番外編・四 アメシストは輝く
病んだ精神→自殺描写があります。
そういうのが苦手な方はご注意ください。
辛いときは泣いても良い、そう慎は言ったけど、何故か涙は出なかった。
「……慎、が?」
教室で、クラスの全員に告げられたその言葉に、俺は目を見開く。思わず声が漏れたけど、周りのクラスメイトには、多分聴こえなかったはずだ。みんな、同じような表情で、信じられない言葉を放った教師を見ていたから。
教師は自分もまた信じたくないような、辛そうな表情で、同じ言葉を繰り返す。やがて、徐々にその言葉を理解し、今までしんとしていた教室の中は一気に騒がしくなった。
女子はそんなの嘘だと泣き叫び、男子は信じられないように首を振る。……騒がしい。眩暈が、する。
俺はそっと立ち上がり、力の入らない足を無理やり動かして、教室の入り口へ向かう。そのまま外に出る俺を、咎める人間はいない。そもそも、俺に気を留める人間も、今はいなかったことだろう。慎の存在は、それほどに大きいのだから。
教室を出る直前、辛そうに、どこか後悔するように俯く、彼の幼馴染の少年の姿が、ちらりと視界に映った。
「……やっぱり」
ふらふらと廊下を歩きながら、呟く。窓の外はどんよりと曇っていて、まだ朝だというのに薄暗い。
「やっぱり、あいつらのせい、なんだ」
たった今見たものを思い出して、少しだけ、目を細める。だから、言ったのに。あいつらは、慎を不幸にするだけだと。幸せになんて、出来やしないと。
その結末が、こんなものだなんて、思わなかったけど。
「生きて、って……言ったのは、慎、なのに」
一人じゃない、そう言ったのは、慎だったのに。どうしていつもそうやって、慎を傷つけるあいつらを、何よりも優先してしまうのか。
慎のいない世界で、どうやって生きろというのか。
「……あ」
不意に、気付いた。
生きる必要なんて、無い。俺が生きている理由なんて、慎がいたから、ただそれだけ。慎が生きろと言うから、生きていただけなのだから。慎がいない今、生きる必要なんて、どこにも無いのだ。
それに……この世界から離れて、やっと慎は、あいつらから解放されたのだろう。
「……でも」
無意識に、唇が歪む。慎と出会ったときには浮かべ方すら知らなかった、笑顔と言う表情。笑うことも、泣くことも、慎が教えてくれた、から。
死後の世界でも、次の世界でも、来世と呼ばれる場所でも、どこだって構わない。
君に、覚えていてほしいとまでは思わない。君と再び出会いたいとも、思わない。
ただ、最期まで自分が孤独だと信じて疑わなかった慎が、次の場所では本当に一人きり、そんな事態だけは、絶対に、あってはいけないのだ。
だから。
「……慎を、一人には……しない、よ」
やっと、返せる。彼のために、出来ることがある。
いつしか、胸中は昏い喜びに満ちていた。
慎は、人に迷惑をかけることを良しとしなかった。慎が嫌がることは、極力したくない。となると、方法は限られていた。誰にも迷惑をかけず死ぬことなんて出来やしないけど、電車を止めたりして大勢の人を困らせるようなのは、駄目だ。自殺だ、と知られて厄介なことになるのも。慎とは、よく一緒にいたから。要らない噂が立つことも、避けたい。
幸い、学校の屋上のフェンスが壊れかけていることは知っていた。俺がよく屋上に行くことまでは、知っている人間は少ないだろうけど、それでも宝城辺りが言ってくれるだろう。数少ない友人を亡くして、落ち込んで、ふとした拍子に『誤って転落』してしまった。そんな話が出来てくれれば、それで良い。
ふと、目を閉じる。「ここにいたの?」と、呆れ混じりに笑う慎の声が聴こえるような、そんな気がして。授業をサボるとき、俺が来るのは、いつもここか保健室のどちらかだったから。
慎が構ってくれるのが嬉しくて、たくさん、無理も無茶もした。たくさん、たくさん、慎を困らせた。それでも、彼はいつも、笑ってくれたのだ。そうしていつも、俺を助けてくれた。
