第四話 想いの重さ
夢を見た。
まだ、僕らが幼い子供だった頃。
まだ、何も知らなかった頃の夢。
「なぁ、さつきはおれのこと、すき?」
「ふぇ? すき、だよ? ますみも、しんも、だーいすき! ね、しんもそうだよね!」
「……うん。ぼくも、二人とも大好きだよ」
「おれだって! な、おれたち、ずっといっしょにいような! おおきくなっても、ずっといっしょがいい!」
「おとなになっても? おっきくなったら、『がっこう』にいかなきゃいけないんでしょ? それでも、いっしょにいられるの?」
「いられるよ! もしはなれたら、おれ、ぜったいさつきにあいにいくから!」
「もっと大きくなったら、だれかが『けっこん』するかもしれないよ? そしたら、いっしょにはいられないよ」
「しん、そうやっていじわるばっかりいう……あっ、じゃあさつき、ますみとしんと『けっこん』する! そしたら、ずっといっしょだよ!」
「……そう、だね」
あの時はただ、大好きという彼女の言葉が嬉しくて、笑っていられた。
それは決して出来ないのだと僕が気づくのは、それより少し後のこと。
一人しか選べないのだと彼女が気づくのは、それよりずっと後のこと。
◆◇◆
「先生っ!」
突然、背後からそんな声が聴こえる。振り返ると予想通り、クレア様が駆け寄ってくるところだった。
彼女は僕の目の前まで来てそこで止まり、笑顔で僕を見上げる。
「ちょうど良かったわ、先生! お願いしたいことがあったんです」
「お願い、ですか? ……というかクレア様、勉強は」
「良いから来てください!」
はぐらかすように、彼女は僕の手を掴む。仮にも王女と臣下という立場上色々とまずい気がするのだけど、周りを見るとみんな微笑ましそうに見守るばかり。噂になっているというシリル様の言葉は事実らしい。
どうしたものか、と悩む僕を引っ張るように、王女は廊下を進む。
「危ないですよ、クレア様。廊下はゆっくり歩いてください、マリルーシャさんに叱られますよ」
「大丈夫です、見られてないもの!」
「……おや、そこにマリルーシャさんが」
「ひぅっ!?」
即座に立ち止まってきょろきょろと辺りを見回す彼女に、僕は苦笑を向けた。
「申し訳ありません、嘘です。ですがそういうこともありえますから、ゆっくり歩きましょうね」
「はぁい」
渋々、といった様子で彼女は頷き、再び歩き出す。……僕の手を握ったまま。
「それとクレア様、手は放してくださいね。そろそろ夏の一の月も終わりますから、暑くなってきましたし……もう子供じゃないでしょう」
「……でも」
「変な噂が立ったときに、困るのはクレア様です」
サラリと告げると、僅かに少女の笑顔が強張ったのが分かった。その唇が、微かに動く。恐らく声に出したわけではなかったのだろう。けれど、仮にも賢者と呼ばれているのだ。それを読み取る程度の知識が、僕にはあった。
困るわけ、ないのに。声に出さずそう呟かれた彼女の言葉を、僕は無視して微笑む。泣きそうな顔の彼女に、気付かないふりをして。
「それで、お願いとは? まず用件を伝えるのは基本中の基本ですよ、クレア様」
「先生……」
彼女は物凄く微妙な表情で僕を見つめた後、「もう良いか、先生だし」と首を振って僕の問いに答えた。
「とにかく来てください、そしたら話しますから」
「ここでは話せないことなのですか?」
訊ねると、彼女はきょろきょろと辺りを見回し……通りかかった侍女を見つけ、頷く。
「そうです! あと、わたしが説明するより、シリルに聴いた方が早いです」
「シリル様も関わっているのですか」
その言葉で、何となく察する。……そういえばもう、そんな時期か。ただ、僕に助けを求めてくるのは珍しい。
王女の後に続き、辿り着いたのはシリル様の部屋。クレア様の部屋とも中で繋がっているため、実質二人で共有しているようなものだ。なるほど、確かにここなら誰かに聴かれる心配はない。
