第十二話 君を亡くした日のこと
数行ですが、死体についての描写があります。
苦手な方はご注意ください。
「……ったく」
教室内に立ちこめる、どこか重苦しい雰囲気。それを感じ取って、アタシは舌打ちした。
原因は間違いなく、二つの空席だろう。一つは慎の、もう一つは咲月のもの。クラスメイトたちは何も知らないはずだが、『何かあった』ことは分かっているはず。それゆえの、この不気味な沈黙。
その原因であろうもう一人の少年に、アタシは容赦なく拳を振り下ろした。
「起きろっつの馬鹿」
「ってぇ! ……何だ、宝城か」
伏せていた顔を上げ、アタシを見て、倉橋は嘆息する。その表情もまた、どこか暗かった。言ってしまえば、他のクラスメイトたちよりもずっと。
その理由を知りながら、アタシは顔を顰めた。
「昼間っから寝てんじゃないわよ」
「こんな時間に登校してきた奴が言ってんじゃねーよ」
不機嫌そうに返してくる彼の声に、しかし普段の険悪な響きは無い。アタシもまた、いつものように彼に対して攻撃的になるのは控えるようにしていた。
この教室の中で真実を知るのは、二人だけなのだから。『彼』のために、そして咲月のためにも、今ここでアタシたちが仲違いするわけにはいかなかった。
……もうすぐここにいる全員が、真実を知ることになるけど。それを思い出して表情を暗くしたアタシに気づいたのか、倉橋が訝しげに訊ねてくる。
「あのさ、お前が来たってことは……」
「それを言おうと思ってたところよ」
アタシは肩を竦め、声を低くする。元々そこまで大きい声で話していたわけではなかったけど、今周りに聞かれるわけにはいかない内容だから。
「……慎、見つかったわ」
「っ!」
目を見開き、体を硬直させる倉橋に、アタシは表情を変えずに言葉を続けた。
「実は割と朝早くに見つかってたんだけど。多分、ちゃんと他の奴らに伝わるのは早くて今日の帰り辺りか……遅くとも明日の朝になるでしょうね」
「咲月は、そのこと知ってるのか?」
「まだ言ってないわ。今から言いに行こうと思って」
「来てすぐ帰るつもりかよお前……」
乾いた笑みを浮かべる少年を、アタシは醒めた目で見下ろす。
「で、あんたは来るの? あの子かなり参ってるみたいだし、落ち着くまで誰かが傍にいた方が良いと思うけど」
「……いや、宝城に任せる。学校終わったら行くって、言っておいてくれ」
予想に反し、彼は首を振る。思わず眉を顰めたアタシに、倉橋は辛そうに苦笑。
「ほら、俺がいると多分、咲月も色々思い出すだろ。慎のことは……宝城が言っといてくれれば」
「なるほどね」
彼の言葉に、アタシは薄く笑った。
「アタシに全部押し付けよう、ってわけ?」
「……悪い」
「別に良いわ、アタシはあんたたちとは違うもの」
肩を竦め、倉橋に背を向ける。帰ろうと一歩踏み出した瞬間、かけられた声にアタシは足を止めた。
「宝城は……強い、よな」
戸惑うような、声。何も返さずにいると、向こうもそれが分かっていたのかそのまま言葉を続ける。
「そりゃ、俺たちに比べれば慎といた時間は少なかったかもしれない、けどさ……それでも俺や咲月が慎を大事に思うのと同じくらい、お前は慎のことが好きなんじゃなかったのかよ。それなのに、よくそんな落ち着いていられるな」
「同じくらい?」
彼の言葉を、アタシは笑い飛ばした。……冗談じゃない。
「あんたたちと一緒にしないでほしいわね。アタシはあんたたちとは違う……あんたたちの何倍も、慎の幸せを願ってた」
「だったら」
「だから、よ」
納得がいかない、とでも言うように食い下がる倉橋の方を振り返り、周りにいるクラスメイトたちに聴こえないように気を遣いながら、アタシは笑みを浮かべた。
