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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第三部
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第一話 想いの奔流

 本当はまだ少しだけ、人間という生き物が怖い。

 その感情を最初に自覚したのは確か、両親が自分を捨てたのだ、と孤児院の人間に聞かされた時だったか。言い様の無い恐怖は、いつしか人間不信へと変わっていった。だけどそれを他人に知られるのも怖くて、必死に強がり続けた。

 そんなときに、彼と出会ったのだ。

 どんなに強がっても、どんなに突き放して距離を置こうとしても、彼は微笑を崩さずに、平気で手を差し伸べてくる。

 彼もまた、逸脱していた。誰よりも孤独な存在だった。

 初めて出会った、理解し合える相手。お人好しすぎる彼が、本当は物凄く寂しがり屋で、悲鳴も上げられず苦しんでいるのだと、気付いたのはいつだったか。

 彼以外には、弱い自分を知られたくなかった。だから、もう動かない彼の前で、貴方の前では泣かないと誓った。彼の言う通りに人と関わって、もっと強く生きようと、そう誓った。それすら出来ず、最期には自分でも見たくないほどに壊された。

 そんな『アタシ』の記憶を抱いて、廻った先の世界で、『あたし』は再び彼に出会うことになる。

 ――今度こそ、と。そう、誓った。


 ◆◇◆


 旅をしている以上、毎日宿に泊まって休めるわけではない。村などがあれば民家を訊ねることも出来るけれど、人が住んでいないところであれば野宿するしかなくなる。それは国と国の境だったりすると特に多く、僕たちは今日もまた、適当なところで休む準備をしていた。

 リザと雑談を交わしながら、僕は手にした紙の束を捲る。あまり多くの荷物を持って歩くわけにもいかないけれど、それでも次に行く国については出来るだけ調べるようにしていた。うっかり危険な国に入ってしまうわけにもいかない。この辺りからはウィクトリア帝国の属国が多くなっているのだから、なおさら。

 考え事をしていたせいか、不意に指が紙の縁を滑った。

「っ」

「ジル?」

 一瞬走った鋭い痛みに、押し殺そうとはしたものの、幽かに声が漏れる。それが聴こえたのか、リザが訝しげに近寄ってきた。彼女は僕の手元を覗き込み、流れる血を見て眉を顰める。

「切ったの?」

「……大丈夫。大したことないよ」

「そういう問題じゃないでしょ」

 呆れたように嘆息し、彼女は小さく魔法陣を描く。それは呟かれた古語に呼応するように一瞬だけ光り、治まると同時に傷もまた消えていた。

「一緒にいるんだから、少しくらいあたしのことも頼りなさい」

「うん、ごめん。……ありがとう」

 微笑む僕を、リザは眉を顰めたまま凝視してくる。どこか心配そうなその表情に、僕は思わず首を傾げた。

「どうかした?」

「それはこっちの台詞だわ」

 訊ねると、彼女は再び息を吐く。

「自分でも気づいてると思うけど、最近調子悪そうよ、ジル。そうね、グリモワールを出た頃からかしら」

「……そう、だね」

「まだ、気にしてるわけ?」

 ぎこちなく頷く僕に対し、リザは今度は僅かに心配そうな表情で訊ねてきた。主語が抜け落ちているが、思い当たることはたった一つ。何と答えるべきか分からず、僕は力なく苦笑する。

「気にしてる、というか……」

「それか、自分を責めてる? あんたならどっちもありそうだけど」

 僕の心境を的確に言い当て、彼女は僅かに呆れるように嘆息した。

「確かに加波慎の死は、周りにとって本当に辛いことだったわ。あんたは、それを理解すべきだった。あんたが欠けるだけでショックを受ける人間がどれだけ多いか、自分の存在がどれほど大きいものなのか知るべきだった」

 ……知っていたよ、と僕は心の中で呟く。自分がそんなに高い評価をされて良い人間だとも思えなかったけれど、それでも僕は、知っていたのだ。

「けど、あんたは悪くないでしょ。椎名のことも、咲月や倉橋のことも、……あたしのことも。椎名についてはあいつが原因だし、咲月たちやあたしの場合、あんたがいたところでどうにもならなかったわ」

