第二十五話 想いを断ち切る
「じゃ、あたしは治癒の塔にでもいるわ。終わったら呼びに来なさい」
リザがそう言って出ていくと、部屋は重い沈黙に包まれた。……言うまでもないと思うけれど、非常に気まずい。
「お、……俺も、抜けよっかな」
「……怒るわよ」
目を逸らしたまま、そんなやりとりを交わす二人――ハーロルト様とクレア様。思わず苦笑すると、少しだけ気が楽になった。
「横になったまま申し訳ありません、お二人とも。無理をするとリザに叱られてしまうもので」
「当たり前でしょ、私たちだって事情はちゃんとリザに聴いたんだからね! 毒のこととか魔力のこととか、本当いっつもそうやって自分ばっかり!」
「……え」
リザ、と。彼女は、クレア様は今、そう言ったのか。絶対にありえないと思っていたから、完璧に不意打ちだった。予想外すぎるその言葉に目を見開いて絶句すると、クレア様は訝しげに首を傾げた後、「あ」と気まずそうに黙り込む。
「お前そこで黙ったら駄目だろ話続かないだろ」
「ハルうるさい黙ってて! ……えっと、ね。その。今まで、ごめんね」
眉を下げ、上目遣いに僕を伺う彼女。その隣で、ハーロルト様も気まずそうに頭を掻く。
「あいつにさぁ、怒られたんだよ。前世は前世で、幼馴染だったのは前世の話で、今の俺たちは他人同士でしかないんだ、って」
「……リザ、に?」
そんなことを言いそうなのは、思い当たる限りリザしかいなかった。キースも僕を心配してはくれるけれど、彼が殆ど面識のない二人を叱るとは思えない。案の定、クレア様はこくりと頷いた。
「怒ると怖いのは前世からだったけど、あんなに怖いのは初めてだったわ。分からないならもう二度と現れるな、なんて言われたのよ」
「それはまた……あの子らしい」
クレア様の言葉に、僕は僅かに苦笑する。不満げだったクレア様は、けれど一転して表情を引き締めた。くるくる変わる表情が前よりも大人びて見えるのは、戻ってしまった前世の記憶のせいか、それとも彼女自身の心境の変化か。
「ずっとね、二人が話してることも、この世界で過ごしてきた『クレア』としての私も、どこか幻みたいに思ってたの。前世のことを思い出したときにクレアを遠くに追いやっちゃったから、私はずっと咲月のままで、みんなそうに違いないって思い込んでた。だから、また昔みたいに、四人で過ごせるはずって」
「ぜーんぶあいつに否定されたけどな」
「……ハルは黙ってててばっ」
ハーロルト様がからかうと、クレア様はまた不満そうに口を尖らせる。思わず笑みを漏らすと、彼は楽しそうに僕を見た。
「それから必死だったんだぞ、こいつ。呼び方とか直そうとして、でもリザと鉢合わせると気まずそうに逃げるからもう面白いのなんのって。あれ絶対あいつも笑ってたな」
「私だけじゃないじゃない! ハルだって気まずそうにしてたのは変わらないでしょ!」
「だから俺はお前ほどじゃねーっての」
「黙っててって言ってるでしょ! ……話が逸れたけど、だからどうしても謝りたくて。だって哀しすぎるじゃない、確かに前世と今世は違うかもしれないけど、それでも前世からの付き合いなんだよ? もう関わらないなんて、そんなの私は嫌だもん」
だから、と少女はそこで言葉を切る。躊躇うように、迷うように俯き、けれどすぐに顔を上げて、クレア様は泣きそうな表情で訊ねてきた。
「クレアとして、なら……記憶を取り戻す前みたいに、クレアとして接するなら、また仲良くしてくれる? ……先生」
その問いに、僕は目を見開き、黙り込む。彼女が記憶を取り戻してから、実際に会った回数は本当に数えるほどだ。恐らくリザの方が、『この』二人との関わりは深いだろう。それでも、たった数度、よりによって彼女に捨てた名でよばれるのは酷く辛かった。ならば彼女のこの申し出を断る理由はないだろう。僕もリザも、本当に彼らと関わりたくないわけではないのだから。
だけど、その前に。
「一つだけ……クレア様に、お話しておきたいことがあります」
「え?」
「あー、ひょっとして俺は抜けた方が良い、か?」