「あんたが理解する必要は無いわ。……それじゃ、また後で会いましょ」
「あ、おい!」
叫ぶ彼を無視して、教室から出る。
……咲月に会う前に、一つだけ。どうしてもしたいことがあった。
「柚希ちゃん……学校は?」
「おばさん家に一人でしょ、心配でさ」
疲れた顔で迎え入れてくれた慎の母親に、アタシは笑みを返した。
それは昨日のこと。嫌な予感がしてこの家に駆けつけると、そこに本来いるべき少年の姿はなく、代わりに心配そうな顔の彼女がいた。咲月や倉橋から何があったのかを聴いたのは、そのすぐ後のこと。今にも倒れそうなおばさんが見ていられなくて、昨日からこの家に泊めてもらっていたのだ。……こういうときは、慎の両親と親しくしておいて良かったと思うわ。いや、おばさんに関してはおばさんって呼ぶのを躊躇うレベルに若いんだけど、それはさておき。
アタシの言葉に対し、彼女は微苦笑を浮かべる。
「まぁ。……でもね、今は一人じゃないのよ」
その言葉に、一瞬動きが止まる。けど、予想はしていたこと。なるべく平静を装って、アタシは彼女を正面から見返した。
「もう、帰ってきてたんだ」
「ええ、柚希ちゃんが家を出た少し後くらいに。……遺体の損傷が激しくて、ね。見つかるまでそんなに時間がかからなかったし、水も冷たかったから、水膨れなんかは無かったんだけど……ほら、流れが速かったでしょう。一瞬、あの子だって分からなかったわ。あんなに傷だらけで、きっと凄く苦しかったでしょうに」
泣きそうな顔で微笑む彼女に、何と声をかけていいのか分からずに……慰めるように、そっとその背に手を置いた。
「無理しない方が良いよ、おばさん。今にも倒れそうだし、少し休んだ方が良いわ。誰か来ても、アタシがいるから」
「そうね……そうさせてもらおうかしら」
ふらふらと、どこか危なっかしい足取りで二階の寝室へと向かう女性。それを見送りながら、アタシはその背に呟くように訊ねた。
「ねえ。慎に会っても、良い?」
「慎に? ……きっと見たらショックを受けるから、お葬式のときも顔は見せないようにしよう、って思っていたんだけど」
「大丈夫よ。アタシは、大丈夫」
驚いたようにアタシを見つめ、やがて彼女は小さく微笑む。
「柚希ちゃんだから、特別ね。奥の空き部屋、あるでしょう? あそこにいるわ。……怖がったり、しないであげてね」
「もちろん」
ふらふらと階段を上っていく女性を見送り、アタシは廊下の奥に視線を向ける。この家は普通の家に比べれば大きいとは言え、屋敷と呼ぶには程遠い一軒家なのだ。少し歩いただけで辿り着いてしまったその部屋の扉に手をかけ、そっと引く。
最初に目に入ったのは、中央にぽつんと置かれた、痛いほど白い棺だった。もう納棺を済ませているのは、『損傷が激しいから』か。扉を閉め、それに歩み寄る。……蓋は、されていなかった。
「……慎」
思わず目を見開く。
包帯だらけの体。血が滲んでいるところは無いものの、包帯の上からでも明らかに抉れていると分かる部分すらいくつかある。組まれた指は僅かに捻じ曲がっていて、後から誰かが直そうとしたのだと……直したのだと、分かった。発見されたままの状態を想像して、背筋に寒気が走る。それを見て、慎だと判断しなければいけなかった彼の母に、同情すら覚えた。
顔にも小さな傷は無数に見受けられるものの、大きな傷が無いのは奇跡に近いだろう。笑みの消えた、どこか辛そうな白い顔が、何よりも恐ろしかった。それが、彼が慎だと認めることを躊躇わせた。どんな傷よりも、ずっと。
