第二十話 再会
あたしも一緒に行く、と決まってからの陛下とシリルの動きは早かった。陛下は瞬く間に無事な騎士たちを編成し直したし、シリルは自分が手元に留めておいた騎士たちとあたしを対面させ、けれどあたしが彼らへ指示を飛ばす必要は無いという。今でも他人と打ち解けるのが苦手なあたしにはありがたいことだったけど、それも予測して言ったんじゃないかと思うと、あいつもだいぶ常人離れしてるわね……。
あたしを含む少数が先に城へ乗り込んで二手に別れ、騎士たちが雑魚を引きつけているうちにあたしがジルを探す。ジルを助けたら、そして王弟側の人間たちが解放されるのと同じくらいのタイミングで残りの騎士たちが攻め込み、片をつける。大雑把にいってしまえばそんな、言うだけなら簡単な部類の計画。反対するものは、殆どいなかった。やるのは難しいと誰もが知っていたけど、それでも、それ以上の策は無いことも誰もが知っていたから。
王城が現れ帝都になる、と予定されていた町に忍び込むのは簡単だった。城が移動してくるまでは住民もそのことを知らないのだ、警戒も薄い。念のために、と予定より早く忍び込み、住民に溶け込もうと潜んでいたのも功をなした。本当にほとんどの人間がどこかおかしいのは流石に恐ろしかったけど、それゆえにあまり互いに関わり合わないのも好都合だったと言えるだろう。
早く町に入ったことも、結果としては正解だった。予定より少し早い冬の一の終わりに、その城は姿を現したのだから。
「……ソフィアに感謝、ね」
あの子が持ってきた地図が、城への抜け道を教えてくれた。どうやらこの城は建物だけでなく『王城』という一つの空間が町を転々とするという馬鹿げた仕組みらしく、彼女が持ってきた情報の中にはそのことも書かれていた。地下牢や地下通路、抜け道の類も共に動く。それはつまり、地図に描かれた抜け道が使えるということに他ならなかったのだ。それが無ければ、城に入るまでにどれだけ苦労していたことだろう。
遠くから聞こえる喧騒は、騎士たちがウィクトリアの兵と戦っている音、だろうか。アネモスの騎士が乱入してきたというのはそこそこ大事件らしく、廊下に現れる人影は前にここに来た時よりもずっと少なかった。それも侍女や侍従のような、明らかに非戦闘職であろう服装ばかり。それくらいなら、何人が同時にかかってきても対処できる。
それに今のあたしは、王弟側の使者が手に入れてきた、この城ではそこそこ上の地位に立つ兵士が着るのだという服を、上着だけだが羽織っているのだ。一番目立つ髪は鬘の中に押し込んであるから、他の人間から見れば黒髪を靡かせた女兵士に見えるのだろう。戦闘が行われている場所とは逆に突っ走っているせいか訝しげに顔を顰める人間はいたが、追いかけてくる人間はまだいなかった。
……思い出すのは、ほんの数か月前のこと。ジルを置いて、傷だらけの心と体で、必死に逃げたときの記憶。あの時とは、違うはずだ。大丈夫、あんな満身創痍の状態で、もっとたくさんの人間の中を、兵士たちもたくさんいた中を、あたしは逃げ切ったのだから。今ここからジルを見つけて助け出す、それくらい出来るに決まっている。
だけどどこか不安なのはきっと、さっきから集中して感じ取ろうとしているジルの魔力のせいだった。微かに漂うそれの元を辿ると、ここからかなり離れた――恐らく城の最奥に行きつくのだ。いくらジルの魔力でも、そんな離れたところから、ここに届けられるわけがない。王女だって馬鹿じゃないのだ、今のジルが普通に魔法を使える状況だとも限らないのに。
……ああ、だけど。それは、普通ならの話だ。彼がどういう人間か、あたしはよく知っている。こんな状況なら間違いなく無理をする人間だと、嫌というほど知っているはず。賢者と呼ばれた彼が、この騒動の原因に気付いていないわけがないのに。少し考えれば、ジルが何をしているのか、それを予想するくらいのことはあたしにも出来た。
させないわよ、と心の中で呟く。考え事をしていたせいか、ついぶつかりそうになった侍女を咄嗟に魔法で眠らせて、城の奥へ、ジルの元へ。……焦るな、大丈夫、間に合うから、間に合わせるから。前世とは違う、違うはずだ。
やがて、目の前に一枚の扉が見える。その向こうから感じるのは、間違えようもない、蒼く色づいた強すぎるほどの魔力。流石にこの辺りに来ると通りかかる奴らもあたしが部外者であることに気付いたのか、廊下の向こうから数人の人間が駆けてくるのもはっきりと見えた。
あたしは扉の少し手前で立ち止まると羽織っていた上着を脱ぎ、向かってきた男に思いっきり投げつける。相手の勢いのおかげでそれは簡単に引っかかり、男が一瞬足を止めた。それにつかえるように、後ろに続いていた数人も立ち止まる。その隙をついて彼らをまとめて眠らせ、同じように背後から迫ってきた一団にも鬘を投げつけて怯んだところを眠らせると、ようやく人気は無くなった。
