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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第三部
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番外編・八 果たされた誓い

 兄と姪の注意を私から逸らすこと、それが勝利のためにどうしても必要な条件だったが、同時にその難しさは私も自覚していた。姪は賢者殿が何とかしてくれるだろうが、兄の方はそうもいかない。一番良いのはアネモスがこの国に攻め込むことだったが、ウィクトリアの王城は不定期に場所を変えるのだ。噂として他国に広まるそれは紛うことなき真実で、移動し続けるこの城をアネモス側が追うのは難しいだろう。私が漏らせれば良かったのだが、それを知るのは兄と姪、そして一部の側近たちだけだ。反逆者だった私がそれを知るなど、余程のことがない限りありえない。

 しかし、賢者殿はそれすらも何とかしてしまった。あの後も彼とは何度か会って話し合ったが、カタリナに軟禁され、彼が望んだことでは無いにしろ国の重要な部分にも深く関わっている彼は、……それが賢者の賢者たる所以なのだろう、重要な情報をカタリナから聞き出すことに成功していたらしい。そして、一体どんな手を使ったのか、その情報を故郷に伝えることにも。ついでに、と言わんばかりに彼が付け足したのは、ついこの間紛失したという機密書類の行方だった。驚いたことにそれもまた、アネモスに渡ったという。

 全てを終わらせるべき日は、そうして自ずと定まった。王城が新たな場所に転移するその日。アネモスの騎士たちが攻め込んでくるであろう、その日に。

 仲間は既に人目を盗んで地下に降り、牢の入り口近くに隠れて待機している。もちろん私がそう指示したからであるが、しかし私自身はそうはいかなかった。兄の監視の目を逃れない限り、下に行くことは敵わないだろう。僅かな焦りを抑えてじっと部屋で待っていると、やがて外が僅かに騒がしくなった。

「……来たようですね」

 ばたばたと廊下を駆ける音に、私はそっと笑みを浮かべる。戦いを原因に女子供を避難させる、などこの国ではまずしないことだろうが、それでも私の元には少しすれば兵士がやってくることだろう。護衛という名目で私を見張るために。だがそれまでの僅かな間、兄に指示を仰ぐまでの間、彼らは私から気を逸らす。

 だから、私は足早に部屋を出た。元々この辺りに侍女の類はあまりやってこない。普段ならば異様なほどの数の兵士がうろついているのだが、今ばかりはその姿も見えなかった。いつも感じていた見張りの視線が一つもついてこないことを確認し、急いで地下へ向かう。

「アドニス様! ご無事ですか」

「ええ、貴方たちも」

 誰にも見つからずに来られたのは奇跡に近い。もしくはこれも、今は亡き彼女の力か。

 足音を忍ばせて近づくと、仲間たちが安堵の表情を浮かべて駆け寄ってきた。これで三分の一ほどか、残りは上で武器や防具を掻き集めているはず。私もまた僅かに微笑むと、仲間たちの顔を見た。

「先日話した通り、鍵は私が魔法で開けましょう。その間、見張りの兵たちを抑えていてください。人数の差など考える必要はありません、卑劣という言葉は我々ではなく彼らにこそ相応しい。正義は我らに、そしてアネモスにあるのです。決して躊躇わないように」

「はっ」

 返ってきた返事に頷き返し、私は牢に向かって歩き出す。隠れていられればずっと楽だったのだろうが、魔法を使っても直接この目で見える範囲の鍵しか開けることは出来ない。当然見張りに見つかったが、その狂気ゆえ連携らしい連携も取れない彼らに、『異端』であるがゆえに仲間と協力することを知るこちらが遅れを取るわけがない。あっさりと鍵の開く音が響くと同時、見張りに立っていた数人の兵士がどさっと倒れた。

 怪我人がいないか、それだけを確認するためにざっと見渡す。全員消耗しているようだったが、動けないほど重い怪我は誰もしていないようだ。私はそっと安堵の息を吐くと、連れてきていたうちの一人、最も信頼のおける仲間の肩を叩いた。

「後は頼みましたよ」

「……アドニス様も、お気をつけて」

 囁かれた言葉に、微笑を返す。アネモスへ手紙を運ぶ、という危険な役を見事に果たしてくれた彼は、私がティナと出会う前から私に力を貸してくれていた。……ゆえに、彼だけは全てを知っている。私がこれからどうするつもりなのか、何をしようとしているのか。全て伝えた上で、指揮権を委ねるとも言ってある。他の仲間が訝しむ前に、私は牢の奥へと駆け出した。

 ティナが呼んでいる。ここへ降りてきたそのときから、痛いほどに感じていた。ああ、やはり詳しい場所など分からずとも、何も心配は要らなかったのだ。魔力とも気配とも違う、ただかつて彼女が傍にいたときのあの感覚が、走れば走るほどに近づいてくる。

 やがて固く閉ざされた扉の前に辿り着いたときには、一度も速度を緩めなかったせいか心臓は僅かに悲鳴を上げて、脇腹も鈍い痛みを訴えていた。……構うものか、と笑みを携えて魔法陣を描く。ここを守る魔法を誰がかけているのかは知らないが、上は混乱の渦中にあるだろう。こちらに意識を回す余裕はあるまい。震える足を無理やり動かして、ふらふらと部屋に入る。

