番外編・一 幼い求婚
俺が『彼女』に出会ったのは、まだ俺が五歳、彼女が四歳のときだった。
「初めまして、カルネ侯。リオネル=レネ=トゥルヌミールです」
目の前に立つ、父と同年代ほどの貴族。たった今、侯爵であると名乗った彼に向かい、俺は軽く頭を下げる。すると彼は感心したように目を細めた。
「噂は聴いておりますよ、リオネル様。流石は公爵閣下のご嫡男、聡明でいらっしゃる」
「ああ、そうだろう。自慢の息子だ」
言葉の通り自慢げに頷く父を、呆れながら見る。
その時、視界の端に小さな影が映った。こちらに向かって駆けてくる、俺と同じくらいの年頃の少女。
「……侯爵、あの子は」
揺れる亜麻色の髪に目を奪われ、俺は思わずそう問いかける。しかし侯爵が答えるより先、父が笑みを浮かべて口を開いた。
「ほう、マリルーシャ嬢だな。確かリオより一つ下だったか、大きくなったものだ」
「覚えていて頂き光栄です、閣下。来なさい、マリルーシャ」
カルネ候の声に、少女は少し速度を上げてこちらにやってくる。立ち止まった彼女は、澄んだ萌葱色の瞳を輝かせて俺を見た。
「お待たせしました。お父さま、この方は……」
「リオネル」
父や侯爵よりも先に、口を開く。マリルーシャと呼ばれた少女を真っ直ぐに見つめ、俺は少女に笑みを向けた。
「リオネル=レネ=トゥルヌミールだ。初めまして」
「……マリルーシャ=フォン=カルネです、り……りおねる、さま?」
「リオでいい」
言いにくそうに舌足らずに呼んでくる少女に、俺は思わず苦笑する。そして跪き、彼女の手を取って口付けた。
「り、リオさま?」
「よろしく、マリルーシャ」
目を見開く少女を見上げると、彼女は僅かに頬を染め、嬉しそうに頷いた。
「はい。よろしくおねがいしますね、リオさま」
互いに惹かれ合ったのだと、俺たちが実感するのはそう難しいことではなかった。一目惚れ、などと言う軽いものではない。魂が、目の前に立つ少女が運命の相手だと叫んでいたのだ。命に代えても護りたい、この少女にずっと隣にいてほしい。そんな想いが、狂おしいほどに膨れ上がる。
横目で父親たちを見ると、彼らは俺たちが打ち解けたことに安心したのか、何やら話し込んでいてこちらに意識を向けてはいない。
「父上、向こうでマリルーシャと遊んでいてもよろしいですか」
「ほう」
視線だけをこちらに向ける父。面白がるようなその表情に、ああこれは気付かれているな、とぼんやり思う。しかし父は咎めることなく、笑顔で頷いた。
「構わん。では私たちは屋敷の中に入るか、カルネ候」
「はい。マリルーシャ、あまりはしゃぎすぎないのだぞ」
「わかっていますわ、それくらい」
むくれるように頷く少女を見て、侯爵は安心したように頷き、父と共に建物の中に入って行く。しかし彼らの姿が見えなくなった途端、マリルーシャは悪戯っぽく笑って俺の手を掴んだ。
「マリルーシャ?」
「ねえリオさま、向こうに行きましょう? 見せたいものがあるんです、リオさまもきっと気に入るわ」
「はしゃぎすぎないんじゃなかったのか?」
楽しそうに手を引いてくる彼女に、俺は苦笑を向ける。しかしマリルーシャは訝しげに俺を見返し、首を傾げた。
「リオさまは、楽しくないのですか?」
「……いや、そんなことは」
「だったら、がまんする必要なんてありませんわ! どうせお父さまはここにはいないんだもの、リオさまが黙っていてくれれば、ばれません」
「いいのか、それで」
「いいんです」
幸せそうに笑う少女を見ているうち、胸の内にはある決意が浮かんだ。……彼女を、誰にも渡さないため。今の俺に出来ることが、しなければならないことが一つある。
「リオさまには、きょうだいはいるのですか?」
歩きながら訊ねてくる少女に、俺は首肯した。
「弟が一人いる。この前生まれたばかりだが、な」
「まぁ」
