第六話 氷国からの求婚
「失礼します、陛下」
城の人間の大半が寝静まった夜のこと。突然、国王に呼び出された。執務室の扉を叩くと、中から聴き慣れた声が聴こえる。
「ジルか。すまんな、こんな夜遅くに」
「いえ、構いません。それで、どうされたのですか?」
頭は下げない。彼曰く僕とは『王と臣下』ではなく『友人』として接したいらしいが、これが限度。陛下の言う通りに敬意すら払わずに接するのは、流石にまずいだろう。というか僕が父様に殴られそうだ。
僕の問いに、陛下は難しい顔で頷く。
「うむ、少し相談したいことがあってな。昼間に呼び出せれば良かったのだが、そうするとシリルやクレアも聴きたがるだろう。シリルは聴いてはいけない話を聴こうとはしないが、クレアはそうではない」
「それは……否定は致しませんが」
苦笑し、僕は陛下を見る。今の言葉からも、話の内容は推測できた。
「お二人に関するお話なのですか」
「正しくはクレアの話、だ」
難しい顔で答える陛下に対し、僕は思わず首を傾げた。そんな僕の表情に気づいたのか、陛下は僕の答えを待たずに言葉を続ける。
「今日のことだ、グラキエスから使者が来た。クレアに、氷の国の次の王妃となってほしいと」
「まさか、第一王子からの求婚ですか」
目を見開く。それと同時に、僕は心の中でそっと微笑んだ。
いずれそうなるよう仕組むつもりではあったけれど、まさかその前に向こうから持ちかけてくるとは思わなかった。兄様の協力を得ていくつかの保険をかけておくに越したことはないが、それでも予想よりずっと楽に事が運べる。
僕が黙り込んだのを驚愕ゆえと取ったのか、陛下が苦笑。
「流石に驚いたか」
「はい、もちろん。何故グラキエスの王子殿下が、クレア様を? お会いしたことは、ないはずですよね」
「絵姿を見て一目惚れしたらしい。……正直、余に似たあれに惚れる王子の趣味を疑わざるをえないが、な。惚れるほど容姿が良いわけでもないだろうに」
「なるほど」
陛下の言葉に頷き、そこで気付く。彼の表情、それは。
「陛下は、反対ですか? この話」
「相変わらず聡いな……」
彼は僕の言葉に苦笑いし、はっきりと首肯した。
「だからお前を呼んだのだ、ジル。我が娘がお前を好いている、という噂を聴いたものでな」
「……ええ、そのようですね」
「気づいておったか」
陛下の言葉に、肩を竦めて返す。
「見ていれば、何となく」
「そうか、ならば話は早い。お前も同じだ、というのは本当か?」
今度の問いには沈黙を返す。それを肯定と受け取ったのか、陛下は苦笑した。
「責めているのではない。お前たちが想い合っているというのなら、余にそれを引き裂くつもりはないのだ」
「では、断る、と仰るのですか? 陛下の母君はグラキエス王族の血を引いていたはずです。クレア様がグラキエスに嫁ぐのは、不自然なことではありません」
「だが、王子のことは知らぬ。よく知らない人間にクレアを預けるくらいならば、小さい頃から知っているお前の方が安心だ。そうは思わぬか?」
「……いいえ」
首を横に振ると、陛下は驚いたように目を見開く。けれどこれだけは、譲るわけにはいかなかった。
かつての親友を裏切らないためにも、かつての自分を裏切らないためにも。
咲月だった少女の想いを、受け入れるわけにはいかない。
「確かに常であれば、国内の貴族と結婚して繋がりを強めることも認められたでしょう。ですがお忘れですか、陛下。ウィクトリア帝国の存在を」
「情報が早いな。相変わらず、というべきか」
陛下は嘆息し、言葉を返してくる。
「だが、それほど危惧する必要もないだろう。帝国と名乗ってこそいるが、今のウィクトリアはまだ小国だ。相手にするほどでもあるまい」
「まだ、ですね」
眉を顰める彼に、僕は言葉を続けた。
「つい先日、実家に帰った時に父と兄が話しておりました。このままでは、いずれかの国はアネモスに何らかの干渉をしてくる可能性が高い、と。そしてその頃には恐らく、ウィクトリアは無視出来ないほどには大きくなっていることでしょう」
「それは……あのまま近隣国を攻め続けていれば、そうなるかもしれぬが」
「アネモスも何か手を打たなければ、このままでは他国と同じ道を辿る可能性だって無いとは言えません。ですから、グラキエスと繋がりを持つべきなのです。この風の国と並ぶ大国、氷の国グラキエスと。言葉だけの同盟ではなく、もっと強固で断ち切りがたい繋がりを」
「……そのために、クレアを。ということか」
「はい」
強く頷く。普通の人間ならば罪に問われてもおかしくない言葉、態度。だが、陛下が僕を咎めることは無い。
風の国の賢者。その名は、僕の身を守る盾であり、同時に僕に王族と並ぶほどの権力を与える剣でもあった。どの国も僕の頭脳を欲しがるため、アネモスは僕を重宝する。賢者がいなくなるのは国にとって大きな損失だと分かっているから、手放しがたいのだ。
こういうときだけ、僕はそれを利用する。国のため。そう見せかけて、実際には自分のために。これ以上あの少女の傍にいることで、自分が抑えきれなくなるのが怖いから。
渋い顔で黙り込む陛下に、僕はなおも言葉を続けた。
「せめて、一度二人を引き会わせてみてはいかがでしょうか。王子がどんな人物か、その目で確かめられては? クレア様も、一度会えば案外気が合うかもしれませんよ」
「その後で余がどんな結論を出したとしても、お前は彼らの婚約を成立させようとするのだろうな」
