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枯花廻りの籠の中  作者: 高良あおい
第一部
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第二話 憂える賢者

「ねえ、シリルは先生が楽しそうに笑っているところ、見たことある?」

「……どうしたの、突然」

 最早日付も変わろうか、という時間帯。部屋の中央に置かれた机に向かって本を読んでいると、唐突に対面から妹が話しかけてきた。彼女の前にも、分厚い本と紙の束が置かれている。

 念のために言っておくけれど、いくら双子とはいえ、十三歳にもなって同じ部屋であるわけがない。しかし隣り合っている僕とクレアの部屋は、一枚の扉で繋がっていた。そのため、本来なら僕たちの就寝時間を過ぎているため出歩けないこの時間であっても、僕はクレアに勉強を教えられるというわけだ。

 ……いや、基本的にはクレアが一方的に押しかけてくるのだけど。

「ねえクレア、これ、昨日までにやっておきなさいって言われていなかったっけ」

「良いから質問に答えてよ!」

 僕の言葉に、クレアは頬を膨らませる。

「答えるも何も……先生、基本的には常に笑顔じゃないか」

「……そうかしら」

 不満げに呟く彼女に対し、今度は僕が首を傾げた。

「クレアはそうは思わないの?」

「だって、普段の先生の笑顔は何ていうか……『仕事用』じゃない。掴みどころがない、っていうか」

 その答えに僕は、ああ、と納得する。先生は誰に対しても穏やかで、常に笑顔。彼が『必要だから』そうしていることを、僕は随分前に本人から聴いていたのだから。

『人と話すとき、笑顔は一番の武器なのですよ、シリル様。どんな場面でも、それは変わりません』

 他国の重役と――自分の倍以上の年月を生きている人間と、臆せず対等に渡り合う先生を見たのは、その直後のこと。そう、あれを見て、真似しようと思った。先生についていこうと思った。この人は凄い、両親以外で初めてそう思えた。

 今の僕は、当時の先生と同い年。……だけどきっと僕はまだ、あの時の先生のようには出来ないだろう。

「シリル? どうしたの?」

「あ、ごめん」

 クレアの声で、深く沈んでいた意識を引っ張り上げる。

「でも、先生だって普通に笑うことはよくあるよ。話しているときに『仕事用』じゃない笑顔も浮かべているだろ?」

「……寂しそうじゃ、ない?」

「え?」

 思わず聞き返すと、クレアは「やっぱり」と嘆息した。

「わたしだけ、なんだ」

「どういうこと、クレア?」

「先生が笑うとき、いつも寂しそうなの。ううん、笑うときだけじゃなくて、わたしと話しているときは、いつもどこか寂しそうな顔をなさっているの。……わたし、先生に嫌われているのかな」

 泣きそうな顔で紡がれる言葉に、僕は戸惑う。

「それは、絶対に無いと思うけど」

 クレアが先生を好きなのは、見ていれば分かった。尊敬というよりも、恋や愛に近い感情。僕たちはまだ子供だけど、それでもクレアの気持ちは嘘じゃない。双子だからこそ、ずっと誰よりも傍にいたからこそ、彼女が本当に先生を慕っているのは知っていた。

 そして――先生がクレアを見るときの愛しげで優しい表情、その意味も。

 だから、余計に信じられない。クレアと話しているときの先生が、寂しそう? 城で働く一部の人間の間では、とっくに二人の想いが噂になっているのに?

