第十一話 胸に秘めたもの
「かっ……わいいいいいいい!」
「きゃっ」
久々に会う僕には目もくれず、妹は隣に立っていたニナを思いっきり抱き締める。ある意味予想通りの光景に苦笑しつつ、僕は同じように一連の流れを静観していた金髪の少年に視線を向けた。
「久しぶりだね、ハル。元気そうで何より」
「お前もな。つっても、まだ最後に会ってから二ヶ月くらいか」
明るい緑の目を細め、彼は楽しそうに笑う。それに釣られ、僕も微笑み混じりに首肯した。
「うん、新年以来だね。……ほらクレアもそろそろ離れる、ニナが苦しがってるだろ」
「だってシリル、この子すっごい可愛いのよちっちゃくて髪なんかふわっふわで、なのに絡まらなくてもう!」
「知ってるよ」
「っつーかお前シリルに対する第一声がそれかよ」
無理やりハルに引き剥がされ、妹はようやくその事実に気づいたらしい。「あはは……」と乾いた笑みを零すと、彼女は僕に向き直った。
「ごめんシリル、つい……久しぶりだね?」
「うん、久しぶり、クレア。それと、おかえり」
「ただいま!」
嬉しそうに彼女が頷くのに合わせて、僕と同じ青みがかった銀の髪が揺れる。見慣れた、けれどここしばらくは見ていなかったその笑顔に懐かしさを覚えると、彼女は目ざとくそれを悟ったのだろう、面白そうに僕を覗き込んだ。
「寂しかった?」
「え」
固まる僕に追い打ちをかけるように、妹は笑みを深める。
「私とハルがいなくて寂しかったんでしょー、シリル」
「……べ、つに、そんなこと」
「すっごい寂しそうだったよ」
「ニナ!」
慌てて止めようとするも、ニナはするりと僕の手を抜け、クレアとハルに向かってにっこりを微笑んだ。
「初めまして、ニナです。シリルの妹さんと、グラキエスの王子様だよね?」
「クレア=ネスタ・ラサ=アネモスです。そっか、同い年だったよね」
「ハーロルト=リーフェンシュタール=グラキエス。あ、長いからハルで良いぞ。……じゃあ、お前が神子なのか?」
「うん、そうらしいね。どうかした?」
ハルがどこか険しい表情を浮かべたのに気付いたのだろう、ニナは訝しげに首を傾げる。彼は表情を変えずにしばらくじっとニナを凝視すると、やがて「いや」と首を振った。
「何でもねえよ、多分気のせいだろ。……どこかで見た顔なんだけど、別にお前、俺と会ったことないよな?」
「あ、それ私も思った。何だろう、初めて会う気がしないのよね」
クレアもまた頷き、首を傾げる。他人事のようにそれを見守りつつ、僕は内心焦りに似た感情を抑えるのに必死だった。
気がする、ではない。彼らは恐らく初対面だが、無関係ではないのだ。ハルとクレアにもまた、前世の記憶が存在するという事実を、僕は知っている。前世での先生……ニナの実の兄が命を落とした、その原因とも呼べる存在が、かつてのハルとクレアであるらしい。この間、ニナに苗字を名乗らないよう言ったのは、それを隠すためというのが大きかった。彼らのその複雑な関係が数年前に事件を招いたことを、僕はまだ忘れちゃいないのだ。
「まぁいいや。それよりニナちゃん……ニナ、って呼んでいい? さっきはごめんね」
「ううん、気にしないで。よくあることだし、慣れてるから」
「何でだよ」
ぼそっと呟いたハルに対し、僕とニナは苦笑する。確かに、城に来てしばらくはよく侍女たちに抱き着かれたりしていたのは事実だった。彼女の話では、この世界に来る前もそんな感じだったらしいし。
「それでクレア、グラキエスはどう? もう慣れた?」
「……うん、大体?」
「何で疑問形なのさ」
露骨に目を逸らす妹に嘆息してみせると、ハルが面白そうに笑みを漏らした。そっちに視線をやると、彼はニヤリと、意味ありげに声を潜める。
「凄かったんだぜークレア、何せきて早々」
「あーっ駄目ハル、言わないで! 違うの、あれはグラキエスが寒いのが悪いのよ!」
「寒いっていうのは知ってるけど、そこまでなの?」
会話に加わったニナを、クレアとハルは驚いたように見つめた。
「お前、神子だろ? 別な世界から来たくせに、何で分かるんだよ、そういうこと」
「そりゃ勉強したもん。流石にシリルくらい詳しくなるのは無理だったけど、二ヶ月もあれば一般常識くらいは覚えられるよ」
「シリルはちょっとおかしいから一緒にしなくていいの!」
「……言っておくけどクレア、先生にちゃんと教わっていればクレアだってこれくらい覚えられたはずなんだからね」
「それはない」
