第一話 王子と公爵
本編も(やっと)新章突入。
初めてお読みになる方はこの第四部からお読みいただいても大丈夫です。
兄がいた、らしい。
私が生まれるずっと前に死んでしまったせいで、私は兄のことを何も知らない。ただ、周りの人たちは異口同音に兄を褒め称えた。良い子だった、凄い子だった、優しい子だった賢い子だった強い子だったと。そして皆言うのだ、そんな兄が亡くなったのは本当に残念だと。会ったことも無いけれど、私は確かに兄に憧れていて、兄のようになりたいと願った。
義姉がいた。
兄の『友人』だったという彼女は、噂の全てを否定するように、幼い私に話してくれた。彼は決して強くなんかなかった。弱い自分を隠し通すのに必死で、強がり続けて壊れそうな自分を必死に保とうとして、そのために命を落としてしまったのだと。
だから彼のようにはなるなと、義姉はことあるごとに語った。どこか悔いるような、遠い目で。強がってはいけない、泣きたければ泣いていい。泣かないことを、強さとは呼ばない。……今思えばそれは、彼女が兄に言いたくて、けれど最期まで言えなかった言葉だったのだろう。
弱くても良いのだと教えてくれた義姉は、けれど私が二歳になって間もない頃、突然いなくなってしまった。殺されたのだと知ったのは、それからだいぶ後のこと。私は幼い子供のままで、知ったところで何も出来なかった。
兄のように、優しくなりたかった。
義姉のように、強くなりたかった。
彼らのように、生きようとした。
◆◇◆
「……シリル様?」
「あ……奇遇だね、リオネル。こんなところで会うなんて」
本を抱えて書庫から出ると、顔見知りの青年と遭遇してしまった。訝しげに眉を顰めるリオネルに、慌てて笑みを浮かべて見せる。彼は呆れるようにその目を細めると、静かに首を横に振った。
「いえ、場所自体は奇遇でも何でもありませんが。相変わらず誤魔化し方が下手ですね」
「君は相変わらず容赦がないね……」
むしろ容赦のなさに拍車がかかったんじゃないだろうか。思わず肩を落とすと、リオネルは面白そうに笑う。
「ですが、時間の方は確かに奇遇ですね。朝から読書ですか?」
「騎士団は休み明けで忙しいだろうからね。僕が行っても迷惑かと思って」
普段ならこの時間は騎士たちの訓練場に足を運び、彼らに剣術を教わっている時間だった。ひたすら勉強漬けだった時期もあったのだが、そういえばそんな僕を説得したのもリオネルだ。そんなことを考えながら答えると、彼は僅かに黒い笑みを浮かべた。
「俺が訊いているのは建前ではなく本音の方ですよ、シリル様」
「……いや、だから」
「貴方は自分が分かりやすい人間であることをもう少し自覚なさるべきだ」
「……本っ当に、性格悪いよねリオネル」
ついでに遠慮がない。これで王族に次ぐ権力を持つ公爵家の当主だというのだから恐ろしい。何が恐ろしいって、いずれ僕が王として彼を従えなければいけない辺りが。同時に凄く安心でもあるけれど。
「クレアとハルがいなくなって寂しい、って答えれば満足かい?」
正直に答えるまでこの調子だろうと腹を括り、嘆息交じりに答える。
五日間続く新年の祭りが終わり、春の一の月が始まると、城は嘘のように落ち着いた日常を取り戻す。それは国民だけではなく僕たちにとっても当たり前のことで、去年までだったら何とも思わず普段の暮らしに戻っていたはずだった。
だけど、今年は違う。新年が終わるのに合わせて、生まれてからずっと隣にいた双子の妹がこの国を去ってしまったのだ。初めて出来た親友と共に、彼の故郷、氷の国グラキエスへ。
二人が国を去ることは、ウィクトリアとの戦争が終わる少し前に、父に聞いていた。僕たちが十六歳になるのに合わせて、クレアはハルの婚約者として、正式にグラキエスの城へ行くと。まだ結婚はしないと言っていたけれど、それでも今までのように毎日会うことは出来なくなる。だから、覚悟はしていた、つもりだった。
二人がいなくなって、退屈になったわけではない。むしろ忙しくなったと言っても良いだろう。国王である父上は自分が生きているうちに僕に王位を譲ると言い、そのために必要なことを叩き込み始めた。もちろんいずれ国王になる人間として、そのための教育は小さい頃から受けていたけれど、父の補佐をしたり、彼と共に正式な場に赴いたり、そういうことが増えたのだ。だから、忙しさだけを見るなら今まで以上。寂しがる暇なんて、本当はないのだろう。……だけど。
