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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第四部
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第四話 告げられた事実

「あー……」

 これはもう、確実に迷った。さっきから認めまいとしていた事実をようやく受け入れると、私はそっと嘆息した。歩いても歩いても同じような廊下と扉が続いていて、さっき案内されたばかりの部屋に戻るなんて出来そうもない。これでも記憶力は良い方だと思っていたけれど、どうやら私は予想以上に混乱していたようだ。……それはそうか、いきなりあんなことを言われて、落ち着いていられる方がどうかしている。

「……異世界、か」

 まだ完全に信じたわけじゃない。いくら私でも、あの話を簡単に信じてしまうほどお人好しでも素直でもないし、愚かでもない。少なくともシリルの言う魔法とやらをこの目で見るまでは、疑う気持ちは消えないだろう。

 それでも、ここが知らない場所――少なくとも日本ではないことは、どうやら間違いなさそうだった。さっきからずっと歩いていれば分かる。内装はどう見ても物語に出てくる『お城』そのものだったし、すれ違う人たちもみんな日本人ではなさそうな顔立ちで、日本じゃありえない髪や目の色で……ドッキリに、そこまで手はかけないだろう。立ち止まって窓の外を見れば、遠くには外国らしい建物が並んでいた。

 ……さっき、王様に会ったときに、一つだけ訊かなかったことがある。シリルに私の置かれた状況を説明されたときからずっとずっと気になっていて、だけど怖くて訊けなかったこと。彼らの様子を見ていると、私の望む答えは返ってこない気がして。

「きゃっ」

 考え事をしながら歩いていたせいだろう、不意に衝撃を感じた。人にぶつかってしまったのだと気付くと同時、手を差し伸べられる。

「申し訳ありません、お怪我は?」

「あ……」

 見上げると、そこにいたのは灰藍の髪の男の人だった。恐らく二十代の半ばくらいだろう、一言で言ってしまえば物凄くイケメンである。そんなことより特筆すべきはその瞳だろう、藍色かと思ったが、よく見たらその中に金色の粒が散っていた。まるで星空みたいだ、と少し見惚れてから、ようやく我に返る。

「ご、ごめんなさい、大丈夫です!」

「それは良かった。神子殿に怪我をさせてしまっては一大事ですからね」

「……私のこと、知ってるんですか?」

 差し出された手を取って立ち上がり、私は面白そうに微笑む青年を見上げた。彼は首肯すると、洗練された動作で膝をつく。

「リオネル=レネ=トゥルヌミールと申します。もちろん知っていますよ、神子が降りたという噂はもう城中に広まっていますから」

「噂?」

 いくら何でも早すぎやしないか。時計が無いからはっきりとは分からないけれど、シリルに出会ってから、まだそんなに時間は経っていないはずだ。それに、彼の答えは私が求めた答えにはなっていなかった。

「でも、貴方とは初めて会いますよね。どうして分かったんですか? 私が、その……神子だって」

「見たことのない、それもこの国では珍しい黒髪の少女が城内を歩いていれば、予想はつくでしょう。ですが、少なくとも貴女のことが正式に民に知らされるまでは、お一人で出歩くのは控えた方がよろしいかと。城の中は確かに外より安全ですが、絶対に安全であるとは言い切れません」

「……はい」

 さっきシリルにも聞いたことだ、私はそっと首肯する。それを確認すると、リオネルと名乗った男性は更に訊ねてきた。

「それで、何故このようなところに?」

「さっきまで王様――違った、陛下に謁見していたんです。その後でシリルと陛下は話があるからって、私は一度部屋に案内してもらったんですけど、その……」

 言えない。異世界とか信じられないし私抜きで話とか明らかに嫌な予感がするし怪しくてつい飛び出しちゃいましたとか言えない。そう思って黙り込むものの、彼はその沈黙から何かを悟ったのだろう、苦笑のような表情を浮かべる。

「まったく……シリル様と気が合いそうな方だ」

「え?」

「いえ、何でも」

「……何してるの、二人とも?」

 背後から聞き覚えのある声が聞こえたのは、リオネルさんが首を横に振ったのとほぼ同時だった。

「おやシリル様、陛下とのお話は終わったのですか?」

「うん、そのことでリオネルを呼びに行かせたはずなんだけど、僕の方が早かったみたいだね。父上はもう執務室に戻っているはずだから、なるべく早く行ってくれるかな」

「御意。……では神子殿、またどこかで」

 あっさりと立ち去る彼を見送り、シリルは私に視線を向ける。リオネルさんと話している間は人間味のあったその笑顔は、けれどこちらに向いた瞬間また例の、どこか違和感のあるものに変わっていた。まるで作り物のような、綺麗すぎる笑顔。

「君は部屋にいると思っていたんだけど、どうしたの?」

「あー……その、散歩してたら迷ったというか」

 嘘じゃない。そう心の中で唱えつつ目を逸らすと、シリルもまたさっきのリオネルさんのように、どこか含みのある笑みを漏らした。しかし彼はそれについては何も言わず、代わりに私を追い越すように歩き出す。