呟くような僕の言葉に、クレア様は目を見開く。僕が話そうとしていることに気付いたのだろう、何かを含んだような目で見てくるハーロルト様に、僕は無言で微笑んだ。彼は苦笑交じりに「了解」と呟くと、すっと立ち上がる。
「んじゃ俺、シリルにでもちょっかい出してくるわ」
「えっ、ちょっ、ハルっ」
「多分部屋だよな。クレアも終わったら来りゃいいだろ? あ、リザを呼びに行くのはお前やれよな、知ってるだろ俺あいつ苦手なんだよ。……あ、そうだジル、一個だけ訊きたいことあったんだ」
扉まで歩いて行くと、彼は唐突に振り返った。何も言わず続きを促すと、ハーロルト様は僅かに目を逸らす。けれどすぐに僕と目を合わせて、遠慮がちに口を開いた。
「あの、さぁ。……『慎』は、俺たちといて、楽しかったのか?」
「……え?」
「昔の話だよ、死ぬ前の! 俺たちさ、お前に色々無理させて迷惑かけて、俺たちは物凄く楽しかったし戻りたいと思ってるけど、でもお前は、本当はキツかったんじゃないかって――」
「楽しかったよ」
彼の言葉を遮るように、ふっと微笑む。僕の口調が変わったことに気づき、黙り込む彼に、僕は笑顔のまま、静かに続けた。
「確かに、辛くもあったよ。だけどそれ以上に楽しかったし、幸せだった。辛くても一緒にいたいと、そう思えるくらいには。……そうだね、あの日々に戻れるなら、それが許されるなら、僕だって戻りたいよ」
「……そっか」
けれど、それは許されないから。飲み込んだそんな言葉も伝わったのだろう、彼は悔しそうに、けれどどこか嬉しそうに笑うと、どこか呆然とやり取りを見守っていたクレア様に視線を移す。
「じゃ、また後でな」
「待っ――」
慌てるクレア様の制止も聞かず、彼はあっさりと部屋を出て行ってしまった。それを見送ると、取り残された彼女と僕の間にはどこか居心地の悪い沈黙が降りる。
……僕がアネモスに戻ってきて、一週間ほど経った。魔力は殆ど回復したものの、体内に蓄積された毒の方はまだ完全に抜けたとは言えず、立ち歩くとふらついてリザに怒られる状況は今も続いていた。流石の彼女も、数か月摂取し続けたものを一気に解毒することは出来ないらしい。普通にこうして喋っている分には問題なくなっただけマシだと言うべきだろうか。その間、久しぶりに会った母様に酷く叱られたり、それを見た兄に大笑いされたり、マリルーシャさんに呆れられたり、国王陛下とシリル様に謝ったら逆に謝られてしまったりとかなり色々あったのだけれど、それはさておき。
そうやって逃げ続けていたものの、これ以上目を背けるわけにはいかないだろう。変わりたいと、そう思うのならば、真っ先に終わらせなければいけないこと。……過去を忘れるのではなく、向き合って。そう、リザは言ったから。
「よく聞いていて、咲月。僕が慎として咲月と話すのは、これが最後だから」
「え?」
唐突に訊ねた僕に、彼女は目を丸くする。
「な、……何? どうしたの突然?」
「少しだけ、話しておかないといけないことがあって」
「話しておきたいこと?」
「そう。僕たちが、前に進むために。ねえ咲月、僕はね」
いつか、リザとの約束を守って、彼女を愛するために。
「加波慎は――君のことが、好きだったよ。咲月のことが、一人の女の子として、大好きだった」
この歪んだ恋を、終わらせなければいけないのだ。
「……………………へ?」
案の定、少女はぽかんと口を開け、目を丸くして僕を見る。その顔が、ゆっくりと真っ赤に染まった。しばらくして、彼女はぽつりと呟くように訊ねてくる。
「えっと、……冗談、とかじゃなくて」
「こんなときに冗談を言っても仕方ないだろ?」
「そ、そうよね……って違う、そうじゃなくて、あの」
しばらくわたわたと手を動かすと、少女は真っ赤な顔のまま、どこか申し訳なさそうに僕を見上げた。
「その、慎。嬉しいのよ、慎がそう言ってくれるなんて思わなかったし、私は慎と違って告白なんて全然されないし、凄く嬉しい。ありがとう。……でも私は、私が好きなのは真澄で、真澄以外考えられなくて、何て言うか、あの」
