第五話 夜空の一族と賢者の策略
「……げっ」
店に入った僕に気づくと、少女は露骨に顔を顰めた。しかし僕は気にせず、彼女の元へ歩み寄る。
「こんにちは、宝城さん」
「こんにちはじゃねーよ失せろよ」
浴びせられた言葉に、僕は苦笑する。
「ほら、またその言葉遣い。あんまり良くないと思うよ、女の子だし」
「うっせーよ加波。アタシがどんな喋り方しようと、アタシの勝手でしょ」
煩わしそうに嘆息し、彼女は僕を睨みつける。
「大体、何で来たわけ? もう来るなっつったじゃん。ってかよく入る気になるわね、ここ」
そう言って、ぐるりと店内を見渡す宝城さん。
彼女が働いているこの店は、落ち着いた雰囲気のアクセサリーショップ。店員も客も若い女性が多いため、男性が一人で入るのにはそれなりに勇気がいる……らしい。
「まぁ、最初は流石に少し抵抗あったけどね。もう何回も来てるし、今は慣れたかな」
「来るなっつの」
不機嫌そうな少女に、僕は苦笑する。
「それに、この店で浮くのは宝城さんも同じだろ?」
「うっさい黙れ」
歩いていれば誰もが目を奪われそうな、恐ろしいほど整った容姿。癖の無い真っ直ぐな髪は金色に染まっている。加えて、常に不機嫌そうな表情と口調。
「だから、学校に来れば良いのに」
「アタシが行ったところで怖がるだけだろ」
「それは……その外見と喋り方も問題だけど、みんな宝城さんのこと知らないから。ちょっと仲良くなれば、君が根は真面目な子なんだって分かると思うんだけど」
「余計なお世話っ」
僕の言葉を切り捨てる彼女に、苦笑を返す。
だって、彼女が学校を休む理由はこの店で働くためなのだ。この店は、基本的に店員が手作りしたアクセサリーを売っている。将来そういう仕事に就きたいから、と彼女もまたその一因に加わっているらしい。……ここ数日で無理やり聴き出した話だけど。
実際は、真面目で優しくて、賢い少女なのだ。
ただ、仮にも進学校であるうちの学校で制服を着崩し、髪を染めて、乱暴な言葉遣いで喋るから、誤解されてしまうだけで。
「人の顔見て笑うなっつの」
「あ、ごめん。でも、たまには学校に来ても良いと思うよ」
「そりゃ……進級出来る程度には行くけど。でもアンタ、何でそこまでアタシにちょっかいかけてくるわけ?」
理解出来ない、と言った顔で訊ねてくる彼女に、僕は笑みを向ける。
「一応、生徒会役員だし。生徒みんなに楽しく過ごしてほしいだろ?」
「……ばっかじゃないの」
呆れたように漏らす彼女は、けれど確かに微笑んでいたのだった。
◆◇◆
「久しぶりだな、ジル」
白髪混じりの藍髪に、僕と同じ『夜空の瞳』。現トゥルヌミール公爵――ドミニク=ダリエ=トゥルヌミールは、僕を見るなりその厳しい顔を少しだけ緩ませた。
「お久しぶりです、父様。新年以来でしょうか」
「そうだな、四カ月近いか。座りなさい」
父の言葉に素直に頷き、彼の対面の椅子に腰を下ろす。それを確認すると、父は不満げに僕を見た。
「まったく、今年こそ頻繁に帰って来いと言ったのに四カ月も顔を出さないとはな。お前には参ったぞ」
「……申し訳ありません」
「気にするな、責めているわけではない。お前が王城で楽しく過ごしているのなら何よりだ」
その言葉に、僕も僅かに笑みを浮かべる。
「はい、とても楽しいです」
「そうか、それは良かった。……そういえば、ジル。帰ってくるなり使用人に何か言いつけていたようだが?」
「王妃様のお誕生日に赤イリスを贈りたい、とお二人に頼まれまして、その手配を。いけませんでしたか」
「いや、構わん。しかし、あの王子と王女がそこまでお前に懐くとはな」
そう言って笑う父もまた、かつて双子の師となり、挫折した大勢の中の一人だった。
