第十話 そして変わり往く
「あら、いらっしゃい柚希ちゃん。ちょっと久しぶりね?」
「お邪魔しまーす。一週間ぶりくらいかしら、おばさんちょっと痩せた? 駄目よ食べないと」
「まぁ、柚希ちゃんには言われたくないわね」
言葉の割に楽しそうな慎の母親にどこかほっとしつつ、アタシは彼女に促されるままに家に上がった。とはいえもう数え切れないほど来ているのだ、勝手は知り尽くしている。
居間に入って一息つくと、後から入ってきたおばさんが台所に向かって歩きながらあたしに微笑みかけた。
「そうそう、大学。合格おめでとう。咲月ちゃんが羨ましがってたわよ」
「前半サボりまくってたせいで正直危なかったんだけどね」
苦笑交じりに肩を竦めると、彼女はおかしそうに笑う。
慎が命を落としてから、一年が過ぎた。おばさんも最近は昔と同じような笑顔を見せることが多くなったな、とアタシは心の中で安堵する。彼女だけではない、咲月や倉橋も、二年のときから一緒に過ごしてきたクラスメイトたちもそうだ。本当は、慎のことを思い出にすることなんて出来やしないのだろうと……辛いのは今も変わらないのだろうと分かっていても、その変化はアタシにとっては嬉しいものだった。
「それでも推薦で受かったんだから凄いわ。……自慢のむすめ、ね」
「……ありがと」
温かい笑みと共にそっと付け加えられた一言に、僅かに頬が赤くなるのを感じながら微笑む。
慎が生きていた頃、彼の両親はアタシに協力してくれていた。慎が幼馴染の少女に敵わない恋心を抱いているのを知っていて、アタシがそんな慎に惹かれていることも知っていて、力を貸してくれたのだ。そして二人は、今も……慎がいなくなった今でも、アタシを義理の娘として扱ってくれる。だから、だろうか。慎がいた頃と変わらず、アタシは毎日のようにこの家を訪れていた。
「それにしても、本当に良かったの?」
「何が?」
「大学。柚希ちゃん、去年まで第一志望は別のところだったでしょう」
僅かに表情を歪める彼女に、気付いていたのか、とアタシは苦笑する。慎が生きていた頃、アタシが第一志望にしていたのはここから遠く離れた、割と難関に分類される有名大学だった。同時に、地元で進学しようとしていた慎が担任から進められていた大学でもある。
「あー、あれね。別にアタシ、そこまでこだわってただけじゃないもの。知ってるでしょ」
「……そうだったわね」
アタシの言葉に、今度はおばさんが苦笑する。それもそのはず、そこをアタシが志望校にしていた理由は、そうすることで慎も向こうに引っ張っていくためなのだ。慎の心を救って、同時にアタシの想いを成就させるためには、とにかく彼を幼馴染たちから引き離す必要があったから。
「それに今は、あの子たちの傍にいた方がいいかな、って」
「貴女、慎のこと言えないわよ」
向けられた呆れ顔に、少しだけ悪戯っぽい笑みを返す。僅かな沈黙の後、おばさんが少しだけ真剣な表情で口を開いた。
「次に柚希ちゃんが来たら訊いてみよう、って話し合っていたんだけどね。柚希ちゃん、今一人暮らしよね」
「そうだけど」
唐突な問いに、アタシは眉を顰めて彼女を見つめる。おばさんは優しい目でアタシを見て、その言葉を放った。
「柚希ちゃん、うちに住む気はないかしら?」
「……え?」
「本当に、私たちの娘にならない?」
目を見開くアタシに、彼女は再度問いかける。一拍遅れて、ようやくその意味を理解した。……いつかそうなりたい、とは思っていた。だけどその時は慎も一緒にいなければいけなかったはずで。
やがてアタシはゆっくりと微笑み、そっと首を横に振った。
「ごめん、おばさん。まだ、ここに住むことは出来ないわ。アタシにとってここはまだ、『慎の家』だから。……でも」
一度言葉を止め、息をつく。
「アタシはおじさんとおばさんのこと、本当の両親みたいに思ってる。そんなのアタシにはいないから、間違ってるかもしれないけど。それじゃ、駄目かしら」
「まぁ、駄目なわけがないでしょう?」
驚いたように一瞬だけ目を丸くすると、彼女はにっこりと笑った。
「でもね、柚希ちゃん。本当の両親みたいに思っているなら、そう呼んでくれると嬉しいわね?」
う、とアタシは黙り込む。……だから、孤児院育ちだとそれはハードルが高い。けど、聞き入れてくれる雰囲気でもなかった。一緒に住まないか、という申し出を断ったばかりなのだ、これ以上拒否するのも気が引ける。大体、アタシだって別に嫌じゃないはずだ。
