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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第二部
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第十一話 繰り返される過ち

「こんにちは、クレア様」

「っ……貴方は!」

 無機質な微笑を携えて現れた彼を、わたしは警戒しながら見上げた。

 二週間くらい前、突然わたしの前に現れて『あのとき』の傷を抉っていった、第八書庫の管理を任されているという男性。それが、目の前に立っていた。何故か忘れてしまったと思っていた顔が、見た瞬間にくっきりと蘇る。この間と同じ、どこか無機質な笑みに、言いようのない恐怖を覚えた。

「おや、どうかされたのですか」

「しらばっくれないで! 何しに来たの、あんなこと言っておいて!」

「そう、そのことをお伝えにきたのですよ」

 叫んだわたしに、彼は楽しそうに笑みを強める。

「考えておいてくださいませ、と申したでしょう、クレア様? 今一度お訊ねいたしましょう、ハーロルト様が憎くはないのですか? ……貴女が望むのならば、彼に報いを受けさせることも容易い」

「……むく、い?」

 目を見開く。彼が放った言葉の意味が、一瞬理解出来なかった。

 だって、それは。

「思い知らせたくはありませんか? 賢者が受けた痛みを、苦しみを、愚かな王子にも味わわせたいと、貴女は一度ならず思ったはず。だからこそ、そうして迷っておられるのでしょう?」

「迷ってなんか――」

「いいえ」

 無機質な、笑み。聴いてはいけないと思うのに、それから目が離せない。指一本すら動かせないまま、わたしは目を見開いて彼を見つめる。

「大丈夫、誰も貴女を責めはしませんよ。貴女が直接『何か』をする必要はございません。ただほんの少し、手を貸してくださればそれで良い。クレア様にとっても、悪い話ではありませんでしょう? 彼に復讐出来るのですから」

「……復讐」

 ぼんやりと、その単語を繰り返す。

「ええ、復讐です。許せないのでしょう? 賢者を奪った、彼が。その身で思い知らせてやれば良い」

「思い、知らせる……」

 ……それは、殺すということ?

 この男は、わたしがそれをする必要は無いと言った。ということは、恐らく直接手を下すのは彼なのだろう。彼によって、ハル様は――

「駄目」

 気付けば、そう呟いていた。目の前に立つ男が、僅かに目を細める。

「駄目、とは?」

「ハル様を殺させたりなんか、しないって言ったの。確かにハル様のしたことは許せないし、まだ婚約者だって認めることは出来ないわ。それでも、ハル様はわたしにとって大事な友達で、シリルの親友だもの」

 だから、と彼を見据え、言葉を紡ぐ。彼の顔に浮かぶ無機質な笑み、今はそれに対する恐怖は無かった。

「ハル様は、殺させない。……その話は、受けられないわ」

「そうですか、それは残念」

 わたしの言葉に、彼は本当に残念そうに嘆息する。思ったよりも普通なその反応に安堵したその瞬間、不意に彼は笑みを消し、睨みつけるようにわたしを見下ろした。

「まったく――王女の方は役立たずだと聞いていたが、これほどとは」

「……え?」

 それを避けられたのは、全くの偶然。背中に走った悪寒に飛び退った瞬間、たった今まで立っていた辺りの床が僅かに抉れた。男の手には、武器らしきものは無い。

 ――なら今のは、魔法?

「っ!」

 剣術も習っているシリルと違って、わたしに戦う術はない。避けた拍子に転びそうになりながらも顔を青ざめさせるわたしに、男は忌々しそうに舌打ちした。

「せめてグラキエスの王子を殺す役には立つかと思ったが、それさえ出来ないとは……本当に、役に立たない王女様だ。分かりますか、クレア様? 貴女に出来ることと言えば、大人しく私に殺されることくらいですよ。死んで初めて、貴女如きでも人の役に立てるのです」

「……役に、立たない? わたしが?」

「おや、城下や他国でよく噂になっているのですが、ご存知ありませんか? いえ、恐らく城内の人間も思っていることでしょうね。賢者に師事し自身も類稀なる頭脳を持つ兄王子とは違って、王女は遊んでばかりの平凡な少女。役に立つどころか、そのまま生きていれば足を引っ張りすらするのでは?」

 足を引っ張る、その言葉が妙に頭に響く。ずきん、と走る痛み。

 ずっと昔に、同じようなことを思った気がした。何のとりえもない、何の役にも立たないわたしは死ぬべきで、代わりに――

 ……代わりに生きるべきだったのは、誰だっただろう?