 淡々と告げられる言葉。彼女が死んだときのことを、詳しく訊ねたことは無い。彼女は僕の死について知ってはいるけれど、互いに死んだときの記憶を持っている以上、こちらから訊ねることは……そうして傷を抉ることは、したくなかった。けれど、恐らく僕たちの中で一番悲惨な死を遂げたのだろう、というのは彼女の言葉から予想がつく。確かに、僕がいたところでどうしようもなかったのだろう。

「……違うよ、リザ」

 そうではないのだ、と僕は首を振る。自嘲気味な僕の声に気づいたのか、リザは訝しげに僕を見た。

 そんな彼女に、僕は笑みを向ける。

「違うんだ。……羨ましかった、って言ったら、怒る?」

「羨ましい? キースが?」

「うん」

 僕が言っていることの意味を悟ったのか、彼女は僅かに顔を強張らせた。そんな彼女に追い打ちをかけるように、僕は傍から見れば歪んでいるであろう笑みを強める。

「君だって、知っていたんだろう? アネモスで僕の傷を治したときに、君はそう言ったはずだよ」

「……そうね」

 咲月の傍にいたくないから、あの子を護って死ねるならそれでいいと、そう思っていたのだろう。リザは確かにそう言った。それを思い出したのか、リザは固い症状で頷く。

「だけど、あのときの君は、少しだけ間違っていた」

 無言で目を見開くリザに、僕は微笑した。

「いや、間違っていた、というのは違うかな。あの子の傍にいたくなかった。うん、それも事実だよ。だから咲月を庇ったし、クレア様から離れようとした。だけどそれ以上に、もう終わりにしたかったんだ」

 僕は、君たちが思っているよりもずっと弱いんだよ。そう呟いて、嘆息する。

「どう足掻いても、咲月が僕を見てくれることは無い。嫌というほどよく知っていたよ。それこそ、あの子や真澄が自分の想いを自覚するずっと前から。叶わないと分かっていても、諦められなかった」

 一方で、彼らにとって一番幸せなことは何か、それも分かっていた。二人の想いが実ること、だけではない。ずっと三人一緒、それもまた心からの願いなのだ。無理だと分かっていたけれど、僕が耐えられる間は、耐えていよう。そう、思ったのだ。限界は思ったよりも早くて、命を落とす直前にはもう耐えられなくなっていたけれど。

「川に落ちたときはね、正直少しだけほっとしたんだ。咲月が悲しむのも、みんなを悲しませてしまうことも分かっていたけど、これでようやく終わると思った。全て忘れられるんだと、そう思っていたんだ。……なのに、『僕』は覚えていた。報われない恋もその結末も全て覚えていて、それだけでも十分すぎるほど辛いのに、あの子はまた僕の前に現れた……あろうことか、僕のことを好きになってしまった」

 僕の言葉に、リザが僅かに顔を歪める。前世の記憶を持ったまま生まれるのは、決して良いことではない。彼女自身、それをよく知っているからだろう。

 けれど、もう止まらない。一度ひび割れた器は、元には戻らない。そのひびからしみ出すように、ずっと押し隠してきた感情が溢れる。

「受け入れてしまえって、心の奥で囁く声が聴こえたんだ。あの子が……真澄以外は眼中になかった咲月が僕を好きだと言ってくれるのだから、その想いに答えてしまえって。真澄を裏切ってしまえって、あの子を見るたびに囁いてくるんだ」

 その度に、必死で抵抗した。嫌だ、真澄を裏切りたくはない。

 ――そんなことをしたら、かつての僕が最期まで守り通したものに、何の意味もなくなってしまう。

 アネモスから離れても、彼女という鎖は消えなかった。むしろあの子が咲月としての記憶を取り戻してしまったことで、あの国に戻るたびに痛みは増すばかり。

 そっと手を上げて、右目を覆う。……ああ、どうしてあの時、死ねなかったのか。どうして真澄は、僕を殺してはくれなかったのか。

「もう、嫌だ。あの子が目の前にいるだけで、どうしようもなく辛いんだ。どうして僕は忘れられなかったんだろう、もう縛られたくないのに、どうして逃がしてくれないんだろう……ねえ、リザ」

