第十五話 再び残された者たちの
「どう思う?」
先生とリザさんが国を発って三週間ほどが過ぎた……春の三の月もそろそろ終わろうか、というある日のこと。僕の部屋まで来て何か考え事をしていた妹が、唐突に顔を上げて訊ねてきた。
対し、僕は思わず首を傾げる。
「何が?」
「……えっとね」
僕の問いに、クレアは言い辛そうに首を傾げ、口を開く。
「私が……『クレア』が『先生』のこと好きだったのは、知ってるよね」
「本人から嫌というほど聞かされたからね」
皮肉混じりに答えると、彼女は気まずそうに一瞬だけ目を逸らす。
「う、まぁそれはそうなんだけど。でもね、記憶が戻ってから、分かんなくなっちゃって」
戻ってから、という表現は果たして正しいのだろうか。クレアやハルの言う『前世の記憶』というのは、本来今世とは切り離して考えるもの。少なくとも先生とリザさんは、そう振る舞っていたように見えたのだけど……そうぼんやり考えるものの、それを口に出すことはしない。
僕の沈黙をどう受け取ったのか、クレアは嘆息を挟んで話を続けた。
「頭の中で、クレアと咲月が大喧嘩してるの。クレアは先生が好きだって、だから先生を傷つけたハル様を許しちゃ駄目だって、今までもずっと思ってたことをしつこく言ってて……でも、それでも真澄のことは、大好きで堪らなくて」
静かに俯き、妹はぽつりと呟く。
「ねえシリル、今の私はどっちだと思う? どっちなのかな?」
今の彼女は、クレアなのか、それとも前世の彼女なのか。そう問われていることは、考えなくても分かった。
だけど、答えなんて決まっている。
「僕にとってはクレアはクレアだし、ハルはハルだよ。前世の君たちのことは、何も知らないからね。……ただ」
「ただ?」
「クレアは、そんなことは言わなかったかな」
笑顔で返すと、彼女は「う」と顔を顰める。
「……もしかしてシリル、怒ってる?」
「うん。これでも僕、凄く疲れてるんだけど。見て分からないかな?」
先生が国を出る前に手伝ってくれたおかげで、城に紛れ込んでいたウィクトリアの人間は全員捕らえることが出来た。けれどそうすると今度は、彼らから情報を引き出したり、後はウィクトリアとの交渉もあるわけで……もちろん指示するのは父上だし、実際にそれをするのは専門の知識を持った家臣たちだけど、それでもいずれ王になる以上僕にも色々とすべきことはあるわけで。
平和なアネモスで育った僕には、かなり精神的な消耗が激しかったのだ。
「分かるけど、でも妹の悩み相談くらい聞いてくれても」
「だから聞いてるだろ。……そういうのは、経験者に相談すべきなんじゃないの?」
「経験者? 真澄のこと?」
意外そうに目を丸くするクレアに、僕は首肯する。
「ハルだってあの事件のときに思い出したんだろ? ならそのときに、今のクレアと同じようなことを思ったんじゃないの」
「でも、あいつ普通に過ごしてるじゃない。迷いも何も無かったよーみたいな」
「だから、迷った末に吹っ切れたんだろ?」
呆れを滲ませて言うと、妹は驚いたように首を傾げた。
「……言われてみれば」
「気づかなかったの?」
「全然」
クレアは僕の言葉に対して首を振り、唐突に立ち上がる。そのまま扉の方まで駆けていくと、彼女はくるりと振り返った。その顔には、楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「ありがとシリル、訊いてくる!」
「待っ、もう夜遅い――いないし」
こういうときは素早い妹に、僕は嘆息した。
◆◇◆
「あいつがいきなり部屋に押しかけてきたのはそういうことか……」
「昨日はマリルーシャが城にいたから、止めようとはしたんだけどね。僕まで怒られたよ」
「あー、それで不機嫌なんだな。お前は慎と違って分かりやすいから助かる」
「先生と違って?」
どこか納得したような苦笑を浮かべるハルに向かって訊ねると、彼は首肯した。
「最近はちょっと……本当にちょっとだけだぞ、良くなったっぽいけどさ。昔のあいつときたら、怒っても常に笑顔崩さないから……怖いのなんのって」
「今もそんな感じだけど」
彼らの言う前世と今世とで先生が変わったとするならば、それはきっと……いや、それを考えるのは後でもいいか。
嘆息して浮かんだ考えを振り払い、僕はハルの方を見た。
「それで、何てアドバイスしたの?」
「アドバイスっつーか……昔のこと色々と話して、本当に記憶が戻ったんだなって再確認した感じだな。死んだときは、もう会えないと思ったわけだしさ」
「死んだとき、か」
僅かに躊躇うものの、僕だけが知らないのだ、という劣等感にも似た疎外感が背中を押す。彼らの事情を……『前世』関係の話を聴いて以来、ずっと心の奥に巣食っている感情。普段なら機嫌が悪くてもそれを押し隠すくらい出来るのに、それが今は出来ない理由。
「……ハルとクレアは、どうしてこの世界に来たの?」
「へ?」
驚いたように目を見開く彼に、僕は淡々と問いかけた。
「先生が前世でのクレアを庇って、川に落ちて命を落としたっていうのは、君やリオネルから聞いたけど……君たちがこの世界にいるってことは、それはつまり前世で一度死んだ、ってことだろ? 一体何があったのさ。あ、当然言いたくないって選択肢は無しね」
だって君たちは先生に、答えたくないことも答えさせたんだろ?