棺の横に立ち、彼に語りかけるように、アタシはぽつりと呟いた。
「慎。明後日、祝日だったでしょう? だからあんたの葬式は、明後日にするらしいわよ。きっとあんたを送りたい人は大勢いるだろうからって、おばさんが」
ああ、本当に大勢いることだろう。貴方を嫌う人間なんていなかった。何でも出来て、お人好しでおせっかいな貴方に、きっとたくさんの人間が惹かれたことだろう。だからきっと、涙を流す人間はたくさんいるはずだ。
だけど。
「アタシは、悲しんでなんかやらないわよ。……明後日、アタシは泣きも悲しみもしないで、笑顔であんたを送ってやるわ」
そう、きっと慎は、それを望むだろう。自分のせいで誰かが嘆き悲しむことは、嫌で堪らないはず。
「ねえ、慎。アタシはもう、あんたの前以外じゃ絶対に泣かないわ。そういうのあんたは嫌いだろうけど、これくらいは許してくれなきゃ、きっと耐えられないから。あんた以外に、涙は見せない」
だから。
「……だから、今は……今、だけは、許して」
ゆっくりと、その場に崩れ落ちる。棺に寄り掛かるようにしがみついて、嗚咽を必死に押し殺す。それでも留めることは出来なかった涙が、床にぽたぽたと落ちた。
「……どうしてなの、慎」
初めてアタシを見てくれたのは、貴方だったのに。
初めて傍にいてくれたのは、貴方だったのに。
人と関わることを、その楽しさを、教えてくれたのは貴方だったのに。
本当のアタシを知ってくれたのは、貴方しかいなかったのに。
この孤独を分かち合えるのは、貴方だけだったのに。
「どうして、アタシを置いて逝ったの…………っ!」
もう二度と、彼が微笑むことはない。その事実が、重くのしかかった。彼は最期まで、自分が孤独だと信じたままだっただろう。そうではないと彼に教えられなかった、そのことが酷く悔しかった。
……一度で良い。大好きだと、伝えられれば良かったのに。
◆◇◆
「っ……」
ゆっくりと目を開くと、見慣れた自室の天井が視界に映った。どこか既視感を覚える風景。ただ、前回はあった痛みは微塵もなく、失血のせいかふらつく頭に顔を顰めながら、そっと体を起こす。
「先生!」
叫び声の方向に視線を向けると、そこには銀髪の王子が、心配そうに僕を見つめていた。その後ろには金髪の少年もいて、こちらは気まずそうな表情を浮かべている。
「シリル様……ハーロルト様まで」
「大丈夫か、ジル? かなり血出てたけど」
「少々ふらつきますが、こうして横になっている限りは大丈夫ですよ。……ですが、どうして」
あれだけ深い傷を負い、血を流しながら、何故僕はまだ生きているのか。僕に対して治癒魔法が効力を発揮する人間など、ごくわずか。それだって傷を軽くする程度のことしか出来ないのだ。今度こそ、死を覚悟したのに。
それを訊ねようとした瞬間、ノックも無しに部屋の扉が開いた。そして顔を覗かせたのは、見慣れた紅髪の少女。
「ああ……起きたのね」
僕と目が合った彼女は目を細め、つかつかと僕に歩み寄ってくる。
……次の瞬間、耳元で響いた、ぱしん、という乾いた音。じわじわと熱を持つ頬に気づき、僕はどこか呆然と彼女を見上げた。視界の端に、驚いたように瞳を丸くする二人の王子が映ったものの、それよりも険しい顔で睨んでくる彼女から目が離せなくて。
「自分が何をしたか、分かってるんでしょうね」
「……ごめん」
「違う! やっぱり分かってないわ、もっと他に言うべきことがあるでしょう! あんたはいつもそう、他人のことばかり最優先で、自分のことなんてまるで気にしなくて――」