「そう、それじゃ話は部屋に戻りながらにしようか」

「う、うん」

 彼の後を小走りで追いかけると、シリルはそんな私に気付いたのか、私に合わせるように僅かに速度を落とした。……うぐぅ、優しいし。

「あの後決まったことが一つあってね、君にはこの世界のことを色々と教えなきゃいけないんだけど、僕がずっとついているのは流石に厳しい。だから、君に教師をつけることになった」

「教師?」

「そう。智の国グリモワール――世界中の本と知識が集まる国出身の、前公爵夫人だ。信頼出来る人だよ」

「……公爵、って」

 つまり凄く偉い人の奥さんだったってことじゃないか。何度も言うけど、私はただの女子高生で、そんな特殊な状況には慣れていないのだ。抗議の意味も込めてぽつりと漏らすと、シリルは面白そうに微笑んだ。

「大丈夫。さっきは平気そうに父上と話していたみたいだし、それにリオネルにももう会っただろう?」

「え? うん」

 頷きつつ、嫌な予感に襲われる。そうだ、リオネルさんは当然のようにシリルと話していたけど、よく考えたら私の隣を歩いているのは『王子様』なのだ。そんなシリルと顔見知りってことは、つまり。

「トゥルヌミール公リオネル、この国で父上と僕に次ぐ権力の持ち主だよ。言うまでも無いと思うけど、君の教師になるのはそのリオネルの実の母親だ。いきなり凄い人間と知り合ったね」

「……嘘だぁ」

 乾いた笑みを漏らす私の横で、シリルは突然立ち止まった。つられて顔を上げれば、見覚えのある扉がそこにある。

「着いたよ、君の部屋だ。隣の部屋に侍女を控えさせておくから、何かあったら遠慮なく言って良い。それと僕の部屋もここのすぐ近くだから、何か用があったら侍女に連れてきてもらって。しばらくは一人で出歩かないように」

「うん、リオネルさんにも言われた。……あの、シリル。一つ訊いていい?」

「何?」

 首を傾げる少年の、その作り物のような笑顔を見て、少しだけ躊躇う。言ってはいけないことなのだろうな、とは分かっている。分かっているけど、でも、言わなければ彼との距離は縮まらないのだろうと、そう思った。彼の話全てを信じたわけじゃなくても、彼自身は信じて良いような気がした。

 ……だから。

「楽しくもないのに笑うのは、疲れない?」

「っ!」

 意を決して問いかけると、シリルは息を呑む。答えを聞きたい気持ちもあったけれどそれを抑え込んで、私は扉に手をかけた。

「私以外の人と話すときは普通だから、私に原因があるのかもしれないけど。訊かれたくないことだったらごめんね。でも私、それで苦しい思いをしていた人を知ってるから」

 直接知っているわけではないが、色々な人から、たくさんの話を聴いた。誰もが兄の苦しみに気付けなかったことを悔やんでいて、そして義姉だけは、気付いていながら助けられなかったことを悔やんでいた。

「それじゃ、会えたらまた明日ね、シリル」

 返事は期待していなかったから、そのまま扉を押し開ける。……気まずさがあったことは否めない。彼の気を悪くさせたかもしれない、そんなことも分かっている。それでも、言わずにはいられなかったから、言ったのだ。

「……楽しいから、余計に疲れるよ」

 だから、そんな呟きが耳に届いたのは予想外だった。思わず振り返る私に、シリルは微笑む。さっきよりは人間味のある、けれどまだどこか作り物のような笑顔。

「僕も、そんな人を知ってる。……また明日ね、ニナ」

 言葉を返すことは、何故か出来なかった。


 ◆◇◆


「初めまして、神子様。アドリエンヌ=リデン=トゥルヌミールと申します」

「……か、加波仁菜です。初めまして」

 厳しそうな人だ、と思った。

 この城に来てから三日。シリルが忙しいのはどうやら本当らしく、毎日一度は顔を合わせるものの、ゆっくり話すことはほとんど出来ずにいた。……ありがたかったことは、否定はしない。向こうがどう思っているかは知らないけど、私の方は確実にあの気まずい別れを引きずっている。だからだろう、ついさっきこの部屋に案内してもらったときにも、当たり障りのない会話しかしなかった。

 そこで考えるのをやめて、私は目の前の女性を見上げる。リオネルさんのお母さんということはそれなりの年になるのだろうが、真っ直ぐ伸びた背筋と凛とした雰囲気のせいか、かなり若く見えた。外見詐欺ではうちのお母さんといい勝負かもしれない。リオネルさんと同じ灰藍の髪は後頭部で編んで一つにまとめられていて、小学校のとき苦手だった女の先生を思い出す。……いや、良い先生だったし今は普通に尊敬してるけど、私にもやんちゃだった頃はあるから、うん。