「傷つけてしまいましたか? 大丈夫、すぐに楽にして差し上げますよ」

 無機質な笑み。そう、思えばそれは冷酷な笑みだったのだろう。それを見慣れないわたしには、何なのか分からなかっただけ。

 ああ、本当にわたしは、護られてきたのだ。色々なことから。

「……ない」

「何です?」

「死なないわ。わたしは、死ねない。死ぬわけには、いかない。護ってもらったいのちを、ここで捨てるわけにはいかないもの!」

 誰に、なのかは思い出せない。

 いつのことかも思い出せない。

 それでも、誰かのいのちの代わりに、わたしは生きていた。今も、ずっとずっと、誰かに護られてる。だから、死んではいけないのだ。どんなに自分が役に立たないと思っても、生きていなければいけないのだ。ようやく、思い出せた。

 そんな私に、男は顔を顰める。

「死ねない、とはまた大きく出たものですね、戦う術の一つも持たない小娘が――」

 気付けば男の手元に描かれていた魔法陣。聴き慣れない呪文と共に、そこから黒い剣が引き出される。先生やシリルならきっと、それを聴いて男がどこの国の人間か特定していたのだろう。でも、今更それを後悔しても遅い。

「偉そうなことは、逃げる術くらい用意してから言うものですよ。……さようなら、愚かな王女様」

 反応、出来るはずもない。決めたはずの覚悟は、生きるという決意はどこに行ったのか。

 振り上げられた黒い刃に、思わず目を閉じて――

「………………え?」

 いつまでもやってこない痛みに、わたしは恐る恐る目を開いた。

「……お怪我は、ありませんか? クレア様」

「先、生?」

 わたしに覆い被さって、普段と変わらない笑顔を向けてくる彼に、目を見開く。

「申し訳ありません、これしか方法が見つからなかったもので……少しだけ、我慢なさってくださいね」

 微笑む先生の背中越しに、黒い剣が見えた。降り下ろされたままの場所に留まるそれからは、赤い、紅い何かが滴っていて。

「っ! 先生、それ――」

「大丈夫です」

 にっこりと、けれどどこか辛そうな笑みを浮かべて、先生は横目で背後に立つ男を見る。

「さて。……貴方は、ウィクトリア帝国の人間ですね? 城に紛れ込んでいたという暗殺者でしょう。仲間がいる可能性は低いと思っていましたが、本当に単独とは」

「貴様、『風の国の賢者」か」

「そう呼ばれることもありますね」

 警戒するように目を細め、口調を豹変させる男に、先生は首肯する。

「父を……トゥルヌミール公爵を暗殺したのも、貴方ですか?」

「それを認めたところで、お前に何が出来る」

「……何も、出来ませんね」

 悔しそうに微笑み、先生は僅かに手を動かした。描かれた魔法陣が、流れ出る血の上で光る。耳元で、恐らくアネモス語だろう単語が一言だけ呟かれた。

「きゃっ!」

 次の瞬間、身体にかかってきた重みにわたしは思わず悲鳴をあげる。意識を失った先生は気付けば苦しそうに肩を上下させていて、その顔は蒼白。

「防御魔法か。何も出来ないとは面白い冗談だな、賢者。……風の国の賢者の魔法など、誰が破れる」

 忌々しそうに吐き捨て、男は魔法陣を描く。

「目的は達成出来なかったが、まぁ良い。賢者という大きな力を失えば、アネモスが傾くのは目に見えている。……それでは王女様、御機嫌よう」

「待っ――」

 わたしの制止など聞かず、彼は小さく何かを唱え、消え去るようにいなくなる。

 後にはわたしと、動かない先生だけが残された。

「あ……」

 見下ろせば、さっきよりも床に広がった紅。普段なら誰かが通りかかってもおかしくないこの場所だけど、何故か誰も通らない。なら誰かを呼ばなければ、と思ったものの、去り際に男が放った言葉が、頭から離れなかった。