……ふぅ、と息を吐く。少しだけ躊躇ったのは、数か月前に交わしたいくつもの会話のせいだろう。ジルとの間では初めてだったあの気まずい空気を、辛そうな彼の微笑みを思い出して、あたしはそっと首を振った。前に進もうと、そう誓ったはずだ。ねえ、それはジルも同じはずでしょう? 彼だって前に進まなければいけないんだと、進んでも良いのだと、教えるためにあたしは来たのだから。
大丈夫。そう呟いて、そっと扉に手をかけた。
◆◇◆
カタリナを抑えていてほしい、という王弟殿下の頼みは、そう難しいことではない。あの王女は異常なほど僕に執着しているのだ。それはこの部屋で過ごしていれば、嫌というほど分かっていた。……だから、僕が逃げ出そうとすれば、彼女は恐らく見逃さないだろうということも。
半ば落ちるように寝台を降りて、ふらつく足で部屋の奥、壁際に歩み寄る。とすっ、と壁に背中をつくと、僕はずるずるとその場に座り込んだ。……この数カ月で蓄積した毒のせいだろう、たったこれだけの動作にすら、残っていた僅かな体力の殆どを削られる。しばらく落ち着いていたのにまたずきずきと痛みだした右目を抑え、そっと天井を仰いだ。その隅まで張り巡らされた王女の魔力に、苦く微笑む。
「……うん。これくらいなら、破れるかな」
少し前、ソフィアを呼び出したときは、魔法を使ったことが王女に知られないようにと、必死で隠したけれど。ああ、そういえば彼女は無事アネモスに辿り着けたのだろうか。ソフィアは言わば僕自身だから、彼女が消えてしまったことは感じ取れた。けれどその場所まで特定するのは、今の僕には難しかったのだ。あの子のことだ、上手くやってくれたと信じてはいるけれど。
今は、ソフィアを放ったときとは違う。むしろ王女に知られなければいけない。だから僕は右目を覆ったまま、絞り出すように一言、たった一言だけ、古い言葉を呟いた。
ぽう、と自分の体が光を放ったのが分かる。見慣れた、青い光。左目に映るそれは眩しかったけれど、目を閉じてしまっては何も分からないから、僅かに細めるだけに留めた。僕の体を包むだけだった光は、よく見れば少しずつ広がっているのが分かる。座り込んだ床を伝って、部屋の中を侵食するように。
……魔力、という内在的な力は、本来、生きていくのに絶対必要な力と言うわけではないらしい。魔法を使わないほとんどの人間は、ほんのわずかな魔力しか持たないという。けれど僕たちのように日常的に魔法を使い、大きな魔力を持つ人間にとって、魔力というのは言ってしまえば四肢の延長であり、血液と共に体内を流れるものでもあり、そして生命力そのものなのだ。だからこそ、魔力を使いすぎるという行為は危険視されるのだ。命の危険があるから、と。
そんなものを体の外に放出すればどうなるか、その答えは分かり切っていた。体内の魔力がすっかり空になれば、魔法使いは死ぬ。当たり前のことだ。……それでも、僕は。
少しして、部屋の外、ずっとずっと遠くの方が、僅かに騒がしくなった。始まったか、と僕はぼんやり息を吐く。あの後も何度かまたここに来た王弟殿下が言った通り、確かに今日、全ては起こって、そうして終わるのだろう。今頃向こうではアネモスの騎士たちとウィクトリアの兵士たちが戦っているはずだ。
じわじわと広がる魔力が、そこでようやく扉に届いた。そっと魔法陣を描き、呪文を唱えれば、固く閉ざされていたはずの扉はいとも簡単にがちゃんと音を立てる。これで、鍵が開いたことは――王女の意志ではなく僕の意志で扉が開いたことは、僕がいつでも逃げ出せることは、あの王女に伝わってしまっただろう。次はきっと、残った左目だけじゃすまされない。……だけどその間、王女には隙が出来る。
「……リザは、怒りそうだね」
俯いて、残っている左目をそっと細める。ようやく願いが叶うはずなのに、彼女を想うと少しだけ、ちくりと心の奥が痛んだ。
いや、間違いなく怒るだろう。前世からそう、僕が無理をするたび、自分を犠牲にするたび、ただ一人容赦なく叱ってくれたのが彼女だった。それを切り捨てようとしているのが、僕だ。
それでも――
「っ!」
唐突に聴こえた扉が開く音に、息を呑む。……王女が来るには、いくらなんでも早すぎるだろう。けれどそれ以外の誰が、今、この部屋に入ってくるというのか。恐る恐る顔を上げて、僕は思わず目を見開いた。右目が引き攣るように痛むけれど、無視。
……どうして。もう会わないだろうと思っていたのに、ここにいるはずがないと思っていたのに、どうして、彼女が。
「………………リ、ザ?」
「久しぶりね、ジル」
呆然と呟いた僕に彼女が返してきたのは、懐かしい、普段通りの笑顔だった。
こんばんは、少しお久しぶりですね。高良です。
今回はあえてシンプルなタイトルに。
『あの』別れから四カ月近い時を経て、ようやく再び廻り合う二人。
あまり多くは語りません。
今度こそ、そう誓った彼女の祈りは、届くのでしょうか。
では、また次回。




