番外編・七 愛の探求
ノックの音が響いたのは、シリル様がわたくしの部屋を訪れた次の日の昼過ぎのこと。戸惑うように控えめに叩かれた、しかししっかりした音に顔を上げると、扉の向こうから声が聴こえた。
「入っても、良いか?」
「……リオネル様?」
思わず目を見開き、扉を見つめる。すぐにそれでは分からないだろうと気付き、わたくしは慌てて扉に駆け寄った。
そっと扉を開けて見上げると、ちょうど下を見た彼と目が合う。
「あ……」
「良かった。体調が悪いわけでは、無さそうだな」
僅かに複雑そうに微笑み、リオ様は表情を引き締めた。
「少し、話したいことがある。俺を部屋に入れるのは嫌だというなら、ここでも構わないが……」
「……いいえ、どうぞ」
少し迷った後、わたくしは彼を部屋に引き入れた。恐らく今までならば冷たい言葉と共に追い返していただろうけど、彼の方がそうしなかったから。
そう、今のリオ様には、この間までの冷たさが全く無かった。わたくしを見るその目にも、憎悪や敵意の色は無い。夜空の瞳に浮かぶのは、ただわたくしを労わり心配するような優しい色だけだった。まるで、婚約していた頃のような。
そんなはずはない、と自分に言い聞かせる。リオ様が、わたくしを許してくださるはずがない。それだけのことを――彼に憎まれても仕方がないだけのことを、わたくしはしてしまったのだから。
扉を締め、わたくしはそのすぐ傍に立ったままの彼に僅かな苦笑を向けた。
「座ってくださいな、リオネル様。そんなところに立たれては、気になって仕方がありませんわ」
「……ああ」
頷き、腰を掛ける彼を見て、わたくしも彼の対面に座る。促すように視線を向けると、リオ様は戸惑うように視線を揺らし、その目を閉じた。開いた目を、彼は真っ直ぐにわたくしに向ける。
「すまなかった、マリルーシャ」
そして深く頭を下げる彼に、わたくしは目を見開いた。
「……リオネル、様?」
「愛していると言いながら、君を信じてやれなかった。君の言葉を、想いを、信じることが出来なかった。許されることではないと、分かっているが……」
「いいえ、リオネル様は悪くありません!」
思わず叫ぶと、リオ様は驚いたように顔を上げ、わたくしを見つめてくる。そんな彼に訴えるように、わたくしは首を横に振った。
「喧嘩したことについては、双方に非があったかもしれません。ですが、その後でリオネル様を裏切ってしまったのはわたくしです。リオネル様が謝る必要などございませんわ」
そんなわたくしを見て、彼は何故かふっと微笑む。優しい……どこか懐かしむような。
「リオネル様?」
「ああ、すまん。……今日は随分素直だな。普段なら、ここぞとばかりに俺を責めているだろうに」
「リオネル様こそ」
彼の言葉に、わたくしは僅かに笑みを浮かべた。
「何かあったのですか? わたくしの言葉なんて、一生信じてはもらえないと思っていましたわ」
「……それは」
「リオネル様を責めているわけではありません。むしろ、謝らなければいけないのはわたくしの方ですわ。それだけのことを、してしまいましたから」
僅かに顔を歪めるリオ様に、苦笑を返す。すると彼は、静かに首を振った。
「それも含めて、俺のせいだろう。俺が君を信じていれば――」
「リオネル様」
彼の言葉を遮るように、わたくしは自らの唇にそっと人差し指を当てる。
「お互い、自分を責めるのは無しに致しましょう。キリがありませんわ」
「……ああ、そうだな」
苦笑交じりに頷き、彼は表情を引き締めた。真剣な顔で見つけてくるリオ様に、わたくしは首を傾げる。
「リオネル、様?」
「頼みがあるんだ。……今更、かもしれない。だが、もしも君が、まだ俺を愛してくれているのなら」
そこで、彼は一度言葉を切った。唐突に椅子から立ち上がり、机の横を回るようにわたくしの傍に来る。まるで自分を落ち着かせるように閉じた目を開き、リオ様は真っ直ぐにわたくしを見た。
「結婚しよう、マリルーシャ。もう一度、俺と婚約して欲しい」
「……っ」
彼の言葉に、わたくしは目を見開いた。