 真面目そうな表情もリオネルさんとよく似ていて、ただ彼と違って星の散らない、サファイアのように透き通った青い瞳が印象的だった。

「何を考えていらっしゃるかは何となく分かりますが、わたくしはリオほど頭が硬いわけではありませんよ」

 私が黙り込んだせいだろう、彼女……アドリエンヌさんはおかしそうに微笑んだ。途端に今までの厳しそうな雰囲気は霧散して、私はほっと息を吐きながら答える。

「それは……リオネルさんが聴いたら、落ち込むんじゃ」

「神子様が黙っていてくだされば済むことです」

 うわぁい思ったより楽しい人だ。思わず笑みを零しつつ、一つだけ気になったことがあった。

「その神子様って呼び方、止められませんか? ついこの間まで一般人だったから、その……落ち着かないというか」

「それもそうですね。では、ニナ様と」

 断られるかな、とも思ったけれど、アドリエンヌさんはあっさりと頷いた。私が不思議そうにしているのが分かったのか、彼女は悪戯っぽく笑う。

「私が智の国と呼ばれる国の出身であることはご存知ですか?」

 三日前にシリルに聞いたことだ。首肯すると、アドリエンヌさんは満足げに微笑し、話を続けた。

「グリモワールは他国ほど信仰心が強くはないのです。信仰心よりも自らの知識欲を優先したのかもしれませんね。ですから、神泉こそ存在しますが、神子に対して抱く感情も他国とは異なります」

「しんせん?」

「この世界に来たとき、泉に触れませんでしたか?」

 その言葉で、シリルに出会ってすぐに連れて行かれたところを思い出す。

「……真っ白く光る泉、ですか?」

「そう、それこそが神子を神子であると判別するための唯一の手段であり、同時に神子が降りた国が神の祝福を受け取るための場所でもあるのです。ああ、それと神殿が存在しないのも智の国だけですね」

 私が最初にいたあの建物こそがそれであり、神子は本来神殿に所属することになっている、らしい。彼女も今日はあまり深く説明するつもりはないのだろう、そんな……神子について、シリルが教えてくれたことと絡めつつ軽く教えてくれただけだった。ついでのように付け加えられた、私も練習次第では魔法が使えるようになるはずだという言葉には、ちょっとときめいたけど。

「さて……顔合わせだけのつもりが、話しこんでしまいましたね。もうお昼ですし、今日はこの辺りで終わりにしましょうか」

「もうそんな時間ですか?」

「ええ、そろそろ十二の鐘が鳴るはずですよ」

 アドリエンヌさんの言葉に被さるように、荘厳な鐘の音が響く。この世界ではどうやら、一時間ごとに鐘が鳴るらしい。時計があるのかどうかは分からないが、少なくともアネモスには存在しないのだろう。……いや、これだけ正確に鐘を鳴らせるってことは、似たようなものはあってもおかしくないか。

 彼女の後について書庫を出る。アドリエンヌさんはそこで立ち止まると、私の方を振り向いた。

「昼食は部屋で取っているのでしたね。戻り方は分かりますか?」

「はい、何とか」

「それは良かった。では、今日はここで解散と致しましょうか」

 三日も過ごせば、城の全てとはいかなくても、よく通る道くらいは覚えるものだ。私はアドリエンヌさんの言葉に頷きかけ、……ふと、思い出した。

「……あの。もう一つだけ、訊いても良いですか?」

「ええ、構いませんよ」

 微笑む彼女から目を逸らし、少しだけ躊躇する。私も、そして恐らく彼らも、意図的に避け続けていた問い。だけど、もう逃げてはいられない。三日だ、三日も行方を眩ませば、平和な日本じゃ十分に事件だ。

 ぐっ、と拳を握りしめ、アドリエンヌさんを見上げる。

「私は……元の世界に、帰れるんですか?」

 帰らなきゃいけない。そう思って発した声は、どこか掠れていた。彼女もどこかでその問いを予想していたのだろう、驚いた様子はないものの、最初に会ったときのような厳しい表情で見つめ返してくる。

 沈黙を破ったのは、アドリエンヌさんの方だった。

「それは分かりません。……ですが、記録に残っている限り、故郷に帰れた神子が一人もいないのは事実です」

「……っ」

 一瞬、目の前が真っ暗になる。

 そんな気はしていた。物語の中ならこんなのよくある話で、一種のお約束で、だから聴きたくなかったのだ。それでも、自分から訊ねたのだから覚悟は出来ていた、そう思っていたのに。

『お願いよニナ、貴女は……貴女だけは、いなくならないで』

 脳裏に響いたのは、泣きそうな母の声だった。


こんばんは、高良です。……四日おき更新になっている? やだなぁ気のせいですよあははは。ごめんなさい頑張ります。


というわけで公爵家の人々と知り合うニナ。社交性は明らかに慎譲りですが、シリル君の痛いところを見事についた、その洞察力は柚希から受け継いだものでしょうか。

そんな彼女に突き付けられた、残酷な事実。それを知ってしまったニナは……


では、また次回。

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