番外編・二 すくいあげるように
小学校に入学して半年ほど経った、ある日曜日のこと。その日、僕は家から少し離れたところにある公園で一人読書をしていた。
咲月や真澄といることが、少しだけ辛く思えるようになったのは、いつからだろうか。幼稚園に入ったばかりの頃は、そんなことは無かった。二人とも大好きだ、という彼女の言葉を信じて、ずっと一緒にいられるのだと信じて、笑っていられた。
けれどそのすぐ後に、知ってしまったのだ。ずっと三人一緒になんて、いられはしない。彼女は、どちらかを選ばなければいけない。それはきっと僕ではないような、そんな気がした。
だって二人とも、周りの大人たちと同じ目で僕を見ていたから。自分とは違うものを見るような、そんな視線……そう、その目は小学校に上がってから、より多く向けられるようになっていた。
「……僕は、僕なのに」
空を仰いで、呟く。思い出すのは幼馴染たちの、どこか僕を特別扱いするあの笑顔。ずっと一緒になんて、いられるはずがない。僕と彼らは近いようで決して相容れないのだと、いつしか思い知ってしまったのだ。僕を見てほしいと、そんな叫びは誰にも向けられず、自分の中で溜まっていくばかり。『良い子』である自分を壊して、見捨てられてしまうのが何よりも恐ろしかった。
……こういうことを考えているから良くないのか、と自嘲する。賢すぎる、と恐れるように囁く大人たちの声だって、もちろん聴こえていた。聴こえないふりをする以外の対処法を知らないから、それだってどんどん積もり積もっていく。
何となく読書を再開する気にもなれず、ぼんやりと流れる雲を目で追う。少しして、駆けてくるような足音が聴こえた。次いで、とさっと倒れるような音。
視線をそちらに向けると、公園に入ってすぐくらいのところに、小さな影が蹲っているのが見えた。僕は慌てて駆け寄り、手を差し伸べる。
「大丈夫?」
そんな僕の言葉に、彼は顔を上げる。……そう、彼。まるで女の子のような顔立ちだけど、何となく少年だと悟る。走ってきたせいか、苦しそうに肩を上下させている彼に、僕は僅かに苦笑した。
「落ち着いて。ゆっくり、大きく呼吸してごらん。深呼吸するみたいに」
聞いてくれるかどうかは怪しかったけれど、意外にも少年は僕の言葉に従い、その息の乱れは少しずつ治まっていく。やがて彼は、どこかぼんやりしているような無表情に警戒の色を浮かべて僕を見つめ返した。
「……だれ」
「落ち着いたみたいだね、良かった」
彼と向き合うように地面に腰を下ろし、僕はにっこりと微笑む。
「僕、加波慎っていうんだ。君は?」
「…………はるか。椎名、悠。……小一」
「そう、良い名前だね。同い年か」
再び微笑すると、彼――悠は僅かに驚いたような表情で僕を見た。
「どうしたの?」
「初めて、言われた……」
首を傾げ、途切れ途切れに彼は答える。
「学校、で……女、みたいな名前、とか……おとこおんな、とか、言われたから。あんな、馬鹿な奴ら……嫌いだから、いいけど」
「……何か、されたの?」
「陰口、とか……もの、隠したり、とか」
それは、世間ではいじめと呼ばれるものなのでは。そう思うものの口には出さず、僕は僅かに眉を顰めて訊ねた。
「家の人には? 言ってみた?」
「言っても、喜ぶだけ、だから」
僅かに、彼の表情が曇ったように見えた。返ってきた言葉に、思わず首を傾げる。
「喜ぶ?」
「母さん……殴って、くるから。きらい。今だって、逃げてきた」
「……お父さんは?」
「知ら、ない」
きっぱりと首を振る悠。表情は読み取り難いものの、彼が辛い境遇に置かれていることはよく分かった。
そんな僕の沈黙をどう受け取ったのか、悠は何の表情も浮かべず、ぽつりと呟く。
「もう、いいんだ」
「え?」
「あいつら……どうやったら、困るかな、って。母さんが……間違って、俺のこと……殺して、くれればいいのに」
「それは……死んでも良い、ってこと?」
眉を顰めて訊ねると、彼は不思議そうに僕を見て、僅かに首を傾げた。
「さぁ。……生きたくは、ない……かも」
「そう……」
悠の言葉に、目を細める。
自分が愛されて育ってきたことは、よく分かっている。そんな僕が彼にかけられる言葉など、きっと無いだろう。実の親に暴力を振るわれる、それがどんな気持ちなのかは、僕には想像することしか出来ない。
けれど、彼のために出来ることなら、あるはず。
「悠。辛かったら、ここにおいで。これから僕、毎週ここに来るようにするから」
「……どう、して?」
「話を聴くくらいなら、僕にも出来るから」
心底不思議そうに首を傾げる少年に、笑みを向ける。
