第六話 記憶は鎖のように
「好かれてるのね」
再び城で過ごし始めて数日経った夜のこと。僕の部屋を訪れていたリザが、ふと思い出したように呟いた。その口元を、僅かに緩ませながら。
「リザ、何度も言っているけど女の子がこんな時間に男の部屋を訪れるのはどうかと」
「いつも隣で寝てるくせに何言ってんのよ、今更」
彼女の言葉に、僕は苦笑する。
もちろん、隣で寝ていると言っても『そういう関係』ではない。単純に、旅をしている間は野宿も多かったからだ。魔法があるから危険は比較的少ないとはいえ、凶暴な獣が潜んでいるかもしれないというのにわざわざ離れて眠るわけもなく。宿に泊まるときも、リザが一緒の部屋で良いというから同じ部屋で眠っていただけであって。
「大体、前世はもっと遅い時間にあんたの家に行ったりしてたじゃない」
「それも、危ないから駄目って言っていたはずなんだけどね……まあ、それは良いとして。好かれているって、何が?」
「ジルが、この城の人間に、よ」
首を傾げた僕に、彼女は微笑んだままあっさりと告げた。
「あんたが姿を現したときの反応、見た? みんな物凄く喜んでたわ、誰一人例外なく。城の中を歩いているときだって、あんたの姿を見れば嬉しそうに寄ってくるし。それだけじゃないわ、あんたの隣にあたしがいることに気づくと、女子の大半が凄い形相で睨みつけてくるんだもの」
「それは……ごめん」
苦笑を返す僕に、彼女は肩を竦める。
「別に怒っちゃいないわ、前世から似たようなものだったし。今日だけでジルに戻ってきてほしいって言葉、何回聴いたかしらね」
「……そう、だね」
リザの言葉に、僕はそっと目を閉じた。
顔見知りの人間に会うたび、当然のように投げかけられた言葉。戻ってきてほしいと、そう願う彼らの表情は冗談などではなく、本気で僕にここにいてほしいと語っていた。
「あの子、本当に何も覚えてないのね」
「クレア様のこと?」
「そう。あれは咲月じゃない……けど皮肉なことに、覚えているはずのあたしたちの方が変わってしまって、あの子は昔と何も変わらない。違う?」
「違わないよ」
遠くを見るような眼差しで、囁くように語る彼女に、僕は苦く微笑んだ。
そう、僕たちは変わった。変わらざるをえなかった。かつての記憶を、死んだときの記憶すら持って生まれて、別な人間としてこの世界で生きるために。それは人が長く生きるうちに少しずつ変わっていくような緩やかな変化だったけれど、それでも僕たちにとって前世の自分と今世の自分は別の人間なのだ。
けれどクレア様は、咲月は違った。記憶を失ってまた最初から別な人生を歩んでいるはずの彼女は、けれどかつての咲月によく似ていたのだ。魂が同じであるせいなのか、それとも何か別の原因があるのか、それはただの人間である僕たちには知りようがないけれど。
「違わない……咲月の面影を残したまま、僕を慕ってくる」
「そうね、それは見ててもはっきり分かったわ。ジルが大好きなんだって、もうその雰囲気が語ってたもの。隣に婚約者がいるってのに」
「うん。だから、クレア様の傍にはいられないんだ」
今もなお、僕を想い続けているらしい少女。そんな彼女を複雑そうに見つめるもう一人の少年に、気付かなかったわけがない。
ハーロルト様が真澄だった頃の記憶を取り戻して、既に一年以上経っている。再会した時の態度からして、二つの記憶の整理は出来たのだろう。クレア様との関係も当時より良くなっていたけれど、それでも互いに壁のようなものを作っているのが分かった。その裏にあるのは、恐らくあの時の事件。ならば二人のためにも、僕がそのそばにいるわけにはいかないのだ。
そんな僕の言葉に、リザは呆れたように嘆息する。
「だからその隙に奪っちゃえばいいのに、このお人好し。で、どうするわけ?」
「なるべく早くこの国を去りたい……そう、思っていたんだけど」
「出来ないの?」
眉を顰める彼女に、僕は苦笑交じりに頷いた。
「父様の死因について、本当のことを調べないといけないからね。もし暗殺やそれに近い何かだったら、次に狙われるのは王族の誰かかもしれない」
「だから事件が解決するまではここにいて、知恵を貸すことにしたと」
呆れの色を強くし、苦笑するリザ。
「……どうしたの?」
「ジルらしいと思っただけ。不器用ね」
何がおかしかったのか、くすくすと笑い続ける彼女に、僕は黙って嘆息した。
◆◇◆
「あれ、リザさん?」
「ぅえ」
城の中でも目立つ、鮮やかな紅髪。その持ち主である少女に声をかけると、隣を歩いていた妹が嫌そうに顔を顰め、変な声を上げた。構わず、僕はこちらを振り返った少女に声をかける。