部屋に入ると、机に向かっていたシリル様が顔を上げ、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「こんにちは先生、待っていましたよ」
「こんにちは、シリル様。それは……昨日の復習ですか?」
彼の前に広げられた、一冊の本。アネモス語で書かれたそれを見ながら訊ねると、少年は苦笑混じりに頷いた。
「先生が容赦ないから、こうやって空いた時間に復習していなければ忘れてしまいそうで」
「おや、それは申し訳ありません。ですが、僕は国王陛下のご命令には逆らえませんから。文句は陛下にどうぞ」
「いえ、そのつもりはありませんけど。それで、クレアから話は……聴いていないみたいですね」
「人に聴かれそうなところでは話さない方が良いって言ったの、シリルじゃない」
「そうだけど」
頬を膨らませる少女と、困ったように笑う少年。二人に、僕は微笑みかけた。
「王妃様のことでしょう? そろそろお誕生日ですからね。僕を呼んだということは、今年は何か特別なものでも差し上げるおつもりですか?」
「何で分かるんですか、先生」
不可解そうに嘆息するクレア様。見ればシリル様も同じような表情だが、彼はその疑問は言葉に出さず、頷く。
「正解です、先生。……あの、その前に一つお訊ねしたいのですが。母上に会って来られたのでしょう? どうでしたか」
不安そうな少年に、僕は微笑んだ。
「今日はお元気そうでいらっしゃいましたよ。よく分かりましたね、僕が王妃様にお会いしてきたと。知っていらしたのですか?」
「いいえ。でも、この間の赤の日にも話したと母上が言っていましたから、そろそろかなって」
「どうしてわたしたちは駄目で先生は良いんだろう?」
呟くクレア様。僕が黙っていると、代わりにシリル様が苦笑する。
「クレアは母上に会ったらうるさくするだろ? 母上の体に負担をかける、って思われているんじゃないかな」
「酷ぉい! そんなにうるさくしてないもん」
「ほら、そうやって叫ぶから」
「だって、お母様が元気そうだと嬉しいじゃない」
納得出来ないと言わんばかりに、彼女は頬を膨らませた。まぁ、気持ちは分からなくもないけれど。
彼らの母親であるアネモス王妃は病気がちで、特にここ数年は寝たきりである。二人とも物凄く王妃様を心配していて、よく見舞いに行っている……けれど、クレア様の様子から察するに、以前ほど頻繁には会わせて貰えないみたいだ。
ちなみに僕はというと、二人の様子を聴きたいから、とよくお呼びがかかる。……王妃様に向かってこんなことはとても言えないが、あの方は元の世界なら絶対に親バカと呼ばれる類の人種だ。いや、それを言うならこの二人にだって若干マザコンの気はあるけど。
「それで、お二人とも。僕の質問は覚えていらっしゃいますか?」
「あ……すみません、先生」
僕の問いに、申し訳無さそうに振り向くシリル様。対し、クレア様は不機嫌そうな顔のまま。
「まだ話は終わってないわ、シリル!」
「クレア。わざわざ先生に来ていただいたんだから、あまり我儘言っちゃ駄目だよ。先生だってお忙しいだろうし」
「お気になさらず、シリル様。お二人に呼ばれていた、と話せば大抵の人に納得してもらえますから」
「……先生がそれをすると、後で僕らがマリルーシャに怒られるんです」
苦い顔でシリル様は嘆息し、顔を上げる。
「それで先生、本題なのですが。前にお話してくださいましたよね。幸運の花、赤イリス。あれが欲しいんです」
「ああ、確かにそれは僕に言うのが一番早いですね」
彼の言葉に、僕は苦笑した。
赤イリス。『幸運』と『希望』を花言葉に持つ、名前の通り鮮やかな赤色の花。公爵である父が治めるトゥルヌミール領とその周辺でしか育たず、国外では幻の花とすら言われる、幸運をもたらす花である。恐ろしいのは、それが伝説ではなく事実であること。我がトゥルヌミール公爵家が王家に次ぐ権力を持つのはこの花のおかげだ、とすら語り継がれているのだ。