珍しく取り乱したように叫ぶ彼女に、なおもごめんと呟く。彼女の言いたいことは痛いほど分かっていたけれど、それでも僕にはそれが出来そうにないのだと、伝えるように。リザは一瞬言葉に詰まったように黙り込むと、諦めるように深く嘆息した。
「……もういいわ」
そのまま、僕の答えすら聞かずに彼女は踵を返し、部屋を出ていく。シリル様とハーロルト様が顔を見合わせ、どちらからともなく苦笑を浮かべた。
「あー……何つーか、俺が言えたことじゃないかもしんないけどさ。お前、後であいつに礼言っとけよ」
「え?」
「先生の傷を治したのは、リザさんなんですよ」
微笑むシリル様に、僕は僅かに目を見開く。
「リザが?」
「あー、やっぱ覚えてないか。俺たちが駆けつけたとき、お前死にそうだったし。正直俺たちもかなり慌てたんだけど、そこにあいつが来てさ」
「城に来てから、治癒魔法や医術を習っているとは聞いていましたが……あれほどの腕前とは思いませんでした」
「……そう、ですか」
二人の言葉を聞きながら、僕はそっと目を閉じる。彼女の魔力がかなり高いことは感じていたが、僕に対して治癒魔法が効くほど、とは。恐らく彼女と治癒魔法との相性も、かなり良かったのだろう。普段の態度からは分かりにくいけれど、本当はとても優しい少女だから。
……だから彼女は、僕の願いを叶えてはくれなかったのだろう。僕がそう願っていることを知りながらも、聞き入れてはくれなかったのだろう。
「そうだ、慎!」
唐突なハーロルト様の叫び声で、僕は現実に引き戻される。……今、彼は僕を何と呼んだ? その疑問を口にする前に、少年は言葉を続けた。
「クレアが……咲月が全部思い出したんだ。あいつも一度倒れて、すぐ目覚めたんだけど」
「……今、何て」
ハーロルト様が放った一言に、僕は今度こそ体を硬くする。目を見開いた僕に、シリル様が僅かに申し訳無さそうな表情を浮かべた。
「僕も父も、ハルから話は聞きました。『前世』のことも、その記憶のことも……」
「と言っても俺が全部思い出したのはあの事件だから、殆どはリオネルさんが話したんだけどな。……あの人、全部知ってたんだな」
彼らの言葉が耳に届いていながらも、僕は呆然としたまま、何も返せなかった。
ああ、久しぶりに戻ってきたこの城は、それでも温かく僕を迎えてくれたのに。ハーロルト様とクレア様の傍にいることは辛いままだったけれど、それでもクレア様は『ジル』を見てくれたから、まだ耐えていられたのに。僕のことを慎として扱うのがハーロルト様だけであったなら、まだ僕はここにいられたのに。
全てを思い出したなら、彼女は咲月として、『慎』に接してくるだろう。そうなってしまえば、きっと僕は耐えられないから。だから――
……本当に、ここに戻ってくることは出来なくなってしまったのだと、悟った。
こんばんは、高良です。
GW中にストック溜めたはずがもうないよおかしいなぁ。
ジルは知ることの無かった(当然ですが)、慎の死後のお話。荒れた川の中で色々とぶつかったり刺さったりしていますから、それはもう悲惨なことになっています。ある程度は直されていても、生前の彼を知っていれば直視できない酷さ。それを、柚希はあえて見つめました。彼のため、彼が一番に願うであろうことを叶えるために。
ちなみに柚希の「慎以外の前では泣かない」という誓いはこれからも重要になってきますので、覚えておいてもらえると嬉しかったり。
後半はそんな二人の現在。クレアが全てを思い出してしまった、と知った彼は……?
遺体の扱いや葬儀の流れについてはある程度調べてから書いていますが、矛盾点などあったらスルーしてくださると嬉しいです。
では、また次回。




