第二十六話 彼らの平和の裏側で
「それにしても、驚いたぞ」
「……カタリナのことですか?」
俺の唐突な呟きにも動じず、向かいに座る弟は静かに首を傾げた。俺が口を開くより前に、隣でマリルーシャが頷く。
「ええ、一体どうやって知ったのですか? まさか、予想していたというわけではないでしょう」
ウィクトリア国王と王女の処刑が行われたのは、終戦から数えれば三週間ほど経ってからのことだった。平和慣れしていたアネモスが落ち着くには、最低でもその程度の時間が必要だったのだ。
捕らわれてからも激しく抵抗した国王の処刑はアネモスの民にも公開され、遺体も多くの罪人がそうであるようにアネモスから遠く離れた荒地――『墓場』と呼ばれる場所に晒されることとなった。王女の処刑が秘密裏に行われ、遺体も一応ウィクトリアの地に眠ることを許されたのは、陛下の慈悲と言っていいだろう。その父親とは違い、彼女は拘束された後は素直であったから。
だが、生きたまま火刑に処されることになった彼女が炎の中でにこりと微笑むのを、その場にいた全員が目撃した。異様な沈黙の中火は焚かれ、王女の体はその中に呑まれ――どれくらい経っただろうか。いけない、と叫んだ声は、どうしても処刑に立ち会いたいと無理を言ってきた弟のものだった。魔力は回復したものの、体力まで全快したとは言い難いジルに無理はさせたくなかったが、彼とリザは王女の一番の被害者だからと、最終的に俺やシリル様が折れたのだ。その弟に視線を向けると、彼は立ち上がり、椅子から数歩離れたところで、険しい顔で魔法陣を描いていた。止めようとしたところで、俺たちはようやく、王女に起きた異変に気付く。
弱まった火の中で、気を失ったのか息絶えたのかは分からないが、ぐったりと動かない王女。その体から、無数の光が立ち上っていた。見ているとそれは瞬く間に勢いを増し、辺り一帯を包み込む。耐え切れず顔を背ける直前、弟だけが瞬きもせずじっと王女を見ているのが分かった。
……三日ほど、前の話である。
「あれを予想するのは、流石に出来ませんよ」
苦笑交じりの弟の声で、俺は現実に引き戻された。
「では何故あの場にいた? 『精霊』など、俺たちの手には負えない。お前がいなかったら、恐らくあのまま王女は逃げ去っていただろうな」
精霊。膨大な魔力を持つ、老いることのない人外の存在。それが『人から成る』ものであることは、誰もがよく知っている。小さい頃に読んだ本、聴かせられた御伽噺、その中に一つは精霊の話があるものだ。だが、恐らくそのせいだろう、選ばれるのは善い人間だけだと誰もが思い込んでいた。
精霊と成った王女を封印したのは、ジルである。王女が選ばれた理由は分からないが、恐らくその魔力の高さが関係しているのではないか、彼はそう語った。……つくづく、弟があの場にいて本当に良かったと思う。
俺の問いに、弟は意味ありげに微笑んだ。
「彼女自身に聞いたのですよ、兄様。直接ではなく、キースを通してですが」
「罠ではないか、とは考えなかったのですか?」
「それでも、最悪の事態は避けられるかと思いまして」
首を傾げるマリルーシャに対し、ジルは笑顔のまま肩を竦める。その考え方は彼らしかったが、表情が少し引っかかった。悪い類のものではない、けれど何かが違う、そんな僅かな違和感。
「何かあったのか、ジル」
「え?」
「笑い方が変わった」
「まあ、やはりリオ様も気付いていらしたのですね」
その正体に気付かないまま指摘すると、マリルーシャがくすくすと笑う。訝しげに俺たちを見てくる弟に、妻はにこりと微笑んだ。
「ジルがそんなに楽しそうにしているのは珍しいですわ。いつも、どこか無理をしているような笑い方だったでしょう」
「ああ、そういうことか。吹っ切れたな、ジル」
からかい混じりに弟を見る。ジルはどこか居心地悪そうに目を逸らし、ぽつりと呟いた。
「……ええ、まあ」
「そうか。リザには礼を言わなければいけないな」
あれだけ頑なに閉ざされていたジルの心をこじ開けられる人間など、彼女くらいだろう。呟くと、ジルは驚いたようにこちらを見る。しかしすぐに苦笑を浮かべると、彼は首肯した。それを見て、マリルーシャがぽつりと呟く。
「お二人がアネモスを発つ前に、リザ様ともゆっくりお話ししたいですね。ジルが帰ってきてから忙しいらしくて、まともに話していませんでしたから」
「そうだな。……それは良いが、あまり無理はするなよ、マリルーシャ」
彼女の妊娠を知って二ヶ月。最近はいくらか楽になったようだが、この間までマリルーシャにしては珍しくかなり辛そうにしていたことを思い出し、そっと付け足す。
「あら、わたくしがいつ無理をしましたか? ジルと一緒にしていただいては困りますわ」
「それもそうか」
「兄様」
弟の苦い声に、マリルーシャと顔を見合わせ、同時に笑みを零す。その楽しそうな顔のまま、彼女はジルの方を見た。
「それで、今日はどうしてジルだけが? リザ様が今のジルから離れるなんて、余程のことでしょう」
「……マリルーシャさん、僕とあの子が四六時中べったりくっついているような言い方は」
「事実だろう。それで、どうしたんだ?」
弟の言葉を遮ると、彼は気まずそうに嘆息する。実際に事実だから否定しようがない、といったところか。しかしすぐに顔を上げると、ジルは苦笑に近い、形容しがたい笑みを浮かべた。
「それが――」
◆◇◆