手にしたものに幸運を与える、幻の花。その存在を知った彼らが、病弱な母にと願うのも無理はないだろう。
「でも、先生。幻というくらいだもの、とても高価な花なのでしょう? わたしたちが我儘を言っても大丈夫なのかしら」
「おや、珍しい。クレア様が自分の我儘を自覚していらっしゃるとは」
「先生っ! わたし一応王女なんですけどっ!」
怒ったように叫ぶクレア様を見て、シリル様が堪えきれず吹き出す。気付けば僕もまた、笑みを浮かべていた。
「冗談ですよ、クレア様。それとシリル様、そんなに笑ってはクレア様に失礼でしょう」
「だ、だってせんせっ、先生が、そんなこと言うから……あははっ」
「シリルぅ」
クレア様が上目遣いに睨むと、ようやく王子は笑うのを止めた。よほどおかしかったのか、目の端には涙まで浮かんでいる。
「話を戻しますが、貴方がたに頼まれて断れる人間など、この国にはいませんよ。ああ、もちろん国王陛下と王妃様は除きますが」
「マリルーシャも除いてくださいね、先生。……そういうことではなくて、その」
「大丈夫ですよ、シリル様。確かに赤イリスは幻の花と呼ばれますが、お二人に差し上げたから足りなくなる、と言うほど数が少ないわけではありません」
なおも不安そうな少年に向かって微笑むと、二人はぱぁっと表情を明るくする。
「ありがとうございます、先生!」
「先生大好きっ!」
「……お二人とも、とりあえず離れてくださると嬉しいのですが」
流石双子と言うべきか、同時に抱き着いてきた二人をそっと押しとどめる。それとクレア様、冗談混じりに本音を口にするのは止めてくださいね。小さい頃の咲月にそっくりで苦しいですから。とは言えないけれど。
「では先生、母上の誕生日の朝に城に届けて頂きたいのですが……」
「ええ、大丈夫ですよ。見つからないようにこっそり、この部屋に届けさせます。ちょうど明日は家に顔を出してくる予定でしたから」
「公爵に催促されたんですか?」
「その通りですよ、クレア様。そろそろ顔を出せ、だそうで」
面白そうに笑う少女に、苦笑を返す。
トゥルヌミール領は王都のすぐ隣だが、それでも王城で暮らしている僕と公爵家の城で暮らす両親が偶然顔を合わせる機会は少ない。せいぜい父が公爵としての用事でやってきたとき、そのついでに少し言葉を交わす程度だ。兄の方はもう少し多いのだけど。
「それなら、あまり引き留めてもいけませんね。もう夜ですし。準備もあるのでしょう?」
「準備、というほどのものではありませんが……それではお言葉に甘えて、失礼させていただきます」
「はい、先生。色々とありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさいっ、先生!」
二人に頭を下げ、部屋を出る。
「……卑怯だなぁ、僕は」
シリル様がいれば、少女に『咲月』の面影を見ることは少ない。自分はそれを知りながら少年を利用しているのだと、誰よりも分かっていた。
それでも……彼らとの日々は楽しくて、まるでかつて加波慎が過ごした日々のようで。けれど彼らといることで、かつての楽しくも辛かった日々を忘れられる気がして。
だから、と幼い少年を利用してしまう自分が、何よりも嫌だった。
こんばんは、高良です。
今回もまた、過去の夢から始まりました。まだ彼らが幼くて、何も分かっていなかった頃の夢。
さておき、今回は少しジルや双子の周りのことも語られました。
赤イリスは……何だろう、アヤメと杜若を足して二で割ってこねて練ったら出来ちゃった感じの架空の花です。花言葉的な意味で。まぁ見た目も赤いアヤメを想像していただければ。
クレアと二人きりは辛いけれど、シリルと三人でいるのは楽しい。そんなジルですが……
では、また次回。