 彼の言った通りなのだ。先生が――『賢者』が味方についているから、今のアネモスがある。先生が一番に優先するのがこの国だから、他国もアネモスには一目置いている。もしもその先生がいなくなってしまえば、この国だけじゃない、先生と関わった多くの国が傾くだろう。わたしにだって、その程度は分かる。

 死ねない、と言ったけれど。もしもいなくなるのが先生ではなくわたしなら、きっとそこまで大きなことにはならないのだろう。グラキエスとの繋がりを深める術が無くなる程度。悲しむ人だって、先生の方がずっと多いに決まっている。

 ずきん、と痛む頭。どこか聞き覚えのある声が、響く。

 ――そうよ、ようやく思い出したの?

 ゆっくりと、駆け巡る記憶。

「雨が……降ってたんだわ。川が、今にも溢れそうで……それでも、彼に分かってもらえないのが、悔しくて……足元が、崩れて。あのときだって……彼が、身代わりになって、刃が」

 そうだ、死んではいけないのではない。死ねないのではない。それよりも前に、痛いほど感じたことがあった。

 ――死んではいけなかったのは、彼の方。

 だからわたしは死ねないと、そう思っていたのに。また、同じことを繰り返してしまった『あのとき』の記憶。

「クレア!」

 駆け寄ってくる、見慣れた金髪の少年。ああ、今なら分かる。貴方が、誰なのか。

「……ますみ」

「っ!」

 呟いたわたしに、彼は目を見開いた。何か言おうとする彼の姿が、不意に歪む。戻ってきた記憶に、耐えがたい頭痛に、ゆっくりと意識が遠ざかる。

 暗闇に沈む寸前、割れそうな痛みの中で、『咲月』が囁いた。

――いつだって、死ぬべきは、私だったのよ。


 ◆◇◆


「あ……」

 真澄に抱きかかえられながら、私は呆然と目を見開いて、荒れ狂う川の表面を見つめた。たった今、一瞬で幼馴染を呑み込んだ濁流を。

 慎に半ば投げ飛ばされるように掴まれたせいか、腕が痛みを訴える。けれど、そんなことは気にならない。何が起こったのか、すぐには理解出来なかった。

 ……段々と、頭が追いついてくる。彼は、私を庇ったのだと。川に落ちかけた私の代わりに、落ちたのだと。

「慎っ!」

「やめろ咲月!」

 思わず川に駆け寄ろうとした私を、真澄がきつく抱きしめてくる。その腕から逃れようともがきながら、離してくれない彼を責めるように叫んだ。

「離してよ! 真澄だって見てたでしょう、慎が! はやく、はやくたすけないと」

「だとしても、俺たちに出来ることなんてないだろ!」

 悲痛な叫び声に、息が止まる。恐る恐る見上げると、真澄もまた辛そうな……どこか泣きそうな表情で、首を振った。

「助けようとしたって、俺たちも溺れるだけだ。大人とか……こういう時って救急車だっけ、とにかく誰か呼ばないと」

「でも」

「大丈夫だって」

 顔を歪める私を……そして自分自身をも安心させるように、真澄は呟く。

「あいつのことだからきっと、どこかで陸に上がったりしてるに決まってるだろ。……そうだ、そんなわけない。慎が……」

 その先を、真澄は口にしない。その気持ちは、私にもよく分かった。言ってしまったら本当に、慎が帰って来なくなるような気がして……言わなければ帰ってきてくれるんじゃないかと、淡い期待を抱いたのだ。

 心の奥、それが決して叶わないのだという予感を、必死に抑えつけて。


こんにちは、高良です。GW中に書き溜める計画続行中。


慎に助けられ、『彼』に庇われた咲月の記憶は、クレアの中にも僅かに残っています。それゆえに彼女は死ぬわけにはいかないと決意を固めますが、相手の力はあまりにも圧倒的で、非力な少女に抗う術はない、はずでした。

そこに現れた彼は、再び彼女を守ろうとしてしまいました……が、何やら怪しい様子ですよ?


では、また次回!

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