを待つだけの兎だと、そう見る人間もいるでしょうね」
気を付けなさい、と彼女は笑った。
こんばんは、高良です。……滑り込みセーフ、かと思ったら5秒アウトでしたショック。
前半はニナが中学生のときのこと。話している相手は第三部の番外編を読んで下さった方ならお分かりでしょう、慎の友人であり、妹を失った『彼』です。ちなみにニナは彼の妹が行方不明になったのと同い年で、時期もちょうど重なっていたり。
後半はそんな冬哉の妹が遺した彼女。
では、また次回。