「うん、知っているよ」
「え?」
慌てる彼女が面白くて、微笑混じりに答える。驚いたように言葉を止めて僕を凝視する彼女に、更に言葉を重ねた。
「ずっと君と真澄の傍にいたのに、知らないわけがないだろう? ああ、それなのにどうして君たちを応援していたのかとか、そういう質問は無しだよ。それは真澄にも嫌というほど言われたから」
「……慎ずるい」
「ずるくない」
ふてくされたように呟く少女に短く返すと、彼女はふと顔を上げる。
「でも、それならどうして? 断られるの分かってて、何で急に告白なんてしてきたの? ずっと黙ってれば、それで済む話だったんじゃ」
「うん、そうなんだけどね。……ちゃんと、断られたくて」
「えっと、……そういう趣味?」
「違うよ」
一瞬凄い顔をした彼女に、僕は苦笑した。
リザに打ち明けたことは、話さない。これが恋でも愛でもなかったことを、もっと歪な感情であったことを、彼女が知る必要は無い。それでも、彼女に断ち切ってほしかったのだ。彼女以外には、決して断ち切れなかったのだ。
「あの、慎。訊いていい?」
「どうしたの?」
「こっちで、私と……クレアと会ったとき、どう思った? ……クレアのことも、好きだった?」
「よく分かったね」
とはいえ、それも当然だろうか。まだ彼女が記憶を取り戻す前、クレア様が賢者を好いていることも、その逆も、城の人たちには知られていたから。頷くと、彼女はどこか呆れたように僕を見た。
「だったら、私が記憶を取り戻す前なら両想いだったんでしょ? 何でハルが現れる前に奪っちゃわなかったのよ」
「当時はまだハーロルト様のことは知らなかったけれど、……真澄を裏切るわけには、いかなかったからね」
答えると、少女は絶句する。それを良いことに、僕はにこりと微笑んだ。
「さて、お話は終わりですよクレア様。あまりハーロルト様を待たせても悪いでしょう、そろそろ――」
「……慎の、馬鹿っ」
彼女には初めて言われる言葉に、僕は思わず目を丸くする。見れば少女は泣きそうな表情で僕を睨み、けれど言葉を止めることはしなかった。
「馬鹿よ本当に馬鹿、どうしてそうやって私たちばっかり優先して、私たちばっかり幸せになって、それに気付けなかった私たちはもっと馬鹿だわ、馬鹿、馬鹿みたいっ」
「……うん、知っているよ。リザが、教えてくれた」
「そう……」
彼女は大きく息を吐くと、ふっと笑って僕を見る。前世から変わらない、明るい笑顔。
「ねえ先生、また会いに来ても良い? そしたら、こうやって話してくれる?」
「僕がいつまでこの国にいるかは分かりませんが、リザの許可があれば」
「ありがとっ」
呟くと、彼女は――クレア様は、嬉しそうに笑う。
……ずっとずっと、慎だった頃から心の隅に広がっていた黒い霧のようなものが、一気に晴れたような気がした。
こんばんは、高良です。……滑り込み。三日おき再開しますなどと言っていたのはどこの誰だったでしょうか。そうです私ですごめんなさい。
さて、久々に登場した元幼馴染組。この二人の問題を解決しなければ、ジルが前に進むことなど出来そうもありません――が、リザのおかげでスムーズに進んだ様子。
一つお知らせ。
11/4に夢メッセみやぎで「仙台コミケ」に、この『枯花』の第一部の書籍版を持っていく予定です。スペースなどはついったーやサイトの方で告知いたしますので、宮城にお住みの皆様はよろしければいらしてくださいませ。
そしてその後、同じ本を通販でも販売しようと考えております。イベント当日の売れ行きによって通販に回す冊数が変わってくると思いますので、もし通販で買いたいという方がいらしたら拍手などで教えていただけるとありがたいです。絶対買うよ、と仰ってくださればその分の冊数はキープしておこうと思います。
そんなわけで、そろそろ第三部も終盤。一話か二話を残すのみとなりました。第四部から新章突入ですので、お付き合いいただければ幸いです。
では、また次回。