「……大好きだよ、慎」
だから、どうか、同じ世界に。願いはただ、それだけ。
どんよりと曇った空に向かって、俺は身を躍らせた。
◆◇◆
「それじゃ……そこに、座って」
家の入口近くに作られた、小さな部屋。例えるなら診療室だけど、作り損ねたと思わしき義眼や義肢があちこちに転がっているのを見ると、実験室や研究室という言葉の方が適切だろうか。部屋を眺めていると不意に床の義眼と目が合って、あたしは思わず顔を顰めた。
そんなことには構わず、キースは部屋の中央近くに置かれた椅子を指す。部屋には寝台も置かれているけど、そっちは使わないのか。ジルもそう思ったのだろう、笑顔のままで僅かに首を傾げた。
「座るだけで良いの?」
「そっちの、寝台は……暴れるとか、信頼出来ないとか、そういう人用、だから。ジルのことは、信じてるから、大丈夫」
「そう……ありがとう」
ジルは嬉しそうに微笑み、椅子に腰を下ろす。それを確認して、キースは彼の右目の黒い眼帯にそっと触れた。
「外しても、良い?」
「もちろん」
眼帯の下に隠された目は固く閉じられ、刺されたときについたのであろう、抉れたような傷痕も残っている。それを見てキースは無表情のまま僅かに眉を顰め、あたしもまた拳を握りしめた。
……分かっている。前世の記憶が無かったあの二人が、そういう行動を取ってしまうのは、仕方のないことだったのだと。恨むべきではないと、頭では理解している。
それでも、ジルがあの二人を許して、未だに大切に想っている、その事実が、胸の奥で燻っていた。彼だけは、あいつらに文句を言っても、あいつらを恨んでも、許されるだろうに。
「そういえば、キース。この傷、もう完全に塞がっているけど、大丈夫?」
「うん。切り開いたり、とかも……しないから、安心して」
「それは良かった」
安心したように微笑むジルに、あたしはふと訊ねた。
「ところで、あたしがいて良かったわけ? 邪魔なら適当に外で時間潰してくるわよ」
「別に……小さいから、邪魔には、ならない」
「黙れっつの」
表情一つ変えずに呟くキースを睨み、あたしはジルに視線を戻す。……身体的にはまだ十二歳なのだ、色々と未発達なのは仕方ないだろう。
「で? どうなの、ジル」
「……いてくれた方が嬉しい、かな」
「そう」
彼の言葉にあたしは頷き、寝台に軽く腰をかけた。黙ってキースを眺めると、彼は僅かに首肯し、ジルの右目に手を当てる。
「義眼じゃなくて、『魔眼』だから……魔法で、傷を治すのと、眼を作るのと、同時にやるから、時間、かかるけど。でも、終わったら、普通に見えるようになる、はず」
「昨日も思ったけど、普通ならありえないことを平然とやっているわけか、君は」
「……ジルにだけは、言われたく、ない」
キースの説明に、ジルは呆れるように微笑。それに対し、彼は僅かに顔を顰め、ぽつりと言い返した。……正直、こればかりはキースに賛成だわ。
「目は、閉じてた方が、良いかも。痛くは、無いと思うけど……違和感、みたいなのは、すると思う。危なくは、ないから……なるべく、動かないで」
「うん」
ジルが頷いたのを見て、キースはそっと目を細める。その指が滑るように、ジルの右目にいくつもの魔法陣を描き出した。唇から紡がれる、様々な国の古語。ジルならば全て理解出来るのだろうが、あたしにはそこまでは出来ない。治癒系の魔法なら全て知っているが、『義眼を作る』という目的ゆえか、知らない魔法も多くあった。
次々と完成する魔法陣は、輝いては凝縮し、彼の目の奥に吸い込まれるように消えていく。いや、その中から光が漏れているのだから、消えたわけではないのだろう。
次々と魔法を使っているせいか、キースの体が淡く光を帯び始める。魔力が具現化する、という現象を聞いたことはあったものの、見るのは初めてだった。キースの薄紫の髪、そして同じ色の瞳が、色を濃くして輝く。