 唐突にかけた声に、リザはびくっと肩を竦ませる。そんな彼女に、僕は弱々しく微笑んだ。どうやっても決して流れようとしない涙の、その代わりのように。

「お願いだから、僕を殺してよ」

「っ!」

「そうすれば今度こそ、全部忘れられるかな? 今度こそ、あの子のいない世界にいけるかな……こんな思いをしなくても、良くなるのかな」

 そこでようやく、自分が何を言っているのか気付く。見れば、リザの表情は泣きそうに歪んでいた。彼女がこんなにも儚く見えたのは初めてで、思わず息を呑む。

「……あたしじゃ、駄目なの?」

「え?」

 リザの言葉に込められた意味を理解し、僕は目を見開く。

 睨むように僕を見つめる彼女の顔には、嘆きや哀しみと怒りとが入り混じったような、そんな複雑な色が浮かんでいた。


 ◆◇◆


 殺してほしい、と……傍から見ても辛いのだと分かる、痛々しい笑顔を浮かべて彼は言った。柚希だった頃から、彼の弱音はたくさん聞いたし、あたしだってたくさん弱音を吐いた。互いに、それが出来る数少ない相手だったから。それでもジルがここまで本音を漏らすのは初めてで……それに触発されたのか、気付けばあたしの口からも、致命的な一言が漏れていた。

 しまった、と一瞬後悔するものの、もう遅い。基本的に人の感情に敏感な彼は、あたしが放ったその一言だけで全てを察したように、目を見開いてあたしを見ていた。……いや、賢者と呼ばれるほどの頭脳も関係しているのだろうか。

 けど、彼が抑えられなかったように、あたしもまた限界だった。

「あたしじゃ、駄目なの? 大好きなのに……柚希の頃からずっと、あんただけが大好きなのに、あたしじゃ駄目なの?」

「っ」

 流れ出たそれは、紛うことなき告白の言葉。恐らく予想は出来ていたのだろうが、ジルは驚いたように息を呑んだ。

「…………リザ。僕、は」

 しばらくして、彼は申し訳なさそうに俯く。その表情を見て、あたしは自分の失態を悟った。いつか言おうと思っていた言葉。だけど今は、今このタイミングでは、言ってはいけなかったのだと。

 知っていたのに。知っているのに。彼の想いは、そんなに軽いものじゃないと。今想いを告げたところで、彼を苦しめるだけだと。

 あたしは必死で笑顔を浮かべ、自分の口から漏れてしまった本心を再び覆い隠した。

「冗談よ。本気にした?」

「………………ごめん」

 しかしジルは呟くように吐息を漏らし、物凄く辛そうに顔を歪める。ああ違う、そんな顔をさせたくて言ったんじゃないのに。

 あたしは……分かっていた、はずなのに。あたしの嘘くらい簡単に見抜けてしまうほどに彼が鋭いことも、それに気付かないふりをしてくれるほど優しいことも。それで彼が余計に傷つくことだって、分かっていたのに、どうして。

 謝らないと。でも、何を? どうやって? そっとジルを伺い見ると、彼は微笑して立ち上がった。誤魔化しきれなかったあたしと違って、完璧な笑顔。

「ちょっと眠くなってきたかな。ごめん、悪いけど先に寝るね、リザ。おやすみ」

「あ、……ええ」

 離れていく彼の背中を見送り、あたしは抱えた膝にそっと顔を埋める。

「……どうして、上手くいかないのよ」

 貴方に幸せになってほしい、ただそれだけなのに、どうして。

 彼の傷を癒したいのに、その言葉は余計に傷を抉り広げるばかり。彼を想って放った言葉すら刃となって突き刺さって、そんなあたしに気を使って彼は更に自分の傷を抉って、ただひたすらにその繰り返し。想えば思うほど貴方を傷つける、そんな悪循環。

 ……でも。だったら、どうすれば彼は救われる? どうすればあたしには、彼を幸せに出来る? 彼に、死以外の救いはないの? あたしはまた、彼のいない世界で生きなければいけないの?

 彼以外の前では泣かない。その誓いを思い出して、そっと唇を噛む。

 ――あたしもジルも自分の痛みに耐えるのが精一杯で、だから気付くことが出来なかった。必死に守ってきたはずの、前世むかし今世いまの境界線……それが、一瞬揺らいでしまった事実に。


こんばんは、高良です。


さて、予定通り第三部を始めることが出来ました。時系列的には義眼編のちょうど一か月後くらいになります。

今まで押し殺してきたはずの想いを、互いに吐きだしてしまった二人。ジルもそうですが、リザの方もまた揺らぎ始めます。この不安定な状態のまま、彼らは共に過ごすことが出来るのでしょうか……?


では、また次回。

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