「及第点ですね」
「先生みたいなことを言うね」
僕の言葉をばっさりと切り捨てるリオネルを、恨みを込めて見上げる。血が繋がっているだけあって、声色こそ違えど恩師によく似ていた。
……先生。両親以外では生まれて初めて尊敬出来ると感じた、風の国の賢者。僕と妹の教育係だった人。僕が誰より信頼する彼もまた、この国を去っていた。クレアとハルがいなくなるより、ずっとずっと前に。何かあれば帰ってきてくれるけれど、彼が国を出た経緯を考えると、何でも無いときに僕の我侭で呼ぶのは躊躇われる。
親しい人がどんどん自分の元を去っていくような、そんな感覚。誰に対しても強がることが、こんなに難しいなんて思わなかった。僕は、先生のようにはなれない。
「シリル様? 考えていることは何となく分かりますが、俺やマリルーシャのことをお忘れなく」
「……うん、分かってる。分かってるよ、大丈夫」
目を細める彼に、微笑を返す。彼が僕に気を遣ってくれているのは、分かっていた。見る人が見れば不敬罪に問われてしまいかねないその態度も、僕が話しやすいようにと。
……だけど。それでも彼は僕の臣下で、僕は彼の主だ。
「それより、マリルーシャは元気? 新年に会ったときは元気そうだったけど」
唐突な話題変換に、リオネルは僅かに嘆息する。けれどそれ以上続けることも無く、彼は話に乗ってくれた。
「ええ、変わりませんよ。無理はするなと言っているのに動き回ってばかりで、こちらが焦ります。最近は楽になったとはいえ、少し前までは辛そうでしたから」
「それは……彼女らしいといえば彼女らしいけど、ご愁傷様」
苦笑交じりに答えたところで、僕は不意に『それ』に気付く。
「あれは……」
視界に映るのは、城の敷地内に建てられた神殿。アネモスでは神殿の権力はそれほど強くないが、母上が神国の出身であることもあり、彼女が嫁いできてからはその数を増やしたのだという。その中でも特に大きいここは、見て分かる通りアネモスの神殿の頂点であり、王城の敷地内にありながら王族の権力を切り離された、そんな不思議な場所でもあった。
「シリル様? どうかしたのですか?」
「……ごめん、急用が出来たんだ。これ、第二書庫に持って行ってもらえるかな」
「それは構いませんが……」
抱えていた本をリオネルに押し付け、足早にその建物に向かう。目に見える異常はない。実際、僕以外は誰も疑問を抱いていない。今の言葉から、リオネルすらそうなのだと分かった。……けれど、何だろう。何かが、おかしい。違う。あの場所は、いつもと、違うような。
神殿に入ると、その感覚はますます大きくなった。
「シリル様? お久しぶりです。珍しいですね、貴方がここにいらっしゃるとは」
「うん、久しぶりだね。奥、行っても平気?」
「平気も何も、あそこは貴方がたの場所でございましょう」
顔馴染みの神官長は、訝しむことも無く恭しく頭を下げる。薄灰の法衣を纏う彼に微笑を返し、僕は神殿の奥へと向かった。
神殿自体は『国』の影響を受けない、独立した組織である。どの国にも必ず存在し、国交とは無関係の繋がりを持つ。それは例えば今は亡きウィクトリア帝国においても同じことで、アネモスとの戦争の最中も互いの神殿だけは中立を貫いていたという。
けれど、そんな神殿の中にも、王族の領域は存在する。いくつかの角を曲がると、見慣れた扉が姿を現した。扉に手をかけたところで、中から微かな物音が聞こえる。警戒しつつ、僕は勢いよく扉を開けた。
「なっ……」
「……え?」
視線がぶつかったのは、ほんの一瞬。同時に目を見開き、硬直する。
黒髪の美しい少女が、驚いたように立っていた。
こんばんは、高良です。予定通り今日から第四部開始します。前書きにも書きましたが世界観説明なんかもじわじわしていく予定ですので、本編未読の方は第四部からお読みいただいても結構です。
第三部終了から少し経ち、彼らの周りにも少しだけ変化がありました。新しい年の訪れと同時に風の国を去った二人、取り残された一人。リオネルやマリルーシャがいるだけまだ良いと知りつつも、彼は寂しさを埋めるように勉学に励みます。
そんなシリルだけが感じた異変、その正体は……
では、また次回。




