第十五話 誰よりも傍にいたから
「慎ー! ちょっときてー!」
「ごめん二人とも、少し待っててね」
一階から呼びかけてくるおばさんの声に、慎はどこか申し訳なさそうに苦笑し、立ち上がって部屋を出ていく。対し、残されたアタシたちは沈黙したままだった。とんとんと階段を降りていく、慎の足音が聴こえるほどに。
アタシたち。言うまでもなく、アタシと椎名である。
「……あんたさぁ」
「…………何で、いるの」
沈黙に耐え兼ね、渋々口を開く。しかしアタシの言葉を遮り、椎名がぽつりと呟いた。表情はぴくりとも動かず、普段通りのぼんやりしたような無表情のまま。だがその問いは、アタシがしようとしていたものと全く同じものだった。仕方なく、アタシは嘆息交じりに答える。
「それはこっちの台詞だわ。……ちょっと顔出しに来ただけよ、そしたらおばさんに引き留められちゃって」
「……多分、あの人、仕組んでた……と、思う」
ええ知ってるわよ、それも恐らく慎とグルだ。そうに決まってる。そう答える代り、あたしは不機嫌なのを隠そうともせずに椎名を睨んだ。
「で、あんたは?」
「……泊まり、に。……家、今日、ごたごたするから、って……慎が」
「家?」
眉を顰めるが、椎名からの返答はない。あー、そういやこいつも色々とあるんだっけか、と慎に聞いた話を思い出す。確か中学からは親戚の家に引き取られて、その親戚の家がここの近所だとか、そんな話。ごたごたするってことは、実の親と何かあるのかしら。それはアタシには関係ないことだ、気にはならない。代わりに、少しだけ引っかかったことをぽつりと呟いた。
「親に虐待されるのと親がいないのとじゃ、どっちがマシなのかしらね」
「……褒め、てる?」
「褒めてねーよ」
曲解にもほどがある。半眼で吐き捨てると、アタシは窓の外に視線を向けた。向かいには隣り合う二軒の家。言うまでもなく、彼の幼馴染たちの家である。咲月の部屋に明かりがついているのが見えるから、咲月は家か。恐らく倉橋もいるのだろう。
「珍しいわね」
「そうねぇ、私もびっくりしたわ」
部屋の入口から聴こえた声に、なるべく驚きを顔に出さず振り返る。見慣れた慎の母が、笑顔で立っていた。
「……慎かと思ったわ」
「あらあら、残念ね? いらっしゃい、二人とも。暑くない?」
「外は暑かったけど、冷房あるものこの部屋」
「ふふっ、そうね」
アタシの答えに対してくすくすと笑いながら部屋に入ると、おばさんは手に持っていた飲み物をテーブルに置く。慎とよく似た優しい微笑のまま、彼女はアタシを見た。
「ほら、真澄君と悠君、仲悪いでしょう? だから咲月ちゃんが気を遣ってね、今日はこっちには来ないって」
「……二人きりになりたいだけでしょあいつ」
「そうとも言うわね」
苦笑交じりに頷き、おばさんは椎名の頭をぽんぽんと撫でる。大人しく撫でられる椎名、という珍しいものに目を丸くするアタシに構わず、椎名は困ったように彼女を見上げた。……いや、だから珍しいものを次々と見せるなっつの。
椎名の無言の訴えに、おばさんはにっこりと笑みを返す。
「夕飯、何が良い? 悠君また痩せたでしょう、ちゃんと食べてるの?」
「……痩せて、ない」
「またそんなこと言って、慎に言われないと食べなかったりするんでしょう」
正解を言い当てられ、椎名は困ったように口を噤む。
「ほら、やっぱり。うちにいる間くらいはたくさん食べるのよ。あ、柚希ちゃんも食べていく?」
「そうしたいけど、今日は準備してきちゃったのよ」
おばさんの問いかけに、アタシは苦笑交じりに肩を竦めた。そう、と頷き、不意におばさんはその笑みの種類を変えた。どこか泣きそうな、そんな……ますます慎に似た表情に。
「二人とも、ありがとう」
「…………何、が?」
「慎の、傍にいてくれて」