「私も他の者たちも、お二人には散々手こずらされたものだよ。真面目に勉強してくださったことなど数えるほどだ」
「以前もお聴きしましたね。クレア様はともかく、シリル様はそのような方ではないと思うのですが」
「ああ、そうだな……お前には分からぬか」
僕の言葉に、父は苦笑する。
「あの方は、年齢の割に賢すぎる。我々がそれを知って畏怖するのを、悟っていたのだろうな。ならばお前には従うのも納得がいく」
「『賢者』だから、ですか」
「そうだ。自分よりも上の者がいた――自分が特別ではなかった、という安心感もあるのだろうな。そんな顔をするな、誇っていいことだ」
「……別に、気にしているわけではありませんが」
心配そうに僕を気遣う父に、僕は苦笑を返す。『賢者』と呼ばれることは確かに、父や他の人間との間に壁を作っているけれど。それでシリル様が僕に親近感を覚えたのだろうとも、予想していたけれど、そんなことよりも。
特別。
その言葉は確かに、シリル様には当てはまらず、僕には当てはまってしまうのだ、と。その言葉が当てはまるであろうもう一人の人間であるクレア様が『咲月』の記憶を持たない以上、僕だけが特別なのだと……気付いてしまって。
「……僕は、お二人とは年齢も近いですから。話しやすいのでしょうね」
「ふむ、確かにそれはあるだろうな。息子を贔屓しているという声を王と二人で押し切った甲斐があった」
僕の言葉に父が笑った直後、部屋にノックの音が響く。
「入りなさい」
「失礼いたします、父上」
「リオか」
一礼し部屋に入ってくる、灰色に近い藍色の髪の、整った容姿の青年――次期公爵、リオネル=レネ=トゥルヌミール。彼は僕に気づくと、僕と同じ金粒の散る藍瞳を瞬かせた。
「もう帰ってきていたのか、ジル」
「はい。こんにちは、兄様」
「ああ、六日ぶりくらいか。元気そうだな」
頭を下げる僕に、兄は僅かに微笑み、父に向き直る。
「ウィクトリアの情勢を調べさせていたのですが、父上。どうやら周りの国を次々と呑み込んでいるようです。このままでは、あと数年もすればこの国にも何らかの干渉をしてくるのではないか、と」
「ふむ……何か手を打たねばならぬ、か。陛下が動いてくだされば良いが」
「ウィクトリア帝国、ですか?」
二人の会話に割り込むのは気が引けたが、気になる単語が出てきたので訊ね返す。すると、父が興味深そうにこちらに視線を向けた。
「やはり城でも話題になっているか」
「ええ、それなりには。まだ不安を覚えている人間は少ないようですが」
「……そうか、ならば良い」
父は深く嘆息し、唐突に立ち上がる。
「久しぶりに家族が揃ったのに、このような話をすべきではないな。疲れただろう、ジル。昼食まで休んでいなさい。リオも」
「おや、俺もよろしいのですか」
「お前たちも色々と話したいことがあるだろう」
「これでも父上よりは頻繁に会っているのですが……では遠慮なく、ジルは借りていきますよ」
「物じゃないです、兄様」
流石に言い返すけど、兄は聴く耳も持たずに部屋を出ようとする。
「それでは失礼します、父上」
ついて来い、と彼は視線で促してきた。……実家に戻ると、いつもこうだからなぁ。自分が子供のようで、少し居心地が悪い。
苦笑混じりに父を見ると、父は思いのほか真剣な表情で僕を見返してきた。
「どうか、しましたか。父様」
「いや」
僕の問いに、彼は僅かに笑みを浮かべる。
「お前はまだ十七だ。たまに羽目を外して子供のように振る舞ったところで、誰も叱らん。十三のときから大人として振る舞うことを強いられてきたのだから、尚更」
「心でも読めるんですか、貴方は」
思わず呟くと、呆れたように苦笑いする父。