よし、と覚悟を決めて、アタシは恐る恐る口を開く。
「……義母さん、で良い?」
その言葉に、彼女は本当に嬉しそうに微笑んだ。
◆◇◆
「歌守、だったんですね。リザさん」
「相変わらず、情報が早いわね。……いや、そうでもないかしら」
探るように見てくる銀髪の王子に、あたしは苦笑を返した。あたしがあの力を使ってから、既に三週間以上経っているのだ。気付かない方がおかしいのかもしれない。シリルは王子として、リオ様は公爵としてそれぞれ忙しかったらしくこうして集まるのは久しぶりだが、その前から情報自体は手に入れていたのだろう。その証拠に、リオ様もまた面白そうにあたしを見る。
「歌を呪文代わりに治癒魔法を使う術を得た種族、か。魔法陣はどうするんだ?」
「言い伝えでは、『音程』が魔法陣を描く作業の代わりになっているって聴いたわ。本当かどうかは知らないけど。……言っておくけど、あたしは純粋な歌守じゃないわよ。母がそうだっただけで、あたし自身はハーフ」
「何人もの騎士を死の淵から蘇らせるほどの力でも、ですか」
シリルの言葉に、あたしは嘆息した。……どこまで知ってるのよ、こいつ。一応治癒の塔であれを見ていた人間には口止めしたはずなのだが。
「あれは……ずるみたいなものね。歌守の力に、あたしが知っている治癒魔法の効果を重ねただけ。人間には歌守の力は使えないし、逆に純粋な歌守には人間が使うような治癒魔法は使えないから、ハーフじゃないと出来ないでしょうね」
「ほう……歌守には治癒魔法が使えないのか。そっちは知らなかったな」
嘆息交じりに応えると、リオ様が僅かに目を見開く。シリルの方はジルにでも聴いて知っていたのか、軽く頷くと話を続けた。
「恐らく『歌姫』の力を濃く受け継ぐせいだろう、と先生が話していましたね。ああ、そういえばリザさんの歌を聴いた騎士たちの間では歌姫とか聖女という呼び名が広まっていましたよ」
「ええ、そうみたいね。勘弁してほしいわ」
「……『原初の歌姫』、か」
シリルの言葉に、リオ様が眉を顰める。シリルは僅かに笑って彼を見上げると、辺りに並んだ書棚の一角を視線で指した。
「読むかい、リオネル? 第二書庫にも『原初記』の前半なら置いてあるよ。後半と『創世神話』の方は、第一書庫にしか置いていなかったけど」
「いえ、遠慮させて頂きます。随分前に全て読みましたから。……それに、あの話はあまり好きではありませんので」
「最後まで読んでもあれを好きでいられる人間なんか、この国にはいないでしょうね」
吐き捨てるように言うと、シリルが苦笑する。
「僕もそう思います。……それにしても、賢者と歌姫、ですか」
彼の言いたいことは、聴かずとも分かった。奇しくも、『原初記』に出てくる三人の主人公のうち二人が揃っていることになるのだから。
あの話は、『賢者の裏切』で終わる。その事実を無理やり頭から追い出して、あたしは顔を上げた。
殴るようなノックの音が響いたのは、その時である。
「何だ?」
リオ様が眉を顰めながら扉を開け、そこにいた騎士を見て目を見開く。少し遅れて、あたしとシリルもその理由を察した。
肩の辺りに乱雑に巻かれた包帯から、滲み出た赤黒い血。どうやらそれはまだ僅かに流れ続けているようで、傷を押さえるもう片方の手も赤く染まっている。
青年には、片腕が無かった。
「っ……ちゃんとした治療くらいしてきなさいよ馬鹿!」
反射的に駆け寄り、早口に呪文を唱える。腕の再生は不可能だが、傷を塞いで血を止めるだけならば簡単だ。かざした手をどけて魔法がしっかり効いたことを確認し、あたしはほっと息をついて脇に退いた。
正面に立っていたリオ様、そして座ったまま視線を向けるシリルと視線が合うと、騎士は顔を歪めて勢いよく頭を下げる。
「申し訳ありません! 辺境近くの町が襲われました。何とかウィクトリア兵は追い返しましたが、町の住人は八割以上が命を落としたと……建物の方も損害が激しく、復興は難しいでしょう」
「……そうか」
その言葉に、リオ様は目を閉じて呟く。あたしもまた、ついに来たか、と嘆息した。
恐らく、その戦いは裏でジルが指示を出していたのだろう。あの狂った国王と王女の『ウィクトリア側につけ』という言葉は、つまりそういうことだったはずだ。二ヶ月近く耐えただけでも、奇跡に等しい。