首を傾げる椎名にそう答え、彼女は目を閉じる。その声色にはどこか、自嘲のような響きが混じっていた。
「小さい頃から、あの子はとても賢い子供だったわ。こっちが何も言わなくても、大人がしてほしいことを汲み取って、その通りにしてしまった。自分を心配してくれる人に心配をかけちゃいけないって、そう思っていたのかもしれないわ。だから……無理を、させすぎてしまったのね」
「……慎、前に……泣けない、って、言ってた。いつも、泣きそうな顔、してるのに……どうやっても、泣けない、って」
思い出したように呟く椎名に、おばさんは頷く。
「誰も、泣いても良いと言ってあげられなかったのよ。周りの子たちが泣いてる中で、慎だけ冷静なのを見て、強い子だって褒めることしかしなかった」
ああ、確かにそんなことをすれば、彼は泣くわけにはいかなかったのだろう。そう、ぼんやり考える。普段は上手く隠しているけど、慎は人に見捨てられたり、失望されたり、そういうのを何より怖がるから。泣いて、大人たちを失望させるのが嫌だったのだろう。
「慎は人よりずっと賢い子で、だから他の子たち……咲月ちゃんや真澄君もよ、みんなあの子を特別扱いしてしまって、あの子の間違いを誰も正せなかった。あの頃の慎はきっと、本当は一人だったんでしょうね」
そこで、おばさんの瞳が椎名の方を見た。
「悠君と会ってからのあの子は、凄く楽しそうだったわ。それまでのあの子も、友達との出来事を話したりはしていたんだけど……どこか、客観的に話す癖があって。あの子自身がどう思ったか、が抜け落ちていたの。だけど、貴方と出会ってから、それが無くなった。柚希ちゃんのときもそうよ。あの子が本当の意味で心を開いているのは、咲月ちゃんと真澄君以外じゃ貴方たちだけなんじゃないかしら」
「……咲月と倉橋も、正直怪しいわね」
「…………うん」
おばさんの言葉に、アタシと椎名は一瞬だけ視線を交わし合う。おばさんもその辺りの事情には気づいているのだろう。苦笑交じりに頷いた。
「だから柚希ちゃんに協力しているのよ?」
「知ってる。後ねおばさん、言いたいことは分かったけど、アタシたちは慎と一緒にいたいから傍にいるの。お礼を言われる筋合いはないわ」
「……ええ、そうね。ありがとう」
おばさんが微笑んだところで、部屋の外からとんとんと階段を上る音が聴こえてきた。椎名がドアを見つめ、表情を変えずに首を傾げる。
「慎?」
「そうみたいね」
頷き、彼女は立ち上がる。ちょうど部屋の前で足音が止まるのと同時に、おばさんは歩いて行ってドアを開いた。
「母さん? どうしたの?」
「貴方はもうちょっと驚きなさい、慎」
慎に向かって苦笑を返すと、彼女はそのまま部屋を出て、一階に下りていく。慎の質問には答えないままで。それを見送ると、慎は部屋に入りながら首を傾げ、アタシたちを見た。
「……何を話していたの?」
「慎、には……教えない」
不思議そうな慎の問いに、アタシたちは顔を見合わせる。珍しく僅かに笑みを浮かべると、椎名がそう答えた。
◆◇◆
「それで、キース。話って何なのよ? よりによってこのメンバー集めて」
この間クレアと口論したばかりの小部屋。あまり良い印象は抱けないそこで、扉の前に立ったあたしは目の前に座ってぼんやりと部屋を眺めるキースを見下ろし、睨んだ。顔を上げれば、見慣れた奴らが同じように不思議そうな視線を向けている。リオ様、シリル、クレア、ハーロルト、言うまでもない、ジルの関係者だ。正直後の二人にはしばらく会いたくなかったため、そちらを見るのを避けるように再びキースを見下ろす。
キースはそこでようやくあたしを見ると、僅かに首を傾げた。
「少し、訊きたいことがあった、から。……リザは、怒るかも、しれない……けど」
「怒る? 何でよ」
「……前世の、ことも、だから」
