第十話 居場所はどこに
「げっ」
「…………あ」
屋上のドアを開いてすぐ視界に飛び込んできたものに、アタシは思わず顔を顰めた。漏らした声が聞こえたのか、設置された手すりに寄り掛かるように座って読書をしていた少年が顔を上げる。何を考えているのか分からない、どこかぼんやりしているような無表情を向けてくる彼に、嘆息。
「何でいるのよ、あんた。慎は?」
「……生徒会の、用事……があるから、先に行ってて、って」
「ここに?」
「うん……ここにいれば、宝城も来るから、って言われた。だから、慎が来る前に追い返そうと、思って」
「追い返されて堪るかっての」
嘆息し、アタシは少年……椎名悠の傍まで歩み寄った。
「やらない、よ。やったら……慎が、残念がる、から」
「あんたが言うと途端に変な意味に聴こえるわね」
目を細めるアタシに、椎名は不思議そうに首を傾げる。
……実際、彼が慎に抱いている感情が友情なんてものじゃないことは、嫌と言うほどよく知っている。アタシと慎が出会うよりもずっと前、小学生の頃に慎に救われたというこの少年は、恩人である慎に対して何とも形容しがたい想いを向けているようだった。友情と呼ぶには大きすぎる、それはどちらかと言えば愛情に近いもの。いや、それすら超えているのかもしれない。
「慎が死ねって言えば死ぬんじゃないの、あんた」
「……慎が、そう言うなら」
「マジかよ」
こくりと躊躇いなく頷く彼に、アタシは更に顔を歪めた。そんなアタシに構わず、椎名は言葉を続ける。
「今、は……死んだら、慎は怒るし、悲しむから、生きてるけど。俺が死ぬのが、慎のためになるなら、死ぬ」
「黙れよホモ」
真っ直ぐな……しかしどこか光の無いその瞳。それに、アタシは乾いた笑みを返す。
「慎がそういうの嫌いだから生きてる、ってわけ?」
「うん」
彼にしては珍しい即答に、アタシは嘆息し、苦く笑った。……ったく、洒落にならない。
「勘弁してよ……男が恋敵とか」
「恋、敵?」
「違うの?」
アタシの問いに、椎名は首を傾げる。
「だって、俺が好きって言っても、慎は困る、から……宝城の邪魔は、しない。俺は、慎と一緒にいられれば、それで良い……よ」
「へぇ」
目を細めたアタシに、彼は言葉を付け足した。
「あいつ……誰、だっけ。名前、忘れたけど……慎の、幼馴染。あいつじゃなければ、良い。あいつらは、慎を不幸にするだけ、だから」
「あら、珍しく意見が合ったわね」
椎名の言葉に、アタシは苦笑気味に肩を竦める。
アタシは確かに咲月とは親しいが、それとこれとは話が別。咲月と倉橋では、慎を苦しめ不幸にすることはあれど、幸せにすることは出来やしないのだ。慎を神格化して遠ざけている彼らに、本当の慎が理解出来るわけがない。
そう、その点でアタシたちは、同志と言ってもいいのかもしれない。アタシたちといるときの慎が、彼らといるときよりも楽そうなのは知っているのだ。だから、少しくらい気が合わなくても協力する。そうすることで、少なくともここには慎の居場所が出来るのだから。
「あれ?」
扉が開く音と同時、響いた声に振り返る。そこにはちょうど今まで話題に上っていた少年が、驚いたような笑顔を浮かべて立っていた。
慎は扉を閉めると、にっこりと微笑んでこっちに歩いてくる。
「珍しいね、君たちが喧嘩していないなんて。そろそろ仲良くなった?」
「まさか。アタシが今来たばっかりなだけよ」
吐き捨てるように答え、アタシはその場に腰を下ろす。その隣に同じように座りながら、慎は目の前で本を閉じた椎名に訊ねた。
「悠、もう体調は平気? 授業中いなかったの、今朝の集会のせいだろう?」
「うん……多分、大丈夫」
僅かに嬉しそうな笑みを浮かべて頷く彼に、慎は微笑む。
「じゃあ、午後は授業に出られそうかな。柚希もちゃんと出るんだよ?」
「……アタシ、帰るつもりだったんだけど」
「駄目だよ、出なさい」
苦笑混じりに言ってくる慎から目を逸らし、アタシは持っていた袋から買ってきた昼食を取り出した。それを見て、慎は僅かに驚いたような表情を浮かべる。
「今日は購買? 珍しいね」
「作る暇無かったのよ、誰かさんのせいで」
「それは……悪かったと思ってるよ」
「あんたは悪くないでしょ」
朝から咲月のメールで起こされ、そのまま呼び出されたことを遠回しに言うと、慎が申し訳なさそうに苦笑する。アタシが肩を竦めたところで、椎名が首を傾げる。