こつこつと足音が反響する。ようやく暗闇に目が慣れてきたものの、城内のような明るい賑わいも、通常の牢独特の暗いざわめきや血生臭さもないここで何を見ろと言うのか。ここを守る騎士に言われたまま、ただ奥へと歩みを進めると、不意に聞き覚えのある声が響いた。
「嫌な魔力だわ」
「っ!」
忘れるはずもない、絡みつくような声。あたしは足を止めると、睨みつけるように声のした方を見た。閉ざされた牢の一室。その中央に置かれた、まるで氷のような、光を放つ大きな結晶。中には、何重にも鎖で繋がれた彼女が眠っていた。
「ああ、今の私には見えないけれど、これは間違えようがありませんわね。処刑のときに貴女とも目が合ったから、久しぶりとは言わないかしら、おちびさん?」
「……喋れるとは思わなかったわ」
表情が引き攣るのを無理やり抑え込むように、笑みを浮かべる。ジルが彼女にかけた封印の魔法は、彼がこの国を離れても効果を発揮し続ける代わり、ある一定の条件を満たせば簡単に解けてしまう脆いものだという。今のアネモスでその条件を満たすのは、彼とあたしだけである。万が一にも王女が解き放たれることのないよう、牢から少し離れた場所で言葉を続けた。
「あんた、こうなることを知ってたわね」
「ええ。貴女も運が良ければ、死ぬ前に感じ取れるはずですわ。自らが精霊と成る、その予兆――誤解している人間は多いけれど、選ばれる条件はただ一つ、魔力の強さだけですもの」
「どうでもいいわ」
そんなもの成りたくもない、と吐き捨てて、再び彼女を見上げる。王女にはあたしの姿が見えないことは分かっているが、話しているこっちはそうしなきゃ落ち着かないのだ。
「どうしてそれをジルに教えたの? あの場にジルがいなければ、脱走だって難しくなかったでしょうに」
「あら、逃げてほしかったのかしら」
「自分がやってきたことよく考えなさいよあんた。何か企んでるんじゃないか、ってあたしたちが考えても、不思議じゃないでしょ」
「……それもそうですわね」
意外なことに、王女はすんなりあたしの言葉を肯定する。眉を顰めたあたしに、彼女は面白そうな声色で呟いた。
「それよりも、もっと不思議なことならいくらでもありますわ。例えば……あれだけの過去を背負っておきながら、そうやって普通に過ごしている貴女のこと」
「やっぱり見たのね」
宝城柚希が死ぬ直前に味わった、気が狂いそうなほどの痛み。王女を撃退するために、それをまるごと彼女に流し込んだのだ。
……おかしい、とそこで気付く。王女の口調は、その痛み自体を指摘するものじゃない。もっと深い事情まで、全部確信しているような、そんな。
「ふふっ、気になるかしら? 精霊という存在について、人は本当に何も知りませんわね。私たちはね、人より少しだけ深く、世界を知っているのよ」
「だからあたしたちの事情まで分かった、ってわけ? それと今のあんたがやけに素直なのは、どう関係あるの」
あたしの問いに、王女は黙り込む。やがて、彼女はふっと笑った。閉ざされたその表情が変わることは無いけど、それでも空気が変わったのが分かる。
「聴いたことはあるかしら? 『神は決して微笑まない』」
「……ええ。『原初記』ね」
「正解。叔父の口癖でもありましたわ」
「王弟の?」
問い返すも、それに対する答えは返ってこない。代わりに、王女は歌うように言葉を紡いだ。
「貴女たちに課せられた理不尽な運命も、ウィクトリアに授けられた『祝福』も、全て全て神の掌の上。ならば従っても逆らっても同じこと。……そうそう、ウィクトリアの民の扱いに困っているようですけれど、恐らくすぐに死ぬわ。一ヶ月もすれば異端者しか残らないでしょうから、ご安心を」
「……何、を」
「話は終わりよ」
有無を言わせない響きに、我に帰る。元々話が通じるなんて思っていなかったのだ、これだけ会話が成立すれば十分。キースの言っていたことも、どうやら間違いではなかったらしい。それが分かっただけでも収穫だろう。そう自分に言い聞かせて、無言で王女に背を向ける。
同時に、確信した。こいつは改心なんかしていない。ただジルに向けられていた、そしてアネモスに向けられていた溢れんばかりの狂気が治まっただけで、本当の意味でまともになったわけじゃない。封印された今の状態で何かを企むことも出来ないだろうけど、ジル辺りに話しておく必要はありそうだ。
……ジルとあたしがアネモスを発ったのは、その一週間後のこと。その更に後、あたしたちのいないアネモスに訪れる少女のことなど、予想出来るはずがない。
世界の真実を思い知るその日は、ゆっくりと近づいていた。
こんばんは、高良です。うわーいちょっとだけオーバーしたよ!
前半はジル+兄夫婦でほのぼの。ちなみにマリルーシャさんは妊娠四か月くらいです。つわりが治まってくる時期。
一方その頃、リザは死してなおこの世を去らなかった王女から少し気になる話を聴きます。戦争は終わりましたが、全てが解決したとは言い難いようで……?
というわけで、これにて第三部、完結でございます。今回も中途半端とか言わない。
同時にここまでで一つの大きな区切りでもあったり。第四部からは新章突入といいますか、また少し違う方向から描いていきたいと思います。
その前にまたお馴染みの番外編。第三部でも少し出てきた王弟殿下メインの予感。第三部で回収されなかった伏線の回収を第四部への伏線を兼ねておりますので、そちらも是非お楽しみくださいね。
では、また次回。