ぽつりと呟いた彼の言葉に、あたし以外が目を見開く。あー、そういやこいつのことは言ってなかったっけ。何か言いたげな彼らを遮るように、キースはクレアとハーロルトの方を見た。光の少ないラベンダーの瞳を、二人は怯えるような表情で見返す。分かる分かる、こいつ得体の知れない威圧感放つわよねたまに。前世のことを知っているこっちからすれば、今世のそれは可愛いものだけど。
「な……何だよ」
クレアを庇うように一歩前に出て、そう問いかけたのはハーロルトだった。前世のことも、というキースの言葉が気になっているのは見れば分かるけど、それを口にしない辺り少しは学んだらしい。しかしキースはそんな彼から目を逸らし、ふっとリオ様の方を見る。
「ジルが、泣いたことは? 凄く、小さいときのは、無しで……物心、ついてから。自分の意志で、ジルが泣いたこと……ありますか」
「……いや」
少し考え込むと、リオ様はショックを受けるように大きく目を見開いた。キースの問いで彼の意図に気づいたあたしは、黙ってそれを見つめる。
「一度もない。少なくとも、俺が見ている限り、だが」
「一度も?」
リオ様の言葉に、驚いたように訊き返したのはシリルだった。
「そんな、だって……物心ついてから、だろ? いくら当時の先生が神童と呼ばれていても、泣かないなんて、そんなはず」
「ですが事実です、シリル様。……どうして気付かなかったんだ、俺は」
「……そう」
そんな二人の会話を聴いて、キースは納得したように頷く。一見普段通りの無表情のままで、彼は今度こそクレアとハーロルトに向かって訊ねた。
「前世で、慎が、泣いたことは?」
「無いわ」
恐らくその問いは予想出来ていたのだろう、どこか呆然と答えるクレアに、またもシリルが訊き返す。
「幼馴染、だったんじゃないの?」
「……そうよ、幼馴染だったわ。生まれた頃から、ずっと一緒だった……のに」
答えるまでに一瞬間が開いたのは、この間あたしが言ったことを気にしてか。今だけ許す、と視線で伝えると、クレアは信じられないとでも言うような表情で答えた。
「俺たちが泣き喚いてても、慎だけは泣かなかったよな。むしろ大人と一緒に、っつーか大人よりずっと、俺たちを宥める役だった」
「……やっぱり」
二人の言葉を聞いて、キースは僅かに目を細める。
「辛いときは、泣いても良いって……泣けることも、強さだ、って。慎は、そう言った、のに。……ジルは、まだ、泣けないんだ」
「……あんたそれ、遠回しにあたしたちのこと急かしてない?」
彼の言いたいことにはとっくに気づいていたが、他の奴らにそれを教える意味も込めて、あたしは呆れ混じりに訊ねる。キースはあたしに視線を向けると、こくりと頷いた。
「見捨てないって、約束したから。……多分、そろそろ、限界……だと思う」
「そうね」
嘆息し、あたしはリオ様とシリルの方を見る。
「そういうわけだから、早めに考えましょ」
「……それでも僕たちの意見を聴く辺り、律儀ですよね」
苦笑交じりに頷くシリルを睨んで黙らせ、あたしは立ち上がった。
「用事はこれだけでしょうね、キース。終わったなら行くわよ、後で人手が足りなくて苦労したって文句言われるのあたしなんだから」
「俺も、それは言われる、けど」
不満げなキースを無視し、足早に部屋を出る。
……正直に、言ってしまうと。あたしよりキースの方が先に気づいた、その事実が、少しだけ悔しかったのだ。
こんばんは。〆切前でテンションおかしい高良さんです。
今回はまさかの悠柚希回かーらーのーキース回。どうしてこうなったのか私にもよく分かりません。
ただ前世の慎にとって、悠と柚希っていうのは本当に大事な存在で、彼らにとってもそれは同じだったんです。慎自身は何も気づいていなかったけど。
次辺りやっとジルが……出せる、といいなぁ。
それでは、また次回。