……ああ、あれからもう、二ヶ月も経っているのか。ジルは大丈夫だろうか、と浮かんだ不安を振り払う。心配している暇があったら、助ける。そう決めたはずだから。
「騎士の方は? 何人生き残った」
「それが……全員、なのです。ただ、再び戦場に立てる者は一人もおりませんが」
「どういうことだ」
謎かけのような言葉に、リオ様は眉を顰める。けれど、その答えは見れば分かった。会話に割り込むのは気が引けたが、口を開けば答えはすらすらと溢れだす。
「全員があんたと同じ、ってことでしょう。四肢の一本でも切り落とせば、まともに戦える人間なんていなくなるわ。そうやっててっとり早く騎士を無力化したんでしょ」
今頃治癒の塔は大忙しでしょうね、と付け足すと、騎士は悔しそうに頷いた。
「はい。剣の腕では互角だったのですが……騎士全てが、幻覚を見たと」
その言葉に、あたしは苦い顔でリオ様を見る。彼もまた厳しい表情で頷くと、再び騎士の方を振り返った。
「そうか。ご苦労だった、治癒の塔に戻ってしばらく休んだ方が良い。ああ、それともう一つ。落とされた町の名を聴いていなかったな」
「はっ……申し訳ありません、失念しておりました」
そして彼が口にした町の名は聴いたことが無いもので、リオ様の反応からも大して規模の大きい町ではないようだった。辺境なのだから、当然か。
だが、一人だけ――騎士が町の名を言った瞬間、今までじっと話を聴いていたシリルが唐突に立ち上がった。少年は目を大きく見開き、ショックを受けたように騎士を見る。
「……シリル様?」
「あっ」
リオ様の訝しげな声で、ようやくシリルは我に返ったようだった。慌てて騎士に向かって笑みを作ると、付き添いをつけるから気を付けて戻るように、と告げて彼を部屋から追い出す。
……そう、追い出したのだ。あたしとリオ様の無言の問いにも答えず、シリルは足音が消えた瞬間バタバタと書棚の影に消える。やがて戻ってきた彼は、分厚く重そうな一冊の本を抱えていた。
机にそれを置き、シリルは無言で、物凄い勢いでページを捲る。やがてぴたりとその手を止め、彼は僅かに表情を歪めて呟く。
「……先生」
「シリル様? それは……アネモス語ですか」
リオが眉を顰め、開かれたページを凝視する。見ると、確かにそこに並んでいたのは見慣れない古語だった。シリルは頷くと、その中の一文を指す。
「ここから次のページの最後まではこの時代……アネモス語が使われていた時代の建物のことが書かれていて、その建物たちは、今は遺跡になっているんだ。昔はそのまま遺跡として厳重に守られていたらしいけど、数年前から小さな町に隠して、目立たないように守られるようになった。それを提案したのは、先生だったって」
「……襲われた町もそうだった、ということですか」
「うん。『遺跡の町』の中でも一番辺境に位置する町だ。それでも、貴重な遺跡が失われたことに変わりはない」
その言葉に、あたしたちは黙り込む。そうせざるを得ない……何か意味のある場所を攻めなければいけない状況だったのか、それともジルが自分からそうしたのか。その答えは分からなかったものの、続くシリルの言葉は更にあたしたちを沈ませた。
「それに、あの遺跡にはそれぞれアネモス語での意味があるんです。滅びたあの町の遺跡の意味は、『希望』」
「っ」
それを聴いた瞬間、あたしは血が滲むほどに唇を噛み締める。……ジルが何も分かっていなかったわけがないだろう、シリルにそれを教えたのは彼なのだ。ならば、彼は『希望』を、その名を冠する遺跡を自らの手で切り捨てたことになる。それは、つまり。
そんなはずはない、と自分に言い聞かせても不安は募るばかりで、ジルを助けなければという焦りはますます膨らんでいった。
こんばんは、高良です。最近唐突に寝落ちることが多くて更新危ういです。ここまで言い訳です。
そんなわけで今回も柚希回リザ回。前半は慎を亡くして一年後くらいです。慎がいなくなってからも柚希の時間は数年続いたわけで、その数年の間に彼女が変わっていく様子。
後半はまた企む三人組、と見せかけてちょっと不穏な空気。遺跡の町については、第一部の第二話でジルとシリルがちょっとだけ話していたりしますので、気になる方は遡ってちらっと見てみると良いんじゃないかなと思います。
危うい状態のジルは放って、まだしばらくアネモス組パートが続きます。
さて、それでは、また次回。