「珍しいですね、一人でいるなんて。先生はどちらへ?」
「ジルなら調べたいことがあるからって書庫に行ったわ。あいつを探してるなら、あたしに訊くより直接書庫に行った方が早いんじゃないかしら」
「いえ、先生に用事というわけではないんです。歩いていたらリザさんを見かけたので、つい」
首を横に振ると、彼女は訝しげに目を細めた。
「暇人ね、シリル=ネスタ・ラサ=アネモス。そんなことをしてる暇が、あんたにはあるのかしら」
「気になるでしょう? あの先生が、一緒に旅することを許した人間ですよ」
「……別に、大した理由は無いわ」
本当に何でも無さそうに、冷めた目で肩を竦める少女。それに、隣で黙って話を聴いていた妹が食って掛かった。
「だったら、あまり先生と仲良くしないでよ!」
「あんたには関係ないわ、クレア」
「呼び捨てにしないで! 私の方が年上なんだからね? 大体シリルだっておかしいよ、どうしてこの子に敬語を使うの」
「どうして、って……」
自分に矛先が向くとは思っていなかったため、僕は思わず目を瞬かせる。先生が彼女を伴って帰ってきて以来、クレアはよくこうしてリザさんに突っかかっていた。間違いなく、自分よりも先生に近い位置にいる彼女への嫉妬や羨望から、だろう。リザさんの方は何でも無さそうに受け流しているけど。
「リザさんは、先生に認められている……先生と対等だから。僕たちはそうじゃないだろう? つまりそれは、単純に考えて僕たちよりもリザさんの方が上、ってことだ。年齢なんて関係ないよ」
例えそうじゃなくても、出会ったときにリザさんが言ったことと同じ。僕だって、敬意を払う相手は自分で選ぶ。まぁ立場上選べないこともよくあるけれど、それでも彼女は僕より上だと感じたのだ。初めて先生に出会ったときと同じように、抗えない何かを。
容姿も関係しているのだろうか、と僕はクレアの言葉を受け流す彼女を眺める。後頭部の後ろでくくられた、燃えるように鮮やかな癖の無い長髪。雪のように白い、けれど決して不健康な印象は与えない肌。目は不機嫌そうに細められて、長い睫毛が影を落としているものの、それでも宝石のような深い紫の瞳が見える。強気な印象を与えるものの、その手足は驚くほどに細く、少し力を籠めれば簡単に折れてしまいそうなほど華奢だった。先生曰く旅を始める前は裕福な暮らしをしていたらしいから、そういう体質なのだろうか。
……どちらにしろ、先生とお似合いなのはリザさんの方である。誰が見ても同じ結論に至るだろう。クレアには悪いけど、先生もまた整いすぎて人間味を失いかけているほどの容姿の持ち主だから。
「何よ」
「あーっ、まだ話は終わってないってば!」
じっと見ていた僕に気づき、リザさんが不機嫌そうにこちらを向く、その原因は、間違いなくその袖を掴んで引いているクレアだろう。
「すみません、少し考え事をしていて。あ……もしかして、引き留めてしまいましたか」
「いや、あたしも適当に歩いてただけよ。けど、この城が今どんな状況にあるかは、あんたたちだってジルか陛下に聴いてるでしょ? 命が惜しければ、護衛も無しに気軽に出歩くのは止めた方が良いわ」
「……城の中も、危険なのですか?」
「ジルの父親は毒で殺されたのよ? あんたたちがそうじゃないとは限らないわ。あの金髪にも伝えておくことね」
「金髪、ですか」
ハルのことを言っているのだろうけど、それにしてもあまりに端的な表現に思わず苦笑する。
「誰が仕掛けたのかはまだ分からないけど、毒だけにこだわるようなのんびりした奴らとも限らない。気をつけなさい」
「何でそんなこと、わざわざ教えてくれるの?」
不可解そうに首を傾げるクレアに、リザさんは苦笑する。
「あんたたちが危なっかしいと、どこぞの賢者まで危なっかしい真似しでかすのよ。もうこりごりなの」
――その言葉に込められた、哀しみのような色。まだ十二にもならない少女が浮かべたとは思えないその表情に、僕は思わず息を呑んだ。
こんばんは、高良です。更新が一日遅い? やだなぁ何のことを言っているのやらちょっとよく分からな――ごめんなさい一日勘違いしてました。
というわけで今回はまぁ色々と。主にジルリザ以外の視点でリザの容姿の描写がしたかったのです。ジルリザは整いすぎて人間離れしてるんですが、本人たちは分かっているつもりで分かっていないので。
そしてシリル君はリザに対して敬語。年齢的にはシリル君の方が年上なのですが、まぁ本編中で語っている通り。ちなみにこの二人の組み合わせも第三部辺りで多かったりします。地味に。
さて、再来月辺りテストらしいですがそれまでに第二部終わらせられればいいな、などと。
では、また次回!