「本当? 本当に?」

 僕の言葉に、クレアは目を見開いた。

「本当だって」

「良かったぁ……」

 心底ほっとしたように、彼女は満面の笑みを浮かべる。それを見て、思わず僕は苦笑した。

 妹の笑った顔は可愛い、と思う。けれど同時に、それが兄としての贔屓目を多分に含んでいるのだろうな、とも。

 僕とよく似た顔、同じ色の髪、同じ色の瞳。その容姿は『そこそこ可愛い』程度であり、恐らく城下町などにいれば目を引くだろうけど、美しい貴族の令嬢が大勢集まるこの城では何かの拍子に埋もれてしまいそうだ。

 もっとも、それは同じ顔を持つ僕も同じ。僕と先生と並べば、恐らく誰もが僕ではなく先生を王族だと思うことだろう。先生の容姿は整いすぎているのだ。最早人ではないと言われても信じてしまいそうなくらいに。

「シリル! 何か失礼なこと考えてるでしょ?」

「え? ……別に、そんなことないけど」

「ううん、あるに決まってる! シリルがそういう顔をしているときは、大抵わたしに対する悪口だもの」

「そうかなぁ」

「絶対そう!」

 断言するクレア。……うーん、これも先生が話していた『双子の繋がり』というものだろうか。だとしたら、あまりよろしくない。

「だから、そんなことは……先生って格好良いよね、って思って」

「わたしたちがそこまで美少女美少年じゃないのはお父様のせいだから仕方ないの。大きくなったらもっと綺麗になるもん」

「そこまでは言っていないんだけど」

 まぁ、父上の容姿については否定しないけれど。今でこそ国王らしい威厳と風格に満ちていらっしゃるけれど、昔は田舎の村人と間違われるほど平凡な容姿だったと聞く。

「でも、先生が格好良いのは否定しないわ。本当に、素敵でいらっしゃるわよね。わたしたちの目より深い藍色の髪も、トゥルヌミールの『夜空の瞳』も、凄く綺麗! 誰に対してもお優しいし、それに」

「はいはい、ストップ。マリルーシャが来たらどうするの」

 肩を竦め、暴走気味の妹を制止する。

 夜空の瞳、というのは、先生の実家であるトゥルヌミール公爵家に代々受け継がれている瞳のこと。深い藍色の中に、まるで星のように金の粒が散っているからそう呼ばれている、らしい。トゥルヌミール公爵や先生の兄君も、全く同じ瞳を持っている。

「で、先生からの宿題は? 終わった?」

「全然」

「……何のために僕の部屋に来たの、クレア。流石にもう寝なきゃいけないと思うんだけど」

 彼女の勉強が全く進んでいないのを見て、僕は嘆息する。

「寝ちゃおうよ、わたしも眠いわ」

「じゃ、そうしようか。……あ、そうだ、先生から伝言。クレアはそれが終わるまでマリルーシャと一対一で勉強だってさ」

「ふぇ」

 目を見開くクレアの背を押して彼女の部屋に誘いながら、僕はにっこりと。

「先生に会いたかったら、頑張って終わらせることだね?」

「し、シリルの鬼いいいいいい!」

「……だから、大声出しちゃ駄目だってば。それじゃ、おやすみ」

 どちらかというと鬼は先生の方だ、と心の中で反論しながら、僕はドアを閉めた。




 見た瞬間、クレアの言っていたことはこれだ、と直感する。

「……先、生?」

 見上げると、彼はハッとしたように微笑を浮かべて僕を見下ろした。

「どうしましたか、シリル様。どこか分からないところでも?」

「いえ、強いて言うなら全部分からないですけど」

 予想通り、と言うべきか。今日の勉強もまた、クレア抜きで行われていた。

 ここぞとばかりに普段ではありえないほど難易度を跳ね上げるのはともかく……アネモス語すらまともに読めないのに、アネモス語の意味を持つ遺跡とか、それを利用した古い時代の暗号の解読とか、無理があると思うんです、先生。先生じゃあるまいし。

 もっとも、そう言ったら「よく言うでしょう、学ぶことに意義があるのですよ」と笑顔で返されてしまったのだけど。

「あ……そういえば、ここに書いてある町全て、そこまで規模が大きいわけではないんですね。アネモス語が利用されていたときの遺跡なら、もう少し厳重に守られていると思ったんですけど」

 ふと思い出して訊ねると、先生は首肯する。

「よくお気づきになりましたね。数年前までは遺跡のまま、シリル様の仰る通り厳重に守られていましたよ。ですが僕がそれは危険だと陛下に申し上げた結果、今のように小さな町で秘密裏に守られることになったのです。さて、それは何故だと思いますか?」