「……終わった?」
「ああ、ごめん。早く食べようか。二人とも、待っていないで先に食べていても良かったのに」
そんな慎の言葉に、椎名は何か言いたげな表情を浮かべるものの、何も言わずに食事を始める。……こいつのことだから、慎がいなければまともに食事を取りすらしないのではないか。そんな考えに至り、アタシは再び乾いた笑みを浮かべる。それに気づき、慎が不思議そうに覗き込んできた。
「柚希? どうかした?」
「何でも無いわ」
苦笑とともに首を振り、パンを包む袋を破る。
……慎が気付いていなくても、アタシたちが彼の居場所になれるなら。その願いは、しかし彼の幼馴染たちによって壊されたのだった。
◆◇◆
「おや、クレア様。お一人ですか?」
かけられた声に私は振り向き、そこに立つ男性を見て首を傾げた。使用人らしき服を着てはいるものの、その顔に見覚えはない。
「えっと……ごめんなさい、わたし、シリルと違って城の人全員は覚えられなくて」
「私はまだここに来て間も無いですから、仕方のないことかと。大した役職についているわけでもございませんからね」
悪戯っぽい笑みに、わたしはつられて笑った。
「どんなお仕事をしてるの?」
ちょうどやることが無くて城内を散歩していたところだったし、何か面白い話を聞けるかもしれない。そう思って、わたしは彼に訊ねてみる。男性はにっこりと、どこか無機質な笑顔を浮かべて答えた。
「第八書庫の管理を、任されております」
「…………第八、書庫?」
その言葉に、息が止まる。無意識に漏れた声は、震えていたかもしれない。原因である彼はそれに気付いているのか、いないのか。
「ええ、城の端も端、特に人通りが少ない場所の一つでございますよ。あそこを訪れる人間など、滅多におりません。それゆえ以前は管理する人間も少なかったのですが、ある事件以来人を増やしたようですね」
そこまで言ったところで、彼はニヤリと意地悪く笑う。
「そういえば――その事件には、クレア様も関わっていらっしゃったとか」
「っ!」
彼の言葉に、わたしはこれ以上無いほどに目を見開いた。
知っている? あの事件を、一部の人間しか知らないはずの事件を、わたしたちの全てを狂わせてしまったあのときのことを、彼は知っているのか。どうして!
「加害者と呼ぶに相応しいあの王子と、貴女はまた親しくしていると聞きますよ、王女殿下」
やめて。
「憎くはないのですか? 貴女から想い人を奪ったあの王子が、アネモスから賢者を奪ったあの少年が、憎いと思ったはずでしょう」
ちがう。
「事件直後の貴女は彼への憎悪が丸出しで、使用人や国民に不信感を抱かせていたはずだ。だから押し殺したのでしょう? 王女として、婚約者を憎く思うようなことがあってはならない。だから、あの愚かな王子を憎む心を、必死で押し殺そうとしていらっしゃる」
「ちがうっ!」
気付けば、叫んでいた。両手で耳を覆い、必死に首を振って、彼の言葉を否定する。
「違う、ですか。……では、今日はそういうことにしておきましょう」
不意に、彼はにこりと微笑む。
「ですが、どうか考えておいてくださいませ、クレア様。どちらを取るのが、貴女にとって有益か」
わたしに背を向け、彼が立ち去るのを確認して、ようやく息をつく。彼の言葉が、頭の中で響いていた。
「……わたし、は」
どちらを、取ればいいのか。
先生がアネモスに戻ってきたことで強くなっていたその疑問が、いっそう膨れ上がる。けれど、考えておけとはどういうことか。
「……あ、れ?」
そこまで考えたところで、不意に気付いた。
……今まで話していた彼は、どんな顔をしていただろう。何故か、いくら考えてもそれを思い出すことは出来なかった。
こんばんは、高良です。
……ギリギリセー、フ?
前半は第九話に引き続き悠の話。柚希もいるけれども。この三人は書いていて楽しいんですがうっかり悠の影が薄くなっちゃうから困ります。いや発言の一つ一つが慎大好きすぎて濃いので良いんですけれども。第二部での悠の話はこれだけですが、第三部に行くまでの番外編で重要になるので覚えておいてくださると嬉しいです。
後半は不穏な空気。例の事件以来クレアがずっと抱いていた迷いを突いたのは……
第二部も次回から遂にクライマックスに突入。勢いよく行きたいので、GW中に何とか書き溜めたいところです。
では、また次回。