不意に思い出すのは、十数年も前のこと。ずっと一緒にいようと笑った、幼かった彼の姿。運命の恋、というものを初めて知ったあの日のこと。真っ直ぐに見つめてくる青年の表情はあのときと同じで、けれど緊張のせいか少しだけ強張っている。
ようやく、気付いた。気付くことが、出来た。
「……迷っていたのは、わたくしだけではなかったのですね」
小さく呟いた言葉に、リオ様は僅かに目を見開く。そんな彼に、微笑。
「一つだけ、約束してくださいますか? もう二度と、あんなことは言わないと……貴方の傍にいて良いのはわたくしだけだと」
「ああ、約束する。二度と、君を離さない」
「……そう、ですか」
強く頷く彼を、僅かに表情を引き締めて見上げる。
「お受けします。愛していますわ、リオ様」
わたくしの言葉に、彼は驚いたように目を見開く。けれどそれも一瞬のことで、リオ様はすぐに嬉しそうな笑顔を浮かべ、わたくしを正面から抱き締めた。
「きゃっ!」
「ありがとう。愛している、マリルーシャ」
思わず声を上げたわたくしの耳元で、リオ様が囁く。どこかくすぐったいその言葉に、彼には見えないと分かっていながら微笑んだ。
「それはわたくしの台詞ですわ、リオ様。……ありがとうございます。わたくしを、信じてくれて」
いつの間にか目から零れていた涙に気づいたのか、リオ様は私の頬に手を添える。しかし雫が拭われることはなく、代わりにそっと唇が重なった。
「ところで、リオ様」
数分後。わたくしは僅かに赤くなった目からなおも流れる雫を拭い、目の前に座るリオ様に話しかけた。
「絶対にありえない話、ですけれど。もしもわたくしがもうリオ様のことを愛していないと言ったら、その時はどうなさるつもりだったのですか?」
「……その時は諦めていた、と言ったら?」
「嘘、ですわね」
意味深な笑みと共に返された言葉を、わたくしはバッサリと切り捨てた。
「リオ様に限って、それはありえません。一度決めたらどんな手を使ってでもやり遂げようとするのがリオ様ですわ」
「酷い言い方だな」
わたくしの言葉に、リオ様は苦笑する。
「だが、事実だ。そうだな、聴いてから後悔しても知らないぞ?」
「構いませんわ」
軽く頷くと、彼は肩を竦める。
「その時は、家の権力を使おうかと考えていた」
「……え?」
「これでも次期公爵なのでな、色々と伝手はある。カルネの家に圧力をかけて、没落寸前まで行ったところで救いの手を差し伸べるつもりだった。マリルーシャが俺の元に嫁ぐのなら援助してやる、と」
彼ならやりかねない。その事実に気づき、一瞬背筋に冷たいものが走る。
けれど、それもすぐに消えた。全てわたくしを愛してくださっているがゆえなのだ、そう思えばどうして怖がることが出来よう。
けれど一言だけ、嘆息と共に呟いた。
「……断らなくて良かったと、心から思いましたわ」
「まったくだ。俺もあまりカルネ候に迷惑はかけたくなかったからな」
真顔で頷く彼に、わたくしは苦笑交じりに再び嘆息するのだった。
◆◇◆
トゥルヌミール公爵家の跡継ぎとカルネ侯爵家の令嬢が再び婚約した、という噂は瞬く間に国中の貴族の間に広まり、しばらく貴族たちはその話題で持ちきりになる。
しかし、二人が正式に結ばれるのはこれより更に半年以上後。
――公爵家の現当主、ドミニク=ダリエ=トゥルヌミールの急死。それは二人の婚約以上に、国を騒がせることとなった。
こんばんは、高良です。
元々憎しみが上書きされたせいですれ違っていただけで、愛し合う感情はそのままだった二人。憎しみを取り除くきっかけさあれば、あとはとてもスムーズでした。というかまともだと思っていたリオネルにすらヤンデレの兆候が見えてて私今凄く混乱してる。
ですがそんな二人の傍で起こる、一つの悲劇。リオネルとジルの父である公爵の急死。これが、第二部に繋がることになります。
というわけで、ようやくリオネル編終了。次回からは第二部、公爵が息を引き取る前後からになります。第一部とは違うキャラにスポットライトを当てるつもりですので、楽しみにしていただけると嬉しいです。
では、また次回。