即答したのはクレアではなくハルの方で、しかし妹もまたその通りだと言わんばかりに頷いている。そんな二人に苦笑を返しつつ、僕はニナの方に顔を向けた。
「良かった。少し心配していたんだけど、大丈夫そうだね」
「うん、仲良くなれそう。……心配って?」
「いや、何でもないよ」
誤魔化すように首を振り、立ち上がる。無理やり時間を空けてきたけれど、父上に押し付けられた書類の束はまだ全然終わっていないのだ。神子関係のことは殆ど僕が引き受けている以上、お披露目が近づくにつれ僕の仕事が増えるのは仕方ないのだろう。最近では慣れてきたのか、かかる時間は短くなってきたし。
「ハルもクレアも、長旅で疲れただろう? 夜になれば僕も少しは暇になるはずだから、それまで休んでるといいよ。ニナも、そろそろアドリエンヌが来るだろうし」
「あ、そうだね。忘れてた」
「アドリエンヌ? って、まさか公爵家の?」
僕に続くように立ち上がったニナに、クレアが訊ね返した。ニナは不思議そうに首を傾げるが、笑顔であっさりと頷く。
「うん、勉強とかこの世界のこととか、色々教えてもらってるんだ。知り合い?」
「知り合いも何も……まぁいいや」
前公爵であるドミニクはかなりの愛妻家で、彼が生きていた頃、アドリエンヌは滅多に屋敷から出てこなかった。ゆえに、僕たちの教育係になるという『不運』を回避した数少ない人間の一人である。ついでに、最終的に教育係となった先生の実の母親でもあるのだ。それを知っているからだろう、クレアは何か言いたげに黙り込む。事情を知っているニナは特に追及もせず、不意に僕を見て、悪戯が成功したかのような笑みを浮かべた。
釣られて笑う僕を見て、今度はハルが信じられないものでも見たかのように眉を顰める。
「なぁ、シリル……」
「何?」
「……何でもない」
「言いたいことは分かるわ、ハル」
神妙な顔で頷く二人。僕とニナは再び顔を見合わせたが、答えは分かりそうになかった。
◆◇◆
クレアとハルが戻ってきて三日。少し前まで二人ともこの城の住人だったのだ、心配なんていらないほどあっさりと馴染んでいた。そんな二人も今日は城下に行っていて、数日ぶりに城に静寂が戻っていた。……いや、彼らがいるだけでかなり賑やかになるから、うん。
二人にそう指示したのは他ならぬ父上で、「あまり民の前に姿を見せなかった王女とその婚約者が城下で遊んでくれば、少しはお前たちの評価も変わるだろう」らしい。二人のことを心配していると見せかけて、アネモスの利しか考えていないのが口調に滲み出ていた。いや、少しは二人のことも考えていたのだろうけど、流石父上だとしかいいようがない。
そんなことを考えながら、衣裳部屋の扉を叩く。舞踏会で着るドレスが仕立てあがったから合わせてみる、という話を今朝聞いていたのだ。少しして、向こうから扉が開いた。
「あら、シリル様。お待ちしておりましたわ、ちょうど着付けが終わったところです」
「それは良かった。着替え中に突撃する羽目になったらどうしようかと思ったよ」
「そのときは終わるまで廊下で待っていただくだけですわ」
顔見知りの侍女と笑みを交わし、扉の奥に視線を向ける。とはいえ侍女の背に隠れて中の様子は分からず、僕は首を傾げた。
「入っても大丈夫かな?」
「ええ、どうぞ」
促されるまま、部屋に足を踏み入れる。同時に部屋の中央に立っていた少女がこちらを見たせいで、ばちっと視線がぶつかった。
「し、シリル? ……あ、は、早かったね」
「うん、政務が思ったより早く片付いたから……えっと」
視線を逸らせないまま、互いに赤面して黙り込む。理由はもちろん、ニナの服装にあった。
縁取るような金糸の刺繍がなされた、薄い桃色のドレス。ふわりと膨らんだスカート部分には同じ色の、しかし薄く光沢のある布が重ねられていて、胸元に装飾品の類がない代わりのように、白いレースのリボンを首に結んでいた。半袖はアネモスの舞踏会では一番よく見かけるけれど、ニナがここに来てから、こんなに肌を見せる服を着たのは初めてじゃないだろうか。気恥ずかしさから逃げるように視線を少し上げれば、漆黒の髪は綺麗に結い上げられていて、余計に肌が白く見える。
「あ、あのねシリル、――きゃっ!」
少しして、ニナが僕より僅かに早く我に返り、慌てたように僕に駆け寄ってきた。しかし慣れないドレスのせいだろう。僕の目の前で裾に躓き、そのままこっちに転びかける。咄嗟に支えると、見上げてきた彼女と再び目が合った。……いや待って、近い! 目を逸らせば再び白い肌が視界に映って、どうすればいいか分からずに手を離す。