これから僕が言う言葉は、きっと彼にとって、とても残酷な言葉なのだろう。それでも、ここで悠を見捨てたりしたら、いつか後悔すると知っていたから。
「だから、もうしばらく頑張って。今はまだ無理だけど、いつか絶対助けてあげるから」
「……たす、ける?」
「うん。君をいじめる子たちのことも、お母さんのことも、僕が何とかする。……そうだな、今は別だけど、中学は多分一緒だよね。だったら、中学に入る頃には、絶対」
「……何とか、出来る、の?」
「してみせるよ」
だから、と言葉を続ける。どこか呆然と目を見開く少年に、微笑みかけて。暗闇に沈む彼を、光の元へ引っ張るように。
「生きて。今は楽しくなくても、僕が楽しくしてみせるから。君はもう、一人じゃないよ」
「……一人じゃ、ない?」
「うん。友達になろう、悠」
俯く彼に、手を差し伸べる。しばらくして、悠はゆっくりと顔を上げた。無表情の中に、僅かに笑みのような色を浮かべて。
だから、同時に覚えた自己嫌悪を、僕は心の奥底に封じ込めた。
……気付いていたのだ。彼もまた僕と同じ、『子供らしくない』子供であると。ならば悠の前でなら、僕は僕でいられるのではないか、と……そう、思ってしまったのだ。
◆◇◆
「……宝城まで、いるのは……予想外、だった」
「だったらもうちょっと驚いた顔しなさいっての」
彼の家は一人暮らしの割にはそれなりの広さで、泊まっていけば良いという言葉に大人しく甘えることにする。
ぼんやりした表情のまま首を傾げる悠と、呆れたように目を細めるリザ。懐かしい光景に、僕は思わず微笑んだ。
そんな僕を見て、彼は何かを思い出したように、僕の方に視線を向ける。
「ジル……風の国の、賢者で、合ってる?」
「知っていたの?」
「……有名、だから」
当然、とでも言うようにこくりと頷く彼に、僕は苦笑。
「まだ名乗っていなかったね。ジル=エヴラール。昔は別の名前だったけれど、色々あって」
「キース=アメシスト。……アメシストは、苗字じゃない、けど」
「そうね、どっちかというと二つ名に近いかしら。メルカートリアの職人地区の風習ね」
訝しげに呟き、彼女は僅かに強気な笑みを浮かべる。
「あたしはリザ。リザ=アーレンスよ」
「……クロードの、娘?」
リザの言葉に、悠――キースは彼女の父親の名前を答えた。
今は亡きリザの父親は、メルカートリアだけでなく他国でも名の知られた大商人だった。アネモスの国王陛下とも面識があったというのだから、かなりのものである。ついでに言えば彼女の母親は特殊な能力を持つ古い一族の出なのだけれど、それはさておき。
「それじゃ、キースはメルカートリアの出身なの?」
訊ねると、彼は首肯する。
「うん。多分……ジルと、同い年」
「……それは」
目を見開いた僕を見て、リザがしまったと言わんばかりに顔を顰めた。けれど彼女はすぐに、それを隠すように笑みを浮かべる。
「で、あんたどうしてグリモワールにいるわけ? メルカートリアでは会ったこと無いわよね」
「無い、はず」
考えるように首を傾げ、キースは呟くように語る。
「両親、とも……小さい頃に、死んだ、けど。偶然、ある人の、弟子になって。……ここに来たのは、何となく、だけど」
「そう」
僅かに微笑むと、彼は思い出したように「あ」と声を上げ、そっと手を上げる。そして、眼帯越しに僕の右目に触れた。
「……もう、痛くない、だろうけど。見えた方が、良い……よね」
「え?」
キースの言葉に、思わず目を瞬かせる。リザが考え込むように眉を顰め、少しして顔を上げた。
「思い出した。道理で、どこかで聞いたことあると思ったわ。キース=アメシスト……『紫水晶の魔眼師』ね」
「魔眼?」
「……その呼び方、嫌い」
僅かに顔を顰めて首を振り、けれど僕の問いに対しては首肯を返してくるキース。
「ちょっと、特殊なだけの、義眼……義肢とかも、作ってる、けど」
そこまで答えたところで、彼は不意に僕を見る。
「ジルが、望むなら……右目、見えるように、してあげられる」
そう言って、キースは僅かに嬉しそうな表情を浮かべた。
こんばんは、高良です。番外編になってからやたらと執筆が捗って逆に戸惑ってますこれがヤンデレホモの力なのか←
というわけで、今回は主に慎と悠の出会い。こいつら本当に小一かと疑いたくなりますが、まぁこの二人は小さい頃からかなり頭が良かったので。特に慎。
ここに高校で柚希が入ってきて、慎の「居場所」が出来るわけですね。
後半はそんな三人の今世。転生した彼は、少々特殊な職業についているようですが……そこ、中二とか言っちゃ駄目。
では、また次回!