「もちろんです」
即答すると、陛下は諦めたように嘆息した。
「……良かろう。クレアはかなり反発するであろうが、王子をこの国に招待することにしよう。後でお前からも説明するのだぞ、ジル。余だけがあの子に責められるのでは不公平だろう」
「御意」
苦笑混じりに、僕は頭を下げた。
◆◇◆
「絶対やだ、反対っ! お父様も先生も、一体何考えてるの!」
「分かったからちょっと落ち着いてよ、クレア!」
「嫌っ!」
第二書庫に入ると、真っ先に目に飛び込んできたのは暴れるクレア様、そしてそれを必死で宥めようとするシリル様だった。部屋に入った僕にも気付いていない辺り、二人とも必死である。
面白かったのでしばらくそれを見ていたのだけど、本が飛んできたところで流石にそろそろ止めることにする。顔をめがけて飛来する小さめの本を片手で受け止め、僕は二人に向かって微笑む。
「おはようございます、お二人とも。朝からお元気でいらっしゃいますね?」
「お、おはようございます、先生……」
僕に気づき、シリル様が引き攣った笑顔で言葉を返してくる。……まぁ、十中八九この笑顔が原因だろう。今の僕は、例えるならばマリルーシャさんが二人を叱る時のような、威圧するような笑顔を浮かべているだろうから。
「本を投げたことについては後でマリルーシャさんに告げ口しておくとしまして……一体何があったのですか、お二人とも?」
訊ねると、それまでじっと僕を睨んでいたクレア様が掴みかかってくる。
「先生でしょう、先生が言ったんですよね! わたし絶対に嫌ですからねっ!」
「……ああ、婚約のお話ですか」
予想は出来ていたものの、今気づいたと言わんばかりに呟く。シリル様が何か言いたげにこちらを見たけれど無視。僕の言葉に、クレア様は不機嫌そうに睨んできた。
「婚約のお話ですか、じゃないです! 何でそんなに平然と言えるんですか、どうしてわたしが、だってわたしその人のこと何も知らないのに! お父様に聴くまで名前すら知りませんでしたし、今だって顔も知らないんですよ!」
「名前を知らなかったのは純粋にクレア様のお勉強不足ですね。グラキエスの王族については、随分前にお教えしたはずです」
「はい、教わりましたね」
「シリルは黙っててっ!」
とばっちりとすら言えるクレア様の言葉に対し、シリル様は「はいはい」と呆れたように肩を竦め、教本として使っているアネモス語の本を開く。
……予想外、だな。何だかんだでシスコンなこの少年が、こうも落ち着いているとは。
「シリル様は、何も思っていらっしゃらないのですか? 今回のこと」
訊ねると少年は顔を上げ、困ったように微笑む。
「それは……確かに、異国にクレアを行かせるのは色々な意味で不安ですけど。それでも、父上の――国王陛下の決めたことなら、僕は逆らいません。これが最善の手なのも事実ですし」
「何それ、シリルはお父様が言ったことなら何でも聴いちゃうの!?」
叫ぶクレア様に対し、シリル様は首を横に振った。
「そうじゃないけど。それがアネモスのためになるなら僕はその方が良いと思う、って言っているだけだよ」
「わたしの意志よりも?」
「クレアだけじゃないよ。僕の意志よりも、先生の意志よりも。それで国が良くなるなら、我慢できることは我慢することも、王族の義務だ」
静かに語るシリル様に、クレア様は不可解そうに眉を寄せる。
「……わかんない。どうして我慢できるの? 国のため国のためって、そしたらシリルやわたしの幸せはどこにあるの?」
「幸せではない、とは誰も言っていませんよ、クレア様。グラキエスの第一王子殿下はシリル様やクレア様と同い年でいらっしゃいますから、話も合うでしょうし」
口を挟むと、シリル様が苦笑い。
「同い年だからって話が合うとは限りませんよ? 先生。国が違えば文化も考え方も違うと、教えてくださったのは先生でしょう」
「おや、よく覚えていらっしゃいましたね。確かにそうですが、それでもグラキエスは隣国で、同盟国です。共通するところもたくさんありますよ」
「そうなのですか? それは……あちらの王子に会うのが楽しみですね。確か、一か月後にこちらに来ると」
「ええ、夏が終わる頃と言っていましたから、それくらいですね」
「わたしの話はまだ終わってないんですけどー!」
むくれるクレア様に、僕はシリル様と二人顔を見合わせ、同時に苦笑する。
「だってクレア、文句言ってもどうにもならないよ。もう決まったことなんだから、せめて良い方向に進むように頑張るしかないだろ?」
「国家間の約束というのは、個人のそれとは比べものにならないくらい重いものですからね。流石にグラキエスとの間で戦争などにはならないと思いますが、それでも関係が悪化することは免れないでしょうし」
「……どうして二人して脅してくるの」
嘆息し、彼女は諦めたように頷く。
「分かりました。納得出来ないけど、二人がそこまで言うのなら、会ってみます。会ってみて、どうしても嫌だったらお父様に訴えます。シリルも、それなら良いよね?」
「うん」
シリル様が頷いたのを見て、ようやく少女は微笑んだのだった。
こんにちは、高良です。今日はちょっと早い時間に更新。
前回のジルの企み、それは彼が動くこともなく向こうから叶えてくれました。
もちろんクレアは嫌そうですが、それも予想の範疇。
さて、彼女に一目惚れしたというグラキエスの第一王子は、一体どんな人物なのでしょう……
では、また次回。