「キース=アメシスト……紫水晶。なるほどね」
確かに、宝石のよう。その二つ名は、彼が魔法を使うところを見た、彼の客か誰かが名づけたものなのだろうと、一人納得する。
……どれくらい、経っただろうか。目の前の光景に見入っていたあたしはともかく、二人にとってはかなり長い時間だったのかもしれない。不意に彼は手を止め、同時に呪文を唱えることも止めて、そっと息を吐いた。
「目、開けてみて」
その言葉に、ジルは素直に従う。そっと持ち上げられる、『両方』の瞼。彼にとっては一年半ぶりくらいだろうか。あたしと出会ってからは初めて開かれた右の目の、その瞳は金色に輝いていた。
彼の藍髪によく映える……夜空の瞳と並ぶとまるで月のようなその色に、あたしは笑みを漏らす。
「……似合ってるわ。割と良いセンスしてるじゃない、キース」
「大丈夫、ジル? 変に見えたりとか、しない?」
あたしの言葉に一瞬だけ得意げな表情をするものの、彼はすぐに普段通りの表情に戻り、ジルに問いかける。ジルは右目に触れ、僅かに顔を顰めた。
「ちょっと頭が痛いかな。こんなにはっきり見えるとは思わなかった」
「それは、仕方ない……眼鏡とか、度を強くしたときと同じ、だと思う」
「なるほどね、慣れるまで待つしかないわけだ」
「そういう、こと」
苦笑するジルにキースは首肯を返し、不意に立ち上がる。
「流石に、疲れたから……ごめん、ちょっとだけ、寝てくる。目が慣れるまでは、ここにいた方が良い、かも。大丈夫そうだったら、出かけたりしても、大丈夫」
「分かった。……本当にありがとう、キース」
「ううん……ジルの、役に立てたなら、良かった」
僅かに微笑み、キースは部屋を出ていく。……あいつも随分と丸くなったものだ、と、あたしは密かに嘆息した。ジルに対する感情は相変わらずみたいだけど、昔に比べればまともになった方だろう。かつてあった危うさは、薄れている。
……そう。あたしは、ジルに話さなければいけない。彼がまだ椎名悠だった頃、危うかった彼が最期に起こした行動を。加波慎の死が、周囲にとってどれだけ大きかったか。あいつが今この部屋を出て行ったのは、そのためでもあるのだろう。
「リザ? どうかしたの?」
「……話しておきたいことがあるの、ジル」
いつかは、話しておかなければいけないこと。
だけどあたしは、この時の自分の選択を、死ぬほど後悔することになる。
こんばんは、高良です。……うわーいギリギリアウト。いや執筆自体は間に合ったんですただ後書きに時間が(言い訳)
というわけで、慎の後を追った悠。一度死を選んだことで彼の中では決着がついたのか、今もジルに対する病的な愛情は変わらないものの、前世に比べれば落ち着いたようです。
そしてジルは義眼ゲット。金色です。ますます人間離れしていくね。ちなみにこれ、魔力で作っているので明るい色合いにしかならないという裏設定。例えば左目に合わせて藍色の目にしようとしてもそれは無理、ってことですね。
けれどこの後、彼は辛い事実を聴くことになります。
さて、義眼編はこれで完結。リオマリ編に比べて短く収まりましたが、書きたかったことは大体書いたと思います。
そしてお知らせ。作者が試験二週間前であるため、第三部の開始は早くて六月十九日からとなります。ちょっと休載が長くなりますが、ちょうど良いところで切れたので。
そこまで休載が長くてもちょっとアレなので、もしかしたらその間に一つか二つほどif短編を載せるかもしれません(未定)
期待はしない方がいいかも。
第三部は一つの区切り。まだ完結には遠いですが、色々と伏線を回収したりして、ジルたちの関係や心境にも色々と変化が現れるかと思います。
というわけで、だいぶ間が空いてしまいますが、また次回。