「これでもお前の親なのだぞ、ジル。表情を見れば分かる。あまり無理はするな」
「はい」
父を安心させるように微笑み返し、僕は一礼して部屋を出た。廊下で僕を待っていた兄に、笑みを向ける。
「お待たせしました、兄様」
「待ってもいないがな。……ここで立ち話も何だ、庭園にでも行くか」
そう言って歩き出す兄の後に続きながら、ふと思い出した。
「そういえば、ウィクトリアの情勢を調べさせたと言っていましたが」
「まったくお前は」
僕の問いに、兄は呆れたような表情を浮かべる。
「だから父上や母上に心配されるのだろう」
「……心配、していましたか」
「それなりにな」
呟くと、彼は肩を竦める。
「お前は周りに気を遣いすぎるからな。小さい頃からそうだ、昔も今も俺より賢い。そんな期待を裏切らないよう必死なのだろうが、無理はするな」
「父様にもついさっき同じことを言われたばかりです」
既視感のある言葉に、僕は苦笑した。
そういえば死ぬ前――慎だった頃も、咲月や真澄に同じことを言われ続けていた。無理をするな、と。僕としては無理をしているつもりは全くなかったのだけど、転生してもなお言われ続けるということは、周りにはそう見えているのだろう。
「そうだお前、王女殿下との仲はどうなんだ?」
「っ」
唐突な兄の問いに、思わず咳き込む。
「兄様……貴方の欠点は、そういうことを真顔で言ってしまうところですね」
「欠点も何も、真面目に聴いているのだが。城に行くたびに色々な人間から愚痴られる俺の身にもなってくれ」
「愚痴?」
「王女と賢者を見ているとじれったい、想い合っているのならさっさとくっついてしまえばいい。そんなところか」
「弱ったな」
シリル様辺りにも散々言われていることだけれど、身内に言われると気まずいものがある。
「僕は全然、そんなつもりは無いんですけどね……ああ、そうだ。それでご相談したいことがあったんです、兄様」
「何だ」
「ウィクトリアが力をつけてきているのなら、牽制は必要でしょう。グラキエスと手を結んではどうか、と思いまして」
氷の国グラキエス。この風の国アネモスの隣に位置する、アネモスと並ぶ大国である。
「かの国とは、既に同盟関係ではあるだろう。それ以上、となると……」
「グラキエスの第一王子は、クレア様と同い年でいらっしゃいますよ」
僕の言葉に、兄は驚愕の色を浮かべて僕を見た。
「クレア様を差し出すつもりか?」
「人聞きの悪い言い方は止めてくださいね、兄様。きっとその方が、クレア様にとっても幸せです。彼女は僕を選んではいけない」
「そんなことは無い、と思うが……お前は、それで良いのか」
「僕も一応、陛下に仕える身ですからね。何よりも国の利益を優先しているつもりですよ」
「優先しすぎだ」
呆れ混じりに嘆息し、彼は僕に視線を戻す。
「だが、俺は協力しよう」
「ありがとうございます」
笑みを零すと、彼は再び嘆息した。
「……お前、最初からそのつもりだっただろう」
「さて、何のことやら」
恐らく、ここで別の道を選んでいれば、繰り返されなかった過去もあったのだろう。しばらくしてから、僕は何度もそう思うことになる。
けれど、今でも信じられる。今だからこそ、信じている。
この時の自分の選択は、決して間違いではなかったと。
こんばんは、高良です。
冒頭でようやくずっと出したかった子が出せてちょっと狂喜乱舞している私ですが、ここで色々語ってしまうとつまらないのでそれは次の機会にいたしましょう。宝城さん、今後活躍しますので覚えておいていただけると嬉しいです。
そして後半はジルの家族について。唯一『夜空の瞳』を持っていないジルのお母さんだけは今回登場していませんが、そのうち登場させてあげたいな。
では、また次回!