 そこには豪華な寝台が置かれていた。否、それだけしかなかった。広い部屋の中央に、天蓋のついた大きな寝台が置かれているだけ。それを覆う布に震える手をかけ、そっと横に引く。

 目に飛び込んできたのは質素な、けれど質の良いドレスを纏った、眩しいほどに白い骨。白骨化した人間。

 ……ああ、誰が、間違うものか。どんなに変わり果てた姿であっても、私が、彼女を、見間違うわけがない。

「ティナ……!」

 抱き締めれば伝わってくるのは懐かしい温もりではなく、冷たく硬い骨の感触のみ。それでも、愛しかった。同時に溢れる後悔に、抑えきれなかった涙が零れる。

「ティナ、ティナ! ずっと謝りたかった……貴女を守ることが出来なかった、貴女もあの子も助けられなかった、私が弱いせいで……」

 そう、あれから何度も自分を責めた。ずっと、自分を責めていた。愛する人を救えなかった私に、その生に何の意味があろう。ただ彼女の願いだけに縋って、それを叶えるためだけに、今まで無様に生きてきたのだ。

 ティナは手紙の中で言っていた。彼女の願いを叶えたら、その時は彼女と共に逝っても良いのだと。そう、言ってくれた。

 神子として死してなおこの国に縛られ続ける彼女を、解放する方法は一つ。彼女を縛るのは兄の、王としての血である。神に選ばれた、神に呪われた王族の、その血が彼女を縛るのだ。……腹違いではあっても、同じ王族である私になら、解くことが出来る。この十年で、何とかその答えに辿り着いていた。

「やっと、終われるのですね」

 私の血を以て、貴女を解放しましょう。もう一人にはしない。もう二度と、離したりしない。死後の世界があろうとなかろうと、今度こそ永遠に、傍にいようと誓いましょう。そして今度こそ二人で、幸せになりましょう。

「……愛しています、ティナ。何があろうと、永遠に」

 そっと取り出した護身用の短剣を、私は躊躇うことなく自らの胸に突き立てた。


 ◆◇◆


 酷く、退屈だった。

 薄れていた記憶を掘り返すのは、暇潰しにはなったが決して愉快なことでは無かった。そもそも時間の感覚が薄れた今、暇を潰すという行為自体が無意味だと気付いたのは、嫌なことまでしっかり思い出した後だった。恐らく私は、これから永遠に近い時をここで過ごすことになるのだから。

「愚かだわ」

 叔父は恐らく、母を解放して、その後を追ったのだろう。結局私が手紙の内容を知ることは無かったが、その程度は予想出来る。愛するがゆえに、その感覚は私には理解しがたかった。

 母が死んだとき、幼かった私はそれを哀しく思ったはずだ。当時はまだ正気であったから、確かに哀しく思ったし、寂しくも思ったはずだった。けれど手紙を叔父に渡してから、そう感じたことは一度も無い。母は役に立たなくなったから処分されたのだ、それが私の常識だった。自分以外の人間も、愛という感情も、道具に過ぎないのだ。母と叔父にはそれが分からなかったのだろう。だから道具に振り回されて、挙句の果てに命を落としたのだ。そう、信じ切っていた。

 そういえばジルは、私が『愛した』風の国の賢者は、愛というものを怖がっていた。彼を好きだと囁いたあの言葉に嘘はなかったが、彼は愛することも愛されることにも異常なほどに恐怖していたから、それを利用した。だから私は、あの紅髪の少女に敗北したのだろう。彼女にとって愛とは道具ではなかった。ただその不確かなものだけを信じて、彼女はわざわざ危険の渦中に飛び込んだのだ。

 ……本当に、愚かだ。

 彼女ではなく、私が。あっさりと狂気に呑まれて、人の手には到底負えない心という物を操ろうとして、母の愛をも裏切った私が。それでも狂ったままでいようとする、狂気にしがみつこうとする、私こそが。

「……今更」

 もう遅いのだ。狂っていた方が、ずっと楽だった。知らない方が幸せなことは、確かにこの世に存在するのだ。……母はもういない。唯一彼女を愛した叔父も、母の元へと逝ってしまった。今更全てを知ったところで私には何も出来ないし、実際正気だったあの時も何も出来なかったのだ。

「嫌ですわね、やることがないとこういうことばかり考えてしまうわ」

 封じられたこの身では苦笑も出来ないが、その言葉は確かに苦い色を纏っていたことだろう。

 ……退屈で堪らないその静寂は、しかししばらくして、一人の少女に破られることになった。


こんばんは、高良です。……遅れましたごめんなさい石を投げないで!


というわけで王弟編、これにて完結となります。

ジルリザが再会したその日、同じく再会を果たした二人。しかし主人公カップルと違って、それは終わりを告げる合図でした。彼らもまた別な世界に、あるいは同じこの世界に転生したことでしょう。

そして最初に戻り、封印されたカタリナ。彼女が何を想うのか、それはまだ誰も知らないまま……


作者が明日から修学旅行ですので、第四部は十二月一日開始とさせていただきます。主人公カップルがしばらく不在の異世界王道トリップです。シリル君回。……それって枯花?


では、また次回。

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