目を輝かせ、マリルーシャは俺を見る。
「リオさまには似ているのかしら。髪や目の色は?」
「目は俺や父上と同じだが、髪は俺とは違って、深い藍色だったな。ただ、みんな小さい頃の俺に似ていると言っていた。……マリルーシャは?」
「姉が一人いますわ。体が弱いらしくて、わたしもほとんど会ったことはありませんけど」
彼女が一人娘ではないことに、俺は内心少しだけ安堵する。嫡子が彼女一人であれば、マリルーシャは婿を取りカルネの家を継がなければいけなかっただろう。だが、その役目は彼女のものではないと、彼女自身が言ったのだから。
「つきましたよ、リオさま!」
そんな俺の考えを知ってか知らずか、マリルーシャは踊るように階段を駆け上がり、俺の方を振り返った。手を繋いでいる俺もまた、彼女に引っ張られるように駆け上がる。その勢いで、一気に視界に入ってきた景色。
「……凄い、な」
「そうでしょう!」
目を見開く俺に向かって、マリルーシャは自慢げに笑う。
「カルネの庭園が素晴らしいのは知っていたが、ここまでとは思わなかった」
辿り着いた先。敷地内の、ちょうど真ん中辺りか。
視界に広がる色とりどりの花、綺麗に揃えられた木々。例外なく咲き誇るそれに、目を奪われないものはいないだろう。この庭園の噂は色々なところから聴いていたが、実際に見たのは初めてだった。
「季節によってすがたを変えるんですよ、たとえ冬だってここはきれいなんだから!」
「へぇ……それは、見てみたいな」
「ええ、見せたいです。……ねえリオさま、また、ここに来てはくれないのですか?」
何気なく呟いた言葉が聴こえたのか、少女は不安げに俺を見る。
「いや、恐らく何度も来ることになるだろうが……」
国にあちこちに点在する、うちの公爵家が所有する領地。このカルネ領は、その中でも特に大きい領と隣り合っているのだ。ゆえにここを訪れる機会は多いし、来たければ簡単に訪れることが出来る。
しかし、俺は言いかけた言葉を止め、真っ直ぐにマリルーシャを見た。
「マリルーシャ。大きくなったら、結婚しよう」
「けっこん?」
目を瞬き、少女は首を傾げる。
「ずっといっしょにいること、ですよね? お父さまとお母さまみたいに」
「ああ、そうだ。俺とずっと一緒にいよう、マリルーシャ。……嫌か?」
驚いた顔で俺を見るばかりで答えようとしない彼女に、俺は不安を覚えて訊ねる。もし嫌だと言われたら、どうしようかと。
しかしそんな心配も杞憂だったようで、マリルーシャは慌てて首を振り、にこりと微笑んだ。
「いいえ。わたしも、リオさまとずっといっしょにいたいわ。いさせてください。……お受けします、リオさま」
「そうか」
思わず笑みを漏らす俺を見て、マリルーシャはおかしそうに微笑む。静かな風が、俺たちを包む草花を揺らした。
……それは、俺たちがまだ幼い頃の話。何も知らない愚かな子供が、初めて出会った時の話だった。
それから何度も俺はこの家を訪れ、同時に父や侯爵に頼み込んだ。正式に彼女と婚約したのは、ちょうど一年が経った頃。公爵家の跡継ぎと侯爵家の令嬢と言う立場上、気付けばその話は貴族たちの間に広まっていた。
……十年後、俺たちはそれを後悔することになる。
こんばんは、高良です。
そんなわけで、ここからしばらくは番外編。本編で少しだけ出てきた、ジルの兄であるリオネルと双子の乳母であるマリルーシャのお話になります。
本編中で明かされた、幼馴染という二人の関係。ですが、実はその裏にも色々と複雑な事情があるのです。今回の話と次の話は過去のお話になりますが、三話目からは時系列を戻し、ジルが去った後のアネモスで展開していくことになります。
……そう、数話続くんです、これ。全て「番外編」で統一させて頂きますね(「第零話」にしていたのですが、ややこしいので変更させて頂きました。03/13)
では、また次回。