言外に滲ませたその言葉が伝わったのか、ハルは苦い顔でこっちを見る。
「お前、意外と性格悪いのな」
「ううん、ただの八つ当たり」
にっこりと笑うと、彼は諦めたように嘆息し、口を開いた。
「あー……まぁ良いか、宝城にも話したし」
「リザさんにも? どうして?」
「慎に話しといてくれ、って。俺たちはあいつが死んだときのことを知ってるのに、あいつは何も知らないってのは不公平じゃん。まぁそれ言ったら俺らも宝城に関しては何も知らないけど、でも慎は咲月を護ったわけだしさ」
「……先生が自分から何があったのか訊くことは、絶対にないだろうけどね。ああ、だからリザさんに頼んだんだ」
「そういうことだ。で、俺たちの話に移るけど、慎ほど悲惨な話でもないからな?」
悩むように顔を顰め、ハルは視線を宙に向ける。
「慎が死んでから……まぁしばらくはみんな落ち込んでたし咲月なんかは思いっきり自分を責めてたけど、それでも高校卒業する頃には、ようやく立ち直れてたんだ。あ、高校ってのは学校の一つな。で、大学……高校より上の学校に行って、しばらくは普通に過ごしてた」
「しばらくは?」
眉を顰めると、彼からは首肯が返ってきた。
「大学三年の……秋くらいだったかな。通り魔っつーか、連続殺人犯みたいなのが出てきてさ。気をつけろって言われてたんだけど、こっちと違って俺らの住んでた国って平和でさ、俺らも平和慣れしてて、そんな身近に危険があるとか言われてもピンとこなかったんだ」
悔いるように話す彼に、僕は無言で続きを促す。ハルは僅かに苦笑し、話を続けた。
「後はまぁ、予想はつくだろ。咲月と二人でいるときにその通り魔に遭遇して……何とか咲月だけは守ろうとしたんだけど、多分俺が死んだ後で咲月も」
ここにいるってことはそういうことだろ、と彼は話を締めくくる。確かに、先生の過去に比べれば短い話。だけど、彼らにとってそれが異常な事態であったことも、それで彼らが命を落としたことも、事実なのだ。
考え込んだ僕の沈黙をどう受け取ったのか、ハルは再び苦笑を浮かべる。
「慎に直接話したくなかったのは、実はこういうわけかもな。慎は咲月のこと命がけで護ったのに、その数年後には咲月も俺も死んだんだって、慎の目の前で言いたくなかったとか」
「……君たちに出会った時点で、先生はその事実を知ったんだろうけどね」
そう、今なら分かった。先生と初めて会ったとき、彼がクレアを見て目を見開いたわけが。ハルを初めて見たとき、異様なほどに驚いていたわけが。
「先生は、君たちに出会いたくは無かっただろうね」
ぽつりと呟いた言葉は、ハルには聴こえなかっただろう。
思い出すのは、別れる間際の先生の表情――とても辛そうな、まるで壊れる直前のような、危うい笑顔。
理由は分からない。けれど、とても嫌な予感がした。
……その胸騒ぎが『あの事件』の前に感じていたものとよく似ていると気付いていれば、何かが変わっただろうか。
こんばんは、高良です。
賢者は再びアネモスを離れ、残された少年少女。銀髪の少年王子だけが、彼らの味わっている『ある感覚』を知りません、ゆえに彼は一歩離れたところから、知らずジルを傷つけ続ける二人を眺めます。
そんなシリル君の『嫌な予感』については、第三部で。
さて、そんなわけで、第二部はこの話で完結となります。うわー中途半端! そして相変わらず誰も幸せになれてない!
今回もまた第三部に行く前に少し番外編を挟ませて頂きます。が、第三部にも地味に絡んでくるので引き続き読んで頂けると幸いです。
では、また次回。