 突然放たれる問いに、僕は一瞬だけ固まった。けれどすぐに思考を取り戻し、先生の言葉の意味を繰り返す。先生はたまにこうして突然難題を投げかけてくるから気が抜けない。……でも、今回は簡単な方かな。

「厳重な守りがあると、そこが重要な場所だと他国に気づかれてしまうから、ですね」

「よろしい。その通りです」

 僕の答えに、先生は満足げに頷いた。

 ……っ、て。

「そうじゃなくて! そうやって、話をすぐに勉強に繋げるのは先生の悪い癖です!」

「お勉強の時間ですので。それと、先に質問なさったのはシリル様ですよ」

「そうですけど、でも」

 言い返せず、言葉に詰まる僕を見て、先生はおかしそうに笑い、穏やかに問いかけてきた。

「そういうところはクレア様そっくりですね、シリル様。流石双子と言うべきでしょうか。それで、どうなされたのです?」

「えっと」

 僕は僅かに躊躇う。本当に、言って良いのだろうか、先生の機嫌を損ねてはしまわないだろうか。先生に、嫌われてしまわないだろうか。そんな不安が、胸をよぎって。

 でも、いつまでも黙っているわけにもいかない。

「その……先生が、どこか寂しそうな顔をされているように見えて」

「寂しそう?」

 僕の言葉に、先生は戸惑うように目を見開いた。

「僕が、ですか」

「先生以外の人は、ここにはいないと思うんですけど」

「それは……申し訳ありません」

「ち、違います先生、責めているんじゃなくて!」

 苦く笑って頭を下げる彼に対し、僕は慌てて叫ぶ。ならば何故、とでも言うようにこちらを見る先生。……言わなきゃ、駄目かな。でも、先生に僕の誤魔化しなんて通じた試しが無いし。

「クレアが、気にしていたんです。自分と話しているときの先生は、いつもどこか寂しそうだ、って。今だってそうです、先生はクレアの話をしていた」

「っ」

 躊躇いつつも意を決して告げると、一瞬だけ先生の息が止まった。もう後には引けない、ならばいっそ、と畳み掛けるように言葉を紡ぐ。

「先生は、僕なんかよりもずっと頭が良くて、大人でいらっしゃるでしょう? クレアの気持ちなんて分かっているはずです!」

 彼は何も答えない。けれどその表情が何よりも、僕の言葉が正しいことを語っていた。

「だったらどうして、答えてあげないんですか? 見ていれば分かります、先生だってクレアのこと……! 先生の身分なら、誰も文句など言わないはずです。みんな、先生とクレアが結ばれるって、そう思って――」

「シリル様」

 僕の言葉を遮ったのは、先生の声とは思えないほど無機質な声だった。僕は思わずびくっと肩を震わせ、恐る恐る彼を見る。

 先生の表情は普段と変わらない、穏やかな笑顔。けれど、今の声は。

「想うだけで上手くいくほど、甘くは無いのですよ」

「でも!」

「否定は致しません。シリル様が仰ったこと、何一つ否定は出来ません。それでも――」

 そして先生は、微笑む。今までに見たことが無いほど寂しそうに、そして辛そうに。

「――僕には決して、それを受け入れられないのですよ」

 その笑顔を見てしまった以上、もう何も言えなかった。


予定より早いですが、唐突に更新したくなったので第二話。

第六話以降は更新ペース落ちると思いますが、それでも他の作品ほどあかないと思いますので読んで頂ければ嬉しいです。


王女と言えど、クレアだって年頃の女の子。年上で何でも出来るジルに惹かれるのは、当然と言えば当然ですね。同じくジルも、賢者と呼ばれてはいますが年頃の少年ですから、クレアを好きになるのはおかしいことではありません。

ですが、彼はそれを受け入れられない。その理由とは……?


ではでは、また次話でお会いできることを祈って。

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