「……大丈夫?」
「う、うん」
ニナはさっきよりも赤い顔で、目を合わせずに頷く。……いや、顔が赤いのは恐らく僕も同じなのだろう。また訪れかけた沈黙を破るように、彼女は勢いよく顔を上げた。
「その、違うんだよ、私はもうちょっと地味なドレスで良いって言ったし、今日だって本当はただの衣装合わせで、これ着るだけで終わってたはずなんだけど、みんながっ」
「ニナ様? 磨けば磨くほど光り輝く宝石が目の前にあるのに磨かないような人間、ここには存在致しませんわ。何のための衣装部屋ですか。ほら、シリル様も何か仰って下さいませ。ああ、先ほどまでは他にも何人か侍女がいたのですけれど、着付けが終わったので皆一旦休憩に出ていますの」
「そう、なんだ」
ニナから目を逸らしたまま、侍女に対してぎこちなく頷いてみせる。つまりこの衣装を持ってきたのであろう仕立屋も、一緒に行っているということなのだろう。そのまま黙り込むと、ニナが不安そうに僕を見た。
「……似合わない、かな?」
「え?」
「ほ、ほら、私こういう服着るの初めてだし、どう振る舞えばいいか、見たいなのは教わったけど、でも実践は今日が初めてだし、その……変じゃ、ない?」
「そんなことないよ!」
思ったより大きな声が出てしまったことに、自分でもびっくりする。上目遣いで窺ってくる少女に対し、ようやく微笑を返せた。
「似合ってる。綺麗すぎてびっくりしただけで……あっ」
言ってから自分が口走ったことに気づくが、言ってしまったものはしょうがないと開き直る。ニナも驚いたように目を見開いて赤面するが、少しして嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう」
「どういたしまして。……でも良かった、これなら似合いそうだ」
「え?」
「目、閉じてて」
不思議そうに見上げてくるニナにそう返し、彼女が目を瞑ったのを確認して、『それ』を取り出す。そっと金具を弄ってニナの耳に付けると、脇で見守っていた侍女が驚いたように「まあ……」と呟いた。言いたいことは分かるけれど、静かに、と指を口に当て、僕は再び微笑む。
「よし、もう良いよ」
「……シリル、これって」
耳に触れるなり、ニナは驚いたように声を上げた。そのまますぐ傍にある鏡を覗き込み、彼女は更に目を丸くする。
「ドレスと合うか心配だったんだけど、大丈夫みたいだね」
「ええ、とてもよくお似合いですわ」
ニナの耳に光るのは、透き通った薄い青の宝石だった。雫のような形をしたその石の大きさ自体は小さいものの、この世界ではかなり希少な、ゆえに高価な石である。彼女はしばらく鏡に映る宝石を凝視した後、そっと僕を振り返った。
「いいの?」
「うん。ニナに受け取ってほしいんだ」
「……じゃあ、遠慮なく」
この石を人に贈ることの意味は僕だってよく知っていたし、だからこそ侍女があんな反応をしたことも分かっている。それでも、ニナに渡しておきたかったのだ。……大丈夫、指輪じゃないから許容範囲だろう。
彼女が悪戯っぽく笑うのを見て、僕はようやくほっと息を吐く。「それじゃあ」と顔を上げ、普段完璧な王子を演じているときのように微笑んで、僕は出来るだけ優雅に、ニナに手を差し伸べた。
「一曲踊って頂けますか? 姫」
隣に少し広い部屋があることは、彼女も知っているだろう。ニナは楽しそうに笑い、僕の手を取る。
「喜んで」
……自分の中に芽生え始めた感情は、とっくに自覚していた。アネモスのため、そう思うなら僕はそれを受け入れるべきで、受け入れて従うべきなのだ。けれど僕はニナを元の世界に返そうとしていて、そうなればきっともう二度と会うことはない。互いにこの日々を思い出にして、無関係に生きていく未来が、いずれ訪れるのだろう。本当にニナを想うならそうすべきだと、それだってちゃんと分かっている。
彼女に贈った青い石が、選択を迫るように煌めいた。
こんばんは、高良です。四日ならセーフ(言い訳)
さて、前半は久々に登場したハルクレ。中身はともかく年齢は同じですから、二人とニナはすぐに打ち解けました……が、彼らにとって大事なことを知っているのは、シリルだけです。
後半はそんなシリニナの急接近。あまりに初々しすぎて筆が進まなくなったのは内緒。ジルリザ書き慣れた私にはキツ、いけど第四部のメインってこの二人なんですよね……慣れなきゃね……
では、また次回。




